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基底欠損についてのまとめ①
- 2007/05/13(Sun) -

基底欠損(basic fault)は、
1950年代後半、バリント(Balint,M.)によって
提唱された概念である。


当時主流であったフロイトの古典的精神分析技法では
対応しきれない難しい患者の治療に次々と失敗し
フロイトの古典的技法が通用する患者と
全く通用しない患者との間には
精神発達上、全く異なる二つの水準があり
後者は、より原初的なレベルにあると考えるようになった。


この考えは彼の師であるフェレンツィ(Ferenczi,S.)
が気付いたものであったが、
彼の死後、バリントがより考察を進め
前者をエディプス水準、後者を基底欠損水準とした。


古典的精神分析技法では
治療者の解釈を取り入れて徹底操作の過程を遂行できる
相当良質で強い自我を持っていることが大前提だが
基底欠損水準の患者はそれを持ち合わせておらず
原始的二人関係を持とうとするので
成人言語による伝達が通用しにくく
精神分析的解釈がその意図と異なる水準で受け止められ
解釈を体験したり、取り入れることも
全く不可能であることが特徴である。


バリントは、これらの患者の治療を通して、対象関係
すなわちエディプス期以前の母子関係の重要性を強調した。


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基底欠損についてのまとめ②
- 2007/05/14(Mon) -

バリントの言うところでは
基底欠損水準の患者は、従来の精神分析的技法では
改善するどころか自我が脆弱で
問題に向かい合い葛藤するのではなく
依存的な二者関係に陥ってゆき、病的な退行を引き起こしていく。


バリントによる基底欠損水準の患者の臨床特徴


1.二人関係しか存在しない
  エディプス水準では、対人関係の体験は全て三角関係の形で生じるが
  基底欠損水準では、全て例外なく二人関係の形をとり
  第三の人格は存在しない。


2.それは一種独特な二人関係であり
  エディプス水準における人間関係とはまるで異なっている。
  原始的ともいうべきこの二人関係では
  いかなる第三者も、この関係に介入してくることは
  耐えがたい緊張を引き起こすマイナス因子として体験される。
  この関係においての満足は、対象と「ぴったり膚接(fitting in)」することであり
  それが叶えられない時の欲求不満と、満足の落差が非常に大きい。


3.エディプス水準は葛藤に由来しており
  治療者からの適切な働きかけにより、解消が可能であるが
  基底欠損水準においては、そこから発する力は
  本能の形も葛藤の形ももっていない。
  欠損という形態が存在しているのみである。
  この欠損しているというところからくる、大きな不安自体
  患者を突き動かす原動力となっている。
  端的に、欠けているものなので、解消や完全な治癒はあり得ない。


4.成人言語による伝達が通用しない。
  エディプス水準では、成人言語が伝達の手段となりうるので
  解釈が解釈として体験されうるが
  基底欠損水準では、成人言語は役に立たないか
  逆に誤解の原因ともなりやすく
  治療者の意図が患者に伝達できないか、非常な困難を伴う。  


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基底欠損についてのまとめ③
- 2007/05/16(Wed) -

バリントは「基底欠損の起源」は
人生最早期における乳幼児の生理的・心理的欲求と
それを供給する養育者からの
物質的・心理的保護・配慮・好意といったケアと愛情の
相当程度の落差」にあるとし
その原因としては
重度の疾病をもって誕生するなどの先天的な場合と
欠陥育児などの環境的な場合とを仮定している。


バリントは
基底欠損水準の患者は
葛藤やコンプレックスなどとは異なり
患者自身が自分の中にどこかおかしいところがあると感じる」ものであり
患者はそれを
是正されなくてはならないような誤り」として認めるという。


またバリントは
この欠損には、誰かが患者に過ちをおかしたり
 なすべきことを怠ったりしたことによりその欠損が引き起こされた
 という感じが伴う

ともいっている。


この「基底欠損」についてのバリントの説明には
他者から人為的に加えられた侵襲や外傷
といったニュアンスが非常に濃厚である。


さらにバリントは
基底欠損の含む領域を説明して
「これについての一つの論理的な説明は“外傷”という考えを用いることである。
 それによれば、
 個人は外傷に見舞われるまではある程度は正常に発達することになる。
 その時点以降の発達は、
 その特定の外傷ーbasic fault-に対処する手段に
 基本的に大きく影響を受ける
とし
基底欠損」が、まさしく「外傷」として解釈できることを示している。




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基底欠損についてのまとめ④
- 2007/05/19(Sat) -

バリントの治療的態度は
まず患者の話すところに耳を傾けよ」といったものだった。


彼は「医者は患者の隠された欲求を理解しようと努める義務がある」と強調し
在来の病気中心の医学に対して、患者中心の医学を提案したのだ。


バリントは、患者との実践的交流を重視し
交流の水準を「基底欠損水準」にあるとして
調和渾然harmonious mix-up」の体験を
共体験していくことが肝要であると説いた。


調和渾然の交流体験の積み重ねを通して
〈象徴水準〉の言語が
逆に治療関係の中に
〈結晶化〉してくると考えたのである。


彼によると
人が最初に体験するのは「調和的相互浸透的渾然体」であり
言語によらない治療において力をもつのは、解釈より関係である。


治療関係においても、原初的な母子関係が現れ
治療者は患者の中の子どもと付き合うこととなり
自らを一次対象として差し出す
そして患者がどのような充足を、
どれほど求めているのかを認識するのである。


要するに、解釈よりも関係
ーそれも「水が魚を生かし、支えるようなーであって
特に治療者が患者の一次愛を受け止める一次対象と化して
自らを差し出すことの重要性を主張している。


ここに良性の退行が生じ
新規まき直しが起こり、治癒に至ると彼は考えたのである。


この考え方は
芸術療法的アプローチの理論的裏づけを呈示するものとして注目される。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


時々、臨床家の中には
普段の単調な臨床業務に飽き飽きし
または、自分の心の空洞に気付くことなく
自らが「餓鬼」の様なあさましい心に落ちて
境界例水準のクライエンの一次対象として
我が身を差し出して激流に巻き込まれ
臨床家としての自己満足感を得たくて得たくて堪らずに
その餌食となるようなクライエントを
キョロキョロと探し回っている
勘違いの大アマ野郎がうろついていたのは確かだった。
危うく私も餌食になるところだったが
あっという間に化けの皮を剥がしてやったけれども。


それって
自分が「原初的な母子関係」を求めてるだけじゃない?
何度もそう言ってやりたかったことがある。


勘違いは、あまりに患者に対して罪が重い・・・

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基底欠損についてのまとめ⑤取り返しのつかない悲しみ・・・
- 2007/05/24(Thu) -

精神分析家・小児科医の渡辺久子氏


《虐待による心的外傷は、一つの危害によって被る一つの傷ではない。


むしろ反復し連続する負の情動の嵐であり、恐怖体験である。


その状況自体が終生消えぬ恐怖を植えつけると同時に、
生き延びる為の防衛機制自体がその恐怖を二次的に加工して複雑化する


信頼し身を委ね頼る親や教師が最も危険な怖い存在となる、という混乱と不信は
その子の世界観、自己と対象像の混乱を惹き起こす。


基本的信頼は形成され難く壊れ易い。


この裏切られる体験は、
幻滅や失望といった限局されたレヴェルの負の体験ではなく、
根源的な存在的な抹殺体験に近い。》


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それでも、生き抜くしかない・・・・


 

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基底欠損についてのまとめ⑥
- 2007/06/16(Sat) -

『治療論からみた退行―基底欠損の精神分析』より
                         
マイクル・バリント/著 中井久夫/訳


基底欠損水準の主要特徴を列挙すれば、
1.そこで生起する事象は例外なくすべて
  二人関係(two-person relationship)である。
  第三の人格(person)は存在しない。
2.この二人関係の性質は一種特別で、
  周知のエディプス水準の人間関係と全然違う。
3.この水準において働いている力動的な力は本質的に葛藤に由来しない。
4.しばしば成人の言語はこの水準で起こる事象の叙述に役立たないか、
  
誤解の原因となる。ことばが一般的合意に基づく通常の意味を持つとは
  
限らないからである。


…一時近似に過ぎないとはいえ、この二人関係は私が何度か述べた
一次愛(praimary love)、一次対象関係(primary object relationship)の
一例と見なしうるものである。
この関係に介入するいかなる第三者も耐え難い緊張負荷と体験される。
しかしこれが有する重要な性質はそれだけでなく、
満足と欲求不満の強度の落差が大きいことである。
この水準の満足とは、主体が対象と「ぴったり膚接する」(fitting in)ことで、
それは静穏な幸福感を生み出す。
実に自然で柔らかな十全感で、
よほど意識して行わないと外部からは観察不能である。
ところが欲求不満の方は対象の「膚接」がないことなので
非常にかまびすしい症状が激発する。
(p33)


…私が以上の事態を"basic"という理由の一つはこのためである。
しかし、では、どうして欠損"fault"(できそこない)なのか。
それは第一にほかならぬ患者がこの言葉を使って指すからである。
患者はこのように言う。
自分の内部に欠損が一つある気がする。
この欠損を修繕する必要がある、と。
患者はコンプレックスとも葛藤とも対人状況とも感じていない。
一つの欠損と感じているのだ。
第二に、この欠損の原因は、誰かしらないが自分を作り損なったため、
あるいは誰かがするべき事を自分にしてくれなかったため、
という感じがあるからである。
さらに第三にこの領域は必ず一種の大きな不安に包まれている。
患者はこの不安を通常こう表現して、
分析者(せんせい)、こんどこそ、自分をダメにしないで下さいね、
と必死に頼み込む。
実際やり損ないは許されない。
欠損(fault)ということばは、
これまですでに一部精密化学で
我々がいまいうのと似た場合を指すのに用いられている。
たとえば地質学や結晶学で欠損と呼ぶものは、
全体的構造の中に突発する不規則性であって、
通常状態では分からないが、圧力や歪力が加わったときに
そこから破談現象を起こして全体構造を大きく破壊するものである。
(p39)


私がこの新語で”基底的”("basic")なる形容詞を使ったのは、
ただエディプス複合の諸特性よりも単純な条件の状態だからではない。
基底欠損の影響の及ぶところが広いからで、それはおそらく、
比がそれぞれ異なるとはいえすべて、心身両者を併せ持つ、
人間の全心理学的=生物学的構造に及ぶだろう。
基底欠損概念をこのように作れば、
各種神経症(とおそらくは精神病)、性格異常、
心身症をはじめ(われわれが行った一般実地医学研究経験が示すとおり)
通常の”臨床”身体疾患も
実は病因論的に同一の実体(もの)が示す諸症状にほかならないことが判明する。
私は、”臨床”疾患が内科的治療も含め
各種情緒体験の影響下に消失して代わりに個別的精神障害が出現すること、
またその逆がありうると言いたい。
(p40)

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