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再び、外傷と向き合う
- 2006/04/28(Fri) -

Amazonで本を注文する。


「心の傷を癒すカウンセリング・・今日1日のアファメーション」
        西尾和美


「子どもを生きればおとなになれる・・インナーアダルトの育て方」
        クラウディア・ブラック


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自分の中でじっと息を潜めている凶暴な赤ん坊
養育放棄され死の直前に生き返った命
母からの全否定と嘲笑と暴言を受け続けて生きてきた命

その時の恐怖と絶望と悲しみを覚えているのか
ある日突然フラッシュバックして
激しい身体症状とともに退行し
意識を失う


長い年月
絶えざる生き残りの努力を重ねてきたため
殆どその症状は息を潜めているのに


人間への恐怖・・
これだけはどうしても克服することが出来ずにここまで生きてきた
私の行動に、人生に、大きな影響を与えている恐怖


もう一度向き合ってみよう
もう一度戦ってみよう
もう一度本来の自分の人生を取り戻そう


もう一度


もう一度


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私の外傷体験①ホスピタリズム
- 2006/06/27(Tue) -

ホスピタリズム-hospitalism,institutionalism-(施設病)は
乳児院、孤児院などの施設に収容されて育った乳幼児が
高い死亡率、特有の発達遅滞現象、後遺症的な人格障害
などを示すことを指します。


20世紀の初めに、アメリカの精神科医D.シャピンによって
施設児の罹患率・死亡率が異常に高いことが報告されてから
急速に注目を集めるようになりました。


施設児は、風邪から肺炎を起こして死亡するケースが多かったため
風邪を予防するあらゆる医学的な措置をしましたが、あまり効果がなく
一部の病院や乳児院で、個人的接触や愛撫などの看護をしたところ
顕著に死亡率が減少したのです。


このことは、乳幼児の心身の発達にとって
養育者との暖かい情緒的接触が
どれほど大切なものであるかを教えてくれています。

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私は、生後7ヶ月頃、生死の淵を彷徨いました。
私が母のお腹にいたとき、既に父は死に瀕していて
生後2ヶ月で亡くなりました。
まだ1才少しの姉と生まれたばかりの私。
私の誕生は歓迎されるものではなかったのです。


そして、私は離れの2階の物置に放置されました。
1日数回、ミルクを与えに誰かがくる。ついでにオシメをかえる。
それだけです。


「泣いたことのない赤ちゃんだったのに」
後に問題行動を頻発するようになったとき
よくそう言われました。


泣かない赤ちゃんっているんでしょうか?


原因不明の高熱が続き、医者も匙を投げ
「死ぬ前に好きなだけミルクをやりなさい」と言われて
母が初めて私にミルクを飲ませてくれたのをきっかけに
急速に回復して命をとりとめたのです。


母はよく言いました。
「お父さんが、生まれたばかりのお前を置いては
とても死ねないと思って、一緒に連れて行こうとしたのに」と。


あの時死んで欲しかったの?


私だって、あの時死んでいたら、
こんなに過酷な人生を生きずにすんだのに。
生まれる前に戻りたい、よくそう思ったものでした。


物心ついた頃には不眠症で(笑)
夜中に真っ暗な天井を見つめながら
激しい恐怖に襲われて、いつも泣いている子どもでした。


赤ちゃんの頃の恐怖を覚えていたのかな・・

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私の外傷体験②マターナル・デプリべーション
- 2006/06/28(Wed) -

マターナル・デプリべーション-maternal deprivation-(母性的養育の剥奪)は
イギリスの児童精神医学者ボールビーが、
1951年にWHOの委託を受けて行った
施設児に関する研究の報告書の中で示された概念です。


彼は、
「乳幼児と母親、またはそれに代わる母性的養育者との人間関係が
親密かつ継続的で、しかも、
両者が満足と幸福感によって充たされるような状態が
精神的健康の基本である」として、
こうした関係が欠如した状態を
「マターナル・デプリべーション」と呼びました。


こうした剥奪を早期の乳幼児期に受けた子どもは
時によって
精神発達の遅滞・成長の障害・性格障害・非行・深刻な悲痛反応といった
いろんな心身の発達障害を残す可能性を示したのです。


親や養育者が乳幼児に与える母性的な愛撫や世話は
愛情だけではなくて、
乳幼児の中枢神経系の発達を促すような感覚や認知への刺激や
母親の情緒的応答性(母親と乳幼児の間のパターン化された情緒の信号システム)や
抱いたり、揺すったりするような、深部感覚的な交流が
乳幼児の集中力や意欲、言語能力や認知能力の発達にとても重要なのです。


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母は、徹底して私を嫌いました。


1度も、抱き上げたこともないそうです。(母みずからの自慢?の言葉)
おそらくは、
私が死にかけた生後7ヶ月のあの時以外には
ないのでしょう。
少なくとも、私の記憶には、一切ありませんから。


私の髪の毛から足の爪の形まで
全身を、ひとつひとつを、こと細かに取り上げては
徹底的に侮蔑しました。


ある時は笑いものにしながら
またある時は、嫌悪をあからさまに見せながら
私の存在そのものを、徹底的に否定したのです。


身体が、皮膚が、すべてが、痛い。


深い深い、やり場のない寂しさを感じるとき、
身体が、皮膚が、すべてが、本当に痛むのです。
小さい時から、ずっと、痛むのです。


暖かなものが欲しい
何でもいい、ぬくもりが欲しい
この身体の痛みを、どうか止めて欲しい


こうして私は
愚かな行動をするようになったのかもしれません。

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私の外傷体験③そして・・愛着障害-Ⅰ
- 2006/06/29(Thu) -

子どもと養育者との二者間に形成される情緒的な結びつきを、
ボールビー(1969)は愛着-attachment-と名づけました。


乳児にも、特定の対象との関係を作ろうとする欲求やパターンが
生まれながらに備わっているとしたのです。


知覚能力も運動能力も未熟な幼児が生き延びるためには、
他からの保護を引き出さなければなりません。


それを引き出す子供の愛着行動には、
微笑や発声などの発信行動や、注視や接近するなどの定位行動、
しがみついたり抱きついたりする能動的な身体接触行動があります。


また母親も、微笑を返したり抱き上げたりするだけではなく
乳児が泣くと母親の胸部の温度が上がり、母乳の出が良くなるといった
身体レベルでの相互作用も生じます。


こうした母子関係を通して乳児は
エリクソンのいうところの「基本的信頼感-basic trust-
」を形成していきます。
これは、サリヴァンのいう「安全感-security-
」とも共通する概念です。


そして、それらが障害(例:母性的養育の剥奪)されたとき
愛着障害が起きるのです。


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【DSM-IV 診断基準】から


313.89 Reactive Attachment Disorder
     of Infancy or Early Childhood


■幼児期又は小児早期の反応性愛着障害


5歳未満に始まり、ほとんどの状況において著しく障害され
  十分に発達していない対人関係で、以下の(1)又は(2)によって示される


(1)  対人的相互作用のほとんどで、
       発達的に適切な形で開始したり反応したり 出来ない事が持続しており、
    それは過度に抑制された、非常に警戒した、
   又は非常に両価的で矛盾した反応という形で明らかになる。
   (例えば、子どもは世話人に対して接近、回避及び気楽にさせることへの
   抵抗の混合で反応する、または固く緊張した警戒を示すかもしれない)


 (2)  拡散した愛着で、
   それは適切に選択的な愛着を示す能力の著しい欠如
   (例えば、あまりよく知らない人Tに対しての過度のなれなれしさ、
   または愛着の対象人物選びにおける選択力の欠如)を伴う
   
無分別な社交性という形で明らかになる。


B:  基準Aの障害は発達の遅れ(精神遅滞のような)
    のみではうまく説明されず、広汎性発達障害の診断基準も満たさない。


C : 以下の少なくとも1つによって示される病的な養育


(1)  安楽、刺激および愛着に対する
   子どもの基本的な情緒的欲求の持続的無視


(2)  子どもの基本的な身体的欲求の無視


(3)  第1次世話人が繰り返しかわることによる安定した愛着形勢の阻害
   (例えば、養父母が頻繁にかわること)


 基準Cにあげた養育が、
    基準Aにあげた行動障害の原因であると見なされる
    (例えば、基準Aにあげた障害が
    基準Cにあげた病的な養育に続いて始まった)


病型を特定すること


抑制型     基準1Aが臨床像で優勢な場合
脱抑制型    基準2Aが臨床像で優勢な場合


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私の外傷体験④愛着障害-Ⅱ私はどうなっていったのか
- 2006/06/30(Fri) -

ここからは、もっぱら「社会福祉学博士・へネシー・澄子氏」
教えにもとづいて、まとめていきたいと思う。


自分のことを具体的に書くのは、やはりとても辛すぎて
多分書けないかもしれない・・


でも、自分を再度振り返るために、まとめておこうと思います。


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「愛着の絆」が絶たれたり「愛着欠如」の状態になると人はどうなるのか?
まず、人格形成の主な2箇所に障害が起こります。


(1)自制能力の欠如
   衝動の抑制、自分を癒す、自主性、忍耐力、持続力、自制心などの欠如


(2)人間関係の構成能力の欠如
   共感能力、信頼感、情愛、相互性、表現能力、人に対する尊敬心の欠如


そして・・・
問題行動が出てくるのです。


【集中力(愛着)欠如過激行動障害(AHDC)】


  衝動性、過激行動性、不注意、


  刺激を求め感情を行動に移す
 
  自己に否定的観念を持つ、


  反抗的・挑戦的、


  チョッカイをだし注目を集める、


  人を操る、


  触覚・感覚防御的(触れられたり目を見られるのを嫌がる)


  自責の念に欠け責任を転嫁する


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ここまで書いただけで
「なんて変な子どもだろう」とつくづく悲しくなります。
まだまだ症状や傾向の話は続くけど、今日はこの辺で止めておきます・・


思い当たること、結構ある。


「人を操る」ということに気づくのはずっと後だった。
とても深い無意識に近いところで、私はそれをしていた。
既に3・4歳頃から、女であることを利用して、
自分の深層の欲望を充たしていた気がする。
身の安全を図ろうとする欲望かな?
そしてそれはフラッシュバックの恐怖といつも隣り合わせに存在してた・・


「自責の念に欠け責任を転嫁する」
これは未だにちょっと分からない。
何でも自分の愚かさのせいだとずっと思ってきた気がしてる。
でもまた、もうちょっと内奥へ進んだら、
とんでもないものが見えてくるのかもしれないな・・。


それ以外の項目はとても思い当たる。
全部あったと思う。
そんな子だったと思う。


「そりゃ、誰からも愛されっこないや~」と
自暴自棄な気持になります(笑)


でもね、誰もそうなりたくてなった訳じゃないんです。
これって、障害ゆえの症状なんです。


ただ、人の怒りや嫌悪の情を呼び覚ましやすいものだから
なかなか理解されない。


だから
せめて私だけは
幼い私を「精一杯だったんだよね」と言って
力一杯抱きしめてやりたいと今は思っています。


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私の外傷体験⑤愛着障害Ⅲ-「愛」を求めて(カテゴリーの変更)
- 2006/07/01(Sat) -

「愛着障害」は、私がずっと自分が抱える問題点として
考え続けてきたことでした。


非常に早期(0歳時期)での育児放棄や
長年にわたる親からの心理的虐待の元で成長した私は
14歳頃には既に壊れてしまいました。


そこから回復していくためにだけ
私の人生はあったといっても過言ではありません。
際限のない修正への努力と失敗と落胆と絶望と・・・
ブラックボックスの中で
逆巻く真っ暗な渦の中で
引き裂かれながら生きてきたようなものでした。


そんな私には
今の子ども達の置かれている状況自体が
まさしく姿形は違えども
自分が味わったのと同じ様な苦しみを
子ども達に刻み込んでいるように思えるのです。


..............................................


人間の一生で脳がもっとも急速に発達する
胎児期から3歳頃までの育児環境が
発達していく脳の組織と機能に深い影響を及ぼすことが
脳医学の発達に従って
はっきり分かってくるようになりました。


アメリカ精神医学会が発行している
精神医学の世界で
最も大きな影響力を持った診断基準である
DSM-Ⅳ(精神障害の診断と統計マニュアル第4版)
(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)
にも、近年知られてきたRAD
(Reactive Attachment Disorder-反応性愛着障害)
の診断基準がのっています。


一般的には、
両親の「育児放棄」や「虐待」だけが
原因と思われがちですが、
他にも様々な原因が考えられます。


例えば
望まれなかった出産・早期出産等の困難
離婚・入院・仕事のため両親と関わる時間の欠如
周産期を含めた母親の心の病気・過度の環境の変化
過度の干渉・ダブルバインド
他にも色々考えられます。


それらは、トラウマ的(心的外傷的)経験として
幼児期に持続する過覚醒反応を起こさせ
脳神経発達や、中枢神経系統に障害を与えるといいます。


子どもたちには往々して、PTSD(心的外傷後ストレス障害)
の症状が出るようになり、
また、愛着と感情を調整する
orbitofrontal cortexと呼ばれる
人間の顔の表情(親の笑顔など)に
敏感に反応する脳の部分が充分に育たないため
衝撃的で暴力を振るう傾向があるといいます。


このことは、最近の子ども達の心の問題を考える
重要なキーワードの一つではないかと感じています。


何もしなくても一緒にいるだけでホッとして気持ちが安らぎ
安心で満ち足りた気分になるような気持ちの「つながり」・・


愛着が形成されないままだと
自分がここにいていい存在であるということや
自分が生きていていいんだという思いに
自信が持てなくなってしまいます。


常に何かに頼っていないと気持ちが落ち着かなかったり
ちょっとしたことで興奮したり落ち込んだり。
キレル子や乱暴な子、非行、拒食症や過食症などの背景に
この愛着障害があることが少なくないと思います。


愛着は、子どもが満足できる時間を
養育者と一緒に過ごすことで作られていきます。
毎日でなくても、都合のつく範囲で
たとえ短い時間でも
自分の全てを子どものためだけに使う、
そうした時間を持つ。


本当の育児は
早期に知的な訓練をすることでも
たくさんのモノを与えることでもなく
実はほんとうに簡単なことなのではないかと思っています。
 

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私の外傷体験⑥愛着障害Ⅳ-再び「愛」を求めて(カテゴリーの変更)
- 2006/07/02(Sun) -

私は現在、様々な活動に携わっています。


心理的援助だけではなく、


環境改善の試みや、施策面での行政への働きかけなども


視野に入れて活動を進めています。


それらのどれか1つが欠けても、


充分な解決策にはならないと痛感しているからです。


「虐待」は「母親」だけの問題ではありませんから。


 


勿論、全てボランティア。


ぎりぎりの生活を支えるためにパート仕事をしながら、


活動費もそこそこかかりますしね。


 


「なぜそんなに無理をしてまで」とよく人に言われます。


そうでしょうね・・


幸せに生きてきた人達には


こんな気持、分からないかもしれません・・


 


自分自身が、乳幼児期からの「愛情剥奪」という


苛酷な生育環境を生きてきて


そこで否応なく刻み込まれてしまった


深い精神的外傷を抱えたまま、


とてつもなく愚かで苦難に満ちた人生を


生きざるをおえなかったからでしょうか。


 


自己破壊的になって激しい自傷行為を繰り返したり、


危険な人間関係を持ちやすく、何度も殺されそうになったり、


常に抑鬱的で、身体的にも脆弱で、


いろんな疾患や身体的な苦痛を常に感じていて。


 


「自分」というものに、ふと気が付いたのは、


もう20歳を越えていた頃だった気がします。


それまではずーっと、真っ暗で巨大な渦の中に巻き込まれ、


身体ごとグチャグチャに引き裂かれて


血まみれになって蠢いている動物のような生活でした。


 


そんな中、まるで芥川の「蜘蛛の糸」のように、


ただの気まぐれに差し伸べられたに過ぎない、


たった1本の手に必死にしがみついて、


やっと泥沼のような生活から抜け出せたと思っていたら、


その人は(夫です・・)大変なアルコール依存と暴力と


絶え間なく借金を繰り返す人格破綻者だった・・


 


そして、再び、虐待の日々が延々と続く。



全て自分が悪いからだと強く強く思い込んで


私はそこで身動きひとつできはしない・・


 


どうやって抜け出していったのか、


自分でもはっきりとはまだ整理ができていない。



「何かがおかしい」と思い始め、


カウンセリングも受けながら、精神分析や臨床心理学や、


巷に溢れる様々な本を貪るように読み続け、


自己の問題点をひとつひとつ掘り起こし、


気づきの苦悩と悲しみに耐えながら、


カタツムリのような稚拙な速度で、


自己点検と認知行動修正の戦いを繰返してきました。


 


「愛」を求めて、


「愛」が欲しくて、


「愛」に振り回されて、


「愛」に傷ついて、


そして「愛」を諦めて。


 


大きな大きな、私にとっては「死」にも等しい


「諦め」をやっと得て、


ようやく「人」としての命の在り様


辿り着きつつあるように思っています。




(「私の外傷体験」は、一応終わります。


症状や傾向をここに書き並べることは


自虐的でしかないと思い、辞めることにしました)


 


 

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