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人間―人と人の間で
- 2006/05/17(Wed) -

5月10日に放送された
NHK「クローズアップ現代」で
「脳科学で防ぐ“キレる子”」
というのをやっていました。


年々増えているといわれている「キレる子ども」
文部科学省が専門家を集めて
「キレる子ども対策」に取り組んでいるようです。
そこではこれまでの
教育学や心理学などだけではなくて
最新の脳科学を取り入れた研究をしているとか。


そこで注目されていたのが脳のふたつの器官。
感情を生み出す「アクセル」となる扁桃体と、
感情を制御する「ブレーキ」の役割を担う前頭前野。


いろんな実験で分かってきた「効果的な訓練法」を
現場で生かしていくための取り組みが
既に始まっているようでした。


では、どうすれば「キレない脳」を育てられるのか。
最新の研究成果と現場の取り組みを伝えていましたので
ちょっと覚束ないけどまとめてみました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


脳においては、通常は扁桃体の本能的な情報を
前頭前野が理性でうまくコントロールすることで
私たちの心は健全に成り立っている。
でも、その2つの連携がうまく機能しなくなったときに
扁桃体から発生した本能的な情動が暴走を始める。
その現われの一つが
今の「キレ」やすい子ども達の問題である、と。


要は、「健やかな心」を形成するためには、
扁桃体と前頭前野を活発に機能するように
育てることが必要になる―


では、どうすれば活発に機能するのか?


番組の中の研究でとても興味を引かれたのは
チンパンジーの実験でした。
チンパンジーの扁桃体が最も刺激されたのは
普段接している飼育担当者が笑顔を見せたときでした。


親しい人の「笑顔」・・ですって。


そして、「ああ、やっぱりなあ」と思ったのは、
同じオセロゲームをするのでも
パソコンに向かってオセロゲームをしている時の
子どもの前頭前野よりも、
友達と実際に対戦している時の
子どもの前頭前野の方が
圧倒的に大きく刺激されていたことでした。


人との有形無形のコミュニケーション?


それが「キレない脳」の発育につながるのではないか、
ということなのですね―


ライフスタイルの変化や核家族
勉強勉強で遊ぶ時間も空間も失っている子ども達
また、逆にネット上では自在に人と「つながれる」


今の社会特有のあらゆる現象の中で、
人と人、いえいえ、たとえ親子の間でも
コミュニケーションの希薄化が進んでいて
それはある意味子どもにとっては
虐待や養育放棄と同じ様な
愛情剥奪状態なのかもしれない。


直接、目を見て、抱きしめて、話を聞いて
互いの気持を解り合う・・
豊かな時間を共有する・・
心と身体全部で人の存在そのものを感じる・・


人はやっぱり
人の中で人に成って行くのかなと
そんなことをつくづく考えさせられました。


 

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もう1つの外傷①養育放棄がもつ外傷としての意義 
- 2006/08/24(Thu) -

フロイトは外傷を
「恐怖・不安・痛みなどの
過剰な不快刺激を体験すること」
としました。


そして、その刺激の種類は
「外的な侵襲」と「内的な性的欲動」
であると考えました。


最近の外傷理論では
こうした通常の外傷以外にも
「養育の欠損や母性の剥奪」なども
含む傾向にあります。


乳幼児の健全な情緒発達に必要な
親からの身体的な接触や
愛情溢れる眼差し、言葉かけなどが
欠けることの外傷的な意味に
注意が向けられるようになったのは
まだ最近のことと言えます。


バン・デア・コーク(van der Kolk,B.A.)らは
1991年の研究で
親による養育の破綻
(disruption of parental care)が持つ
外傷的な要素に注目しています。


その例として
1.身体的な養育放棄(physical neglect)
2.情緒的な養育放棄(emotional neglect)
3.家庭内の混乱状態
4.養育者からの別離
をあげています。


また、バン・デア・コークは
養育放棄と
解離性障害や自傷行為との
関連を調査したところ
養育放棄は
自傷行為と深い相関関係を持つことが
見出されています。


そこから
自傷行為は感覚鈍麻などの
解離性体験として理解されるので
結果として
「養育放棄は外傷性の解離性障害と
深い因果関係を持っている」
と結論しています。

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もう1つの外傷②分析理論に見る外傷理論
- 2006/08/31(Thu) -

養育の欠如や不足、共感不全のもたらす外傷理論は
様々な分析理論の中に見られます。


フロイトと関わりのあった人の中では
ランクRank,O.が「出産外傷説(1923)」を唱えました。
また、グリーンソン(Greenson,R. 1959)は
「自我の発達が充分に確立する前は、
 すべての不安反応は外傷的な反応となる」
「出産外傷は、最初の外傷体験となる」
とまで言っています。


出産直後の自我は未成熟で
外傷体験の侵襲性や脅威、加害者の悪意などを
十分に理解することはできません。
また、体験を記憶に保持できるようになるのは
生後28~36ヶ月頃からですので
外傷体験の反復的な想起や
解離傾向は起こしにくいと考えられます。


しかし
ボウルビー(Bowlby,J.1973) らの
研究で見出されたように
この時期の母性への愛着と喪失という
養育上の問題の影響が
幼児の認知情緒発達全体に及ぶことは明らかです。


子どもの置かれている環境は
日々、外傷体験となる可能性を持つ
多くの刺激に溢れているといえます。
中には、たとえ一時的であっても
子どもの心に外傷的な瘢痕を残すことも考えられます。


しかし、
安全な養育環境と
そうした外傷的な出来事を話し合い
心の傷を癒せるだけの愛情を与えられること

こうした出来事が
永続的な爪あととなることを
防ぐことが出来ます。


外傷的な体験を受けた後に
周囲からの温かい理解と支持を受けることが出来ると
外傷性精神障害の発症を予防することにつながるのです。


また、もともと安定した愛着関係が築かれている場合は
外傷に対する耐性も極めて高いと考えられています.
(Van der Kolk,B.A.,1994)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


週に2・3回どころか
全然更新できなくて、なんだか(誰かさんに)ゴメンナサイ。436


ボチボチ、マイペースで更新していきますので
これからもよかったら読んでくださいませ。



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もう1つの外傷③フロイトと外傷理論
- 2006/09/05(Tue) -

1880年代に
フランスの神経学者シャルコー(Charcot,J.M.)
ヒステリー症が実は過去の耐えがたい経験の結果
引き起こされるものであることを明らかにし
催眠を用いて治療を行っていました。


これは
事故などの身体的な外傷の後に生じる症状が
ヒステリー患者が催眠状態において示す
身体の一部が動かなくなってしまう運動麻痺や
痛みなどの感覚がなくなってしまう感覚喪失
重要な出来事が思い出せないなどの健忘といった症状と
同様であることを示したとされています。


シャルコーによって
それまでは器質的な損傷を意味する場合に
用いられてきた「トラウマ」という言葉が
純粋に「心の傷」を意味するようになったのです。


シャルコーの後継者であったジャネ(Janet,P.)
あまりにも強烈すぎる体験の記憶は
その人の意識から切り離されてしまい
コントロールの及ばなくなった「トラウマ記憶」として
身体的表現であるヒステリー症状を生み
人格発達にも大きな影響を
与えるものであると考えました。


トラウマ記憶が意識に統合されないため
意識は新しい経験を加えながら成長することが出来ず
トラウマを体験した時点で
その人の人格の成長は停止してしまうと考えたのです。


こうしたシャルコー・ジャネらによる
トラウマに関する系統的な説明は
当時の精神医学界にも広く受け入れられ
また、最近のアメリカでは
ジャネの「心理自動症(1889)」が
いかに現代的な外傷理論を先取りしていたか
再認識されています。(Van der Kolk,1989)


フロイトもまた
ジャネがトラウマの理解を深めていたのとほぼ同時期に
ヒステリー患者が過去にどのような
トラウマを体験したかについて研究を進め
ジャネの解釈とほぼ同じ結論に達しつつありました。


この頃のフロイトにとってはジャネと同様に
ヒステリーはトラウマとなって固着した体験が
身体的な症状として戻ってくるものと理解されていたのです。

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もう1つの外傷④フロイトはなぜ外傷理論を離れたのか
- 2006/09/11(Mon) -

当初フロイトは
ヒステリーや強迫神経症が
幼児期に父親や兄弟・使用人などから
性的虐待を受けたことによって
生じるのではないかと考えました。


初期の著作である
「性的誘惑説(seduction theory)」では
「虐待(MiBbrauch)」
「攻撃(Angriff,Aggression)」
「レイプ(Vergewaltigung)」
などの言葉も見受けられます。


しかし、当時のヨーロッパ社会は
キリスト教会が強い力を持っていました。
そんな社会において
「成人の男性が家庭の中で
幼い娘に性的な被害を与えている」
とのフロイトの主張は
医学界でも一般社会でも、到底
容認されうるものではありませんでした。


また、フロイトは
ヒステリー患者が話す
子どもの頃の性的虐待体験は
現実のものではなく
ファンタジーが生み出したものではないか
と考えました。
子どもの自我は
こうした親への性的欲求を受け入れられず
抑圧という防衛機制によって
こうした欲求を意識の外に放り出すため
後にヒステリー症状となって
現れるのではないかと考えたのです。


異性の親に対する性的な欲求のため
同性の親を破壊したいと思い
また一方では
親に対して攻撃性を持ってしまったことに
罪悪感を感じて
自分自身を罰したいと願う。


フロイトは
こうした子どもの複雑な心理を
「エディプス・コンプレックス」と名づけ
この「エディプス・コンプレックス」が
上手く解決されない場合に
後の神経症の原因になる
という考えを基礎として
「精神分析理論」を発展させて行きます。


勿論、フロイトの理論は
様々な精神病理が生じる過程を
説明する上で極めて有効なものでしたが
そのモデルが主として役立つのは
通常の神経症レベルの問題であり
精神の緊急事態といえる
外傷的な状況については
充分な考察の対象とはしなかった
のです。


こうして
精神分析理論の出現によって
ジャネによってもたらされた
トラウマに関する系統的な解釈は
次第に忘れ去られ
ヒステリーを初めとする
様々な神経症と
子どもの頃の性的虐待という
現実のトラウマ体験との関係が
断ち切られることになったのです。

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もう1つの外傷⑤無条件の愛
- 2006/09/18(Mon) -

ウイニコットは
「孤独にならずに1人でいることのできる能力」
と言っています。


0歳~5歳くらいの子どもにとっては
自分を養育してくれる大人に対して
愛着を形成することが最大の発達課題になります。


たとえば乳児は
お腹がすいて泣くと
養育者がおっぱいやミルクによって
空腹を満たしてくれるという体験を通じて
他者という存在は自分の欲求や要求を満たしてくれる
「信頼できる他者」であるという
認知的な枠組みを持つようになります。
こうした認知の枠組みは
その後の経験を解釈したり
意味付けしたりする場合の
フィルターのような役割を果すようになります。


「自分は愛される価値のある存在だ」
という自己肯定感
「親が悲しむからこんなことはやめよう」といった
善悪の判断の芽もこうして育まれます。


けれども
不幸にして愛着が形成されない場合
子どもは「対象の内在化」に失敗してしまいます。


自分を大切にしてくれる人を
心の中に住まわせる事が出来ないのです。


適切な愛着関係を経験することが出来た子どもは
自分を愛し、育んでくれる親のイメージを
心の中に取り入れます。
こうすることによって
子どもは物理的に親から離れていても
心の中に住んでいる親と
一緒にいることができるのです。


心の中に住んでいる親と
心理的に一緒にいることができるため
孤独を感じなくてすむのです。


ストレスに直面した場合でも
心の中に住んでいる親が励まし
エネルギーを与えてくれるので
子どもはそうした事態でも
乗り越えて生きていくことができます。


反対に「対象の内在化」に失敗した子どもは
常に強い孤独感や不安の中で
生きていかなければなりません。
「見捨てられ不安」
「しがみつき」的な人間関係しか
持てなくなってしまいます。


子どもがストレスに晒されたり
心に傷を受けた場合でも
自分を無条件に愛してくれている
「内なる養育者」
子どもの心にしっかり根付いていたなら
こうしたストレスから子どもを守り
その深い傷さえも癒してくれるのです。

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もう1つの外傷⑥Double Bind
- 2007/02/14(Wed) -

二重拘束(Double Bind)


明確なトラウマ体験ではなく
目に見えない微細な精神的虐待は
心に少しずつ傷をつけていく。
傷つけている者は勿論
傷付けられている者にさえ
それは気づかれることがなく
逆に他者からは「非常に健全」にさえ映ってしまう。
そして、気づいた時には
取り返しがつかないほどに深刻な状況になっているのだ。


二つの異なったメッセージを
常に受け続けた者は
自分の行為がどう評価されたか理解できず
深い混乱に陥る


二つの異なったメッセージを
常に受け続けた者は
身動きできなくなってしまう。
そして、自分の素直な感情が出てきた時にも
常に警戒するようになり
本当の自分の気持ちを捨て去ってしまう。


メッセージは言葉だけではない。
口先では褒めながら
心で相手を否定していれば同じだ。


人間のコミュニケーションの70%前後は
非言語的メッセージによって行われているのだから。


いくら綺麗な言葉を並べ立てようと
その裏にこめられた否定・拒絶のメッセージは
確実に伝わっていくのだ。



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もう1つの外傷⑦家庭で何が起きるのか
- 2007/03/02(Fri) -

イギリスの精神分析医R.D.レイン
「慈悲心や愛情を装いながら、他人から精神的に搾取すること」を
ミスティフィケーション(Mystification)と言う概念で提唱した。


それは例えば、
子どもが漫画を読んでいる時に親が
「おや?どうしたんだ?お前はこんな漫画よりも、
もっとちゃんとした本の方が好きだろう?」などと言って
子どもから漫画本を取り上げて、
文学作品などの本を与えるような介入の仕方をする。


文学作品の本を与えられた子どもは
本当は漫画本を読みたかったので不満だったのだが
親に「この本の方が好きだったろう?」と言われたので
「ああ、そうか、自分はこの本の方が好きだったんだ」
と、思い直したりする。


そして、本当は漫画本を読みたかったという
子どもの本当の欲求は押し込められ
あたかも「文学作品が漫画本よりも大好き」な
おりこうさんの子どもを演じるようになってしまう。


ミスティフィケーションは、
子どもが他者(親など)のメッセージを
あたかも自分の意志であるかのように感じてしまう点で
二重拘束(Double Bind)ーもう1つの外傷⑥参照ーよりも
さらに巧妙に子どもを支配する。

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外傷としての自己愛人格障害ーコフートから
- 2007/03/22(Thu) -

「外傷性精神障害」岡野憲一郎著より


コフートは、生育環境における自己対象との関わりが
自己の形成に及ばす影響について論じたが
その視点も「外傷」という視点から捉えなおすことができる。


コフートによれば自己対象の機能である共感の不全empathy failureは
自己の統合性self-cohesivenessを脅かし
深刻な名伏しがたい恐れ」を導く。


たとえば患者の示す抵抗へ解釈が向けられた際に示す患者の怒りに関して
それを「幼児期に生じた特定の生成的に重要な外傷的状況が
分析状況で繰返されたこと
」によるものとしている。


また「母親の共感の外傷的な不在
情緒的に役立てない自己対象による外傷」等と表現されている。


その意味で、コフートのいう自己愛人格障害そのものを
外傷性の障害と呼びかえることすら可能と感じられる。


コフートの外傷に関連した理論は
自己対象からのミラーリングや共感の不足や不在による自己の脆弱さ
について論じられているといえる。


共感不全の持つ外傷的な意義については
それ自身が外傷として働く以外に
ある種のストレスが体験された場合
それが自己対象による共感により癒されることがないために
ストレスを最終的に外傷として成立させてしまうという可能性がある。


この場合の共感不全は
外傷が体験されることを促進するという意味を持つ。


この視点については
コフート派のストロロウstolorow,Rが次のように述べている。


「子ども時代に起きた障害となる体験(たとえば喪失体験)は
もし反応してくれる環境のもとで起きたなら
外傷的となったり病理的となったりしないだろう」


「子どもの痛みを伴った情緒的な反応に対して
波長を合わせることattunementや
応答することが充分でなかった場合こそ、それらが耐え難くなり
外傷的な状況や精神病理を生むのである」

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Assumption
- 2007/12/05(Wed) -

「Assumption」 仮定」もしくは「想定」。

心の中の、自分では全く気付かない「仮定」や「想定」のことを
「人生のシナリオ」「沈黙の思考」などと言うそうです。

「自分の人生は、幸せに恵まれてはいない」
「最後には、私は常に誰かを苦しめてしまう」
「人間は、苦しむために生まれて来る」
「怒りは、相手を傷つけるだけ」・・・・・

人は、どういうわけか、人生とはこういうものだと、
あらかじめ「仮定」したり、信じたりしているようなのです。

そして、信じているがゆえに、それが現実化し、
その現実化が、その信念をさらに強化してしまう・・・・

こうした信念は、幼児期の親子関係の中で生じた
受け容れるに耐え難い外傷体験を否認するために
無意識的に作られた認知の歪みなのですが・・・・

先日、とても恐ろしい夢を見ました。

娘の夢です。

実は娘が、学校で(高校?)大変な苛めにあっていて
自ら、考えられないようなトリックスターを演じ
人々の前で、自分の身体を鋭利な刃物で滅茶苦茶に傷つけ笑わせることで
その環境に過剰適応しようとしているのです。

私は「もう止めて!お願いだから自分を傷つけるのはもう止めて!」と
大声で泣き叫んでいました。

その時、誰の声ともしれない天の声が聞こえてきて
私にこう言うのです。

「お母さん、彼女は子どもの頃から本当にいい子だったのではありませんか?」
「お姉さんのお下がりの服でも決して嫌がらず、
 いつもそればかりを着せていたのではありませんか?」
「まだ分からないのですか?お母さん。
 彼女をこんな風にしてしまったのは、一体誰のせいなのか?」

私は、その瞬間 に
「ああ、やっぱり私が悪かったのだ」
「私のせいで、この子はこんなにも苦しんでいたのだ」と愕然として、
奈落の底へと凄まじい勢いで転落してゆきながら
そう思うのです。

自分のせいで・・・・
自分の気付かない、何かとんでもない自分の欠損や
自分の中にある、何か空恐ろしいような悪い性格が
自分の周りの人々を、常に不幸にしてしまう。
自分のせいで・・・自分のせいで・・・・

この何の根拠もない、例えようのようのない深い加害感情、罪の意識。

目が覚めてからも、身体中の震えが止まらず、本当に恐ろしかった。

しばらくは「やっぱり私自身が全ての不幸の原因だったのだ」というような
かつては24時間縛り付けられていた恐怖から
抜け出すことができませんでした。

私の中のAssumption。

自分の気付かない、何かとんでもない自分の欠損。
自分の中にある、何か空恐ろしいような悪い性格。
それらが自分の周りの人々を、常に傷つけ不幸にしてしまう。
そんな絶望的な恐怖。

自分が悪い・・・自分が悪い・・・・
自分のせいで・・・自分のせいで・・・・

そう思っていつまでも泣きじゃくっていた幼い私。

長い時間をかけて、
「大丈夫なんだよ。愛されなかったのはお前が悪かったわけじゃない」
そう自分を抱きしめ、言い聞かせ、
やっと落ち着きを取り戻すことができたのですが・・・・

心のどこかにはまだそんな、Assumptionが根深く存在しているのかもしれません。

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