FC2ブログ
2019 12 ≪  01月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2020 02
自己愛の障害について考える①
- 2007/08/10(Fri) -

カウンセリングルーム:Es Discovery より


自己愛の障害
自己と他者の境界線を越えて幼児的な全能感を満たそうとし
自己の発言や行動、症状、振る舞いによって
他者との間に『自分に有利な相互作用』を働かせようと操作する。


顕示的な自己愛障害
『支配的・威圧的・利己的』に強気の姿勢で他者を操作しようとする。
相手が自分よりも不利な立場で
能力的に劣っていないと上手くコントロールできない。
自信過剰でパワフルな顕示型では
『他者の自己不信・不安感・利己心・依存心(被保護欲求)』を
巧みに利用することで他者を自分に従わせる。
他者の依存心を上手く引き出すのは
権威主義的な宗教の指導者や
集団のリーダーの周囲に働くものと近似している。


顕在型自己愛性人格障害の特徴
 
『外向的・活動的・高揚した誇大性
 見栄っ張りな承認欲求の強さ・共感性の欠如
 他者を利用する対人関係・不特定多数を誘惑する性的逸脱
 自己の特別視と他人の軽蔑・鈍感さと優越感・衒学趣味・権威主義』など。
 ウィンク(Wink)は
 『誇大‐自己顕示型』や『鈍感型(oblivious)』と呼んだ。


潜在的な自己愛障害
『自虐的・誘惑的・依存的』に弱気な態度で他者を操作しようとする。
相手が自分よりも有利な立場にいて
弱者に対する共感性が強いほどコントロールしやすい。
悲観的で脆弱な潜在型は
『他者の良心・罪悪感・共感性・自尊心(優越感)』を巧みにくすぐり
他者の援助や愛情を受け取りやすいように操作する。
他者の情愛や保護欲求を上手く引き出す原型は
生まれたばかりの無力で可愛い赤ちゃんの微笑と泣きにあるが
精神的な退行と幼児的な欲求を相互に甘えて満たしあう
恋愛関係でも一時的にそういった力学が働くことがある。


潜在型(covert)の自己愛性人格障害の特徴
 『内向的・抑制的な謙遜・萎縮したシャイネス(恥ずかしがりや)
 恥を恐れる自己防衛の強さ・見せ掛けだけの共感性
 対人関係の虚無感・自己を優位に置く虚言癖
 他人の成功や能力への慢性的な嫉妬・傷つきやすさと劣等感
 流行志向・相対主義』など
 社会性不安障害(対人恐怖症)と類縁性がある。
 ウィンクは潜在型を
 『脆弱‐敏感型』や『過敏型(hypervigilant)』と呼んだ。


自己愛性人格障害は自己評価の調節障害であるが
女性分析家カレン・ホーナイは病的な自己評価として
『具体的根拠のない自己礼賛
 際限のない愛と承認の欲求
 自己の影響力や名声を想像的に拡大する自己膨張
 思い通りにならない対人関係における憎悪と怒り』を上げた。


病的な自己評価や価値の引き下げにこだわる人は
現実的な根拠のない自己愛的な自己膨張によって
発達早期の子ども時代に受けた心的外傷の不安や
自己評価の低下を補償しようとしている。


価値の引き下げというのは
自分の成功や承認の妨害となっている他者の価値を引き下げ
自分が求めても得られない対象を脱価値化することである。


ホーナイは
『空想的な自己膨張によって自閉的な自己中心性が強化され
自己膨張は他者への関心と愛情を弱めるので
結果として対人関係が悪化し
承認欲求(自尊心)が満たされなくなってしまう』とした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これって、私と夫そのものじゃない?(爆)

この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自己愛の障害について考える②
- 2007/08/12(Sun) -

カウンセリングルーム:Es Discovery より


『潜在的な自己愛性人格障害(covert NPD)』
自己愛障害として社会不安障害(対人恐怖症)
恥ずかしがりやすい症状(シャイネス)と重なり合う部分が多い。


人前(社会的場面)で何かをすることを恐れる
不安障害の一種としての社会性不安障害(対人恐怖症)は、
他者の否定的評価や侮蔑的態度、拒絶の意志から
自分を過剰防衛することで発症する。


社会不安障害を発症した人は、
自分の失敗(欠点)や緊張(臆病)を他人から見透かされた時に生じる
『恥辱感・屈辱感・無力感』を異常なまでに極端に恐れ、
人前や公式の場面で発言(行動)することを
出来るだけ回避しようとして日常生活に支障がでてくる。


それは、何が何でも他人から普通の人(自信のある人)として良く見られたい、
変な人(臆病な人)として悪く思われたくないという
『自己愛(自尊心)の強さ』の表れでもある。


他人の内面に対する想像力が強すぎる人や
他人の発言や評価に過敏に反応し過ぎる人というのは、
一般的に自分を全ての恥や失敗から守ろうとする自己愛が強く、
潜在的な自己愛障害が
社会性不安障害(対人恐怖症)の不適応症状として現れやすくなる。


自己愛性人格障害には、
自己主張が強くて傲慢不遜な雰囲気を漂わせている
『顕在的(overt)な自己愛性人格障害』だけではなくて、
自己愛が強いために他人の否定的評価で傷つけられることを恐れて、
過度に礼儀正しい振る舞いを心がけたり、
社会的活動(自己主張)に対して消極的・回避的な態度を示したりする
『潜在的(covert)な自己愛性人格障害』もある。


潜在的な自己愛のレベルが高くなりすぎると、
社会的場面で強烈な不安と緊張を感じる対人恐怖症だけでなく、
他者の評価を受ける可能性があるあらゆる社会的場面(対人関係・職業活動)から
退避しようとするひきこもりの問題が生まれてくることもある。


非社会的な問題行動と相関関係の高い『潜在的な自己愛』は、
職業選択や異性関係(性選択)などによって確立してくる
社会的アイデンティティの拡散
(モラトリアムの遷延による就業困難アパシー症候群)とも
密接な関係があると考えられている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ウム・・・・
確かに若いころはこうした傾向が極端に強かったと思うが
現在は、パートとは言え一応仕事にも出れているし
宗教団体以前からの長い付き合いの人間関係もわずかながら残っている。


今の時点で、まだこうした反応を示してしまう大きな原因になっているのは
長い間ひとつの宗教団体の中で、
唯一絶対の価値観のもと極めて自閉的に生きてきて
ましてやそこで、今思えば大変な苛めともいえる行為を
(特に、なぜか幹部に嫌悪されていた私は、その幹部たちに何度も
囲まれて批判される・排除される・吊るし上げられる等々の壮絶体験をしている・・・・)
長年受けてきたことの影響が根強く残っているように思う。


「もうこの団体とは距離を置き、身を引こう」と最初に決心した時
今でもはっきり覚えているのは
「もうたくさんだ!!」という激しい怒りを初めて心の底から強烈に感じたことだった。


それまでは、すべて自分が悪い、すべて過去世の行いが悪い
すべてが宿業であり、命の穢れであり、信仰心が不足しているからであり
吊るし上げられてはただ泣いて反省し、自分を責め抜いて
先の見えない命がけの精進へとただひたすら埋没していくだけだったのに。


「もう、いいよ!地獄へでもどこへでも行ってやるさ!そのほうがよっぽどマシだ!」って
ホントにあの頃、怒り狂っていたなあ(笑)


世の中の人たちのほうが、慈悲を標榜する件の宗教団体の人達よりも
遥かに温かく私を受け入れてくれたし、常識的に関わってもくれて
働き始めた最初のころは大変に驚いたものだった。


こうした平凡な社会生活を少しずつ積み重ねてきたことによって
徐々にではあるが、対人関係への恐怖心も薄らぎ始め
新しい人間関係(現職場や過去の職場の友人等)も生まれて
少しびくびくしながらも、『普通に「ある」私』だけでやっていけるんだなと
認識が変わり始めているような気がする。


ただ、今もって件の宗教関係者に対する恐怖や嫌悪感は
もの凄く深く私の心に根を張っていて、
とても平常心で関わることは、まだまだ当分出来そうにない。

この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自己愛の障害について考える③
- 2007/08/13(Mon) -

「ナルシズムー天才と狂気の心理学」(中西信夫)より


H.コフートの自己愛理論


フロイトは、
自己愛を病理的な性倒錯の一種と考えたが、
自己心理学を創始したコフート(Heinz Kohut, 1913)は、
自己肯定的な自尊心と活動性の原動力となる『自己愛の発達』を
正常な精神発達の一つとした。


フロイトは、
自他未分離な状態にある『乳幼児期の自体愛
(一次性ナルシシズム)』は未熟で無力なものと考え、
異性を愛すべき『成人期の自己愛(二次性ナルシシズム)』は
病理的な性倒錯であり、生殖活動(性器統裁)と
社会適応を抑止するので有害だとした。


コフートの自己心理学では、
乳幼児期の攻撃性や破壊性にまつわるメラニー・クラインの
原始的防衛機制(分裂・否認・投影性同一視)や
フロイトの死の本能(タナトス)説を否定して、
乳幼児の攻撃行動や破壊衝動は、
生理学的な欠乏や不満を訴える
生の本能(エロス)の現れであるとした。


コフートは
フロイトが精神の健康性(病理性)に最も大きな影響を与えるとした、
男根期のエディプス・コンプレックス
(去勢不安・男根羨望・罪悪感)も重視せず、
一生涯、母親への愛着の克服に呪縛される
エディプス的な人間観をも捨象し、
その自己愛を前提とする人間観は、
基本的に肯定的で楽観的なものであり、
『健全な自己愛(self-love)』の成長を促進することで、
他者を共感的に思いやる対象愛(object love)も発達し、
社会活動に積極的に参加しようとする適応性も高まるとする。


コフートの自己愛とは、
『自己存在の積極的な肯定』であり
『理想化と関係する自尊心(自信)の基盤』
さらに『自己愛と対象愛は表裏一体である
(自己愛がなければ他者を愛せない)』
としている。


フロイトにとって
自己愛は『自己愛から対象愛への正常な移行(本能変遷)』を
成し遂げられなかった病理的状態だった。


しかし、コフートにとっての自己愛は
『誰もが持つべき自己肯定感(自尊心)の基盤』であり、
苛酷な人生を乗り切る為に必要な“生のエネルギー”の源泉であった。


現実の対人関係や社会活動での状況や心理を
より良く説明しているのはコフートの自己愛理論といえる。


自己愛を完全に捨て去って
自己の外部にある対象(他者)だけに
欲求(関心)を注いでいる人間がいないように、
人間は他者と向き合ってコミュニケーションする為に、
自尊心や自己肯定感情の基盤となる自己愛を必要とする。


コフートは自己愛の定義として、
『自分自身を愛する自己愛』
『自己対象を愛する自己愛』を挙げている。


つまり、コフートの言う自己愛とは、
自分にとって大切な他者である
“自己対象(self-object)”を含むものであり、
単純に、内向的かつ排他的な自己愛ではないのである。

この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自己愛の障害について考える④コフート
- 2007/08/14(Tue) -

「ナルシズムー天才と狂気の心理学」(中西信夫)より



コフート・自己の発達と自己愛人格の形成


コフートは自分の臨床的体験をもとにして
独自の自己の発達理論を組み立てている。


断片的自己期(誕生から6~8ヶ月)


人間の自己は、生まれながらに存在するものではないが、
親たちは妊娠中からすでに「赤ちゃんが喜んでいる」などといって、
一人の人格をもったものとして自分の子どもを見ている。


このように出生前後から親が子どもに対してもっている気持ちを
実質自己」とよんでいる。


しかし、現実の乳児はちょうど地球ができあがる以前のような
星雲状をなしたバラバラな自己(断片的自己)と考えられ、
この時期、乳児が自分の指を懸命にしゃぶっている行動などは、
自分の口と自分の指とはまったく他人同様の関係にあるとみられるので、
こうした自己の状態を推論して「断片的自己」と命名した。


臨床的には、何か病気を持っているのではないかと気にかける心気症や、
同性愛などの倒錯した空想や行為にふける症例を、
この断片的自己期に退行した状態であるとコフートは見ている。


凝集自己期と三つの欲求(生後6ヶ月から3歳前後)


断片的自己が次第に凝集してくると、
中核となる自己をつくりあげる(凝集自己期)。


このような状態のときの自己をコフートは
「外界からの感受性と同時に内なる自発性の中心」とみている。


これまでの精神分析的自我心理学が、
自己を客体としてみているのに対して、
コフートは、主体の活動力の源泉とみているのが特徴的である。


この段階は、様々な経験的観察から推測して、
生後6ヵ月から3歳前後までとみているが、
未熟な自己は3つの欲求をもっている。


第1は、自己を誇示し、見せびらかしたいという欲求である。
このような自己の側面を「誇大自己」とよんでいる。
この欲求を受け止めて、母親がその表情の中に映し出してやり、
「○○ちゃんは立派な子よ」「○○ちゃんは可愛い子よ」
といった賞賛をおくることによって子どもは満足されるのである。
このような鏡映的な自己対象関係の中で、
人々が幼い子どもに共感してくれると、子どもは自信を示し、
自己をよく表現するようになる。
もし共感が得られないと、自分にも他人との関係にも
落ち着かない不安定なものとなる。


第2には、子どもは自分の親たち、
特に父親を理想化したイメージをもって見ており、
こうした万能的な、何でもできる父の一部である自分を幸福に思っている。
この理想化された自己対象関係で、
理想的な存在である父と融合したいと思う。
もし失敗すると、自分の一生を通して導く理想がもてなくなる。


第3は、同じような人間と交わり、同化したいという欲求をもっており、
これを分身(双生児)欲求といい、分身転移という形で現れる。
この分身双生児的な自己対象関係は、子どもが他の人と同じでありたい、
またコフート曰くは「人間の中で人間的存在」になりたいという
願望を満たすことである。
これに失敗すると孤独と疎外感を感じる。


これら3つの欲求が満足されないと、
誇大自己はいつまでも幼児的な自己顕示性を示したり、
自分だけが偉い人だと思うような横柄な態度を示すようになる。


また、親が理想からほど遠いと、失望して宗教的な教祖や英雄、
アイドルたちなどに心酔してしまうような事態になる。


この凝集自己期では、自分と親とが未分化なので、
この二つの方向性は双極的な関係をなしており、
親の偉大さを讃えることは同時に自己讃美でもある。
こうした関係をコフートは「自己対象関係」という用語で説明している。

この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自己愛の障害について考える⑤健康な自己の発達
- 2007/08/15(Wed) -

「ナルシズムー天才と狂気の心理学」(中西信夫)より



健康な自己の発達


親からの適切な対応があれば、自己は「機能する自己」にまで成長する。


凝縮自己期」から「機能的自己期」へのこの発達段階での
幼児の中核自己の発達を
誇大自己」の側面と「理想化された親イメージ」との二つにわけて
それぞれに三つの段階を設けている。


第一段階の誇大的・顕示的な自己に対応して、
親、特に母親が子どもの自慢や誇りを受け入れてやると
幼児の自己は安定し、しっかりとしたものとなる。


そして第二段階の自己主張に発達するが
これにも親が適度に満足を与え
時には多少の欲求不満も起こさせたりすることによって
自己はさらにしっかりした安定したものになる。


そして第三の野心の段階に成長し、
さまざまな創造的エネルギーの源泉となるのである。


他方、理想化された親イメージの発達は
まず第一段階で万能な親と融合したいという願望がかなえられると
次の第二段階では理想的人物への讃美となる。


初めは「私のお父さんは世界一」というようなことから
やがて、天才、英雄、教祖、アイドルなど
家族以外の存在への讃美となる。


この段階で未熟なときは
アイドルと自己とが自己対象的になって、アイドルを讃えつつ
自分自身の顕示性も満足させているという状態になる。


時にはアイドルや教祖の死は
同時に自己対象的関係にある自己の壊滅をもたらし
自殺や心中という行動化に走ったりする。


この未熟な自己の段階から成長すると
第三段階ではより抽象的な目標が設定され、
そこに全精力が注がれるようになる。


多くの天才や英雄たちが、自分の理想に命を懸けているのは
こうした理想化された親イメージの、延長線上にいるからである。

この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自己愛の障害について考える⑥フロイトとコフート
- 2007/08/16(Thu) -

「ナルシズムー天才と狂気の心理学」(中西信夫)より



フロイトの精神分析理論は、最初はヒステリーなどの症状を、
近親者からの性的侵犯によると考えた外傷理論に始まり、
第二期は、むしろ患者の
抑えられた願望や衝動によるものと解釈した衝動理論
そして、第三期には、こうした本能的衝動や願望を
自我機能によってコントロールする心理的装置を考える
自我構造理論へと到達する。


現在の古典的精神分析理論は、第三期の理論を言うが
フロイト自身が扱ったヒステリー症や不安神経症の患者が示す
症状・徴候、不安・固定観念、治療のときによく認められる
空想・白日夢・夢などの観察された素材から推論して
人間の心の構造モデルと、それを説明するのに必要な用語を作った。


エス(衝動の坩堝)
 自我(衝動と良心の調停役)
 超自我(規律や倫理を取り入れた良心)


性心理的発達
  幼児性欲と性衝動が満足される身体部分、すなわち
  口、肛門、尿道、性器によって発達を考える。
  幼いときの段階に戻ることを「退行」
  そこに停滞することを「固着」という。


性格特性
 この性心理的発達の段階の固着の仕方で性格を考える。
 「口唇期」は依存性 「肛門期」は倹約 「尿道期」は競争的などである。


過程を説明する用語としては


防衛
 自我がエスと超自我を仲介するために用いる方法で
 「抑圧」 「合理化」 「投射」など


転移
 幼いときの親ならびに重要な他者との関係を、新しい人間関係に持ち込む。


解釈
 エスと超自我は相容れない関係で、常に葛藤が生じやすい。
 そのために自我がその調停役としてさまざまな防衛を用いるが
 自我の機能が弱まると、」ヒステリー症や不安、強迫神経症のような
 さまざまな徴候がみられる。
 この外側の徴候を内的な葛藤の結果であることを明らかにすることを
 「解釈」といい、分析治療の中心となる。


コフートの自己心理学では、実際に観察していることは
誇大的・顕示的行動、性倒錯、心気症、共感性の欠如など
自己愛人格の特徴や行動であった。




この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(1) | ▲ top
自己愛の障害について考える⑦コフート理論の独自性
- 2007/08/17(Fri) -

「ナルシズムー天才と狂気の心理学」(中西信夫)より



コフートの自己心理学では、古典的精神分析とは異なる用語が用いられる。


過程をあらわすものとしては


鏡映転移
 親や治療者が相手の誇大的・顕示的な自己を鏡のように映し出してやること


理想化転移
 子どもは万能的で理想的な対象を自己の一部として体験し
 無力感や空虚感から身を守る


変容性内在化
 自己を誇大的・顕示的に映し出し
 自己の理想像として讃美される自己対象を内在化して
 自己を構造化すること


共感的対応
 親や治療者が子どもや患者の心理的世界を自己の中に再構成して
 包括的に理解することにより、相手の自己愛欲求を体験し
 それを満足させつつ、自己の成長をはかる関わりあいをいう。
 これが自己心理学治療の中心をなす。


自己の構造的側面を理解するものとしては


誇大自己
 子どもが持つ誇大性や顕示性の欲求を強く示す自己で
 凝集自己期に認められ、鏡映転移の中で活性化される。


理想化された親イメージ
 親は自分を愛し、完全に理解してくれるばずだという
 理想化された自己対象によってつくられるイメージ


分身的双生児的関係
 他者を自分の分身あるいは双生児の一方のように体験すること


自己対象
 実際には外的な存在である親や保育者、すなわち「対象」を
 主観的・情動的に、あたかも自分自身の
 「自己」の延長であるかのごとく体験されること


コフートによる「自己の発達と病理」では
フロイトのようにエスと超自我の葛藤というような力関係ではなく
幼児的な自己が二つの方向・・・・誇大的欲求と理想化の欲求・・・・
に成長していくことを示しており、
最も原始的な段階から、次第に健康な機能する自己へと
成長していくことを示している。


すなわち、健常者と人格障害との間に、連続性が認められるのである。

この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自己愛の障害について考える⑧カリスマ性
- 2007/08/18(Sat) -

カウンセリングルーム:Es Discovery より



有能感が認められている自己愛障害の人の周囲には
その人を肯定褒め称え
追従する者が集まりやすくなってくる。


自己愛を肥大させて天真爛漫に振る舞いながらも、
人を魅惑して惹きつける自己愛的な人物は、
自己中心的に自信満々に行動することで
他人の理想自我』を刺激し
仮想的な全能感』を付与できるカリスマティックな人物である。


自己愛が強い人は自己愛が弱い人よりも
魅力的で指導力があり有能なことが少なくない。


「圧倒的な美貌(チャーム)」
「絶大な指導力(リーダーシップ)」
「驚異的な知性(インテリジェンス)」
「並外れた実践力(プラクティス)」
などが自己愛に加わると大衆を強力に惹きつける
ある種の『カリスマ性』が自然に醸成されることがある。


自己愛に従って自分の欲求や自尊心を満たしているだけなのに、
『自分の正しさや価値』について微塵も揺るがない
絶対的な自信を持っているように見える人物が、
強力(誘惑的)なカリスマ性を身に付けることがある。


これは、自己愛を抑圧された無数の民衆の
『全能感(優位性)を志向する理想化』の欲求が、
強力な自尊心(信念)・旺盛な行動力・身体的な魅力を持った
自己愛的な人物に投影され、
民衆一人一人がカリスマ的人物に
投影的な同一化を起こしている状況である。


自己愛障害の人は、
自分自身が投影同一化を起こすことがあるが、
同時に、魅力的でカリスマ性のある
自己愛障害の人に対峙する人(個人・大衆)も、
予期せぬ投影同一化(projective identification)
を誘発されることがある。


社会的有能性を維持し
生産的活動を行っている自己愛障害の人は、
他者に対して自分を理想的(カリスマティック)に認知させる
投影同一化を誘発することに成功しているといえる。

この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自己愛の障害について考える⑨フロイトとコフート
- 2007/08/19(Sun) -

カウンセリングルーム:Es Discovery より



フロイトは、
乳幼児期の自己愛を『一次的ナルシシズム』と呼び、
対象愛にリビドーの転換が起こってからの
退行的な自己愛を『二次的なナルシシズム』と呼んだが、
二次的なナルシシズムは
自閉的な精神病や精神病理の一種である」と考えていた。
『自体愛→自己愛→対象愛』という対象の移行
正常な精神発達過程であると考えていた。


コフート
『自体愛→未熟な自己愛→健康な自己愛』のように
健全で正常な自己愛』を人間は生涯持ち続ける
という立場に立っている。
発達早期の共感的で尊敬できる親の存在が、
適応的で健全な自己愛の発達を促進すると考えたのだ。


コフートにとっての病的で不健全な自己愛とは、
幼児的全能感に支配された自己顕示的な誇大自己』であり
原始的な理想化(カリスマへの同一化と従属化)に支配された親イマーゴ』である。


「原始的な理想化」とは、
圧倒的な権力や強大な権威を持つカリスマ的指導者に、
投影同一視を用いて自己と同一化したり、
その指導者に完全に従属して自己の主体性を放棄することを指す。


向上心の極を持つ『誇大自己』と
理想の極を持つ『理想化された親イマーゴ』が
相互作用して進んでいく心的構造の形成過程を
変容性内在化』というが
コフートの自己心理学での自己愛性人格障害の形成は、
この「変容性内在化の不適切な進展」と見なすことができ
『誇大自己』と『理想化された親イマーゴ』のバランスが崩れ、
統合的発展が失敗すると性格構造に大きな歪みが生じて
自己愛性人格障害や
境界性人格障害(ボーダーライン)といった問題が生じてくる
とした。


この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
自己愛の障害について考える⑩特別な存在としての自分
- 2007/08/20(Mon) -

カウンセリングルーム:Es Discovery より



誇大感を持つ人の二つのタイプ


自分を素晴らしいと思うタイプ。
対峙した相手を素晴らしいと思うタイプ。


自己愛の障害を持つ者同士の奇妙な関係。


あなたは素晴らしいというタイプは、
その素晴らしい人に奉仕している自分自身も
素晴らしい特別な存在だということになる。


偉大な独裁者を崇拝する献身的な国民、
偉大な宗教指導者に身を捧げる熱狂的な信者・・・・


ありのままの自分が愛せないだけなのだ。
自分は常に優越的な存在でなければならず、
本来愛すべき自分とは、
とにかく輝いていなければならない。


しかし、それはありのままの自分ではないので、
現実的な裏付けを欠く。


有名人に近付くことで
自分を特別な存在だと思い込んだり、
大物に近付いて自分の誇大感を膨らませ
自分も同じ世界の人間になったように錯覚して、
裏付けのない空想的な野心にのめり込んだりする。


傲慢だと言われてもぴんと来ない。
それどころか他人を過小評価しているので
自分より優れたものを認めず馬鹿にしている。
他人の能力や才能が見えず、他人の優秀さを無視する。
そして、他人を見下したり貶したりすることに快感を覚える。


聞かれもしないのに、
やたらといつも自分のことをしゃべりたがる
話が他へ移ろうとすると、
いつも自分の話に引き戻そうとする。
自慢話ばかりで聞いている方はうんざりする。
他人に関心がないのでうんざりしていても気づかない。


自分は特別な人間だ、
一般人とは違うんだという意識から、
小市民的な生き方を軽蔑し、
そういう人達と一緒にされることを嫌う。
裏付けとなるものがなにもないのに、
一目置かれる存在であることに非常にこだわり
自分という人間は
特別な人しか理解することができないのだと思っている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


某宗教団体の多くの人々の姿そのものではないか。


そこの指導者が格別にそうであったように
何層にも階層化されて組み込まれた幹部たちも
その幹部の言いなりになることで
自己の優越性を誇示しようとする信徒たちも

(もちろん夫も私も)
同じ穴の狢だったんじゃないか。


だから辞めたからといってそう簡単に変わりはしない。


何度でも時と所を変えて同じようなことを繰り返す。


自分自身の抱える問題がお座なりになったままだから。
自分自身を見つめようとしないから。
問題は外側にあるとしか思っていないから。


要注意!自分!

この記事のURL | 自己愛の障害について考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |