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「もう一つの精神医学」に学ぶ①最初の外傷
- 2007/05/27(Sun) -

「もう一つの精神医学」に学ぶー「治療精神医学」への私的入門よりー
                        【精神科医・飯田信也氏】


http://homepage2.nifty.com/another_psychiatry/index.html


1.最初の「外傷」:幻覚妄想構造と自己存在否定の起源
1) 臨床像からの外挿法(補外法)的予測
 統合失調症の幻覚(中でも幻聴が多い)や妄想は、
 少なくとも病初には自分の存在をおびやかす内容が多いが、
 それらをPTSDに於けるフラッシュバックの亜種だと考えてみると、
 その体験形式は自他の区別の無い、
 自他の区別がつく以前のものだと考えられるので、
 起源と見做すべき「外傷」の端緒は当然の事ながら、
 子宮内の胎児期~新生児期の辺り、
 即ち人がまさに存在を始める時点の辺りに想定される。
 この人生の最初期の危機に対応した情動を、
 小児科医で精神分析家ウィニコット Winnicott,D.W.は
 「破滅(絶滅)不安」annihilation anxietyと名づけている。


 統合失調症患者に於いては
 「自分が存在するということ自体が悪い事である
 と深く信じられていると見做すことには一定の正当性が有る。
 統合失調症の集中的精神分析治療に取り組んだ
 サールズ Searles,H.という臨床家もこの事を強調したが、
 臨床の場に於いて彼達/彼女達の言動を注意深く観察すれば、
 多くは同意するのではないか。
 
 無論、ここで言う「心的外傷」は
 何回などと数えられる出来事ではない可能性が高い。
 また、自他の区別成立以前の次元に於ける「外傷」
 当然の事ながら従来言われている心的外傷よりも
 遥かに主観的幻想的なものの筈で、
 この事を、計見一雄精神科医は、
 《傷というより「脳の発達にとって都合の良い条件が揃わなかったような状況」》
 と表現し、しかも
 それを決定論的に捉えないよう忠告している(参考図書『脳と人間』215頁)


 赤ん坊の脳の大きな可塑性(=柔軟な適応能力)を考えると、
 余程の事でもない限り、1回ないし数回の出来事で
 後の人生に大きな影を落とすような決定的なダメージが生ずるとは考え難いし、
 実際そのような報告は余り見られない。
 従って、事はもっと微妙だが、しかし持続的なものなのではないか、
 人生の最初期に始まったそれが、
 そうとは気づかれずに年余にわたって反復され、
 ダメージ(自己破壊的思い込み)が強化定着されて行く
のではないか、
 と考える方が自然だと思われる。


 このような事情に対して、当事者自身からの「証言」は殆ど期待できない。
 
何故なら、
 ①その最深部は物心がつく以前、
  言葉による認識の成立以前の事であろうから、当然「証言」は不可能
 ②その後の悪循環的反復も、当事者はその中で育ち、
  思春期青年期まではそれが「普通の事」だと思っている。
  それに疑問を持ち、客体化して見て言語化することは可能だとしても、
  相当な精神療法的援助が必要。

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「もう一つの精神医学」に学ぶ②お前が悪い!
- 2007/05/28(Mon) -

もう一つの精神医学ー「治療精神医学」への私的入門に学ぶ
                  精神科医・飯田信也氏


http://homepage2.nifty.com/another_psychiatry/index.html


1.最初の「外傷」:幻覚妄想構造と自己存在否定の起源


2)「二重拘束」double bind と「高EE」の性質
                  ―「お前が悪い!」―
ベイトソンBateson,G.
らは、
統合失調症の入院患者と面会に来たその母親との様子を観察し、
ある人物が別の人物から、ある明示的な禁止命令と、
それと矛盾するより暗示的な第二の禁止命令、
及びその関係から逃れることを禁ずる第三の命令を受ける経験が
繰り返されることをダブルバインド状況として抽出し、
それが重篤な精神障害(例えば統合失調症)の原因たり得ることを示唆した。


いずれの禁止命令もメッセージの受信者へのを伴い、
メッセージの発信者の矛盾が問われることはない。
ゆえに、その意味でこれはaway構造の一つに他ならない。


EE(expressed emotion表出された感情)研究
(“Expressed Emotion in Family”by Leff,J.&Vaughn,C.1985邦訳
『分裂病と家族の感情表出』金剛出版)からは、
患者を再燃させ易い家庭環境として(またしばしば患者の生育環境として)
批判的で情緒的に巻き込まれ過ぎの高EEを指摘しているが、
そこで言われている「感情」の大半は
「怒り」や「嘆き」を伴う非難・問責であり他者支配である。
これもまた、
問題が常に関わる対象の方に位置づけられているという意味で
away構造の一つに他ならない。


これらの研究が示唆しているのは、
統合失調症患者の養育者がしばしばaway構造を色濃く有しており、
その為に赤ん坊~子どもは
常に「自分が悪い」と思い込まされて来たのではないか
という可能性である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


※ away構造


幼児の
《周囲の目に見えるものに魅せられてそれらに夢中になる反面
それを見ている自分の在り様に未だ気づいていない》
という段階に相当する「目に見えるものが全て」
従って
「問題も全て目に見える周囲の側(awayー自分の外へ)に在る!」という状態。
その為に結果的に、自分の事を全く棚に上げて
他人の事や状況の事ばかりを詳細に言い立て、
全てをそれらのせいにしてしまう、ということになりがち。

幼児や精神病患者において
しばしば見られるtransitivismと呼ばれる現象がある。
これは「主客の逆転」
つまり「自分がAさんにある事をした」という出来事が
「Aさんが自分にある事をした」という話になり
Aさんが非難攻撃の対象となったりする現象である。
これも「ある事をした」という述語部分が中心で
主語や目的語は簡単に入れ替わってしまうという
原体験心性に基いたaway構造といえる。



(『養育環境の赤ん坊への適応がうまくいかなかった場合』へ続く)

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「もう一つの精神医学」に学ぶ③心の鎧
- 2007/05/29(Tue) -

もう一つの精神医学ー「治療精神医学」への私的入門に学ぶ
                  精神科医・飯田信也氏


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1.最初の「外傷」:幻覚妄想構造と自己存在否定の起源


(3)養育環境の赤ん坊への適応がうまくいかなかった場合


心の成長がうまくいかない場合、これは様々な事情から赤ん坊が心の栄養を
(「親が子に注ぐ愛情」「赤ん坊のちょっとした達成を喜び褒め上げる」等)
十分にもらうことができず、遠ざけようとした不快な思いが
誰にも抱えられること無く放置されたり
養育者側に生じた不快な思いが赤ん坊側に
「お前のせいだ!」と投げ返されたりすることが
繰り返されることによって生ずると思われる。


この時、赤ん坊は健康な自己愛
(「自分は世界に受け容れられている」「自分は信用できる」
「自分は価値のある存在である」などの自己肯定的思い)を育むことができず
専ら自分を守るという機能を発達させ「心の鎧」を作る。
この「心の鎧」は、原心性に支配されており、
自分が困るということ、葛藤するということをできるだけ回避し、
問題はことごとく自分以外の処に位置づけようとする(away化)


「心の鎧」の性能、即ち「問題をaway化するの能力」には様々な程度があり、
最も性能が貧弱な場合には
問題に圧倒されて立ち往生するだけ(⇒カタトニィ:「昏迷」と呼ばれる固まって
文字通り「立ち往生」してしまう状態=緊張病(カタトニィ)状態))かも知れないし
少し性能が良くなれば適当に外在化して
「幻覚妄想」を形成するかも知れない(⇒精神病)
もっと高性能であれば、周囲の現実の中からうまい受け皿を見つけて
そこにうまくくっつけることであろう(⇒パーソナリティ障害)


「心の鎧」のaway化機能の内で最も効果的なのは言葉を操る機能である。
フランスの精神分析家ジャック・ラカンLacan,J.はいみじくも
「語りは騙(かた)りである」という有名な指摘を行っているが
特に語りが騙りになってしまうのは、言葉がaway化の為に駆使される場合である。

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「もう一つの精神医学」に学ぶ④偽りの自己
- 2007/05/30(Wed) -

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                  精神科医・飯田信也氏


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2.偽りの自己false self防衛と修復機会の喪失


養育環境の赤ん坊への適応がうまくいった場合には
赤ん坊が遠ざけようとした不快な思いや
養育者側に生じた不快な思いは
ひとまず養育者によって受け止められ抱えられる


そして、しばしば赤ん坊が利用できる形で返され
そのおかげで
赤ん坊は殊更自分を守ろうとする必要も無くありのままで居られる。


そういう事の繰り返しから
子供はいつしか苦痛や葛藤を抱える養育者の機能を取り入れて身につけ
更に合理的客観的に考え判断する機能
(自我の自律的機能)を発達させて行く。


しかし
「私は存在を許されないような悪い存在である」
と思い込んだまだ萌芽的な主体は
そのような自分が排除されないように
懸命に周囲の要望に合わせて行かねばならない。


その為に、本来なら健康な自我の基盤となるべき様々な能力を
専らナイーヴな自己を守るために使うようになる。


それが防衛的な「偽りの自己」(心の鎧)となり
その為に却って「思い込み」の修復の機会は乏しくなり
ナイーヴな「真の自己」は内にひきこもって
あたかも鎖国中のように、殆ど成長しないままに温存されてしまう。


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「もう一つの精神医学」に学ぶ⑤弔い・・・・
- 2007/06/01(Fri) -

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                  精神科医・飯田信也氏


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3.思春期青年期課題の乗り越え困難と
            精神病的破綻 psychotic breakdown


このような在り方でも
小学校くらいまでは「手のかからない、大人しい子
あるいは、たまたま知的能力が高ければ
優等生」として何とかやり過ごすことができる。


しかし、これでは通常「思春期青年期課題」を無事に乗り切ることができない。
自分というものが問われてくると
防衛的な「偽りの自己」は機能不全に陥り、立ち往生してしまう。


防衛的な「偽りの自己」
あたかも大海に浮かぶ浮き輪のように彼/彼女を支えていたが
それが急激に機能不全に陥る(即ち、失われてしまう)と
主体は大海に呑み込まれ溺れてバラバラになり消えてしまう恐怖
破滅(絶滅/解体)不安)に晒(さら)される。
しばしばそれは「世界没落体験」と呼ばれる
「世界(それはこの原体験的世界では同時に自分でもあるのだが)
が崩壊してしまう」
という際限無く恐ろしい実感をもたらす。
そうなるともはや、新生児に等しいナイーヴな自己が
パニックとなった状態(いわゆる「パニック障害」のパニックよりも激しい反応
即ち「精神運動興奮」と呼ばれる激しい不穏状態や「昏迷」と呼ばれる
固まって文字通り「立ち往生」してしまう状態=緊張病(カタトニィ)状態)しか残らない。


或いは「偽りの自己」がほんの少し回復すると
わずかなaway化の結果、恐怖は具体的な外部にその起源があると感じられ
「迫害される!」という内容を持った被迫害不安persecutory anxietyとなる。


しかもこの時、第一の外傷によるフラッシュバックが生ずるとすれば
そこには生々しい感覚を伴った
幻覚
(特に存在否定的なメッセージ性を持った「幻聴」という形)も生じ得る。
あるいは更に
それらの恐ろしい事態を何とかわけの分かるものにしようとする働きが
「妄想」的構想を産み出すかも知れない。
その内的構想が、また内外の区別の無い新生児モード
外的現実そのものと確信されれば真の「妄想」の完成である。


これらは、精神病的破綻 psychotic breakdown ないし
急性精神病反応 acute psychotic reaction と総称することができる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これほどまでに
あの頃の私の恐怖と苦しみを
詳細に記述した文章に出会ったのは初めてのことだった。


この文章を記事にしながら
破滅へとまっ逆さまに落下していったあの頃の
数々の残酷な体験が生々しく甦り
私は今、止めどなく涙を流し
身体中から力が抜け落ち
ただひたすら目を閉じて自らを弔っている。


可哀想な私よ・・・・
幼かった私よ・・・・


この世界の全てから分断され投げ出され
たった一人きりだった私よ・・・・


どれほど恐ろしく悲しく不安だったことだろう


今の私なら
お前のすべてを受け止めてあげられたのに


抱きしめて、抱きしめて、抱きしめて
一緒に声の限りに泣いてあげられたのに


たったそれだけで
どれほど慰められたことだろう


今からでも間に合うかい?
遅すぎたけど許しておくれ


私は今
お前のためだけに
こんなにも、こんなにも
涙を流しているんだよ・・・・

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「もう一つの精神医学」に学ぶ⑥第二の外傷
- 2007/06/04(Mon) -

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                  精神科医・飯田信也氏


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4.第二の外傷(精神病的破綻という破局体験と脱落意識と医学的圧殺)


精神病的破綻は、
ナチ強制収容所症候群やベトナム戦争PTSDが明らかにした破局体験に通ずる、
もう一つの破局体験だと考えられる。
これらは、いずれも
およそ人間の身の上に起こるとは考えられない破滅的な体験
という点で共通している。
その為に、これら自体また破滅不安を励起する。
そして前二者がそうであったように、
原体験心性の「抱えられる体験と抱える自分との区別の無さ」から、
単なる「異常な体験」という限定されたものとしてではなく、
「その体験をしている自分自身が異常になってしまった」という
普通の人間からの脱落の意識」をもたらす。


ここでしばしば更に悪い事が生じる。
即ち、このような事態に陥っても、
新生児的主体はその破滅的体験と何とか折り合いをつけようと
自分なりの解決を図り、
「自分は病気ではない」と主張する。
つまり、「精神病=脱落」の恐怖の中で、
必死にそれを否定しようとする
のだ。
しかしながら、驚いた家族等に連れて来られた精神科外来では、
何とか本人なりに事情を説明しようとする努力は殆ど省みられない。
そして「病識がない」と片付けられ、
単なる「脳の故障」と見做されて、
一方的に服薬や入院を強制されることが少なくない。
ここでもまた、彼/彼女は
精神医療という名の社会的権力の前に屈服し
疎外感・被迫害感や無力感・絶望感を味わわされる。


破局体験+脱落意識+医学的「圧殺」
ないまぜとなったこのような事態は
第二の外傷体験」と呼ぶに値すると考えている。 


補足:疾患国際分類第10版(ICD‐10)には
「精神科的疾病後の持続的人格変化
enduring personality change after psychiatric illness
という項目が用意されていて、
重症の精神科的疾病に罹(かか)るという外傷的体験に起因する人格変化
と定義されている。
この人格変化は、感情的に極端なストレスとなり、
患者の自己像を破壊するものとして体験せざるを得ないような精神障害からの、
臨床的な回復に続いて生ずる

この人格変化は、持続的であり、
明らかに柔軟性を欠き適応障害を示す経験と機能のパターンとして現れ、
対人的、社会的、或いは職業的機能の
長期的問題及び主観的な苦痛に至るものでなければならない
とされ、
その具体的特徴は以下のとおり。


(a)他人への過度の依存と要求的態度。


(b)以前の疾病によって変わった、或いは烙印を押されたと確信し、
  親密で信頼感のある人間関係を作り上げ、維持して行くことができなくなり、
  社会的な孤立にまで至る。


(c)受動性、興味の減退及び娯楽活動への参加の減少。


(d)絶えず病気であると訴え、心気的な主張や病気を表す行動を伴うことがある。


(e)現在の精神障害或いは残遺的な感情症状を伴う
  先行する精神障害の存在に由来しない、不機嫌或いは気分の不安定。


(f)病前の状況に比べて社会的及び職業的機能の著しい障害がある。


これらの特徴は、
幻覚妄想などの急性精神病状態を体験した人達には決して珍しいことではない。
それどころか、ごく一般的に見られると言っても過言ではない。
実際これらは、これまで統合失調症そのものによる症状
(いわゆる「陰性症状」)と呼ばれてきたものと異ならない。


そこには更に
疾病後の患者に対する他人の態度や反応は重要な意味を持ち、
患者が感じるストレスの水準を決定したり、強化したりする

とも記されている。


これは、ここで「第二の外傷」として取り上げた事情と
殆ど同じだと言っても過言ではない。

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「もう一つの精神医学」に学ぶ⑦PTSDの脳科学
- 2007/06/06(Wed) -

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PTSDの脳科学


PTSDは、元々はベトナム戦争を最悪のものとして含む、
戦場に行った兵士に生じた様々な精神症状(戦争神経症)を
研究する中から生まれてきた概念である。
それが、災害や犯罪被害の場合の反応にまで
広げて考えられるようになっていった。


それと共に、
一般に大事件・大災害後のPTSDの発症率が概ね数~数十%であり、
同じ外傷体験に暴露されてもPTSDになる人とならない人とがいる、
という事実を受けた一連の神経画像研究から、
PTSDには、それに先行するストレス脆弱性が存在し、
遺伝的素因と幼少期の養育環境の相互作用によって規定された、
前部帯状回を含む内側前頭皮質と辺縁系(扁桃体・海馬)の神経発達異常
であると想定されている。


即ち、PTSD患者に於いては海馬の体積の減少
及び前部帯状回を含む内側前頭皮質の異常が見出され、
(統合失調症患者ほどひどくはないが、鬱病患者よりはひどい)
その事から、PTSDに於いては、
内側前頭皮質の機能不全の為に扁桃体の活性を抑制できず、
過形成・消去不全が起こる、
(海馬は直接に或いは内側前頭皮質を介して扁桃体外側核に抑制性の入力を与える)
「小さい海馬体積」は、
PTSDの慢性化・重症化のリスクファクターのようだと言うのである。


事態を逆の方向から眺めると、
PTSDをもたらす
(内側前頭皮質や海馬の抑制を受けない)恐怖体験の記憶こそは、
最も直接的なものであるという意味で
記憶の最も原初的な性質のものである」とも考えられる。


この種の記憶を辻は「原体験記憶」と呼んでいる。


それは状況と結びついた感覚的記憶であって、
内容が想起できるような概念的記憶ではなく、
同じような状況に置かれると自動的に生々しい感覚が再生される
(=フラッシュ・バック)ような記憶
である。


極めて強いストレスによる海馬の萎縮を示唆する最近の報告もあり、
PTSDに先行するとされる「小さい海馬体積」も
それ自体(例えば周産期~乳幼児期の:筆者注)
外傷体験への暴露による獲得性のものである可能性
残されているようである。
(文献5)笠井清登,山末英典「PTSDの生物学」:こころの科学129

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「もう一つの精神医学」に学ぶ⑧身体化障害 Somatization Disorder
- 2007/06/08(Fri) -

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               精神科医・飯田信也氏


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身体化障害 Somatization Disorder


絶えず体のあちこちに不調を感じ
いろんな病院で調べてもらっても
「原因が分からない」とか「どこも悪くない」と言われ
それでも納得できず
更に医者通いを繰り返したり(ドクター・ショッピング)
家に引きこもってしまったりして
生活に支障をきたしている状態。


精神分析学者フェニケルFenichel,O.が
器官神経症 organ neurosisと呼んだものと概ね重なっている。


症状
消化器(胃や腸)
運動器(筋肉や骨格)、
呼吸循環器(肺や心臓)など
あらゆる器官に現れる。


過敏性腸症候群 irritable bowel syndrome
(過敏性大腸 irritable colon)や
ある種の膝関節の故障
DSMでは別の項目になっているパニック障害 panic disorder
(過換気症候群 hyperventilation syndromeや
 心臓神経症 cardiac neurosis)
などの多くもここに含まれる。
近年注目の慢性疲労症候群 chronic fatigue syndromeも
その多くは実はここに含まれると考えられる。


心の中の悩みや葛藤
「体の異常」という形で表現されたもので
かつて「ヒステリィ」hysteria Hysterieと
呼ばれていたものの一部だが
ヒステリィという言葉は本来の意味内容
(多彩な身体化症状や解離症状)から離れて
単に感情を制御できない女性に対して侮蔑的に
誤って使われることが多くなったこともあって放棄され
新たに分類し直された。


これらはいずれも、仮病(詐(さ)病(びょう))ではない。
仮病というのは本人が意識的にいつわることだが
これらの障害はあくまでも
無意識的メカニズムによるもので
本人は偽(いつわ)るつもりなどないのだ。


これらの障害は、次の二つの要因が重なって生じる。


一つは
心と体の区別の難しさである。
心というものは直接に具体的にとらえることができないので
実感というものを最初は具体的な体の感覚としてとらえる。


困った時に「頭が痛い」と言い
堅苦しい場面では「息が詰まる」
哀れに思う時やうしろめたい時に「胸が痛む」
人に対して「甘い」と言い
昔の思い出を「ほろ苦い」とか「甘酸っぱい」などと言ったりもする。
期待に「胸を高鳴らせ」たり
嫌悪感で「吐き気がし」たりもする。


心と体とは実際に自律神経などを介してつながっているので
文字通り「頭が痛く」なったり「胸が痛く」なったり
あるいは「吐き気がし」たりしたのかも知れない。


しかしこれらの言葉は
目に見えない心というものが把握できるようになるにつれて
やがてもっぱら心の状態を表すようになってゆく。


とは言え
目に見えない心の動きというものを
把握することはとても難しいので
しばしば見失われ
体で感じたものだけが認識されることがあるのだ。
 
もう一つは
心の中の葛藤が本人自身の目からも隠されている場合
である。


こういう現象を「抑圧」とか「乖離」と言うが
そのようにして意識から切り離された思いは
器官言語 organ languageというコードを通して「転換」され
体の症状として表現される
ことがあるのだ。


例えば、自立をめぐる葛藤から
足が麻痺して立てなくなったりする。


「ゲシュタルトクライス」で有名な
医学的人間学の祖ヴァイツゼッカーvon Weizsäcker,V.は


     感覚器官と運動の障害 ⇒ 個人と環境に関する葛藤、
     皮膚粘膜移行部 ⇒ 個人内部の欲動と理性の葛藤、
     自律神経領域 ⇒ 存在の根源を脅かす葛藤


をそれぞれ表現すると述べている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


じゃあ、私は「個人と環境に関する葛藤」が一番強いんだろう。
そりゃあそうさね。
この数年の自分自身と環境の激変は
凄まじいものがあったから。
まだまだ、今の私は
真っ白になってしまった頭と身体で
呆然と真空を浮遊しているようなものだから。


思いつきでいろいろ行動してみても
ほぼ空振りしてしまうのも
自分がそんな状態だからだろうと思っている。


で、
昨日はその空振り。
仕方ない・・・・
そんなもんさ・・・・
多くは語りたくないのさ・・・・

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