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結局、また眠れない
- 2006/04/23(Sun) -

ハルシオンを飲んで、2時間で目が覚める。
これじゃあ詐欺だわ・・とかいろいろ言ってみても、いつもいつもこんなもの。
そしてごそごそ冷蔵庫をあさって、缶酎ハイを持ってきて一杯やってる。
これじゃあ今度は私がアルコール依存になっちゃう。


長年、こんな風に、短時間睡眠で、寝ては起き、また寝ては起きしながらも
なんとか生きてきたのだから、それでもいいんだけど、
なんせ仕事が苦痛だ。
最近も新たに仕事を探し始めた途端、あちこち具合が悪くなってくる。
プレッシャーがかかるんだろう。


かつて一家を背負って働き通した時、胃潰瘍にぎっくり腰に喘息に・・
身体がボロボロになった。


でも、ここまで来るだけでも、相当の年月と努力と忍耐がかかってる。

釈迦曰く
「少欲知足」
・・・・・欲すること少なくして足ることを知る・・・・


これでも良い。
これが私。
こうやってでも生きていればそれで良い。


再度、眠りに挑戦・・

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考えることをやめる
- 2006/04/24(Mon) -

もうすぐ4年が経つ。
20年以上も借金とアルコール依存とDVを繰返してきた夫と、その数年前から同居するようになった競馬狂いの義理の息子が、二人同時に自己破産してから・・

私は当時まだ中学生だった娘を守るため、必死に、それこそ1日12時間以上働いた。
働いて働いて働き倒して、何も思うことも考えることも出来なかった・・
そして、やっと貯めたなけなしのお金で、やっと今の安い文化住宅に家族で引っ越した。
勿論、呆けて廃人の様にようになった夫と、同じ様に呆然と空を見つめているだけの義理の息子と共に。
何で別れなかったのか・・それさえも解らない。
あれ以来私は考えることをやめて生きてきた。


考えると死にたくなるだけだった。自分探しも止めた。意味を求めることもやめた。
ただ毎日を必死に生きてきた。悲しくなるほど明るく・・だたひたすら娘の心を明るくしてやりたかったから。
怒涛の生活を送りながらも、我が家に笑い声が途絶えることはなかった。
毎日の夕食は必ず家族4人が揃い、質素な食卓を囲んでテレビを見ながら、みんなが大声で笑った。その時間だけが私の生きがいだった。

私が私を捨ててから、夫のアルコール依存もDVも、薄皮を剥ぐように治まって行った。
義理の息子も正社員になって働き始め、今は家を支える大事な働き手となっている。
娘は「うちら奇跡の家族や!」そう言って心から嬉しそうに苦しかった頃のことを誇らしげに語る。

私が私を捨てるためにはこれほどまでの長い苦難と忍耐が必要だった。

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くだらない治療者たちへ
- 2006/04/26(Wed) -

今日は事例研究会。

くだらない治療者。
くだらないスーパーバイザーたち。

クライエントの蒙っている外傷の深さを
何一つ理解できないお気楽者達。


私は吐きそうになる。
そして密かに思う。
「ああ、本当に良かった。こんな奴らを信じなくて」


音もなく滴り落ちる雫が
長い長い時間を経て
頑強な岩に
あがない様もないほどの
深い空洞を刻み込んでいく。


現代の家庭は
外傷の場でしかないことに
まだ何一つ気付かない
大馬鹿者の治療者たち


そして、人々は静かに狂っていく
誰にも知られることもなく


そして、ある日突然
その復讐の牙を剥くのだ。




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記事削除しました
- 2006/05/01(Mon) -

「治療外要因」についての記事削除しました。

私の「コピペに問題あり」で、「元本を読むように」とのコメント
ありがとうございます。

私は批判されることに大変過敏で、こうしたコメントすら怖いようです。

これではコミュニケーションも取れないと思いますが
取り敢えずは自分の安定が第一課題ですので
速攻削除いたしました。

コメントを下さった方には本当に申し訳ありませんでした。

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「サリヴァンの病棟」
- 2006/05/01(Mon) -

サリヴァン(Sullivan H.S 1892-1949)はアメリカの精神科医であり
精神分析学派の新フロイト派の中心メンバーでもありました。
彼は、重症の統合失調症の精神療法で伝説的な名声を得ています。
また、サリヴァンは10代の頃自分も精神病を発病して
精神病院に入院した経験があるそうです。
そんな
彼が、精神科医になってから造った精神科男子病棟は、
驚異的な治癒率だったといわれています。


それはなぜか。


実は、この男子病棟には女性職員は1人もいなくて、看護師も全員男性。
更に、その男性看護師も全員が「元患者」だったそうです。


ということは、この男子病棟は医者(サリヴァン)も看護師も
みんな「元精神病患者」だったということになります。


これは私にとっては信じられないことであり
その重要性や素晴らしさは、身に沁みて理解できます。

だって、患者はみんなと平等な仲間なのです!
自己卑下や劣等感を微塵も感じなくてすむのです!


私はこれまで数多くの治療者や心理臨床関係の○○大学教授とかに
出会ってきましたが、未だかつてただの1人として、
信頼に足る人物にお目にかかったことはありません。
ましてや、事例研究などでの彼らの姿勢を知ることとなり、
更に不信や怒りは募るばかりです。


彼らには、心を病む人間の悲しみや痛みへの感受性や、
悲惨な人生を絶望的なまでの努力で耐えて生き抜いている人間への尊重や、
医師も患者も同じ尊厳性を持った人間なんだという尊敬の心が、
決定的に欠けているとしか思えません。


「サリヴァンの病棟」のように、患者を温かく迎え入れ、分け隔てなく接して、
お互いが仲間なんだという意識が生まれてくることこそ、
最も求められる治療的態度なのではないかと思っています。


でもそんなものどこにもありはしないけど。


 


 

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戸塚氏出所に思うこと
- 2006/05/03(Wed) -

戸塚宏氏出所のニュース(朝日新聞から)http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY200604290123.html
戸塚ヨットスクール事件(事件史探求から)
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage163.htm


私はこの人の考え方を完全に否定します。
また、この人を支持する人達の考え方が全く理解できません。
こういう人々とは、絶対にかかわりあいになりたくないです。


そしてそれ以上に、この人が復帰した施設で
また暴行・虐待・殺人事件等が必ず起きるだろうとさえ思っています。
死ぬまで暴行を受けるかもしれない施設で暮らさなければならないなんて、
虐待以外のなにものでもない。
そんなことすら理解できないこの人には
二度と子どもの世界に関わらないでくれ!と言いたい。
こんなところに入所させる親も虐待だ。
死ぬまで子どもを追い詰めるのか!と言いたい。


「体罰を受けれた子どもは幸せだ」「それを見ている子どもも幸せだ」
彼はそう言った。


「あんたにとっては愛情かもしれないけど
される側にとっては耐え切れないただの暴力にしか過ぎないんだよ!!」
そう言ってこっちも凶暴になって殴ってやりたくなる。


こんな施設に人が集まる事実
「現在塾生6人」で「連休明けにまた2人入所予定」・・

こんな施設を支援する人たちがいる事実
「我々の手で教育改革を!」「戸塚ヨットスクールを支援する会」
「会長 石原慎太郎」・・


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同窓会へ・・
- 2006/05/04(Thu) -

今日から一泊で出かけます。
大学の同窓会に出るためです。


親しい友人が居たわけでもなく
懐かしい思い出があるわけでもなく


ただ、かつては「我が父」とまで密かに思い
心から慕っていた恩師にお会いするためです。


「彼は変わってしまった・・
名誉と地位と権力を手中にして
信念を曲げ、体制に迎合し
泥にまみれてしまった」と聞く・・


この目で
確かめてこようと思っています。


彼の真実を
彼の本質を
彼の魂の声を


ですから、明日は更新できません。

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恩師へ・・
- 2006/05/06(Sat) -

恩師に再会して、どうしてしまったのかと思うほど涙が溢れた。
恩師は「今も私の父親」そう思った。


年老いていく恩師。
既に抜き差しならない状態にあるのだろうと思った。
もう恩師に多くを望んではならないのだと悟った。
そして、恩師を喜ばせてあげたいと思った。
親孝行したいと心の底から思った。


でも、生きる道は違ってしまった。
私は私の信じる道をあくまでも歩いていくだろうと思った。
・・・・それを変えることはできない。



それでも近況を知らせる手紙を書こうと思った。
元気に暮らしている家族の写真も一緒に送ろうと思った。
深い感謝と尽きない思慕の思いを込めて。



長い間、父親のいない私にとって
かけがえのない「理想化された父」だった貴方。


貴方のいい娘でいたいという強い思いが
私の生きる原動力の全てでした。


壊れてしまった自分を創り直そうと
歪んでしまった自分の行動や認知を変えようと
忍耐強く重ね続けた
あらゆる努力の
原動力の全てが
貴方の存在そのものでした。



・・・・ありがとうございました。

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ひきこもりを食い物にする姉妹
- 2006/05/08(Mon) -

ひきこもりとその家族を食い物にする長田百合子と杉浦昌子姉妹。
これは第2の戸塚ヨットスクールです。

『不登校・ひきこもりを直す』暴力を問うシンポジウム。長田塾(おさだ)の問題
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2005/me051130.htm
 
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風邪を引いて寝込んでいたら
- 2006/05/13(Sat) -

風邪を引いて寝込んでいました。

こんな時は、すっかり観念して
ダラダラ~グダグダ~。
猫と同化して暮らします。


今はもう高3になる娘が
幼かった頃のことを思い出しました。

それほど大きな病気をしたこともなかったけど
たま~には風邪を引く。
ちょっと熱っぽくてグンニャリしている娘。
すると私は妙にウキウキとして
娘と一緒に猫になる。
二人で、治るまでグンニャリして
ゆっくり流れる時間を
思う存分娘と過ごす。


蜜月・・


幼い頃の子どもとの時間は
蜜月・・


病気の時の子どもとの時間は
更にとろけそうに甘い
特別素敵な時間でした。


うう・・喉が痛い・・
朝食とお弁当3個作ったら
また寝ます。


嬉しそうなわ・た・し。

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本当の母の日
- 2006/05/15(Mon) -

http://www.ochanoma.info/index.html


「お茶の間から世界を変える」
というサイトを見つけました ↑


そこに書かれていた「本当の母の日」
という話にとてもショックを受けました。


そして
う・・・・ん、と考えさせられています。


以下、少し長いけれど転載しました。



 


本当の『母の日』って.


今日は『母の日』についてお話したいと思います。

 早速ですが みなさん 母の日の起源(由来)ってご存知ですか?
 まずは一般的に伝えられているものから、ちょいとさわりだけ...
 

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 今から約100年前の1908年5月10日、アメリカのウェストバージニア州に住むアンナという少女は、母の命日に追悼式を開き、そこで母が大好きだった白いカーネーションを参加者一人ひとりに手渡した、というのが始まりです。

 彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を亡くし、残された娘二人(そのうち一人は盲目だった)を一人で育て上げました。

 アンナは母を想い、その後、母に感謝する日を祝日にすることを訴え続け、1910年ウェストバージニア州がはじめて「母の日」を祝日として認定。そして1914年には、とうとう国の祝日として認められたのでした。(日本では1923年から始まりました)

:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:



 これが一般に知られている母の日の始まりです。母の家族への献身と子供の親への感謝…。おぉ なんと美しいお話でしょう!


 ところが!!


 この「一般的に伝えられている」母の日の起源は、物語の半分しか語っていません。そればかりか、アンナが目指した本当の願いを覆い隠してしまっているのです。

 毎年、母親に感謝してカーネーションを贈りましょうという文化がまかりとおっているけれど、本当はそんな安っぽいものじゃないんですよ。

 どういうことなのでしょう??

 先に結論から言ってしまいましょう!


 ★母の日は、平和を願う母親たちの社会運動を記念したことが始まり!★


▼もともとは『平和のための母の日』


 それでは、もう一度過去にさかのぼってみましょう。忘れ去られた本当の母の日の起源を求めて…。

 アンナ(Anna Maria Reeves Jarvis)の母ミセス・ジャービス(Ann Marie Reeves Jarvis)は、1852年、ウェストバージニア州グラフテンの小さな教会の牧師の夫と結婚しました。

 彼女は素晴らしい社会活動家でした。1858年に「母の日仕事クラブ(Mothers' Day Work Club)」を結成し、病気で苦しんでいる人たちを助けるために募金活動をしたり、病気予防のため牛乳や食品の検査など、公衆衛生のための活動をしていました。

 南北戦争(1861~65年)が始まると、「母の日仕事クラブ」は中立を宣言して、南北双方の傷ついた兵士の看病をしました。戦争も終わりに近づいた頃、彼女は戦争で傷ついた人々の心を癒そうと、今度は「母の友情の日(Mother's Friendship Day)」を企画。 政治に関係なく南北双方の兵士や地域の人たちを招き、お互いに敵意を持つことを止めさせようとの狙いがあったこのイベントは、大混乱の恐れがあったにもかかわらず、大成功をお
 さめました。

 「残された娘二人」と冒頭に書きましたが、実は彼女は戦争や病気で8人も子供を失っています。それにもかかわらず、母としての愛情を、自分の子供のみならず、すべての人々に注いだのでした。

 さて、ミセス・ジャービスの影響があったかはわかりませんが、南北戦争後の1872年、南北戦争の戦記を書いたジュリア・ワード・ホーウ女史(Julia Ward Howe)は、平和を祈り、「平和のための母の日(Mother's Day for Peace)」として毎年一度イベントを開こうと提唱しました。

 これは現在の『母の日』の原型ともいえるものです。ホーウ女史は宣言文の中でこう述べています:



  私たちの夫は、虐殺の血の臭いに満ちて帰って来るべきではない。

  私たちの子供は、今まで私たちが教えてきた慈悲、寛容、忍耐を忘れる ために、戦争に連れて行かれるべきではない。

  私たち、この国の母親は、どこまで優しくなっていくのでしょう。

  自分たちの子供が、相手の国の母親の子供を殺すのをだまって見過ごす ほどに優しくなってしまうのでしょうか。



 女性は社会的弱者といわれる一方、19世紀から、(中流階級の)アメリカの女性は社会の改革に大きな貢献をしてきました。奴隷制度の廃止のために主導的な役割を果たしたのは女性でした。その後も、暴力、女性労働者の環境改善、子供の保護、公衆衛生、貧しい人たちへの社会保障などの問題について政治的な圧力をかけてきました。「母親」と「社会正義」は、大きな結びつきがあるです。

 その後30年の間、国民の祝日でこそありませんでしたが、毎年6月2日の「平和のための母の日」には、社会運動としてさまざまなイベントが各地で行われてきました。

 こういった流れがあったからこそ、ミセス・ジャービスの追悼式は社会的な注目を浴びたのでした。アンナは母親だけではなく、すべての母親の社会に対する貢献を讃えて、祝日として『母の日』をつくることを求め続けたのでした。そして願いは叶ったのです。


▼商業主義によって歪曲された美しい理念


 そんな素晴らしい理念を持って1914年から国の祝日として始まった『母の日』でしたが、その理念は消費文化の中で歪曲されてしまいました。

 政治家とビジネスマンにとって『母の日』は絶好の「チャンス」でした。

 (男性中心の)政治家たちは、平和を祈るはずの『母の日』を「家族のために捧げてくれている母親に感謝しましょう」というアイデアにすり替えてしまいました。ビジネスにとっても、平和への祈りより「母へのプレゼント」の方が消費を刺激し、儲かるので好都合でした。

 当時の『Florists' Review』という花業界の雑誌には、大胆にも"This was a holiday that could be exploited.(この祝日は利用できる)」と書かれています。そうして、町では「母の日のプレゼントには、花を贈りましょう」という広告があふれたのでした。

 アンナの思いとは裏腹に『母の日』の行事は年々盛大になっていきました。

 そんな折、ある「事件」が起きました。1923年の母の日フェスティバル。アンナはそこで母のシンボルだった白いカーネーションが一本1ドルという当時では信じられないほど高値で売られているのを目にしました。アンナはそれを見て激怒し、「貪欲のために母の日を侮辱している」──と、とうとう行事差し止めの裁判を起こしたのです。

 しかしアンナは裁判に負けてしまいます。事件以来、彼女は世間から皮肉屋として白い目で見られるようになってしまいました。『Florists' Review』誌は裁判後、"Miss Jarvis was completely squelched"(ミス・ジャービス(アンナのこと)を完全にやりこめた)と勝利宣言をしています。この後、『母の日』の商業化がますます加速していったのは言うまでもありません。


 死ぬ間際に、アンナは記者にこう短く告げました:



  「私は、自分が創ったこの祝日の商業化を自分の手で止めさせることによ
   ってお母さんの恩に報いたかった」



▼『母の日』の理念をもう一度


 ということで、『母の日』がただ単に「おかあさん ありがとう」というものではないことがわかっていただけたでしょうか。

 母親を個人的に慕うだけでなく、社会的に保護・支援していくことを考えるのが大切なのではないでしょうか。

 たとえば、日本でも女性は結婚・出産後、会社を辞めてしまうケースがまだまだ多いようです。今日のニュースで掲載されていたある調査では、未婚女性の多くは結婚・出産後も仕事の継続を望んでいるという結果が出ました。「全国の働いている未婚女性のうち、82・7%が結婚を希望し、結婚を希望しない人も含め、85・5%が結婚後も仕事を続けるべきだと考えている」とありました。

 こうしたことを考慮すれば、日本について言えば、『母の日』には、男女共働き、子育ての支援、就職支援、ヘルスケア、産休の間の給料と復帰後のポジションの保証などについての話題も、もっと語られる必要があるのではないでしょうか。

 もしくは、本来の起源に立ち戻り、平和活動をこの日に行ってもよいのではないでしょうか。実際、アメリカでは1980年代から、母の日に核廃絶を訴えてイベントをするなどの平和活動団体もあります。

 今日私たちが直面している一番の脅威は、核ミサイルではなく、他国への無関心─他国の文化・歴史、貧困、公衆衛生への無関心、そして「母なる大地」の破壊に対する無関心─なのです。

 もう一度『母の日』について考えてみませんか。


 




 




 最後に、もしかしたら、こんなことを書いていると、「ひねくれてる」「侮辱している」なんて思う方もいるかもしれません。でも、ぼくは別に、純粋に母親を想い感謝するという今日の『母の日』の祝い方を否定しようとしているわけではありません。それにもっとプラスして何かを考えてみよう、ということです。19世紀の人々は、この日、母への感謝する気持ちに加え、社会活動をも同時に行っていたのです。昔の人にできて今の人にできないことはないと思うのです。


こんなのを読んだらもうカーネーション買えないよ(泣)、という心あるあなたに朗報です ^0^/

 内戦と貧困に苦しむコロンビアは、カーネーション生産量世界一。日本が輸入するカーネーションの8割以上もコロンビアから来ているそうです。今まで反政府軍の資金源となっている麻薬の原料としてケシを育てていた貧しい農家が、カーネーションを植え始めたというケースもあるそうです。ということで、カーネーションを買う人は、コロンビア産を選んで、コロンビアの平和と貧困に貢献しようっていうのもいいかもしれませんね ^-^。




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「もし世界が百人の村だったら」
- 2006/05/21(Sun) -

5・6年前だったでしょうか。
インターネットで盛んにこんな文章が配信されました。
当時、プリントアウトしたこの文章は
今でも私の心に何かを訴えかけ続けています。

人口統計から、もし世界が百人の村だったら・・

この文章を読んだ私は
自分を
「幸せ」だと感じる以上に
自分がいかに「傲慢」で「無神経」で
「人の不幸」の上に胡座をかいて暮らしているのかと
本当に辛い気持になりました。


そして、それから自分は何をすべきか
何ができるのかと、考えるようになりました。


でも、いまだに殆ど何もできていないんですけどね・・


以下、ご紹介致します。




100人の村   

誰かが私に興味深いお話を伝えてくれました

もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう

  その村には…   

57人のアジア人   
21人のヨーロッパ人   
14人の南北アメリカ人   
8人のアフリカ人がいます   

52人が女性で   
48人が男性です   

70人が有色人種で  
30人が白人   

70人がキリスト教以外の人たちで   
30人がキリスト教   

89人が異性愛者で   
11人が同性愛者   

6人が全世界の富の59%を所有し   
その6人ともがアメリカ国籍   

80人は標準以下の居住環境に住み   
70人は文字が読めません   
50人は栄養失調に苦しみ   
1人が瀕死の状態にあり   
1人は今生まれようとしています   

1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け   
そして1人だけがコンピューターを所有しています   

もしこのように縮小された全体図から   
私達の世界を見るなら   
相手をあるがままに 受け容れること   
自分と違う人を理解すること   
そしてそう言う事実を知るための教育がいかに必要かは   
火を見るより明らかです   

また次のような視点からもじっくり考えて見ましょう   
もしあなたが今朝目が覚めた時
病気でなく健康だなと感じることが出来たなら…   
あなたは今週生き残る事のできないであろう
100万人の人たちより恵まれています

もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩   
あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら…   
あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています   

もしあなたがしっこく苦しめられることや逮捕拷問   
または死の恐怖を感じることなしに
教会のミサに行くことが出来るなら…   
あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています   

もし冷蔵庫に食料があり着る服があり
頭の上に屋根があり寝る場所があるなら…   
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています   

もし銀行に預金がありお財布にお金があり   
家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら…   
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です   

もしあなたの両親がともに健在で
そして二人がまだ一緒なら…
それはとても稀れ なことです   

もしこのメッセ-ジを読む事ができるなら
あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう
何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて   
その上あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々より   
ずっと恵まれているからです   

昔の人がこう言いました
我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来ると   
お金に執着することなく喜んで働きましょう   
かって一度も傷ついたことがないかのごとく
人を愛しましょう   
誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう   
誰も聞いてないかのごとくのびやかに歌いましょう   
あたかもここが地上の天国であるかのように
生きていきましょう   

このメッセ-ジを人に伝えて下さい 

そしてその人の一日を照らしてください   

※作:K.Leipold  ※訳:なかのひろみ


 

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私は世界とともにある
- 2006/05/27(Sat) -

「セーブ・ザ・チルドレン」から
http://www.savechildren.or.jp/know/index.html



『あなたに知って欲しい 』


3秒に一人、貧困を原因とする病気や飢えで子どもが死んでいます。


貧困により、毎日3万人の子どもの命が奪われています。
貧困により、数百万人以上の子どもが、ヘルスケアや教育、
そしてよりよい未来へと羽ばたくチャンスを失っています。
開発途上国では、7人に一人の子どもが5歳の誕生日を迎えることができません。
 
毎年1,200万人の5歳以下の子どもが簡単に予防できる病気で命を落とし、
数百万人の子どもが衛生的でない水の摂取や不十分な衛生設備のために
病気にかかっています。


毎年400万人の赤ちゃんが、生まれてから一ヶ月足らずで死亡しています。


6億人以上の子どもたちが、一日1ドル以下で暮らさなければならない
家族の中で生きています。
 
およそ1,600万人の子どもたちが、HIV/AIDSによって片親もしくは両親を失っています。


全世界で推定2億5,000万人の子どもたちが労働についており、
そのほとんどが危険で搾取的な状況下にあります。


8歳ほどの幼い子どもたち30万人が、戦争の最前線で兵士として使われています。


戦争によって、2,000万人の子どもたちが傷を負い、殺され、
もしくは家を追われています。
 
世界で1億1,000万人の子どもが学校に通っていません。
読み書きや簡単な計算が出来るようになる前に
ドロップアウトしてしまう子どもたちもたくさんいます。


毎年約600,000人の女性が防ぎうる妊娠・出産の合併症により亡くなっています。


世界には8億6,000万人以上の成人非識字者がいます。そのうちの64%は女性です。

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少しだけ聞いて欲しいこと
- 2006/06/05(Mon) -
ぼくは2人の人間を殺した。

AK47と呼ばれる小型武器で。

小型武器とは、

ぼくたち子どもでも扱える小さくて軽い武器のことだ。

でも、この武器は僕らの国では作っていない。

ぼくが使っていた武器は外国から入ってきたものだった。

ぼくらのことを

チャイルドソルジャー(子ども兵)と人は呼ぶ。

小型武器を持って戦う兵士だからだ。

でも、2年前までぼくはふつうの子どもだった。

家族がいて友達がいて幸せに暮らしていた。

ある日、大人の兵士が村にやってきてぼくを連れ去った。

ぼくはその日から兵士になった。

ぼくは人の殺し方を教え込まれ戦場で戦った。

逃げようとした友達は大人の兵士に耳を切り落とされた。

ぼくの目の前で友達が殺されていった。

女の子は大人の兵士に乱暴された。

怖かった。

家に帰りたかった。

お母さんに会いたかった。


運よく、ぼくは大人の兵士がいないときに

軍隊から逃げ出すことができた。

村に帰ってきたが、友達は誰もいなかった。

ぼくはみんなに「 人殺し 」といわれ

学校ではいじめられた。

家族や親戚からも怖がられ

前みたいな幸せは戻ってこなかった。

悲しかった。

寂しかった。

あるのは絶望だけだった・・・。

ぼくは何度も死のうと思った。

そして、何度も何度も自分自身に問いかけてみた。

ぼくは何のために生まれてきたのか?

ぼくはなぜ生きているのか?

ぼくは生きる価値がはあるのか?

ぼくにできることはあるのか?


「もし、ぼくに何かできることがあるなら、ぼくには生きる意味がある 」

ぼくはそう思った。

ぼくに何ができるか?


「ぼくとおなじ悲しみを、子どもたちに体験させたくない」

ぼくはそう思った。

ぼくには紛争の「悲しみ」を伝えることができる。

ぼくには平和の「喜び」を伝えることができる。

ぼくには、ぼくにしかできないことがある。


今、ぼくは先生になってそのことを伝えていこうと思っている。

ぼくの夢は学校の先生になること。

むずかしいかもしれないけど

あきらめずに夢を追っていきたい。

                     ぼくは13歳 職業、兵士。の本の
                         ウガンダの子ども兵からのメッセージより

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ドキドキ・・
- 2006/06/07(Wed) -

このところ、新しい仕事を探してあちこち面接に行ったり、
履歴書を送ったり、履歴書用の証明写真を撮りに行ったり、
忙しく動いていた。


そして、今日、大・本命の会社の面接・・


ドキドキして、今ごろから目が覚めて(朝の3時・・)


私は、若い頃から「仕事」が超苦手だった。
毎日決まった時間に家を出て、8時間働いて、
そんな生活をすると、1ヶ月に2~3日は
原因不明の高熱を出してしまう。


中学生の頃不登校になって以来
もしかしたら、ずっとそうだ。
対人関係での過度の緊張と、気遣いと、過敏な反応と
そんなことで
クタクタになってしまうんだろう。


大きな病院に検査に行ったことも何度もあったが
所謂「原因不明」
いろんな検査をしても結局「原因不明」
精神的なものから来る身体症状。


だから大変な苦痛と爆弾を抱えて働く事になってしまう。


正直、恐いです・・
どうなってしまうんだろうと、
凄く不安です・・


そんな自分が情けなくて
そんな自分が大嫌いで
人間として一人前じゃない気がして
随分そのことで落ち込んで
それでもなんとか這うようにして仕事をしてきた。
働く事を諦めたら
そこで自分の成長もストップしてしまうと思って。



「個人」としての自分
「家族」の中での自分
「社会」との関わりの中での自分


何もたいしたことはできなくてもいい。
この「個人」「家族」「社会」という相互のつながりの中で
葛藤し苦しみ悩みながら
そこから逃げないで
少しづつでも自分が変っていけたらと思うから。


諦めたらそこでお終い・・
何度でも挑戦する・・
たとえ生きてる間にできなくても・・




諦めて家にこもってしまったら
そこで私の成長は止まったままになってしまって
自家中毒のようになって
酷い毒を吐くようになる気がするから・・


眠い・・


家族の朝食&お弁当を作る時間まで
あと30分ほどだけど、2度寝できそうかな・・




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徒然・・
- 2006/06/11(Sun) -

無事、面接をクリアしてバイト生活が始っている。
数日行っただけで、
肩から背中にかけてバリバリに凝ってしまって
湿布を4枚貼って凌いでいる(苦笑)
何がそんなに緊張するんだか、全く意味不明だなあ。


昨日は1日中ダウンしていた。
今日は少し元気を取り戻し、ブログに向かうものの
頭はボーッとしたまま・・


流れていく日々に輪郭を持たせたい。
そんな気持ちで書いているけど
日常のしんどさに泣きたくなる時
やっぱり「フランクルのメッセージ」が1番いい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


他のいつでもない今・この時代・この時
ほかのどこでもないこの国・この場所に
この「私」が置き与えられているということは
それだけで意味がある。
人生にはどんな時も意味がある。
実現すべき「意味」が与えられている。
私はただこの世に生きているだけで
「なすべきこと」「実現すべき意味」を与えられ
それを発見し実現するのを求められている存在なのだ。
どこまでも続この果てしない宇宙の中で。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そんな思いにさせてくれる。


実際、どんなに自分を分析してみても
それじゃあ何にも元気になんてなれないもんなあ・・







 

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1日のこと
- 2006/06/12(Mon) -

私が朝起きて一番最初にすること
PCで今日のお天気をチェック!


「今日夜遅くから明日にかけて、雷の発生するおそれがあります。
南海上にある梅雨前線や上空の寒気の影響で、雲が広がっています。
今夜は、南海上にある梅雨前線や上空の寒気の影響で、
雲が広がり雨や雷雨の所があるでしょう。
明日は、南海上にある梅雨前線や上空の寒気の影響で、
雲が広がりやすく、雨や雷雨の所があるでしょう。」


そっか・・・
いよいよ梅雨入りみたいだ。
1日中曇りで、3時ごろに弱い雨がふりそう・・か
最高気温26度、最低は朝の6時で19度・・か


で、洗濯を家の中に干すか外に干すかの決定をする(笑)
パート主婦にとってはこれは大きな問題
 
大人4人分の洗濯は、毎日結構な量があって
それらが出かけている間に濡れるなんて・・
うう・・とてもとても悲しくてめんどいから・・


で、次にすることはというと
今お気に入りの「某お料理サイト」で
買ってある食材を使った
何か目新しくて美味しい調理法はないものかと
材料名で検索。


あったあった!


鶏肉モモのお料理で
「鶏肉の辛子みそ焼き」


う~ん、うまそ!
蒸し鶏もちょっと厭きてるし
今日はこれに決定!


で、今が5時5分前
5時から洗濯・朝食・お弁当3個
猫と熱帯魚のえさ&小規模畑の水撒き
そしていそいそと、今日の収穫物をいただき!


今はキュウリがわんさかさ
昨日はお隣さんにもおすそ分けしたほどで
多分今夜は、モロ胡も食卓に並ぶこととなるだろう。
無駄にせず厭きない調理で食するのも
これまた結構大変なんだ・・


おっと!
時間だ時間だ!

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眠れなくて・・・
- 2006/06/14(Wed) -

長い間、
本当に長い間、
自分を見つめるために続けてきた勉強が
今日、本当に、全て終わった。


その長い年月
どれ程多くの気づきを得たことか・・
そして、どれ程多くの悲しみと出会い続けたことか・・


何も形になるものを得ることはできなかったけれど
ここでの学習がなかったら
今の私も
今の家族も
全てを失っていたことだろう。


感謝、とまでは、今は、言えない・・


辛く、悲しく、傷ついて
何度も何度も立ち上がって
それでも再び傷ついて・・


今はまだ傷つきの最中にいるから
感謝の言葉は出て来ない。


それでも・・・
胸に熱いものが込み上げてきて
今夜はとても眠れそうにない・・


長い長い私の戦いの日々
これからもずっと続くだろう私の戦いの日々


1つだけ、
言葉に出して言えることがあるとすれば・・


『これからの私は、
これまでのように
私だけを見つめるのではなく
私の出来得ること、ただそれだけでも
今、私の目の前にいる
あなたのために、またあなたのためにも
ささやかな力を尽くして生きていきたい。
心からそう思う』

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BADRUN様へ
- 2006/06/15(Thu) -


「BADRUN」様


ここに閲覧に来てくださってありがとうございました。


私も貴方のブログを見せて頂きました。


そして、とても綺麗な写真と素敵な言葉の数々に
すっかり魅せられてしまいました。


リンクフリーとのことでしたので
さっそくリンクさせて頂きました。


コメント受け付けておられないようでしたので
この場をかりてご報告いたします。


これからも拝見させて頂きますので
どうかよろしくお願い致します。


 


http://yas520he.blog2.fc2.com/

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3ヶ月ぶりのカウンセリング
- 2006/06/18(Sun) -

3ヶ月ぶりにカウンセリングを受けに行った。
というか、全て終了した報告、かな?


前回は2月に起こした強烈な退行現象の影響がまだ残っていて
腰痛で歩くこともままならない状態だったから。
でも、それから行けなくて・・
新学期で子どもにお金がかかって・・
授業料やら講座料やら模擬テスト料やら
考えられないほど一気にお金がいるのが新学期。
「心配させたまま行けなくて、ごめんね」と伝える。


カウンセラーの先生とは4年越しのお付き合い。
いろんなことがあったな・・


殆ど、私が一方的に話す。
先生は鏡のように映し出してくれるだけ。
そんなカウンセラーの強い忍耐があったから
こんな私でも長年カウンセリングを続けることが出来たと思う。


そう、感謝を伝える。


先生は、私が全く転移を起さないことに
一時期大変にじれて
「私の存在はあなたにとって何?」と
問い詰められたこともあった。


私は
「ずっと独りでこんな自分の面倒を見てきたから
ずっと独りで戦ってきたから
こんな風にしか生きられなかったから
寂しい思いをさせてゴメンね」
そう答えた。


先生とのカウンセリングで
ここでの様々な理論の学習で
ここでの数十人のクライエントとの出会いで
それら全てが見事に置き与えられていたことによって
どれほど多くの気づきがあったことか。


それが自分を変え
家族を変え
人生を変えた。


今改めて


ありがとうございました。

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そうそう・・
- 2006/06/18(Sun) -

ブログの名前もデザインも変えてみました。
ふと思いついて。


なんだか凄く気分が変わっちゃって。
ただそれだけ(笑)


写真とかって凄くいいな・・


BADRUNさんのブログ見てから・・憧れてます。


ところが・・お馬鹿の私は
どうやったら写真載せられるのか
分からんのだ・・


だからいろんな人のところへ
ひたすら見せてもらいに行ってます。


みんな天才じゃあなかろうか!
感動の連続なのだ!!

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徒然・・
- 2006/07/07(Fri) -

今日は、のんびりしてます。


もう晩ご飯の下ごしらえも出来た!
ハンバーグとポテトサラダとワンタンスープ。
(すっごい定番料理)


だから、考えごとも、お休みします
(絵文字・初使いだ!)


先月から行き始めたパートの会社が
なんだかトラブルがあったらしくて
この1週間、業務整理のためなのか
パート社員は全員お休みを言い渡されていて
来週(月)から再開する予定。

いい休養にはなったけど
あの会社、潰れるんじゃないかしら・・


何があったかなんて、勿論私達には知らされていない・・


最近、派遣会社でも
いい加減なところが多くなっているらしい。
正規で就業できない人が増えているから
その弱みに付け込んで
給料未払いのまま
何ヶ月も働かせてる会社が問題になっていた。


今の会社は派遣じゃないけど
どうも妖しい雰囲気だな・・と思いつつも・・

「もう少し様子を見ようか」「新しく探そうか」
「探すのも億劫だし」「給料貰えなかったらショックだし」
「やっと慣れたから」「でも、しんどいのは凄くしんどいし・・」


なんだかんだとモヤモヤしたまま。


私にとって働くということは
本当に一代事業を起こすほどに大層なことなのに
やっと行ってるのに・・
「格差社会」のお手本的「落ちこぼれ」になってます。


けど!
「ボランティアの陥りやすい落とし穴」に気を付けながらも
明日は電話相談員の養成講座2回目に行ってきます。


やっぱりどんなに分析してみても
前のところには足は向きません・・
しばらくは、距離を置きます。


なんか、ムリしてまでやりたくないから。
悲愴になってまで頑張るのはもう絶対いやだから。


徒然・・愚痴愚痴・・もうお終いにしま~す。


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- 2006/07/11(Tue) -

BADRUNさんの写真に涙する・・


自分の身を
切り刻むようにして書き綴る日々に
BADRUNさんの写真が語りかけてくる・・


透明な優しさが
鋭い刃先となって
私の魂
を撫ぜてゆく・・


胸が・・
痛い・・


痛い・・



 

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風邪を引いてしまいました・・
- 2006/07/18(Tue) -

夏風邪を引いてしまいました。


熱、咳、鼻水、その他モロモロ・・


しばらくお休みいたします。

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お知らせ・・ブログ更新のペースを落とします。
- 2006/08/19(Sat) -

忙しくなってまいりました。


あんなに危ぶまれたパートも
なんとか続いていて
土日を中心に
週3から週5に増やしています。
来春の子どもの大学進学を支えていくためには
なんとかこのまま続けたいと願っています。


6月頃からは
なぜか薬なしで眠れるようになり
家族も驚くほど健康になってまいりました。
こんなに眠れるのは
生まれて初めてのことかと思います。
これはブログ効果なのでしょうか?
はたまた、長年(約10年かな・・)続けてきた
臨床心理の勉強を5月に終えて
何か本当に
心に区切りが付いたからなのでしょうか?
今のところ、謎のままですが・・


ボランティアは
10月から市の委託を受けて
「子育てサロン」を週1日、
定期的に開くこととなり
その準備に追われています。


これまでは
民生の児童委員の方々が
月1度のペースで開いていましたが
回数が少なく
お母さんたちから
「行ける所があると、とても安心する。
     もっと回数を増やして欲しい。」等・・
要望の声が数多くあがっていて
虐待防止活動をしている私達に
週一度のペースでの開催依頼があったのです。


家庭訪問は
乳幼児検診にも来られない
ちょっと心配なご家庭を中心に訪問しますが
所謂
「普通のお母さんたち」の
「日常的な悩み」を受け止める
「安定した居場所」が必要なのです。


で、私も
これまでの活動に加えて
週1のサロン開催は
想像以上に大変だろうし
自分もとても忙しくなるのを承知の上で
お引き受けいたしました。
電話相談員は一時休止することに決めて。
それこそ、念願の
そっと寄り添う「ドゥーラ」になるために。


で、今のところ
ブログ更新のペースは
週2ぐらいに減らすしかないかな
という結論です・・


いつも読んで下さっているみなさまには
申し訳ありません。


お詫びとともに
お知らせ致します。


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自分のために贈る言葉
- 2006/10/15(Sun) -

久しぶりにここに帰ってきました。


今、私は失意の中にいます。


この1年3ヶ月
仲間としていろんな意見を交し合ったグループから
自分の意思で抜けました。


耐えられない「寂しさ」を味わってしまったからです。


本当はもっと深い関わりを持ちたかったのかもしれません。


でも、私の性格ではもうあれ以上の努力はできなかったのです。


そして、どんどん取り残されていく・・


やっぱりって感じで・・


そして、自ら身を引く・・


それもやっぱりって感じの
いつもの私の寂しさへの対処法でしかなかったのでしょうか?


ジッと寂しさに耐えて黙って加わっていればよかったのでしょうか?


でも、出来なかった・・


母のない子である私にとって
いてもいなくても同じで
全く省みられない存在であることは


「死ぬより辛い」ことなのです。


泣きたい・・
泣きたい・・


さようなら


 


今の自分のために
こんな言葉を贈りましょう・・


「自分は自分で十分なのです。」


「自分は十分必要なものを持ち、与えられているのです。」


 

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再び、自分のために贈る言葉
- 2006/10/17(Tue) -

時々私が覗くサイトに、西尾和美と言う先生の


「今日一日のアファメーションー自分を愛する365日ー」


というところがあります。


そこはトラウマを抱えながら生きる人たちへの
自己受容のためのメッセージを毎日贈ってくれます。


で、最近苦しくてよく覗いてみるんですが
今日も見てみると
笑っちゃうぐらい今の私にぴったりのメッセージがありました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


10月17日 何かが失われたとき、思いっきり泣く

何かが失われたとき、思いっきり泣きましょう。
誰か知っている人が亡くなったとき、思いっきり泣きましょう。
手術をして体の一部を切り取ったとき、思いっきり泣きましょう。
失恋して恋人を失ったとき、思いっきり泣きましょう。
親子の縁を切ったとき、離婚したとき、子どもが家を出ていったとき、
友だち関係を切ったとき、仕事をやめて同僚と別れるとき、
卒業して別の世界に行くとき、
依存していた人やアルコールなどの物質を捨てたとき、思いっきり泣きましょう。

失われた人、物、事への悲しみを表現するグリーフ・ワーク(嘆きの仕事)は、
大切な一過程です。
悲しみをすっきり流し去ることができないと、
新しい一歩を踏み出すことが難しくなります。

涙は、深い傷を癒してくれます。
「泣いちゃだめ」「しっかりしなさい」などと止めてしまわないで、
自然に止まるまで泣いてみましょう。
泣けなかったら、大きな声を出して、悲しみを表現してみましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


で、もう6日も泣き続けている私は
ホッとした訳で・・


これだけ泣けるって、
ホントに大切に思っていたからだろうし
それでも敢えて切ったということは
それだけやむにやまれぬ自分の深い思いがあったんだろうし。


こうなって
これで良かったんだ。


ねっ?加奈子さん。
加奈子さんの言うとおりですよね。




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本を買う
- 2006/12/23(Sat) -

「血と言葉」を「日本の古本屋」のサイトで注文する。


以下、本の紹介文。


著者マリ・カルディナルはフランスの女性。30歳前後に子宮か
らの激しい不正出血のために死にかける。 これに伴い何者かの
「目」にじっと凝視されている恐怖、不安、心悸昂進、これらに
よるパニック発作などを起こし、精神病院に入院を強いられる。
しかしマリは薬を嫌がり脱走したりする。親戚中が彼女を拘束し
ようとするが、彼女はそこから抜け出し、路地裏の精神分析医の
ところへ週4回、7年間通う。
その間、彼女が分析医に語るのは、一貫して母親の回想だ。母に
ついてのマリの複雑な回想が自己物語としてまとまってこないう
ちは、体の中に蓄積された潜在記憶が、自律神経系の興奮という
情動の嵐を生むことになる。不安とパニック(恐慌)、そして、
冷汗、心悸亢進、鳥肌、悪寒、吐き気、窒息感など、(これらは
トラウマ<=心的外傷>のフラッシュバックなどとも言われる)こう
した潜在記憶の断片が回想という形で言語化され、さらに「自己
物語」としてまとまるようになるにつれ、この種の症状はおさ
まってくる。これは極めて幸せに治療が終わった例の本人による
記録である。 1983/01初版。その後1992/02に新装版として発行さ
れている。


私はまだフラッシュバックに似た症状が出る・・
でも、もうこれ以上は、どうすることも出来ないと思う・・
苦しいこともあるし、行動を制限されることも多々ある。
でも、それが私の人生なんだと思っている。
自分の出来うる範囲で、出来得ることをして、
生きていければいいのではないかと思う。


執着を離れる。


釈尊の教えの根本らしい。

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娘へ
- 2007/01/23(Tue) -

今日は娘のお誕生日
18歳になった


あっという間なんだな


この子を抱きしめて生きてきた


どれほど泣いたか分からないけど
どれほど救われたかも分からない


愛しい我が子・・
あと何年一緒にいられるのか


どんどん大きくなれ


どんどん私から離れていけ


そして自分の人生を生きろ


私のことなど忘れていいんだよ


今日までの日々を心から感謝している
ありがとう・・生まれてきてくれて・・
お母さんは充分に幸せだったよ

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無名兵士の言葉
- 2007/02/01(Thu) -

ニューヨーク大学付属ラスク・リハビリテーション研究所の
ロビーに掲げられているという「無名兵士の言葉」


大きなことを成し遂げるために
強さを求めたのに
謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった


偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことをするようにと病気を賜った


幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった


世の人々の賞賛を得ようと
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった


人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために
人生を賜った


求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
私は もっとも豊かに祝福された


作者不明

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