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ワークショップ初日
- 2007/09/22(Sat) -

朗読のワークショップ初日。
今日は顔合わせとテーマの勉強会。


これから年末までの長丁場になる。


行った先が、かつて訪問ヘルパーとして自転車で走り回っていた地域。
炎天下、身体に数々の故障を抱えながら
汗だくになって働いていた日々を嫌でも思い出す。


本当に辛かった・・・・な、って。


テーマはDV。
講義を聞きながら思い当たることばかりでこれまた辛くなる。


「逃げればいいのに!別れればいいのに!馬鹿げてる!」
「あなたにも問題があるんだよ。ホントにいい旦那さんじゃない!」
「あなたがわがままなんだよ。別れられないあなたが悪いんでしょ?」


私も何度も何度も言われてきた言葉・・・・の数々。
身を切られるような思い・・・


自分はどこまで乗り越えたのか?


親から、夫から、宗教団体から、
自分はどこまで自由になったのか?

自分自身を見失って生きてきた長い長い年月・・・・
いや、物心ついてからずっとそんな人生だったのだから
今の自分を確かめるためにきっと参加したのだろうと思う。


逃げずに最後までやり遂げることできっとまた何かに気付くことができる。
そう思っている。


主催者曰く「終わるまで死なない!」


ホントだよな。身体が資本だからね。
ストレッチや筋トレ、生活管理・・・・
舞台に立っていた頃を思い出して、いい年してちょっとわくわくかも?


舞台がホントに好きだった・・・・むかしむかしのは・な・し(笑)



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ワークショップ2回目
- 2007/09/30(Sun) -

昨日はワークショップ2回目。


仲間とコミュニケーションをとりながら軽く身体を動かす。


全員で脚本の読み合わせ。


全体で90分はかかりそう。


とても重い内容なので、途中で何度か講師が中断して笑いを入れてくれる。


知らず知らず入り込みすぎてしまうと現実との境界が危うくなるからだろう。


こんなに楽しいとは思いもしなかった。


身体で感じることは、頭で考えることの何十倍もの開放感がある。


全身が柔らかくなり、身体が驚くほど軽くなる。


こんな感覚、完璧に忘れていた・・・・


ああ、そうだったな・・・・と


舞台に立っていた頃の身体に刻まれていた古い記憶が


はっきりと呼び覚まされてくるのを感じる。


本当に楽しい。


来週が待ち遠しい。


日常的に筋トレやストレッチも始めているが


心と身体と頭とが1つになることで


失ってしまった自分の声と言葉を取り戻せるような気がする。


深く傷ついた女性たちの回復と甦生の言葉を


一旦自分の身体の中を通して再現し表現することで


私の中に深々と埋め込まれてしまっている痛みや悲しみも


ともに回復し甦生してゆける・・・・


そんな思いを深くしたワークショップだった。

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心理劇ーサイコドラマ・psychodrama
- 2007/10/17(Wed) -

心理劇ーサイコドラマpsychodrama
                  「心理臨床大事典より」


心理劇は、精神科医・モレノ・Moreno,J.L.が考案した、
ドラマの形式を用いた集団心理療法です。


心理劇は、あらかじめ決められた筋書きどおりに劇が進められるのではなく、
診断的・治療的な目的のもとに、即興的に自発的に、
ある役割を演じるという劇的な方法を用いて行われる集団心理療法で、
今、ここで・now and here」を重視し、
半ば現実的で、半ば非現実的な性格を持っています。


演劇などに興味を持っていたモレノは、1910年代にウイーンに即興劇場を開き、
毎日のニュースを取り上げた価値劇・axiodoramaを行いました。


そこでは、その日のニュースの内容によって登場人物や背景が決まり、
登場人物の容姿や性格によって俳優も決められました。


こうした実験的な演劇が治療的なドラマに変わっていったのは、
即興劇場に出演していたバルバラという女優の
家庭問題を劇の中で解決したことにヒントを得たといわれています。


娘役のバルバラは、舞台の上ではしとやかで、おとなしく振舞っていましたが、
家庭では夫との折り合いが悪く、悩んでいました。


ある日、即興劇場では売春婦の殺人事件のニュースを取り上げることになりました。


殺された売春婦の役は、いつものバルバラの役とは正反対の役でした。


ところが、実際にドラマが始まってみると、真に迫った演技で、
お客さんからは絶大な賞賛を得たのです。


それ以降、バルバラの演じる役の幅は
貞淑な淑女から、悪女やあばずれ女に広がって行きました。


すると不思議なことに、それ以来、家庭でのバルバラは、
怒りを夫にぶつけることが少なくなっていったのです。


バルバラの内面にあった攻撃性が、舞台の上で演じることによって、
日常生活では収束していったのです。


この偶然的なエピソードから、モレノはドラマによる治療効果を発見して
心理劇を創設したのです。


モレノの心理劇の理論的背景の中心概念は、
「自発性の原理」「役割の原理」にあります。


モレノの定義する自発性・spontaneityは、
ドラマ的状況(葛藤や危機など)に遭遇した時、
その人の内面に突然生じる葛藤や危機を克服させる力、
さまざまな状況に即応して、適切な行為を遂行する力のことです。


そして、役割を演じること(役割演技・role playing)で、
日常生活では経験できないことを、心理劇の中で経験することができます。


また、役割を交換・role changeすることで、他人の目で自分を見ることができ、
自分でも気付かなかった自分の姿を発見することができます。


そこから洞察やカタルシスが生じるのです。


「自発的な役割行動は、創造的な人間関係をつくる」・・・・モレノ

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芸術療法ーart therapy①
- 2007/10/21(Sun) -

芸術療法ーart therapy


芸術療法とは、
さまざまな芸術作品を創造する活動に従事することを通じて、
心身の健康を回復することを目的とする心理的治療全般のことを言います。


これらのほとんどは実践の中からその効果が経験的に評価され
テクニックが発展してきました。


とくに神経症や統合失調症などといったこころの病の患者の中には、
言葉でコミュニケーションをとるのが苦手な患者が多く、
芸術療法は有効な治療手段となっています。


また、不登校や家庭内暴力を起こしている児童などにも
芸術療法が同様な効果を挙げています。


芸術療法の種類としては、
「絵画(描画)療法」「音楽療法」「詩歌療法」「物語療法」
「コラージュ療法」「舞踏療法」「演劇療法」「造形療法」「箱庭療法」など、
多くの種類があり、それぞれの患者のケースに応じて適用されます。


芸術療法のうち
絵画療法」の方法としては、
患者は与えられた画用紙などに自分の描きたい絵を自由に描きます。
しかし、患者がなにを描いてよいか迷うような場合には
治療者が課題を与えるケースもあり、風景、家族などといった
患者のこころを投影しやすい課題が与えられます。


音楽療法」では、患者に音楽を聴かせながら感想やイメージを語らせ、
患者のこころの分析を行います。
また、患者が自分で歌を歌ったり、楽器を演奏したりすることもあり、
ほかの患者とともに歌を歌ったり、演奏をすれば
他の人との一体感を持つことができて、孤独感の解消にもつながります。


物語療法」では、治療者は患者に童話や昔話などの物語を聞かせたり、
自ら物語を作らせたりして、こころを自由に表現させるように努めます。


コラージュ療法」は、
治療者が患者にコラージュと呼ばれる貼り絵をさせることで、
舞踏療法」は患者に自由にダンスを踊らせ
造形療法」では陶芸や粘土細工などの造形を行うことによって、
自然に自分のこころを表現させるようにします。


その他にも、患者に集団で劇を演じさせる「心理劇療法」や
箱庭を作らせる「箱庭療法」など
さまざまな芸術を自ら造り出したり、鑑賞したりすることによって、
患者は、言葉では言い表せないこころの深い部分を表現することができます。


その結果、抑圧されていたり、傷ついたりしていた患者のこころが解放され、
失われていた本来のこころを取り戻すことが可能となります。


また、芸術療法は単調だった患者の日常生活にうるおいや活気を与えるとともに、
こころの問題の原因となるストレスの緩和にも役立つことができます。


患者が、ほかの患者とともに歌を歌ったり、劇を演じたりすることによって、
他の人との一体感を持つことができ、孤独感の解消にも繋がり
特に言葉でコミュニケーションをとるのが難しい患者の治療に
有効な治療手段となっています。
 

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立ち稽古に入る
- 2007/10/22(Mon) -

9月末から始まったワークショップも、
顔合わせを含めると、先週で第5回目となりました。


2回目からみえなくなった80代の方は「ちょっと高齢で場違いでしたね」と、
初回で随分気にされていましたので、事情は聞かされていませんが、
多分そこらへんが、不参加を決められた理由かなと思っています。


3回目から、病気理由で参加を見合わされた方もいて、
現在、演出家や担当者も含めた女ばかり二十数名。


年齢も職業も体重も(笑)、実に多彩なメンバーが揃いました。


朝の出会いの挨拶が「おはようございます・・・・・・」といった
消え入りそうに遠慮がちな声の調子から
「おっはよ~☆」と肩を叩いて声を掛けあう親しいものへと変化してゆき、
稽古場は開始前から雑談に花が咲き
とても活気溢れた「青春してる!」って雰囲気。


私は前回から、1台早い電車で行って、
開始まえに身体慣らしのストレッチを始めました。


今回、初めて仮設舞台(といっても高さ20cm程)を設置しての
立ち稽古に入りました。


本番のイメージが溢れるように湧いてきて、
ドキドキ、ワクワク、徐々に興奮状態に入っていく単純な私・・・・


かつて立っていた舞台は、定員400人というキャパを持つ、
舞台面積と客席面積がほぼ同じという構造の、本格的な舞台でしたので、
定員170名、床一面フラットなフローリングスペースに仮設の低い舞台
といった今回の体験は、全く想像のつかない初めての演劇空間です。


演じる者の息遣いまで伝わる・・・
演じる者には、客席の反応がダイレクトに跳ね返ってくる・・・・
客席と舞台が緊密な一体感を持つ、そんな空間のイメージ・・・・


う~ん・・・やっぱり、やってみないと分かりません(笑)


立ち稽古に入ってから気が付いたのですが、
公演開始の第一声の台詞は、この私が言うのです。


日常から非日常へ・・・・
空間全体を一気に変容させるきっかけとなる大事な第一声です。


立ち稽古をやっていて、しばら~くしてからそのことに気がついて、
なおいっそう身が引き締まりました。


でも、なんでこれまで気が付かなかったのか・・・・


自分の相当なオトボケぶりとともに、演劇空間の持つ摩訶不思議な力を
身に沁みて実感させられた出来事でした。


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芸術療法ーart therapy②
- 2007/10/23(Tue) -

芸術と芸術療法


芸術活動が、心身の健康の回復、維持に効果を持つ背景としては
次のようなことが考えられています。


①言語的、論理的にではなく、イメージによって自己の内面を表現することにより
 内的葛藤が解放されることによる「カタルシス効果


②芸術作品が投影法心理検査的な働きをもつことにより、無意識が明らかになり、
 治療の手がかりが得られる効果


③芸術の創造活動がリハビリテーションとして効果を発揮することで、
 機能不全を起こしていた心身の機能が回復する効果


などにまとめられます。


実践では、こうしたさまざまな効果が、相乗的に機能して、
改善をもたらしているものと考えられますが、具体的に、
どの効果がどのような変数によって、どれだけの効果を生んでいるのか、
まだ十分に明らかにされているとは言えません。


芸術家が、自己の内部に生まれる、
衝迫的な力に衝き動かされて生み出した芸術作品は、
古来から人間に大きな感動を与えてきました。


芸術作品を生み出すという体験、また、
芸術作品を享受するという芸術体験が、人間に大きな影響力を持ち、
人間の「心の癒し」や「祈り」と、意識的・無意識的に、
深いかかわりがあることは確かです。


けれども、芸術家は作品を創造する過程において、
激しい生みの苦しみを経験します。


これは必ずしも「心の癒し」とは言えません。


「人間の心の内奥にあるものが、形あるものとして表出される」という点では、
芸術も、芸術療法も同じと言えますが、
芸術療法は「芸術を用いた」心理療法というよりも

こうした人間が生来的に持つ、
「自己の
心の内奥にあるものを、なんらかの形あるものとして表現したい」
という、強い思いを基礎とした心理療法
なのです。

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芸術療法ーart therapy③演劇とはセラピーである
- 2007/10/24(Wed) -

演劇のもつ治療効果は、欧米では注目を集めていて、
そのダイナミズムを生かして自己肯定感を高め、
人生観の変容をもたらすセラピーとして
様々な演劇グループセラピーが盛んに行われているようです。


日本では、演劇の治療効果はあまり知られておらず、
芸術療法においても、音楽療法・絵画療法等はよく聞きますが、
演劇療法が行われるという情報は
今までほとんど聞いたことがありませんでした。


演劇は、人類の歴史と同じくらい長い歴史を持っていて、
あらゆる人種・民族間に存在しているために
共通した本質を見つけることはとても難しいようです。


また、創造そのものが瞬間的・一回的な芸術のため、
その治療効果は、その場にいてともに体験する以外
到底、理解できないのでしょう。


けれども、イギリスの有名な演出家、ピーター・ブルック氏は
「演劇とはセラピー(治療)である」とさえ言っています。


私自身もそう感じます。


かつて10代後半、
急激に自己が機能不全に陥り、
大海に呑み込まれ、溺れて、バラバラになって消えてしまう恐怖、
破滅・絶滅・解体の不安に晒され、世界と自分が崩壊してゆくという
際限無く恐ろしい精神的危機に初めて遭遇したときに、
無意識的に求めたものが演劇でした。


演劇活動に従事していたこの5年間ほどの記憶は、
今でも時系列すら曖昧で、
実際には生命の危機にさえ何度も会っているのに
「事件」そのものへの恐怖心や、その時の身体の痛みや感情も
全く現実味をもって思い出すことが出来ません。


年2回公演の舞台稽古が始まり、
本番を迎えるまでの3ヶ月の稽古期間以外の日々は
今でも混沌とした深い霧に閉ざされたままなのですが・・・・・


そんな私にとっては「ドラマセラピー」というより
演劇のもつ「劇的行為」そのものに治療効果を感じるのです。


モレノが言った
ドラマ的状況(葛藤や危機など)に遭遇した時、
その人の内面に突然生じる葛藤や危機を克服させる力、
さまざまな状況に即応して、適切な行為を遂行する力を体験し、
役割を演じること(役割演技・role playing)で、
日常生活では経験できないことを、劇の中で経験することができます。


また、役割を交換・role changeすることで、
他人の目で自分を見ることができ、
自分でも気付かなかった自分の姿を発見することができます。


そこから生まれる洞察やカタルシスは、
現実を生きる何倍ものリアルさを持って私の胸に迫り、
そのリアルさをもって、現実世界を失ってしまう精神的危機から救われ
かろうじて、「この世」に留まることがことができたようにも思えるのです。

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芸術療法ーart therapy④無意識の影響
- 2007/10/28(Sun) -

人は自分の意思で行動しているつもりでも、
かなりの部分、意識できない無意識の影響を受けています。


フロイトは、道徳に反する願望や、受け入れがたい感情は、
意識の世界から無意識の世界に追い出されると考えました。


人は、社会生活に支障をきたすような願望や感情を、抑圧しがちです。


会社に行きたくないけれど、休むわけにはいかない。
いじめられてて嫌だけど、自分の中でがまんする。


休めば良いのに・・・
周りの人はそう思うかもしれません。


でもそこには、そうすることのできない不安や恥、使命感などといった、
本人なりの理由があります。


こうして無意識に抑圧された感情は、形を変えて、人の心身に影響を与えます。


会社や学校に行きたくない・・・と無意識に感じていると、
その場所に近づくとお腹が痛くなったりします。


この場合、痛み止めの薬を飲んでも解決にはならないのです。


原因は心の奥底、無意識にあるからです。


無意識からの影響がひどくなったのが「トラウマ」です。


過去に起こった受け入れがたい現実とそれにまつわる感情。
それを無意識に抑圧することにより何とか心を平穏に保ってきた。
しかし、抑圧された感情は無意識の世界に残っていて
それが何かのきっかけで鮮明に思い出されてしまう・・・・


トラウマまではいかなくても、いじめや失恋などで感じた嫌な感情を、
無意識の世界に抑圧することもあります。


そして、抑圧したと思っていた嫌な感情が、
人間関係に影響を与えたり、恋に臆病になったりと、
人の行動に無意識から影響を与えます。


夢やアートには、
ふだんは意識できない無意識の世界がとてもあらわれやすいようです。


夢の世界では、時間や場所、登場人物、物語など、
起きてから考えるとつじつまの合わないことだらけです。


普段は意識の力で言わないようにしている「本音」の感情が、
ポロっと「寝言」に出てしまったりもします。


寝言と同じで、夢には無意識の感情や欲望が表に出てきやすくなります。


寝ているあいだは意識の力が弱くなるので、無意識が表に出てきやすいのです。


無意識があらわれやすいもう一つの場所。
それは、アートです。


アートには言葉がいりません。


自分の気持ちを言葉で表現しようとすると、そこには意識が必要です。


前後の内容につじつまが合うように気をつけたり、
相手が理解できる言葉を意識的に選んだりしなければならないためです。


当然、自分で意識している内容しか言葉にはできません。


しかし、自分の気持ちをアートで表現するのなら、
意識はそれほど必要ではありません。


気持ちをイメージのまま、表現すればいいのです。


アートは、意識の関与が少なくてすむ分、無意識が現われやすくなります。


アートは夢と同じく、無意識に近づく一つのきっかけです。


アートが夢と違うところは、「他人が客観的にみることができる」所です。


無意識を発見し、心理療法に役立てたのはフロイトやユングでした。


フロイトは心理療法の目的を「無意識の意識化」としました。


夢分析や自由連想を用いて、無意識に抑圧された感情を意識化することにより、
心の病が治ると考えたのです。


*自由連想…心に浮かんだ内容をすべて話してもらう方法。
 連想に抵抗を示したとき、そこに問題の核心があるとして、
 無意識の奥にある問題を意識化していく。


アートセラピーにもこれと似た側面があります。


無意識に抑圧した本当の感情を、
「アート」で表現することにより、問題を解決します。


表現した後に、
「アートに現われた無意識を分析し、しっかりと向き合って克服する」
という作業が必要なときもあります。


しかし、多くの場合、「表現するだけ」で気持ちが楽になります。


アートを楽しむこと。


それは、無意識の世界と共存することなのかもしれません。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


      asagao.jpg


家の玄関先に、花が咲きました。


今年は気候のせいでしょうか?


いつもの5分の1ほどの花しか咲きませんでした。


その名は「朝鮮木立朝顔」です。別名、「エンジェル・トランペット」。


本当に、まるでお伽の国のトランペットのような黄色の筒状の美しい花です。


手のひらを精一杯広げたほどの大きい花でありながら
ひっそりと葉の陰に隠れるように、うつむき加減に咲くのです。


家の中から道路まで、香水のようないい香りが漂います。


毎年この時期、短い期間ではありますが、私を心から幸せにしてくれる花です。
 

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無心の喜び
- 2007/11/13(Tue) -

先週は、水曜が劇団のレッスンで、土曜は朗読のワークショップ、
バイトも3日間入っているという
忙しくも実に変化に富んだ一週間を送りました。


少しの時間でもバイトを始めると、なんだかんだと家事に追われます。 


その合い間に、こうした自己解放のひと時を持つことができるのは
本当に幸せなことだなと思っています。


劇団の練習は、な・ん・と!!ダンスをみっちり1時間。続いて歌も1時間。


なまりになまっている今の私にとって
1時間休みなくダンスを続けることは、相当にキツイことでしたが
息が上がって、身体の悲鳴が聞こえてくるようになるにつれて、
内側から、豊かな潮が満ちてくるような、言い知れぬ充実感を覚えました。


歌は2回目。
それでも結構、歌詞もメロディーも覚えていて、
大声で歌えば歌うほどに楽しくて楽しくて、あっという間に時間が過ぎてゆくのです。


昨日、たまたま見た「徹子の部屋」に、
自殺された伊丹十三監督の奥様である、女優の宮本信子さんが出ておられました。


12歳年下の彼女にとって、夫は先生のような存在で、
お蕎麦のゆで方一つとっても、気に入るまで何度でもやり直しをさせられ
トイレで泣いたこともあったほど、「夫にとっての理想の妻」として
また、「かけがえのない仕事のパートナー」として
自分を鍛えて生きてこられたそうです。


その夫が自殺・・・・
深い喪失感から立ち直るのに5年はかかったとか・・・・当然ですよね。


そんな彼女が立ち直るきっかけになったのが、それまで思いもよらなかった
「ジャズ・シンガー」として歌を歌うことだったそうです。


真っ赤なイブニングドレスを着て、舞台で華麗に歌っている彼女の姿は
歌の上手下手は別にしても、本当に心から楽しんでいる、そう感じられました。


「ただただ無心に、頭を空っぽにして歌を歌っていると、
 本当に楽しくて楽しくて、それで私は救われたんです」
そう語っておられたのがとても印象的でした。


今も欠かさずレッスンを受けて、年に1度は舞台に立っているとか。


お話を聴いていて私も身体が熱くなりました。


「ああ、そうよね、そうよね、そうなのよね~」って。


宗教からの離脱、家庭の崩壊、経済の破綻、
長年続けたカウンセリングの実習で繰り返されるフラッシュバックによる挫折・・・・


幾重にも重なった深い喪失と絶望から
心身ともに健康に立ち直っていくために、もがき続けた年月・・・・


今私は、歌って、踊って、台詞を叫んで(笑)
自己解放と自己再発見にひたすら無心に突き進んでいる、その真っ最中なのでしょう。

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今日で稽古最終日
- 2007/12/08(Sat) -

今日は朗読劇最後の稽古でした。
来週はもう本番です!
先週から通し稽古に入っていて、今日が2回目の通しです。

表現はもちろん朗読が主体ですが、効果音や生ピアノ、
他の人の台詞や動きをきっかけにした振り付けや移動も結構たくさんあって、
今日やっと、自分のパートだけはなんとかミスなくやることができました・・・・ホッ・・・・。

今日は効果音も生ピアノも入って下さっていて本番さながらの通しでしたので
ちょっと感情が高ぶって、泣きそうになるシーンもありました。

私はここで、
DVによってどん底に突き落とされた3人の女性たちが、その苦難を乗り越え、
再び歩き出せるようになるまでの体験を演じさせてもらうことを通じて、
まだ今も、私の内部のどこかに燻っているかもしれない夫への複雑な感情も、
苦渋に満ちた自分の人生への悔いや悲しみも、
すべてを天空高く、昇華させていくのだと決めているのです。

風邪やインフルエンザに罹らないこと。
事故に遭わないこと。
なにしろ
当日みんなが元気に集まって、これまで積み重ねてきた練習の成果を
力一杯発揮することができますように!!

今はただ、そのことを祈るばかりです。

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公演、無事終了
- 2007/12/15(Sat) -

朗読劇の公演、無事終了しました。

9月から始まって、結構長い道のりでした。

終わってからの観客とのフリートークでも
なかなか良い反応だったように思うのは・・・・自己満足かな?

昨日までは、どうなることかと思うほど熱も下がらず、
寝たり起きたりしながら唸っていましたが、
今朝起きてみると、急激に微熱程度にまで下がっていて、
ちょっとふらふらはしましたが、朝のリハーサルから本番までの丸1日、
何とかやりきることが出来ました。

でも、台詞一箇所と、動きで一箇所、ミスをしました・・・・

そこは慌てず騒がず、何事もなかったかのごとく、誤魔化しましたが(笑)

今は頭がボーっとしていて、ただただ終わった安心感で一杯です。

とりあえず、一山超えることが出来たのかな?

最後までやり遂げることが出来たから、
それだけで100点満点ということにしておきます。

来週がワークショップ最終回。

出演者一同、振り返りや感想や意見交換をします。楽しみです。

・・・・身体、治さな・・・・

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幸せと喜びに彩られたケーキ
- 2007/12/23(Sun) -
                oiwai.jpg


美味しそうなケーキでしょ?
もちろん!!実際とても美味しいケーキでしたよ(笑)
一足早いクリスマス?

いえいえ、昨日、朗読劇の最後の日。
集まったメンバーでの「お疲れ様会」で、大変美味しく食しました、
直径30cmはゆうに超える別注特大ケーキです。

担当者の話では、当初応募者は30人余りあり、スタート時点では23人。
最終的には17人で本番を迎えることが出来ました。

こうした無料の講座では、通常スタート時点から最終回までに
半分以下にまでメンバーが減少するらしいのですが
今回は本当に多くのメンバーが途中で辞めることなく
最後までやりとおすことが出来た稀なケースだったそうです。

3ヶ月という長丁場。
健康上の問題、家庭の諸事情、自らの辞退等々・・・・
いろんなことがあって当たり前だと思います。

現に私も、本番2週間前から体調を崩しはじめ、
当日が最悪の状態という情けない有様でした。
終了後、早々に引き上げて、家に帰って熱を測ると38度もありました。
「よくこれでやれたよな~」と我ながら感心感心、ホッと胸をなでおろしましたから。

昨日の「お疲れ様会」には、諸事情で来れなかった2人を除いて
15人のメンバーと、担当者の方、演出家、の計17人が集い、
女性ばかりの賑やかな会となりました。

その場で初めて、本番の、固定カメラでの撮影ではありましたが
ビデオ録画の映像を皆で見せていただきました。

本番を終えて、「ひと仕事終えた感」こそ充分にあったのですが
今ひとつ、自分たちのやったことの実感が殆ど感じられずにいました。

大きなケーキを切り分けて、
ジュースやコーヒーで乾杯し(やっぱりビールはなかった・・・残念!)
わいわい騒いでいた面々も、いつしかシーンと静まり返り、
食入るように映像に見入っていました。

素晴らしかった・・・
決して自己満足ではなかった・・・・

多くの観客の方々がアンケートに書いてくださった通り
「朗読劇」の範疇を超えた、とても完成度の高い劇的作品に仕上がっていました。

「ほら、あそこで間違えてウロウロしてる~」
「あ~あ~、台詞かんでるかんでる、かんでるで~」
「待ってました!○○さん!!」
などと、笑ったり突っ込んだりしょげかえったり、
そして最後には、私は涙がこぼれてきて、両手で顔を覆って泣いてしまいました・・・・

嬉しかったのです・・・・
この私が、私たちが、ここまでの作品を完成させることができた・・・・

感動の深さは皆も同じだったようで、
とてもこのまま解散してしまうにはあまりにも名残惜しく
私も心密かに願っていた自主グループを、即刻立ち上げることに決まりました。


「DVの問題だけにとどまらず、あらゆるテーマに沿った
メッセージ性のある朗読劇を、これからも発信してゆこう」と。

早速、来年1月に発足の会合を持ちます。
再びスタートです!

私が自分で選択し、行動し、最後までやり遂げて、
そして、さらに次のステップへと繋げていくことができた・・・・

たった一人で大海原に漕ぎ出して、やっとつかんだ私の活動の場。

幸せでした・・・・嬉しかった・・・・

私の心もこのケーキのように、
色とりどりの喜びの果実に彩られ、
たっぷりの幸せのホワイトクリームに包まれて、
今も私の心のショーウインドウに誇らしげに飾られています・・・・

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自主グループ立ち上げ
- 2008/01/27(Sun) -
昨年末、DVの朗読劇が終わってから早1ヶ月余り。
今日、元朗読劇メンバーの自主グループ立ち上げの打ち合わせに行ってきました。

寒い~寒い~朝~。
真っ白な息を子どものようにシュッシュッポッポ楽しく吐きながら(笑)

やっぱり、着いたのは私が一番乗りでした。
くそ真面目な性格の私は、大体どこでも一番乗り。
なのに帰りはなぜかいつもべッタになって、誰もいなくなった道を物思いにふけりながら
ポツネンと帰ることになるんですが。(チョーとろい・・・・)

何人来るかと心配でしたが、本日参加者11名。
今日は来られなかったけれど、参加希望者が4名。
最低10名以上が実働できるとしたら、たいていの作品は出来るんじゃないかな?と
期待に胸も膨らみます。

これだけの人数の女性が集まると、一人一人の自己主張も相当なもので
どうなることやらの猛烈なしゃべくりの後、とりあえずグループの登録だけは無事完了。

先の長い話ですが、今年の12月に、昨年と同じところに出演するということで
練習場所も12回まで、無料で借りられることとなりました。

12回を大切に使うために次回は別の場所でいよいよ出し物の検討に入ります。

私が密かに思っているのは「従軍慰安婦」にまつわるものをやりたいなって・・・
それが無理なら、「平和」へのメッセージ性のあるものをとか・・・

でもね。
多分無理やろなあ~。
彼女たちの勢いには、到底敵いそうにありませんから(笑)

楽しみます☆
なにしろスタートできただけで、私はとても嬉しいみたいだから♪

ただ・・・・
また身体が悲鳴をあげています・・・・・
先日、心療歯科へ行った日から、右の肘が痛みはじめ
今日はとうとう熱をもって腫れあがりました・・・・

家事が大変です。
お料理だけは悪戦苦闘して作りましたが、後片付けで根をあげてしまいました。

バイトから帰った娘が9時過ぎから手伝ってくれました。
疲れていただろうに、ありがとう・・・・

そっと、そっと、大切に、優しくしてやろうと思っています。
きっとその方が、早く治るんだろうなって。

怖い怖い悪夢を見ないために、今夜はMozartを聴きながら寝ることに致します(笑)
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雪国?
- 2008/02/09(Sat) -
今日は朗読劇の打ち合わせの日。

朝から随分冷え込んでいて、それでも8時過ぎに家を出るときは、
ほんの少し雪がチラチラしていただけだったのに、
打ち合わせの最中から、どんどん降り始めました。

その時はまだ「うわ~きれい!」とか何とか言って喜んで
打ち合わせの会場から写真を撮っています。それがこれ↓

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ところが、打ち合わせを終えて、のん気に帰途に着いたまでは良かったのですが、
雪で電車は遅れるし、バスは止まるし、タクシーも一台も来ないし、のこの有様↓

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これじゃあ、雪国です

たまたま第二土曜のお休みで、まだ寝ていた次男を電話で叩き起こし(ゴメンネ)
これまた、たまたま髪を切りにバスで出かけていた娘とともに
ぐるり車で回って迎えに来てもらい、やっと家に帰ることができました。

家の前の鉢植えは、美味しい美味しい姿に・・・・(笑)↓

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2階の窓から撮った外の風景・・・・「これじゃあ、まるで雪国」とまた呟く・・・↓

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ンでもって、朗読劇の内容は・・・???・・・・忘れた・・・・みたい(笑)
「また来月集まろう」と決まったことだけは覚えていますが。

薬がとてもよく効いて、気持ちの安定したアホな楽しい毎日です

こんなに効いて、大丈夫なんだろか?


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朗読劇・紛糾
- 2008/04/06(Sun) -
昨日は2ヶ月ぶりに、朗読劇の打ち合わせに行ってきました。
春爛漫の街は、美しい花々に溢れていました。
そこで私も、思わずパチリ。

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るんるん気分で向かったのですが、
前回、アルコール依存症の「家族の集い」を優先させて、
打ち合わせを1回抜けたその後に、
朗読劇の仲間同士で、何がきっかけで、どこでそうなったのか、
収拾の付かない内紛状態に陥っていたようでした

代表を務めてくれていた人と、よく欠席する数名の方々との間で、
「本当にやる気があるのか!」
といった突き詰めた言い合いとなっていて、感情的に揉め続けていたようです。

そして、代表の方は代表者を降りてグループからも抜けるという・・・・
昨日集まって来ていたのも、僅か6名という始末。

紛糾した内容についてよく聴いてみると、
感情的な怒りを互いにぶつけあったようです。

内容自体は、どんなグループにも起きがちな、
やる気の熱さのギャップとでも言いましょうか・・・・
それほど大した内容の問題ではないのですが、
各々の怒りのコントロールが出来ておらず、
自分を客観視することもできていないため、
収拾の落としどころがなかなか見つかりません。

のらりくらりと一人一人の感情的モツレの聞き取りから始めました。

どうやら「親密性」を急激に求めすぎたが為、
一人一人が生きていれば当然遭遇する、
日常生活上の問題への理解がまだまだ及んでいないにもかかわらず、
「擬似親子関係的」な「本音の感情的な思いのぶつけ合い」にまで
どんどん過激に入り込んでいってしまったようでした。

さらに、「スケープゴードの理論」とでもいいましょうか
「スケープゴード」というのは、旧約聖書に出てくる、贖罪用の山羊のことで、
旧約聖書の時代には、人間の罪を山羊に背負わせて荒地に放す、
という宗教的な儀式がありました。いわゆる生贄です。

そこから転じて、人々の不安や憎悪、猜疑心などを、
一つの対象(個人や集団)に転化して、
矛先をそちらにそらせてしまうことを「○○をスケープゴードする」などと言います。
これは第3者(=ここにいない人々)を排除することによって、
「その場のあなたと私の親しさを確認しあう」ということです。

こういうことはよくあります。
けれども、こうしたことをすると、
この二人に新しい不安を引き起こしがちになります。
「今度はいつ自分が排除される側にまわるかわからない」ということです。

こうしてまたまた不安と疑心暗鬼が増殖して、ますます固まるわけです。

さらに、「友達なのに、仲間なのに、なぜ?」ということになる。

本当は幸せな楽しい関係であるはずの「仲間」や「親しさ」のはずが
その存在が逆に自分を息苦しくしたり、相手も息苦しくなっていたりするような関係、
「同調圧力」が高まってきていたのです。

「ねえ、みんな、もう少し緩やかな関係にしてゆこうよ」
私はそう提案し、話し合いを続けました。

そして、もう一度、今度はメール連絡ではなく、
一人一人とせめて電話で、じっくり気持ちを聞いていくやり方で、
「同質性」を性急に求めるのではなく
自分とは違う感じ方や考え方をする人たちなんだという前提で
「みんなで仲良く」という幻想を捨て
あまり濃密な関係を仲間の中に求めすぎずに、あえて距離をおいて、
新しく関係を築きなおしてみるということで一応落ち着きました。

で、帰宅してから、
3人の方々と、まずは一人30分以上の時間をかけて話し合いを・・・・
皆さんそれほど強いわだかまりを持っている様子でもなく、
その場の怒りの感情に支配されていたようで、
4月26日、再度打ち合わせに集いあうということで一応の決着は付きました。

まあ集団にいるいうことは、こういうことは付き物だから、
やたら消耗せずに、これからも息長く、ボチボチと関わっていくことが肝要ですね。
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朗読劇打ち合わせへ行く
- 2008/06/08(Sun) -
結局のところ、残ったのはたったの7名。
でもこの7名は選りすぐりの最強メンバー(笑)
万難を排して、大成功させたいという強い意志を持つ、兵どもの集まり

昨日、パートで疲れてガタガタの身体を引きずって
あの飲み会から約1ヶ月ぶりに、朗読劇の仲間との打ち合わせに行ったのです。

「類は友を呼ぶ」と申しますが、残っているメンバーは、
皆、散々人生の苦労を味わってきた悲しきおば様連中なので、
仲間としての絆もそれなりに深まってきました。

わあわあと、朗読劇そっちのけの何でもありの話し合いは、
とてもその内容を公にすることはできないほどに凄まじく(笑)
いつも長時間に及びます。

気のおけない愉快な仲間です。

出し物は、メンバーの一人の強い希望があった作品に本決まり。
「親と子」の絆を問い直す内容ですが、
自虐的・露悪趣味的な「トラウマ語り」でないので承諾しました。

私的には、もっと社会的なテーマのものをと望んでいましたが、
資料を収集する力も不足していて、良い作品にめぐり合えないまま、
今回はメンバーの希望を叶えて、その脚本で行くことに賛同したのです。

気の早い話ですが、
次回作に向けては、今度こそ自分の気に入る作品を1年かけてでも探すつもり。

最後まで残ったつわもの7名で、
出演者から照明、効果音、衣装、舞台装置、大道具・小道具までのすべてを
力をあわせてやり遂げることを確認しあう。

これまでは作品探しが主流でしたので、打ち合わせも月1のペースでしたが、
そろそろ読み合わせをして、役を決定しなければなりませんので
今月から月2に増やしました。

無料で稽古場を借りれるのは12回しかありませんので、
声を出さなければならない次回からは、多分公園が稽古場になるんでしょうね
挙動不審のおば様集団です(笑)

昨日は作品を人数分コピーして手渡し、各自が家で読み込んでくることに。

さあ~てコメディタッチの芝居部分の役は、どの役をしたいか、
まずは自己申告から始まりますので、しっかり読んで腹を決めなくちゃ。

なんの腹を決めるのかというと、どんな役でも引き受ける度胸かな(笑)
コメディ部分は、吉本バリの滑稽な演技を要求されていますので、
うう~私は恥を捨てるのだ

このように、やたら騒々しい無駄話ばかりの私達、
少しずつではありますが、着実に前に進んでいる・・・はず

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心底癒され、解放されて・・・・
- 2008/07/27(Sun) -
もうこんな時間から(午前5時前)、激しく蝉が鳴いています。

今はまだ、クーラーも要らないほど涼しい風が、
開け放った私の部屋の窓からサワサワと入ってきますが、
この様子なら、きっと今日も灼熱の一日となるのでしょう。

昨日も相当の暑さでしたが、夕方、家に居た娘に夕食の準備を頼み、
私はいそいそと朗読劇の稽古へと出かけました。

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夕闇迫る会場への階段。

昨日は5人が集まってくれました。

演目の企画書の、最後に残っていた劇の題名を書く空欄も埋まり、無事提出。
何度もおしゃべりへと脱線を繰り返しながらも、役を振り分けた読み合わせを重ね、
とうとう役もほぼ決定しました。

私は「●●爺」という朴訥としたオトボケ爺さんの役に決まりました。

ええっ?そんなの出来るのかってお思いでしょう?(笑)

それが結構はまり役のようで、
「素朴で大らかでお人よしの役柄が、●●ちゃんにピッタリ!」との
過分なお褒めのお言葉を、皆さんから頂きました(笑)

バッチリ、メイクも衣装も決めてゆくと、徐々に全くの別人格へとなり切ってゆき、
舞台の上で大暴れ出来るのですから、今からワクワク。

本当に不思議なのですが、もの凄く「気にしいで恥かしがり屋」の私が、
役につくとガラッと別人格へと変身して、なんの恥かしさも感じることなく、
心底楽しんで、大いに暴れまくることができるのですから(笑)、
きっと演劇の持つ魔力には、底知れぬものがあるのでしょう。

冗談ばかり言い合って、時に真剣な身の上話も飛び出して、
読み合わせでまたまた笑い転げて、
その日の午後3時ごろまで胃腸の不調に苦しんで、
一抹の不安の中稽古場へと出向いた私も、すっかり健康体を取り戻して21時前に終了。

ルンルン鼻歌(お月様の歌。月など出ていませんでしたが笑)など歌いながら、
夜道を楽しみ我が家へと急ぎました。

楽しかった~、面白かった~。

心底癒され、解放されたなあ・・・・





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朗読練習日
- 2008/08/16(Sat) -
今日は、お盆の真っ最中なのに(関係ないけど 笑)、
これから朗読劇の練習に行きます。

今日は事務局との大切な打ち合わせもあるので、
わたしは練習はあまり出来ないでしょうが。

家族がお休みでも、わたしは毎日決まった時間の朝5時前には目が覚めます。
長い間、宗教団体の機関紙の配達をしてきたので、その頃からの習慣が抜けません。
コレでも少しは寝ていられるようになったんです。
以前は4時とか4時半とかにはしっかり目覚めてしまいましたから・・・・

たまには思いっきり朝寝坊してみたいなあ~(笑)

ではでは、洗濯も終わったし、身仕度をして行って参りまーす
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朗読稽古場での癒し
- 2008/08/17(Sun) -
行ってまいりました、朗読劇。
8月は子どものいる人は家を空けにくく、稽古は昨日の1日だけなので、
参加への声かけを熱心にやった成果なのか、
子役で出てくれるメンバーの娘さんまで来てくれて、
フルメンバー計8名が勢ぞろい

最初に事務局との打ち合わせを終わらせたい旨を伝え、
早速、事務局へと全員で押しかけました(笑)

公演日時の最終決定。
音響や照明の大まかな使用状況や、大道具の貸し出し状況の確認、
チラシ印刷やチラシの配布をどうするのか、公演までの稽古場の確保の確認等等・・・・
提出書類もすべて揃い、いよいよ本番体制も確立できました。

残された2時間、全員揃っているため読みあわせにも力が入り、
何度も何度も熱のこもった読み合わせが続きました。

こうして若干の配役変更もありましたが、
わたしはやはり「人のいいおじいさん役」に変わりはなく、
すでに役のおじいさんへの愛着すら湧いてきて、
笑あり、議論あり、しみじみ話ありの、充実した稽古をすることができました。

私は途中で体調が悪くなり、一度稽古を抜けて稽古場で20分ほど横になっていました。
みんなにも現在の自分の体調について、ありのままに話してあるので、
そんな状態も違和感なく受け入れてもらえたことも、大きな収穫でした。

ありのままの自分として、やれることをやりつつ、
無理な時は心おきなく休息をとるという、
本当の自然体の自分として、仲間と共にその場にいられるという経験は、
私の心と身体を深く開放してくれるのです。

これまでのわたしの、常にどこかに力の入った緊張した人間関係のあり方を
大きく変えてくれる緩やかな癒しの体験だと感じています。

この仲間と居たい、この仲間と一つのことをやり遂げてゆきたい。

心の底から楽しめて、心の底から開放されて、心の底からそう思えるのです
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「他者」との出会い。
- 2008/08/30(Sat) -
朗読劇の仲間と出会って、もうすぐ1年になる。

朗読劇のグループに参加した当時の私は、自分が朗読劇をやることの意味を、
朗読劇そのものというより、もっと大きな「必要」を感じて参加していた。

「心と身体と頭とが1つになることで
 失ってしまった自分の声と言葉を取り戻せるのではないか。

 深く傷ついた女性たちの回復と甦生の言葉を
 一旦自分の身体の中を通して再現し表現することで
 私の中に深々と埋め込まれてしまっている痛みや悲しみも
 ともに回復し甦生してゆけるのではないか。」

そんな風に感じていたように思う。

そして、確かにそれは私を変えるきっかけになってくれた。

しかし、それ以上の思いがけない収穫があったのだ。

自分達で朗読の自主グループを立ち上げたこと。
自分とは全く違うことを考えている仲間たち、
でも、どこか共感を覚えるこうした仲間たちと出会い、付き合ってきたこと。

私の前に対置されている人間、自分の意識に対置されているいろんな考え。
こうした「他者」と言い得る、人間や物や事柄や考え方との出会いが、
私に対して変革を迫ってきたのだ。

「他者」との出会いと、その驚きや違和感も含めて、
その時、私というものを強く意識する。

他人の個性を「変わってる」として排斥してしまうのではなく、
「私」の生き方に変革をもたらしてくれる「他者」として捕らえるということ。

こうしたことを通じて、私は狭い範囲の実利的なことだけではなく、
もっと広く、「生きる」ことの豊かさを、
自分の人生で実現することを目指してゆけるようになったような気がする。

感謝・・・・。
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