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ボランティア雑感①
- 2006/07/02(Sun) -

「あなたの話はもう充分わかった。
それであなたは、そのために何を考えて何をどうすると言うの?」


そんなふうに急に感情的になって苛立ちをぶつけてくる。
詰問調で追い詰めてくる。


たぶん、心身に深い傷を負って生きている人達の話とかを
直接いっぱい聞く機会があって
自分が強烈に反応してしまっているだけのことなんだけど
本人はそのことに全く気づいていない。


そして、自分で処理できない自分の激しい動揺に
自己陶酔して、自分だけを正当化して
今まで、ともに頑張ってきたはずだった仲間に対して
苛立ちをぶつけて来る。
まるで自分だけが「彼ら彼女らの痛み」を理解しているかのごとく。


「口先だけの話は
何も感じていない人よりも余計に腹が立つ!」


と、そこまで言われちゃうと
「あなたは自己愛が強すぎて
周りが何にも見えなくなってるだけですよ」
と、忠告する気にもならないから、
そっと離れるしかない。


対人援助のボランティアなどをしていると
こういうタイプの人がよく出てくるのです。


大抵、その団体の理論面をバックアップしてるインテリに多いんだけど
急に涙を流しながら「現実を見てください!」などど言い出す。

それって、みずからの苦労を殆ど語らず
コツコツと黙々と活動している仲間に対する
理解と尊敬心の欠如でしかないと思うよ。
ただのうぬぼれと傲慢でしかないと思うよ。


そんなときが1番嫌になる時。
実は最近もありました。
で、今はその団体とは少し距離を置いています。
で、別のボランティアの講座を昨日から受けています。


こんなことで嫌になってたんじゃいけないとは思うけど
最低限、自分の内面を見つめる目だけはもってもらいたい。
特に指導的立場にいる人間には。
つくづくそう思います。


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ボランティア雑感②「投影」という「防衛機制」のやっかいさについて
- 2006/07/03(Mon) -

自分ではとても引き受けられないような問題を
他人の中に見出して、
それを攻撃することによって
自分の問題として見ないようにする。


これって誰でもがよくする「投影」っていう防衛機制ですよね。


特に、自分にとってとても耐えがたく
直面化できないような事例に出会うほど
この防衛機制は知らず知らずに強化されてしまい
それはもう、どんなに素晴らしい知的な理解とかも
いとも簡単に超えちゃって
自分の無意識が勝手に操作されて
他人の中に自分の問題を見出して攻撃してしまう。


多分それが
「この現実を見てください!」
などと急に人を悪者にして
自分だけはまるで別の次元の人間であるかのように
本気で涙を流す人々の心理でしょうか?


これは、ボランティアに限らず
人を援助しようとする者がいつ陥ってもおかしくない
当たり前の人間の心理でしょう。

それはきっと私も同じ。
人を非難することで
「自分には関係ない」「自分は間違っていない」と
無意識に誰かに責任を負わせたくなるほど
傷ついて辛いということなんでしょうね。


「自分を知ること」の大切さ。
所謂「逆転移」を自分で自覚できることの難しさ。


昨日からそんなことばかり考えています・・


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ボランティア雑感③援助する側の落とし穴
- 2006/07/04(Tue) -

過度に良心的であろうとしたり
自己犠牲的なまでに人に尽くそうとする。


ボランティアだけではなく、医療・福祉・教育・カウンセラーなど
人を援助する側の人間には
そういうタイプの人が結構多く見受けられます。
(勿論、私も「要注意人物」です・・)


そして、そうで在るからこそ
現実が自分の思うようにいかないとか
自分の予想外の反応や状況に出会ってしまうと
急速に人間不信に陥ったり
自分の無力さに、とことん落ち込んだり
全てを虚しく感じて抑うつ的にさえなってしまう。

こうした発想の根底には
「援助者として万能であらねばならない」
という幻想=メサイア・コンプレックス

強く働いていると思われます。


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メサイアコンプレックスとは
「自分が救われたいから他人を救う」
「人を助けることで自分の存在を確認したり、優位に立とうとする」
というコンプレックスで


その欠点と特徴は
このコンプレックスに突き動かされた行動は、
相手にありがた迷惑の感じを与えることが多い。
つまり、助けられる側からすると、
一応はありがたいことではあるけれど、
本当にこちらのことを思っての行動ではなく
自己満足であることが明らかな行動なのである。


また、根底は相手の為にと思っているわけではないので、
相手がその援助の申し出を断ったり、
注文をつけたりすると不機嫌になったりもする。

そしてさらに、
その行為の結果が思わしくなかったりした場合、
その事実に直面できずに
同じ行動にこだわり続けたり、
あるいは反対に途中で簡単に投げ出したり等々・・
やっかいなことになる場合が多いのが特徴である。            


 図解雑学『ユング心理学』より


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マジ、やっかいだ・・


では、なぜそうなっていくのか?
どうすればそこから抜け出せるのか?
考えていこうと思います。


(続く・・)


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ボランティア雑感④メサイア・コンプレックスの深層
- 2006/07/05(Wed) -
で、
そうなっていく原因を考えてみました。


基本的には、メサイア・コンプレックスに捉われる人は
「いつもいい人でいないと不安」
「嫌われることがとても怖い」なのでしょう。
(私も、今でもその傾向は確かにある・・)


だから「無理をしてでも相手の要求を引き受けねば」
と思ってしまう。
だから相手に「受け入れられ必要とされる」ために
一生懸命尽くしてしまう。



「人から必要とされる必要」が
実は自分の中に生じているのです。

勿論、本人には殆どその自覚はありません。
無意識的にそうなっているのです。
人間関係のパターンになっていると思われます。


 

その結果、その行動が止められない状態にまでいくと
いろいろな問題が生じてくるのは当然です。
でも、「そんなことはやめなさい」とお説教をしても
到底、やめることは出来ないでしょう。

 

本人の心の中に
「そんなことをしなくても、自分は人から受け入れられるし
必要とされる人間なんだ」
という気持ちが自然に出てこないとやめられないのです。

これがメサイア・コンプレックスの奥底にある
「人間関係の病理」だと思われます。



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これからは、そうなっていった「背景」と
「回復への道」を考えていきたいと思います。




(続く・・)
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ボランティア雑感⑤人間関係の病理とその背景
- 2006/07/06(Thu) -

「人間関係の病理」と言うと大袈裟なようですが
これには子ども時代にどんな人間関係を身につけたかが
大きく関わっているようです。


親が、無条件に自分を受け入れてくれたかどうか。
ありのままの自分を必要としてくれたかどうか。


そうでなかった人は、
人から受け入れられ「必要とされる必要」が生じてくるのです。


子どもの頃
親から虐待を受けたり
否定的な扱いを受けたり
条件つきの愛(いい子でいないと愛されない等)
しか感じられなかったり。


そんなふうにして育つと
「自分は人から受け入れられない人間。必要とされない人間」
と心の奥底に深く深く
刻み込まれてしまって
自己評価がとても低くなってしまいます。


大きな「自己愛の傷つき」が生じてしまうのでしょうね。


そして、毎日の生活の中で
絶えず人から「受け入れられるか、必要とされるか」と
気にしながら、不安を感じながら、生きることになる。


常に不安だから、常に自分を受け入れてくれる人間関係を
常に求めようとしてしまう。


また、受け入れられなかった自分は
「ダメな自分」として否定され
「あるべき理想の自分」という幻想にいつも呪縛されてしまう。

「本当の自分」は絶えず「理想の自分」と比較され
当然、「本当の自分」は好きになれないから
それを補おうとして、
更に人に尽くす好ましい「理想の自分」へと
盲目的に熱中していってしまう。

それこそ燃え尽きてしまうその日まで・・
・・・誰にも止めることは出来ないのです。


(続く・・)





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ボランティア雑感⑥「回復への道」は?
- 2006/07/08(Sat) -

基本的に「関係性の病理」は
自分の行為が生活を脅かすほど有害になっているかどうかを
一つの目安にして
自分を見つめればいいのではないかと思っています。


でも、そこまで行っていなくても
バーン・アウト(燃え尽き症候群)へと自分を追い詰めたり
自分の傷付きを無意識的に人に八つ当たりして
関係のない人に傷を負わせたり
そんなこともありがちです。


ではどうしたらいいのか?
とても難しいです。


メサイア・コンプレックスかなと思ったら
やっぱりまずは自分の中の
「疑問・理不尽さ・不条理さ・怒り」などを
当然のこととして認めることでしょうか。


「ダメで嫌な自分」と思っている自分は
誰でも認めたくありませんが
より深く、当たり前の自分のダメさ加減を
受け入れられるようになると
人にも、そして何よりも、自分に優しくなれます。
(これはホントに楽ですし、人を軽蔑しなくなります)


そして、日常的に
「私は自分なりに精一杯やっているから、それで充分なんだ」
自分を褒めてやることが大切ではないかと思っています。


人の評価を基準にしない。
人の感情に左右されない。
自分のことは自分で決めるんだというような
自分自身を軸に生きていける「自己確立」が
回復への道」ではないでしょうか。


う~む・・
教科書的なだけで、回復しそうにないなあ・・
でも、これが今の私の限界だな・・
これからも活動を通じてまだまだ考えていこうと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ここまで考えてきて、
「関係性の病理」としての「共依存」について
いろいろ思うことが出てきました。

次回から「共依存」について
自分の経験を踏まえながら
考えていこうかなと思っています。


なんせ、どっぷり夫と「共依存」しちゃってたから・・


なので「ボランティア雑感」は
ここで
一応終了しようと思います。



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学んだこと
- 2007/01/24(Wed) -

学んだこと


「虐待」
殴ったりけったりという「身体的な暴力」
「世話をせず放置する」
「言葉で心を傷つける」

「言葉による虐待」はかなり潜在化している。


これまでの虐待は、
親がアルコール依存症だったり、
定職がなかったりといった
社会的、経済的なゆとりのない家庭で多かった。


最近は、一見「普通の家庭」で起きる。
自分が思い描いたように育たない、親身になって相談する人がいない・・・
などのストレスから、子どもに手を上げてしまう。
経済的な問題というより、心理的なゆとりのなさが根にある。


 「古典的なタイプ」では、失神するまで首を締めたり、
骨折するぐらい殴るなどひどい虐待をしているのに、
親はしつけと信じている。

でも最近のタイプでは
そこまで程度はひどくなく、親も自分のしていることに罪悪感を抱き、
外にSOSを求める場合も多い。


 母親のイライラと孤独を感じる。


きまじめで、一生懸命に愛さなければ、と思う人ほど追い込まれてしまう。
親との関係がよくなかったり、相談する人がなければ、ますますストレスがたまる。


怒りのマグマが噴き出しそうな時の緊急避難、
噴き出してしまった時の応急処置はどうすればいいのか。


 (1)その場を離れる


 「トイレに駆け込んでもいい。台所で水を一杯飲んでもいい。
暴力を振るいそうになったら、子どもの顔が見えないところに逃げ込みなさい」


 そこにいると、どんどんエスカレートする。
しかし動作を変えれば、気持ちが変わる。激情がスッと引いていく。


 (2)子どもを預けて、少しの間一人になる。


 「自分だけで抱え込まないこと。
一時保護で受け入れられるので、とりあえず児童相談所に電話を」


 このままでは虐待しそうだという予感がある時でも利用できる。
預けることでリフレッシュすれば、心も安定する。無料でおおむね一カ月。


 (3)暴力を振るってしまったら
「あなたが嫌いなのではない」と子どもに言う。


 「お母さんは病気なんだ、こんなことをするのは本心からじゃない、というメッセージを」


 子どもは「かわいがられていない、愛されていない」というイメージを持つと、
自分を責め、必死で「いい子」を始める。それだけは避けたい。

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母たちへ・・
- 2007/01/29(Mon) -

無意識下の自分の記憶…
子ども時代に愛されなかった、認められなかった自分・・
成育歴と虐待とがこうして結び付いていく。


精神科医は
「虐待する人は必ずといっていいほど幼いころ
心に大きい傷を受けている」と言う。


いつもは無意識の領域に押し込められている辛かった経験は
自分が親になって子どもが何かをした時に、
フラッシュバックのようにして甦ってくる・・

そして、自分がされていたことを再現してしまう・・


無意識からくる行動なので
自分でも自分のしたことの意味がまるで分からない・・


「理性が麻痺したよう」とか
「自分が乗っ取られたよう」とか表現するのは
こういうことなのだろうと思う。


抑えつけていた怒りや悲しみの記憶が
処理できなくて思わぬ時に暴発する。


子どもへの嫉妬(しっと)というキーワード。


実は、嫉妬しているのは
子どもの年齢に返っている自分。
インナーチャイルド・・自分の中の子ども・・
その存在に気付くことが出来ないから。


見捨てられるのが怖くて
親の期待に一生懸命こたえて
わがままも
NOも
なにも言えなくて
寂しさを抱えて生きてきた・・
そんな小さな無力な自分
そんな自分を
大人になった自分自身が
しっかり抱き締めてやることさえ出来れば・・


虐待の連鎖は必ず断ち切ることができる。 

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