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心の病って何?
- 2006/06/21(Wed) -

心の病って何?
そう聞かれて「これこれこうがこういう病気です」
そう答えることのできる医者は多分いないだろう。
もしいたとしたら、そいつは限りなくヤブに近き怪しい奴か
ボンボンのクワセモノだと思う(笑)



それぐらい心の病を定義付けることは難しい。
健康状態との境界も明確ではない。


苦悩、不安、抑鬱、怒り等‥
いろんな精神的な苦しみ。
それらを受け止めることが出来なくなった状態
としか言いようがない。


こうした精神的困難な状態に圧倒されてしまって
人生、苦悩や不安があっても当たり前と思えなくなる。


日常生活や対人関係が保てなくなってくる


夜眠れなくなり食欲が異常に減退したり、
逆に
過食に陥ったりといった身体的な異常が起きてくる。


なぜこんなになってるのか、その原因がさっぱりわからない。


だからどう対処したらいいのかもさっぱり分からない。


もうそうなるとお手上げで、自分だけではどんどん悪循環を起こす。


そして、こうした困難な出来事を
人生を深め、自分自身が成長していくための価値的な出来事として
絶対に受け止められない。


こうした状態まで何度も行った私は
やっぱり心の病だったんだろう


(続く)

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心の病②初めて精神科へ行った時のこと
- 2006/06/22(Thu) -

で、初めて精神科へ行った時
病名は告げられなかったけどいろんな身体的な検査して
お薬もらって家に帰ってそれ飲んで、
寝たわ寝たわ、実に寝ること20時間!
途中でトイレにも行かず昏々と眠り続けた。
希望どうり死んじゃったみたいに(笑)


要するに、長い間苦しんで、疲れ切っていたということだろう。


医者に行って良かった点は、
まずは治療が受けられたこと。
病気と気づかずに「ダメな奴」と自分を責めて、
自殺してしまううつ病患者はもの凄く多いと聞く。


あと、もう休むしかない状態に(薬の力は大きい)なってしまうので
大きな荷物も一旦降ろして、自分の疲れに素直に従って休めたこと。
スカスカにガス欠状態だったみたいで、休むと少しはガソリンも補給できたのか
微かに気持も持ち直した感じ。


更に、回りに精神科へ行っていることを知られるのは凄い抵抗あったけど、
結局、偏見か何かは分からないけど、回りの対応がやや変わって感じられた。
「まあ、病気なら仕方ないね」みたいな。
責められてる感じが微妙に軽減して結構ホッとしたこと。


それから、これが1番大きかったのは
「自分を見つめるきっかけになった」点。
病気の原因を考えた・・
自分のこれまでの生き方を振り返った・・
自分の傾向を知ろうと思った・・
無茶苦茶に生きてきたこと・・
なのに周囲に過度に合わせ過ぎていたり・・
実に偏ったパーソナリティだなあ、などと自分を思った・・


(続く)

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心の病③精神科医との決別
- 2006/06/23(Fri) -

でも、
一息ついたのも束の間でした。
精神科への通院はたった8ヶ月ほどで終わりを告げました。
決して良くなっていた訳ではありません。
長い年月をかけて深く深く刻み込まれ、大きな愛の欠損によって
異形のものになってしまったパーソナリティが
そんなに簡単に変容するはずがありません。


治療者への恐怖と不信感・・
到底、続けることはできませんでした。


いろんなことを言われました。
「傲慢だ」
「人を見下している」
「なんて愚かな!」
等々・・(確かに私は愚かでしたが・・)


その先生は女医だったので、なおさらこうした治療場面での出来事は
幼い頃から味わってきた
母から受けてきた罵倒と嘲笑・軽蔑といった
外傷体験の再現以外の何物でもなかったのです。


医者からの帰り道、泣きながらどこまでも歩き続け
「このまま死のう」と
何度、陸橋から線路を見つめ立ち尽くしたことか・・


思い出すのも辛い・・


以来、1度も精神科の門をくぐったことはありません。


精神科へ行くことのメリットは確かにあると思います。
その反面
精神科医に言われた一言一言で
「自分はもう廃人になってしまうんだ」といった
大変な思い込みや恐怖を引き起こすこともあります。
「自分は精神異常者なんだ」
「だからもう人間扱いされないんだ」
などの強い自己否定感をもつ場合もあります。


こうした患者の思いに「勝ち組」の先生方は
思い至らない場合が多いので
事態は更に悪循環を起こします。


それと、以前書いた治療を契機に「自分を振り返る」
といった良い点もあった反面、
意識的・無意識的にも
これまでの重荷や責任から逃げたいという気持が
いつもどこかにあるものなので
病気であることを何かにつけ利用しようと
してしまっていたところもあったように思います。


治療場面で医者に散々なことを言われても
何一つ抗議できない自分・・
繰返される外傷体験のフラッシュバック・・
その上、日常生活もままならない自分・・
全人格を、これまでの人生の全てを
完璧に否定された思い・・


今なら、その精神科医がどんなにろくでもない奴か
はっきり理解できるし、抗議もできる。
そんな奴、こっちからお払い箱にしてやることもできる。
でも、当時の私には、
そんな力もそんな自分自身への誇りも
な--んにもなかった・・な--んにも・・


こうして私の中で、
自己否定感・屈辱感・敗北感・挫折感・絶望感・激しい後悔などが
日を追ってどんどん強まっていってしまったのです。



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心の病④心の病の原因は?
- 2006/06/24(Sat) -

「なぜ、こんなことになったんだろう・・」
だれでもまずはそう考えると思います。
私もそうでした。
でも、心の病を引き起こす原因はたいへん複雑で
医者ならすぐに解るだろうと思いがちですが
多くの要因が複雑に絡み合っていますから
たとえ医者でもそう簡単にはいきません。


個人的な要因・社会的状況・身体的な要因・性格的な要因・・
ざっと考えてみてもこれだけの要因があり、
それらが互いに複雑に関連しあって遂に病気へと至る。
どれもこれもが複雑に連鎖しているのです。


たとえば性格的な要因ひとつを取り上げてみても
こうした性格が形成された理由を考えてみると
私の生育歴や親の育て方、親の性格、もっと考えていくと
親の性格がなぜそんなふうに形成されたのかという
親の歴史にまで遡って行きます。


こうやって考え始めると
私という1人の人間の心の病には
何代にもわたって連綿と続いてきた
無数の人間の歴史や、無数の人間の様々な要因が
どこまでもどこまでも続いていて
それらが複雑に
積み重なってできあがった
「悲しい
結果」としか言いようがなくなるのです。


(続く)
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心の病⑤原因続き
- 2006/06/25(Sun) -

精神科医と決別してから
私は私のことを
せめて私だけは、
心から理解してあげたい、とだんだんに思うようになりました。

そして、私に関わる1番目の人として
まずは愛しても憎んでも余りある我が母のこと。
母の生い立ちのこと、その両親の生い立ちのこと。

次に、生まれてたった2ヶ月で死んでいった父のこと、
父の両親のこと(私の祖父母)やその生い立ち。

もっと言うと、それら1人1人の兄弟・姉妹やその子ども達についてまでも
私に関わるすべての人たちのことを聞き取ろうとして
私の切ない行動は長い年月続いていきました。


勿論、自分の見たくない部分、触れられたくない面も
白日のもとに曝け出していくという過酷な作業もありました。
強い否認という封印を解いていくのですから
激しい感情の嵐に翻弄され続けてきた年月だったようにも思います。


何十人もの人たちの、「何十もの人生という物語」を
長い年月をかけて、自分自身で
「たった一つの私のためだけの物語」へと
書き換えるための試み・・だったのかもしれません。


たとえそれらが単なる仮説であり
幻想や妄想にしか過ぎなかったとしても
それでも、自分で自分の苦しみの在り処を
「こうであるのかもしれない」と、かりそめにも悟ることができてこそ、
初めてこんな自分の人生にも、確かな「意味」を感じられたのだから
それ以上に何を望むことがあるでしょうか。


こうした試みと、今を生きている自分のナマの人生とが
常に同時進行的に重なり合うようにして生きてきて
しだいに
「自分も人も、ともに許し受け入れるしかない・・」
「たとえどんなに理不尽な運命であっても、
あえて受苦し、あえてそこを生きるしかない・・」
そんな大きな心の変化が私の中で起こり始めました。


今だって、原因の全貌が解ったわけではありません。

でも、もう、それでいいのです・・

私はそんな自分の人生を
最後まで全うして生きたいと今は思っているのです。

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心の病⑥それで私は治ったと言えるのか?
- 2006/06/26(Mon) -

フロイトは『終わりある分析と終わりなき分析』(著作集第6巻)
のなかで「自己理解のルートを開いた人」という言葉を使っていました。


精神分析の目的は、
「無意識の内容を意識化して整理すること」
と言えるのではないでしょうか。
ということは、
「無意識の内容が完全に意識化される」という様なことは
どう考えてもあり得ませんから
「終わり」(完治)もまた
どこまで行ってもあり得ないことになってしまいます。
それではそれこそ「終わりなき迷路」に迷い込んだようなものです。


そこで、さっきのフロイトの言葉が大きなヒントになりました。


それは言葉を変えれば
「自分で自分を理解するルートが開かれてくる」
「真っ直ぐに自分と向き合う姿勢ができてくる」
「自分の無意識に対してよく感受できるようになる」
「そうしてずっと自己の深みを見つめ続けていける」
そんな様なことでしょうか。


例えば、対人関係で「何かおかしいぞ」と感じた時に
「あれは一体なんだったんだろう?」と
自分の内奥を探索し見つめ続けて理解していこうとする姿勢で向き合い
その結果、
たとえ自分の中に好ましくない新たな何ものかを発見してしまっても
それを「良し」として肯定し、苦笑いしながらも受け入れていけるようになる。
そういったことでしょうか。


そうであれば、症状が少々残っていようが別にかまいはしない。
日常生活がなんとか送れていれば、それでいいのではないのか。


「完治」という概念こそが幻想であり
人間は健康的な部分と病的な部分を常に合わせ持って生きていて
ある状況下で、ある一定のラインを、ある瞬間踏み超えてしまった時に
病的状態とみなされるだけのこと。


今の私はそう考えていて、
「完治」とか「適応」とかの言葉に強迫されることなく
ありのままの自分を受け入れつつ生きていくようにしています。


(心の病・一応終わり)


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