FC2ブログ
2020 05 ≪  06月 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2020 07
自助グループと霊的成長①自己愛者の時代
- 2007/03/21(Wed) -

精神科医・斎藤学氏メッセージから


自助グループと霊的成長


近代の市民たちは老若男女を問わず自らの価値に懐疑的になっていて、
他者の承認や拍手ばかり求めている。


拍手をもらうためなら、
かなり危険で無理なことまでやってのける気になっている人が
ありふれているという点をさして、
現代は「ナルシシスト(自己愛者)の時代」とも呼ばれる。


矛盾することだが、自己愛者は自己を愛していない。
他者の評価ばかり気にしているから、
自らの中に自己を承認し、愛する部分が育たない。


それどころか、思いどおりに動かない自己に対して、
「意志の力」という鞭を当て続け、
その痛みが「耐え難い寂しさ」として感じられる。


この痛切な感情は、
感情鈍麻という心的防衛を経て、退屈感へと移行する。


寂しくて退屈な人は、
愛されたい対象の安全な代替物として食物やアルコールなどの嗜癖対象を選ぶ。


真に愛されたい人からは拒絶されるかもしれないが、
嗜癖対象なら安全だ。


「冷蔵庫はしゃベらない」「酒瓶はあざけらない」。


要するに「意志の力」を信じ過ぎて、
自己を思うままにしようと闘うと嗜癖する。


その闘争の負けを認めて、限界ある自己を受け入れることが、
嗜癖から離れるコツである。


それを、断酒という素朴そのものの行為を通して示したのが、
アルコホリックス・アノニマス(AA)のメンバーたちであった。

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(0) | TB(1) | ▲ top
自助グループと霊的成長②回復のプログラム
- 2007/03/23(Fri) -

精神科医・斎藤学氏メッセージから


回復のプログラム


12ステップと呼ばれるA.A.の回復プログラムでは
最初の3ステップで
酒瓶(に託された「悪い自己」)との闘いに負けたことを認め(第1ステップ)、
個人の(意志の)力を超えた力(ハイヤー・パワー)の存在を信じ(第2ステップ)、
その配慮に身を委ねる決心をする(第3ステップ)。


要するに
自己との闘いの悪循環から降りることと
自己の力の有限性についての示唆
無力であっても何とかなるという励ましである。


ハイヤー・パワーという言葉は
「あるがまま」のあなたがあなたを救うということである。


この素朴な呼びかけをする人(先を行く仲間)と
呼びかけられてやって来た人(新参者)との間に
上と下、強者と劣者の関係ではない関係が生まれるとき
新参者は今までとは違った人間関係の中に
抱擁され、愛され、楽になる感覚を持つ。


先達と新参者との間には
当然上下があるだろうというのは誤解である。


A.A.のような自助グループでは
先に来ていた者は、後から来る者によって助けられる。


先達は自らの「回復の物語」を聞き
共感するものたちを必要としているからである。

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(2) | TB(0) | ▲ top
自助グループと霊的成長③12伝説の規範
- 2007/03/24(Sat) -
 A.A.のグループはメンバーたちが
12トラディション(伝統)と呼ぶ規範を備えていて
12ステップと12伝統を併せて、12&12ともいう。

12伝統ではA.A.は組織であってはならないとされている。
リーダーや治療者が居てもいけないし、会費も取ってはならない。
寄付を受けてもいけないし
まして金儲けに利用してはならないと定めている。


そして何よりも肝要なのはA.A.では
個人の名を出すことが禁じられている(アノニミティ<匿名>のルール
のである。


A.A.メンバーの一人が挙げた功績は
すべてA.A.グループに帰せられる。


A.A.メンバーたち(つまり自己愛者たち)は
個人の名誉と拍手を求めて正気を失ったのだから
個人の名の屹立は危険なのである。


これら12伝統の規範
有能な個人のリーダーシップの下に
資金を集めて有効に運用し金儲けをはかるという
近代市民社会の論理の「鏡像」であり「陰画」である。


資本主義社会と呼ばれるこの社会の論理が、
最も早く、徹底した形で世に浸透したアメリカだからこそ、
その「毒消し」としてのA.A.も必要となったのであろう。


A.A.は今や世界的に広がっているが
それは世界中がアメリカ的な社会になってしまったからである。


今の世を覆う論理の毒消しであるとすれば、
A.A.は20世紀のアメリカが後世に伝える遺産のうちの最大のものである。


A.A.は宗教ではないが
かつて宗教が担っていた役割の一端を担いでいる。


実際、アメリカのA.A.は
教会の地下室で開かれることが多い。


全人的な自己、魂の部分を含む自己というものの認識は、
役割人格の中に閉じ込められがちな近代市民たちに
不足しがちな「心のビタミン」なのである。


精神科医・斎藤学氏メッセージから

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自助グループと霊的成長④自助グループとカルト
- 2007/03/25(Sun) -

精神科医・斎藤学氏メッセージから


自助グループとカルト


自己愛的な現代人がカルトを求めるのは
そこでは「凡俗の人を超えた常ならぬ力」が与えられると思うからである。


そこでは入信したての下っ端に常人の勧誘を行わせる。


常人を説得することに成功した下っ端は
超人のはしくれとなることによって即席の「癒し」を得るのだが、
自分をカルトに導いた人物との上下の関係はそのまま維持される。


こうしてカルトは細分化された階層社会となる。


カルト内部の人間関係は決して水平(平等)になることなく
導くものと従うものとの連鎖となり
その連鎖の頂点には「神」がいる。


「神を求める人」たちにとって、これは居心地のいい場所である。


彼らには他者との間に対等な親密性を作る能力が欠けているから、
通常の社会の中では常に脱落の恐怖に悩んでいる。


他人はいつも自分より上位の神さまか自分より下位の奴隷であるから
そのようなものとして作られたカルト社会の中で彼らは安定する。


他人の設定したドグマ(教義)にひれ伏してその奴隷になり
ドグマに染まらない世間の人には優越感を感じるわけである。

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自助グループと霊的成長⑤カルトとの類似
- 2007/03/26(Mon) -

カルトとSHGの類似という問題について
斎藤学氏は
AAは当時流行していた新興宗教グループの中で誕生したことを指摘している。


(以下抜粋)


マインド・コントロール「我」の粉砕、剥奪である。
カルト集団の構成員が新たなメンバーの勧誘に成功することは
他者の「我」を奪うことに成功したことを意味し
これが彼らの万能感を賦活する。
これがこの種の組織に入って献身する者への報酬なのである。


AAの12ステップ
我々はアルコールに対して無力である(第1)、
ハイヤーパワーを信じる(第2)、
それに身をゆだねる(第3)、


これらは個人の力の無力の自覚であり、「我」の奪取である。


しかし、私はAAがカルトであるとは思わない。
リーダーを持たないこと、
グループの功績を個人のものとしないこと、
個人の名の非顕在化(アノミティの厳守)、


これらの12伝統がAAを救った。


12伝統のない他のグループがカルト化した例がその証左である。


薬物依存者を主な対象にしたシナノン(Synanon)グループでは、
神格化した個人が族生し、
数々の銅像や肖像画が崇められ、
一部は明瞭にカルト化し、一時は犯罪の温床とさえみられた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


やっと、ここまで辿り着いたか・・・・
それが今の私の正直な気持ちだ。


某宗教団体に長い間身を置き
徐々に疑問を感じて離れることができるようになってから
まだ7年も経ってはいない。


それはカウンセリングの勉強を始め
自らもカウンセリングを受け続けた7年の歳月と
見事に符合してくる。


特に宗教の話をした訳ではなかった。
苦境の中にいた私は
「自分のこの愚かな人生は一体なんだったのか」という
身を引き裂かれる様な悲しみの海に深く沈んでいたから。


自らが何者であるのか気づいていく過程で
それは静かに始まっていたのだ。


宗教への疑問・・・という
それまで考えもしなかった「絶対なるもの」への疑いが。

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(2) | TB(0) | ▲ top
自助グループと霊的成長⑥自己の無力化
- 2007/03/27(Tue) -

12伝統はAAを救った。


しかし、
他者に無力を自覚させることを自己の力と認識し
その達成感を得ることを目的とした、
12ステップを誤用しているメンバーもいる。


こうした人は尊大であり、グループを支配しようとし、
いずれ破綻する。


このような誇大自己を維持するために
SHGが利用されることは警戒されるべきである。


また、外部の援助者はSHGの自立を確認し
次第直ちに離れて運営に一切関与しないようにしなければならない。


自己を無力なものと認め、
そして自己を特定の集団にゆだねる。


この姿勢はSHGとカルトに共通するものである。


カルトは、自我を捨て去ることで、
個人が抱えている苦悩がすべて払拭されるかのように思わせ、
人をにする。


メンバー達は、何の苦しみもない世界を約束されるが、
その代償として、
本人は気がつかないうちにカルトの奴隷として利用されることになる・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


科目等履修生として
今春から大学院で学ぶことになったため
部屋の本棚を整理する。


100冊はゆうに越えるであろう
かつて心酔した指導者の本やビデオの数々・・・


それでもまだ捨て去ることもできずにケースにしまい
ベットの下奥深く眠りに付かせる・・・


おやすみなさい・・・安らかに
二度と目覚めることのない永久の眠りに
さあ、ゆっくりとおつきなさい・・・


何時の日か
本当の別れの日が
静かに訪れるその日まで・・・

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自助グループと霊的成長⑦誇大自己
- 2007/03/28(Wed) -

メンバーは利用されていると同時に、
利用している立場でもあると斎藤氏は指摘する。


他人の自我を奪うことに成功し、
そのことで快感を得ている
のだと。


そしてこの快感はSHGでも得ることができる。
おそらくこの快感もまた依存性の強いもののように思われる。
依存症を直すためにSHG参加しても、
今度はSHGに依存していることになるのでは、
あるいは、傷の舐め合いではないか、といったSHGへの批判は、
この快感への不信感から生じるのではないだろうか。


自己を無力なものとすることによる快感と、
他人の自己を奪い万能感を感じる快感
この両者は決して矛盾しない。


万能感、すなわち
自分が優れていると判断するには基準が必要となる。


カルトのメンバーの場合、
カルトの教えがその基準となる。


自分はその教義が示すところの最終的な到達点には
遠く及ばない無力な存在であることを認め、
しかし世界には自分よりさらにそこから遠いところにいて、
上をめざそうという意志さえない人々が大勢おり、
それにくらべれば自分ははるかにましであり、
勧誘活動や募金活動
(難民救済のためだとだまされて募金したとしても、
募金した以上少しは救われたことになる、とメンバー達は考える)
によって彼らを少しでも高い段階
(しかし自分よりは下に)導くことによって、
自分の誇大自己が満たされるのである。


多くのカルトの内部が、
ヒエラルキー構造になっていることもその表れであろう。


カルトにおける「到達点」はまやかしであり、
そこに至ることが許されるのは
カルトのリーダーただ一人である。


しかしメンバー達はそのことは知らぬまま、
いつか到達できると信じて、
目の前ににんじんをぶらさげられた馬のごとく、
決して至ることはないその到達点にむかって
際限なく努力する
(=カルトとそのリーダーに奉仕する
)ことになるのである。


したがって、
到達点」をことさらに示すこと、
そしてその「到達点」が抽象的・観念的で、
達成したかどうかが分かりづらいことは、
SHGのカルト化を促す恐れがある。


その点、12ステップ系のSHGが、
例えばAAでは、
「飲酒をしなくなる」という
非常に分かりやすい目標があり、
一方で、その症状は完治するものではなく、
一生背負っていかなければならないものであるという
前提を掲げるのは、
完治という到達点を示す危険性を察知した
先見の明であるといえるのではないだろうか。


AAの理念には、斎藤学氏が指摘しているように、
非常に示唆に富む内容が含まれている。

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自助グループと霊的成長⑧自己確認とその肯定
- 2007/03/29(Thu) -

(以下、抜粋続く・・・)


自己変革か自己確認か


カルトにおいては、
メンバー達は自己変革する、
新しい自分になることができる(悟りをひらく、など)
といった希望をもって活動に従事する。


SHGとカルトの大きな相違点がそこにあるのではないかと思われる。


SHGにおいては、
新たな自己を獲得することによって
問題を解決するという考え方はしない。


そこで行われているのは、
現在の自分の姿を確認し、
あるいはそれができるような環境、
きっかけを与えることである。


例えばAAでは、
ハイヤーパワーに身をゆだね、
自己の無力さと、アルコールに敗北した自分を認め、
あるがままの自分の姿を見つめられるようにする。


強姦の被害者に対しては、
「強姦神話」にみられるような被害者にも落ち度がある
という認識から生じる苦悩を取り除くために、
あなたは被害者であり、悪いことはなにもしていないのだと
言い聞かせることが行われ、
それによって被害者は、
自分が悪いのでは、という自分自身に対する誤解から解放され、
自己を確認することができるようになる。
また、「忘れようとする」という
不可能なことをしようとすることをやめ、
その事実を事実として認めながら
生きる道を模索しようとするのである。


そこで行われるミーティングや、
文章による自己の体験や心境を語ることもまた同じ効果を持つ。


他人に向かって自分の状況を言葉にして話す過程で、
問題が整理され、自分自身に対する客観視が行われる。


人に話すという形態をとってはいるが、
実際には自分自身に語りかけ、
己の状況を説明し、理解させている
のである。


そして、確認した自己を否定したり、嫌悪したりせずに、
それを受け入れ、むしろ肯定しようとすることが
カルトとの違いであろう。


問題を解決しようとするのではなく、
問題を問題として抱え続け、
しかしそれを否定することなく
自分自身の一部であることを認めて、
それとともに生きる。


そしてやがてそれは
問題としてすら認識されなくなるのである。


カルトのメンバーのように、
新たな自己を求めて
あくせくともがき苦しむこと自体をやめる
ことが
問題の解決へとつながるのである。


自己変革を求めることをやめることのできた状態をもって、
自己変革した新しい自分を獲得したのだ、
とすることができるように思われるかもしれないが、
それは結果論にすぎない。


自己を否定的にとらえ、
変革を強く望んでいる限り、
自己確認とその肯定という作業は行われることはないのだ。

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自助グループと霊的成長⑨神を求める人たち
- 2007/03/30(Fri) -

精神科医・斎藤学氏メッセージより


家族には「機能している家族」と「機能不全の家族」とがある。


後者では,やたらに秘密が多い。ルールが多い。
家族成員相互が話しあうことを嫌う。
外部の者を容易に受け入れない
独裁者がいて家族成員がそれに従う。
そして変化を嫌う。


このような機能不全家族の特徴は、
すべてのカルト集団の特徴に酷似している。


機能不全家族の中で育ったような人々が,
ようやくその拘束を逃れて「出家」してみても,
そこに同じような集団を作ってしまうということである。


支配されることと依存することを何よりも大切にする。


神を求める人たち」が
あるいは街中を彷徨い、
あるいは家にこもり、
対人関係に悩みながら生きているわけだから、
誇大的な能弁を操る詐欺師たちは次から次へと「神」に化けるであろう。


神を求める人たち」は
その機会さえ与えられれば、
自らを機能不全家族の出身者であるAC(アダルト・チルドレン)
と認識するようになる。


実際、ACの回復を謳うアノニマス・グループには、
この種の若者たちが蝟集している。
これらのグループは常にカルトへの腐敗の危険にさらされている。


A.A.の創始者の一人ビルは、
このグループの源泉をカール・ユングの診察室とみなしていた。


ユングは、ビルを断酒に導いたローランドなる人物に
「あなたの問題は医療では解決しない。宗教をおやりなさい」
と言ったという。


しかも
並のキリスト教ではない、魂の琴線に触れるような宗教体験が必要だ
と言い、
ローランドはアメリカへ帰って、
当時流行していた福音主義派の新興宗教、
オックスフォード・グループ(現在のMRA:道徳再武装)に入った。


A.A.はこの新興宗教グループの中で誕生したのである。

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自助グループと霊的成長⑩自己発見から霊的成長へ
- 2007/03/31(Sat) -

精神科医・斎藤学氏メッセージから


A.A.がカルトにならなかったに理由については、
その創設者たち、特にビルの洞に負うところが大きい。


具体的に言えば、
1940年代後半から50年代にかけて
12伝統を定着させたビルの着想と努力がA.A.を「生き残らせた」。


グループにリーダーを持たないこと、
グループの功績を個人のものとしないこと、
個人の名の非顕在化(アノニミティの厳守)
などは、
これらが無ければ神格化されたはずのビルを救った。


そしてそれがA.A.に真の成長を与えた。


12伝統がA.A.を救ったことについては証拠がある。


以前にも書いたとおり
薬物依存者を主な対象にしたシナノン・グループでは、
神格化した個人が族生し、
数々の銅像や肖像画が崇められ、
一部は明瞭にカルト化し、一時は犯罪の温床とさえみられた


その流れの一部は有効な中間施設として生き残っているが、
世間から危険視されることを恐れて
発生源としてのシナノンを名乗らなくなっている。
そのため薬物依存者たちは
厳密にA.A.の伝統を守るN.A.(ナルコティクス・アノニマス)を
必要とすることになったのである。


今日、A.A.の提案したところに従って
リカバリイ(回復)に努めているグループには
多種多様なものがある。


その対象は狭義の嗜癖の領域を越えて、
ギャンブル癖、過食・拒食、嗜癖的セックスや人間関係(共依存)、
そして機能しない家族の中で育った人々
アダルト・チルドレン)を襲う絶望感にまで及んでいる。


ここでいうリカバリィとは
ディスカバリィ(自己発見)に引き続く霊的成長のことであり、
その過程を称して「ヒーリング(癒し)」という。


カルトにまつわる大事件の後で、
この言葉のいかがわしさをあげつらうのは容易い。


しかし、
それが私たち現代人にとって持つ意味を過小に評価し、
それを揶揄、嘲笑する人が居るとすれば、
その人は、
もう一人の自己愛人格者
(自らを神としつつ、より上位の神を求め続ける人)
に過ぎない。


(この項一旦終了・・・)

この記事のURL | 自助グループと霊的成長 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |