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一切にわがものなし
- 2007/04/03(Tue) -

[一切にわがものなし]


人々は「わがものである」と執着したもののために悲しむ。


[自己の]所有しているものは常住ではないからである。


この世のものはただ変滅するものである。・・・


人が「これはわがものである」と考えるもの、


―それは[その人の]死によって失われる。


われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、


わがものという観念に屈してはならない。


                   ―「スッタニバータ」

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うつろいゆく苦しみ・・・
- 2007/04/28(Sat) -

ブッダは人間存在を
「苦なる存在」であり
「欲望・執着・妄執の存在」であり
「無常なる存在」であると見ていた。


そしてブッダが強調する「苦」は
「うつろいゆく苦しみ」だった。


健康だった者が病気になって死んでゆく・・・
財産や子どもがあったのになくしてしまう・・・
こうありたいと思っていたのに、その希望するようにはならない・・・


すべてはうつろうものであり
すべては無常であるのに
「わがものであると執着」して苦しみをうける、と。


生も苦しみである。
老も苦しみである。
病も苦しみである。
死も苦しみである。


愛されない者と会うことも苦しみである。
愛する者と離別することも苦しみである。
すべて欲するものを得ないことも苦しみである。


要約していうならば
5種の執着の素因は苦しみである。


                  「律蔵」


・・・最近すごく、そう感じる・・・

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私へ・・・
- 2007/04/30(Mon) -

ラーフラよ、
もしそなたが身による行為をなしたいと思うならば、
そなたはその身の行為についてよく観察すべきです。
〈私がなしたいと思っているこの身による行為は、
自己を害することになりはしないか、
他者をも害することになりはしないか、
両者ともに害するものになりはしないか、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものではないか〉と。


ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしたいと思っているこの身による行為は、
自己を害することになる、
他者をも害することになる、
両者ともに害することになる、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為を、
けっしてなすべきではありません。


しかし、ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしたいと思っているこの身による行為は、
自己を害することにならない、
他者をも害することにならない、
両者ともに害することにならない、
この身の行為は善のもの、
楽を生むもの、
楽の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為をなすべきです。


ラーフラよ、
また、そなたが身による行為をなしている時も、
そなたはその身の行為についてよく観察すべきです。
〈私がなしているこの身による行為は、
自己を害しているのではないか、
他者をも害しているのではないか、
両者ともに害しているのではないか、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものではないか〉と。


ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしているこの身による行為は、
自已を害している、
他者をも害している、
両者ともに害している、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為を捨てるべきです。


しかし、ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしているこの身による行為は、
自己を害していない、
他者をも害していない、
両者ともに害していない、
この身の行為は善のもの、
楽を生むもの、
楽の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為を続けてなすべきです。


ラーフラよ、
また、そなたが身による行為をなした後も、
そなたはその身の行為についてよく観察すべきです。
〈私がなしたこの身による行為は、
自己を害したのではないか、
他者をも害したのではないか、
両者ともに害したのではないか、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものではないか〉と。


ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしたこの身による行為は、
自己を害した、
他者をも害した、
両者ともに害した、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為を、
師に対し、
あるいはもろもろの賢者に対し、
あるいはもろもろの同梵行者に対し、
告げ、
知らせ、
明かすべきです。
告げ、
知らせ、
明かし、
将来にむけて防護しなければなりません。


しかし、ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしたこの身による行為は、
自己を害さなかった、
他者をも害さなかった、
両者ともに害さなかった、
この身の行為は善のもの、
楽を生むもの、
楽の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはその喜びと満足により、
もろもろの善法について
昼夜に学び続け、
住むべきです。

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もしなんじら・・・
- 2007/05/09(Wed) -


もしなんじら、よき友をもつことを得ず、


賢にして慧ある同行者を得ずんば、


林中をゆくかの大象のごとく、


ただ一人にして、独り往くがよい。



私は独り往こうと思う・・・

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相依性
- 2007/05/26(Sat) -

これがあるとき、かれがある。


これが生ずるとき、かれが生ずる。


これがないとき、かれがない。


これが滅するとき、かれが滅する。

                    


                     三枝充悳著「バウッダ」

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戒め
- 2007/05/31(Thu) -

なんであれなにものも執着されるべきでない


 'Sabba dhamma nalam abhinivesaya.'


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さだめ
- 2007/06/05(Tue) -

生まれたものどもは、死をのがれる道がない。


老いに達し、そして死ぬ。


じつに生あるものどものさだめは、まさにこのとおりである。


・・・だから、師が教えられたように、


人が死んでなくなったのを見るとき、


かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ、とさとって、


嘆き悲しみを捨て去れ。


(スッタニパータ、575~590)」

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我執
- 2007/06/21(Thu) -

人間の苦しみの原因は、執着である
とブッダは言う。


執着とは
何かを自分のものにしておこうとすること。


最大の執着の対象は自分自身。
自分自身を永遠の存在と考えてそれを守り、拡大しようとする。


それが我執
例えば、名誉・地位・財産・学歴・人望・権力など・・・・


「我」を損なうものには、マイナスの執着が働く。
その反応は、嫌悪、敵視、憎悪、軽蔑、恐怖・・・・


自分が永遠の存在でないことは、頭では理解している。
しかし、執着ははるかに根深く、
年老いてなお
権力や富にしがみつき永遠の自己拡大を目指そうとする。


執着は
自分に有利なものは自分の権力のもとに置きたいと欲し、
不利だと知るや躍起になって排除しようとする。


怒り、悲しみ、絶望、苛立ち、不満、妬み、へつらい・・・・


反応は繰返され執着は成長し苦を拡大し続ける。


自分のなかに起きてくるあらゆる情動を
執着や我執の観点から眺めるようになってから
「ああ、なるほど・・・これか・・・」と
自分の愚かさの在りかを
はっきり自覚できてきたような感じがする。


そして、心が穏やかになってくる。
「そんなことに拘っても何の意味もないんだ」と
力が抜けて、笑えてくる。


死さえ
決して避けることなど出来ないのだから
覚悟して受け入れるしかないのだから
自分の中の執着を一つ一つ手放して
全てを失って死んでいきたいと思う。

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無能者と指差されて
- 2007/06/25(Mon) -

インドの仏教においては、
出家者はあらゆる職業につくことを禁じられていたそうだ。


その理由は、
人間の価値は世の中の役に立つ・立たないといった物差しで
測ることなどできないことを教えるためであると。


世間は、
まじめに働いている人間や何かが出来る人間を高く評価する。
しかし、そのような物差しだけで人間を評価してしまうと、
世の中の役に立たない人間に対する蔑視が生まれる・・・・


その結果、
高齢者や障害者、働かない・働けない人
今の効率社会に適応できない・しない人たち等々・・はすべて
役に立っていない人間と評価され、切り捨てられてしまう。


そんな社会や家庭の中では、人は自分が自然であることよりも
その「場」の「意図」や「効率」を、常に強迫的に気にするようになる。


「意図」や「効率」にそぐわないものは
排除されるべき雑音でしかないのだから。


自分はその「場」で自然な自分であってはならない。
常にその「場」の「意図」や「効率」や「目的」を肌で感じながら
なんとかそれに沿うように自分自身を仕向けてゆかなくてはならない。
それは無数に繰返されて、いつのまにか身体化し、
ほとんど無意識的レベルで行われていくようになる・・・・


この空虚さ・・・・
自分が自然な自分であると、排除され切り捨てられてしまうのではないか
そんな根源的な恐怖に怯えながら
ひたすら他者の目という評価基準を
自分の唯一の内的価値観として生きてゆかねばならない苦しみ。
互いが互いを監視し、束縛し、階層化し、支配していく無数の網の目。


親の「意図」にそわなければ愛されないという
「条件付け」が深く無意識に刻印されて
親から見ての「いい子」「優秀な子」を演じ続け
周りの「意図」に過剰に反応するがために
自分自身が一体何者であるのかさえ
分からなくなってしまった機能不全家族と
根っこは同じに思える。


仕事なんかやめちまえ!


とはいかないけれど
人間の価値は世の中の役に立つ・立たないといった物差しで
測ることなどできないんだということを
決して忘れたくないと思う。


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やがて、女は知る・・・・
- 2007/06/30(Sat) -

子どもを亡くした母親の話 。


これは仏教の逸話である。


おかしなもので
かつて、幻想の万能感を強烈に煽る宗教団体に加わり
強迫的な「祈り」と「修行」という非日常の世界を
狂女の如く生きていたにも拘らず
私が、強く胸衝かれ
静かな月の光を見上げている時のように
ふと、我に帰ることのできた唯一の話がこの話だった。


宮本 輝氏の編集したアンソロジーの抜粋。


ひとりの貧しい女が、自分のたったひとりの子供を亡くした。
まだ生まれて間もない赤ん坊だった。
この子を育てるために、
女はおよそ考えられるありとあらゆる苦労を重ねたし、
これからもそれに耐えられる覚悟が崩れはしないほどに
大切な愛しい子だった。


女は死んだ赤ん坊を抱きしめて、
村から町へ、町から村へとさまよい歩き
誰か私の子を生き返らせてくれはしないか、
そのような力を持った者を教えてはくれないかと尋ねて廻る。


誰も女に首を振るばかりか、
死んだ赤ん坊を離そうとはしない
身分の卑しい女の相手すらしてくれない。


やがて女は、
一縷の望みを抱いて釈迦のもとに辿り着き、
この子を生き返らせてくれるなら自分はどんなことでもする、
どうかこの子を生き返らせて下さらないかと懇願する。


女も死んだ者が生き返らないことは充分にわかっていても、
哀しみがそのような理性すら失わせていたのだ。


釈迦は、
よしわかった、その子を生き返らせてあげようと、
深い慈しみをたたえて言う。
ただし、条件がある。
この町の家々を訪ねて、香辛料をもらってくることだ。
しかし、香辛料をもらうのは、
一人も身近な者が死んだことのない家だけに限られる。


夫や妻や恋人や、
親や子や兄弟などが、
たったひとりでも死んだことのある家の香辛料は役に立たない、と。


女は釈迦の言葉を耳にするなり、
赤ん坊の死体を抱いたまま、町へと急ぐ。
釈迦が指定した香辛料は、
どんな家にもある、ごくありふれたものだったからだ。


女は朝から晩まで、家という家を訪ねて歩くが、
一粒の香辛料も手にすることが出来ない。
愛する者と、
あるいは身近な者との死別を経験しなかった人間など、
ただのひとりもいなかったからだった。


やがて、日が暮れてきた頃、女は知る。


愛する者との別離に悶え苦しむのは、自分ひとりではない。
生きとしいける者すべては、
さまざまな別れから解き放たれることはないのだ、と。


女は自分の赤ん坊を埋葬し、釈迦のもとに帰り、釈迦に帰依した。


                      ~わかれの船  宮本 輝


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日々のことーブッダを学ぶ
- 2007/07/18(Wed) -

最近、毎日のように訪れているHP。
今の私の思いに最も近い感覚。
読む度に、深い安堵を覚える。


今日も1時間ばかり読んでいた。


その中の一節。


「月を差す指はどれか?」より
http://www.dia.janis.or.jp/%7Esoga/index.html



私達は、無常にして無我なる縁起の現象である。


しかし、そのことを知らず(無明)、
自分は一貫性のある主宰者(アートマン)であり
自分を思うままにコントロールしていると思い込み、
自分に執着し、
自分を守り、
自分に有利なものを奪い取り、
自分に不利益なものを攻撃し、
自ら苦しみ、
人を苦しめている(凡夫のあり方)。


執着している対象も、
憎んでいる対象も、
自分自身も、
本当は実体ではなく、
他から縁を受け、
他に縁を与え、
関係し合う無常にして無我なる現象である。


そのことを正しく観察し真に納得せよ。
そうすれば、慈悲が発動し、
苦は吹き消され、
涅槃に安らぐことができる。

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ダンマパダ勉強会・覚書
- 2007/09/18(Tue) -

129 「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
     己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。」


130 「すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。
     己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。」


182 「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること。
     これが諸の仏の教えである。」


227 「アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。
     沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、
     すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。」


228 「だた誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、
    過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。」


260 「頭髪が白くなったからとて〈長老〉なのではない。
    ただ年をとっただけならば〈空しく老いぼれた人〉と言われる。」


261 「誠あり、徳あり、慈しみがあって、そこなわず、つつしみあり、
    みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ〈長老〉と呼ばれる。」


333 「老いた日に至るまで戒めをたもつことは楽しい。
    信仰が確立していることは楽しい。
    明らかな知慧を体得することは楽しい。
    もろもろの悪事をなさないことは楽しい。」

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ブッダの言葉
- 2008/02/26(Tue) -
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「たとえば、ここに一人の人があって、
 深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。

 そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、
 「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ」、と祈願し、合掌して、
 湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。

 その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、
 浮かびいでて陸にあがるであろうか。・・・」

「大徳よ、いいえ、その石が浮かんでくるはずがありません」

「たとえば、ここに一人の人があって、
 深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。

 そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。

 そのとき、大勢の人々が集まり来て、
 「油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底に下れ」、と祈りをなし、合掌して、
 湖の回りを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。

 その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。」

「いいえ、大徳よ、油が水の底に沈む道理はありません」

ー相応部経典42.6 増谷文雄訳ー


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブンナカさんがたずねた。
「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。
 仙人や常の人々や王族やバラモンは、
 何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのか? 
 先生! あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」

師(ブッダ)は答えた。
「ブンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンが
 この世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、
 われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、
 犠牲を捧げたのである。」

ブンナカさんが言った。
「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが
 盛んに神々に犠牲を捧げましたが、
 祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? 
 わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いて下さい。」

師(ブッダ)は答えた。
「ブンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。
 利益を得ることによって、欲望を達成しようと望んでいるのである。
 供儀に専念している者どもは、この世の生存を貪ってやまない。
 かれらは生と老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

ースッタ・ニパータ1043-1046、中村元訳ー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブッダは、死人を生き返らせる奇跡も行なわず、
「死んでも魂が生き残る」などという慰めの言葉も語りません。

ブッダは祈祷供犠の力に対しては、断固として拒否の態度をとっているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「生まれたものどもは、死をのがれる道がない。老いに達し、そして死ぬ。
 じつに生あるものどものさだめは、まさにこのとおりである。・・・
 だから、師が教えられたように、人が死んでなくなったのを見るとき、
 かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ、とさとって、嘆き悲しみを捨て去れ。」
  
 ースッタニパータ、575~590ー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

マールンキャプッタよ、
人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、
ということはない。

また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、
ということもない。

マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、
人間は死後存在しないという考え方があろうと、
まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。
現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブッダは死に関しては、そう教えたのでした。
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「今を生きる賢者の詩」
- 2008/05/11(Sun) -
現在の私の心境にぴったりの詩です。

こうありたいと心底そう思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          今を生きる賢者の詩

                   マッジマ・ニカーヤ典  ブッダ


過去を追うな
未来をいたずらに思うな
過去はすでに捨てられ
未来もまだ来ない
故に、今現在を、今現在においてよく見極め
揺るがず、動じず
今現在を明確に知り、実践せよ
ただ、今日なすべきことを、
心を尽くしてなせ

誰が、明日の死を知ることができよう
かの死の軍隊と出会うのは必定
そのように見極めた者は
心をこめて、昼も夜も
怠りなく実践する
そのような人を「今を生きる賢者」と呼ぼう
そして「心静まる者」とも言おう

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