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V.E.フランクルの言葉②
- 2006/05/01(Mon) -

「それでも人生にイエスと言う」より


たしかに、模範になる人間はわずかです。 自分の存在を通して働きかけることができる人間、またじっさいそうするだろう人間はわずかです。私たちの悲観主義はそれを 知っています。しかしまさしく、模範になる人間が少ないということが、現代の活動主義の本質をなしているのです。 まさしく模範になる人間が少ないために、その少数派はとほうもない責任を担っているのです。 

ある古い神話は、世界の成否は、その時代に本当に正しい人間が三十六人いるかどうかにかかっているといいきっています。たった三十六人です。消えてしまいそうなぐらい少ない人数です。それでも、全世界が道徳的になりたつことが保証されるのです。しかしこの神話はさらに伝えています。こうした「正しい」人たちのうちのだれかが、それとして認められ、まわりの人々、いっしょにいる人間たちにいわば「見破られる」と、そのとたんにその人は消えてしまうのです。「引退」させられるのです、その瞬間に死ななければならないのです。これはどういうことでしょうか。こう表現しても間違いではないでしょう。人々は、そういう人たちが模範となって自分を教育しかねたごと気づくと、「いやな気持ちになる」のです。人間は、教師口調で叱られたくないものなのです。


*旧約聖書と並ぶユダヤ教の聖典である『タルムード」に「日毎に神の臨在に接する三六人の敬虔者」のことが語られている。またその後の伝説によれば、これらの敬虔者は、謙虚な隠れた義人として、百姓や職人などの目立たない生活を営みながら、その営みの背後に隠されている義によって、この世界の存立が支えられているという。

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記事削除しました
- 2006/05/01(Mon) -

「治療外要因」についての記事削除しました。

私の「コピペに問題あり」で、「元本を読むように」とのコメント
ありがとうございます。

私は批判されることに大変過敏で、こうしたコメントすら怖いようです。

これではコミュニケーションも取れないと思いますが
取り敢えずは自分の安定が第一課題ですので
速攻削除いたしました。

コメントを下さった方には本当に申し訳ありませんでした。

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「サリヴァンの病棟」
- 2006/05/01(Mon) -

サリヴァン(Sullivan H.S 1892-1949)はアメリカの精神科医であり
精神分析学派の新フロイト派の中心メンバーでもありました。
彼は、重症の統合失調症の精神療法で伝説的な名声を得ています。
また、サリヴァンは10代の頃自分も精神病を発病して
精神病院に入院した経験があるそうです。
そんな
彼が、精神科医になってから造った精神科男子病棟は、
驚異的な治癒率だったといわれています。


それはなぜか。


実は、この男子病棟には女性職員は1人もいなくて、看護師も全員男性。
更に、その男性看護師も全員が「元患者」だったそうです。


ということは、この男子病棟は医者(サリヴァン)も看護師も
みんな「元精神病患者」だったということになります。


これは私にとっては信じられないことであり
その重要性や素晴らしさは、身に沁みて理解できます。

だって、患者はみんなと平等な仲間なのです!
自己卑下や劣等感を微塵も感じなくてすむのです!


私はこれまで数多くの治療者や心理臨床関係の○○大学教授とかに
出会ってきましたが、未だかつてただの1人として、
信頼に足る人物にお目にかかったことはありません。
ましてや、事例研究などでの彼らの姿勢を知ることとなり、
更に不信や怒りは募るばかりです。


彼らには、心を病む人間の悲しみや痛みへの感受性や、
悲惨な人生を絶望的なまでの努力で耐えて生き抜いている人間への尊重や、
医師も患者も同じ尊厳性を持った人間なんだという尊敬の心が、
決定的に欠けているとしか思えません。


「サリヴァンの病棟」のように、患者を温かく迎え入れ、分け隔てなく接して、
お互いが仲間なんだという意識が生まれてくることこそ、
最も求められる治療的態度なのではないかと思っています。


でもそんなものどこにもありはしないけど。


 


 

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マザーテレサの言葉②
- 2006/05/02(Tue) -

今日の最大の病気は、らいでも結核でもなく、
自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、
みんなから見捨てられていると感ずることである。

 最大の悪は、愛の足りないこと、
神からくるような愛の足りないこと、
すぐ近くに住んでいる近所の人が、
搾取や、権力の腐敗や、貧しさや、
病気におびやかされていても無関心でいること。

わたしどもの貧しさの生活は仕事にも劣らず必要である。
どれほど貧しい人に借りがあったか、天国へ行ってはじめてわかる。
 彼らのことでもっと神を愛することを教えられたということのために。

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戸塚氏出所に思うこと
- 2006/05/03(Wed) -

戸塚宏氏出所のニュース(朝日新聞から)http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY200604290123.html
戸塚ヨットスクール事件(事件史探求から)
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage163.htm


私はこの人の考え方を完全に否定します。
また、この人を支持する人達の考え方が全く理解できません。
こういう人々とは、絶対にかかわりあいになりたくないです。


そしてそれ以上に、この人が復帰した施設で
また暴行・虐待・殺人事件等が必ず起きるだろうとさえ思っています。
死ぬまで暴行を受けるかもしれない施設で暮らさなければならないなんて、
虐待以外のなにものでもない。
そんなことすら理解できないこの人には
二度と子どもの世界に関わらないでくれ!と言いたい。
こんなところに入所させる親も虐待だ。
死ぬまで子どもを追い詰めるのか!と言いたい。


「体罰を受けれた子どもは幸せだ」「それを見ている子どもも幸せだ」
彼はそう言った。


「あんたにとっては愛情かもしれないけど
される側にとっては耐え切れないただの暴力にしか過ぎないんだよ!!」
そう言ってこっちも凶暴になって殴ってやりたくなる。


こんな施設に人が集まる事実
「現在塾生6人」で「連休明けにまた2人入所予定」・・

こんな施設を支援する人たちがいる事実
「我々の手で教育改革を!」「戸塚ヨットスクールを支援する会」
「会長 石原慎太郎」・・


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E・キューブラー・ロス博士の言葉③
- 2006/05/04(Thu) -

人生は短いのですから、結局のところは、
自分が本当にやりたいことをやったらいいのです。<中略>


 やりたいことだけをやる、というのは本当にたいせつです。

そんなことをしたら貧乏になってしまうかもしれない。
車を手放すことになるかもしれない。
狭い家に引っ越さなくてはならないかもしれない。

でもその代わり、全身全霊で生きることができるのです。
世を去るときが近づいたとき、
自分の人生を祝福することができるでしょう。
人生の目的を達成したのですから。

そうでないと、娼婦のような人生を送るはめになります。
つまり、なにかある理由のために生きる、
ほかの人のご機嫌をとるために生きるはめになります。
それでは生きたことになりません。
したがって、こころよい死を迎えることはできないでしょう。

自分の内部からの声、
自分の内的な知恵に耳をかたむけることです。
あなた自身のことに関する限り、
あなたはほかの誰よりもかしこいのですから、
きっと間違えることなく、人生で何をなすべきかを知るでしょう。

この世に偶然と言うものはない、というのが私の信念です。
みんなが偶然だと思っているものは実は「神の配慮」です。


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同窓会へ・・
- 2006/05/04(Thu) -

今日から一泊で出かけます。
大学の同窓会に出るためです。


親しい友人が居たわけでもなく
懐かしい思い出があるわけでもなく


ただ、かつては「我が父」とまで密かに思い
心から慕っていた恩師にお会いするためです。


「彼は変わってしまった・・
名誉と地位と権力を手中にして
信念を曲げ、体制に迎合し
泥にまみれてしまった」と聞く・・


この目で
確かめてこようと思っています。


彼の真実を
彼の本質を
彼の魂の声を


ですから、明日は更新できません。

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V.E.フランクルの言葉③
- 2006/05/06(Sat) -
あるとき、生きることに疲れた二人の人が、
たまたま同時に、私の前に座っていました。
それは男性と女性でした。
二人は、声をそろえていいました。

「自分の人生には意味がない」
「人生にもうなにも期待できないから」

二人のいうことはある意味では正しかったのです。
けれども、すぐに、
二人のほうには期待するものがなにもなくても、、
二人を待っているものがあることがわかりました。

その男性を待っていたのは、
未完のままになっている学問上の著作です。
その女性を待っていたのは、子どもです.。
彼女の子どもは、
当時遠く連絡のとれない外国で暮らしていましたが、
ひたすら母親を侍ちこがれていたのです。
 
そこで大切だったのは、カントにならっていうと
「コペルニクス的」ともいえる転換を遂行することでした。

それは、ものごとの考えかたを180度転換することです。
 
その転換を遂行してからはもう、
「私は人生にまだなにを期待できるか」
と問うことはありません。
いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」
と問うだけです。
人生のどのような仕事が私を待っているか
と問うだけなのです。

ここでまたおわかりいただけたでしょう。

私たちが「生きる意味があるか」と問うのは
はじめから誤っているのです。

つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し、
私たちに問いを提起しているからです。
私たちは間われている存在なのです。

私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」に答えなければならない、
答を出さなければならない存在なのです。

生きること自体、問われていることにほかなりません。
私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。

こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくはありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現左がすべてであり、
その現在は、
人生が私たちに出す
いつまでも新しい問いを含んでいるからです。

すべてはもう、そのつど私たちに
どんなことが期待されているかにかかっているのです。 

その際、どんな末来が私たちを待ちうけているかは、
知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。 

 
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恩師へ・・
- 2006/05/06(Sat) -

恩師に再会して、どうしてしまったのかと思うほど涙が溢れた。
恩師は「今も私の父親」そう思った。


年老いていく恩師。
既に抜き差しならない状態にあるのだろうと思った。
もう恩師に多くを望んではならないのだと悟った。
そして、恩師を喜ばせてあげたいと思った。
親孝行したいと心の底から思った。


でも、生きる道は違ってしまった。
私は私の信じる道をあくまでも歩いていくだろうと思った。
・・・・それを変えることはできない。



それでも近況を知らせる手紙を書こうと思った。
元気に暮らしている家族の写真も一緒に送ろうと思った。
深い感謝と尽きない思慕の思いを込めて。



長い間、父親のいない私にとって
かけがえのない「理想化された父」だった貴方。


貴方のいい娘でいたいという強い思いが
私の生きる原動力の全てでした。


壊れてしまった自分を創り直そうと
歪んでしまった自分の行動や認知を変えようと
忍耐強く重ね続けた
あらゆる努力の
原動力の全てが
貴方の存在そのものでした。



・・・・ありがとうございました。

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マザーテレサの言葉③
- 2006/05/07(Sun) -

親切で慎み深くありなさい


あなたに出会った人がだれでも
前よりももっと気持ちよく
明るくなって帰れるようになさい


親切があなたの表情に
まなざしに、ほほえみに
温かく声をかけることばにあらわれるように


子どもにも貧しい人にも
苦しんでいる孤独な人すべてに
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい


世話するだけでなく
あなたの心を与えなさい

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ひきこもりを食い物にする姉妹
- 2006/05/08(Mon) -

ひきこもりとその家族を食い物にする長田百合子と杉浦昌子姉妹。
これは第2の戸塚ヨットスクールです。

『不登校・ひきこもりを直す』暴力を問うシンポジウム。長田塾(おさだ)の問題
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2005/me051130.htm
 
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E・キューブラー・ロス博士の言葉④
- 2006/05/09(Tue) -

やり残した仕事を片付けてしまえば、すなわち、
それまで抑えていた憎しみや欲や悲しみなど、
否定的なものをすべて吐き出してしまえば、
あなたは気づくでしょう。
二十歳で死のうが、五十歳で死のうが、九十歳まで生きようが、
もう問題ではない、もう何も心配することはないのだ。


自分自身のやり残した仕事を片付けること、
それが世界に変化をもたらす唯一の方法なのです。


マイナスの感情を捨て、調和に満ちた人生をフルに生きたときに、
はじめて、自分自身の経験が得られるのです。
そういう生き方をすることが、霊的・直感的な部分に対して
全面的に心を開く唯一の方法です。

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風邪を引いて寝込んでいたら
- 2006/05/13(Sat) -

風邪を引いて寝込んでいました。

こんな時は、すっかり観念して
ダラダラ~グダグダ~。
猫と同化して暮らします。


今はもう高3になる娘が
幼かった頃のことを思い出しました。

それほど大きな病気をしたこともなかったけど
たま~には風邪を引く。
ちょっと熱っぽくてグンニャリしている娘。
すると私は妙にウキウキとして
娘と一緒に猫になる。
二人で、治るまでグンニャリして
ゆっくり流れる時間を
思う存分娘と過ごす。


蜜月・・


幼い頃の子どもとの時間は
蜜月・・


病気の時の子どもとの時間は
更にとろけそうに甘い
特別素敵な時間でした。


うう・・喉が痛い・・
朝食とお弁当3個作ったら
また寝ます。


嬉しそうなわ・た・し。

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V.E..フランクルの言葉④
- 2006/05/14(Sun) -

一介の洋服屋の店員


ある日、ひとりの青年が私のところにきて、
ほかでもない生きる意味の問題、
というより生きる意味がないという問題のことで
私と議論しました。




そのとき、その青年は、
つぎのような異議を唱えました。
「あなたはなんとでもいえますよ。あなたは現に、
相談所を創設されたし、人々を手助けしたり、
立ち直らせたりしている。でも、私はといえば……。
私をどういう人間だとお思いですか。
私の職業をなんだとお思いですか。
一介の洋服屋の店員ですよ。
私はどうしたらいいんですか。
私は、どうすれば人生を
意味のあるものにできるんですか。」 



この男が忘れていたのは、
なにをして暮らしているか、
どんな職業についているかは
結局どうでもよいことで、
むしろ重要なことは、自分の持ち場、
自分の活動範囲においてどれほど
最善を尽くしているかだけだということです。 
活動範囲の大きさは大切ではありません。
大切なのは、その活動範囲において
最善を尽くしているか、
生活がどれだけ「まっとうされているか」
だけなのです。



各人の具体的な活動範囲内では、
ひとりひとりの人間が
かけがえなく代理不可能なのです。
だれもがそうです。
各人の人生が与えた仕事は、
その人だけが果たすべきものであり、
その人だけに求められているのです。




そして、より大きな活動範囲に
ほんとうにふさわしい働きが
できなかった人の人生は、
もっと狭い範囲でも
それをほんとうに満たした人の人生にくらべると、
まっとうされずに終わるのです。



この洋服屋の店員は、
具体的な生活環境のなかでは、
彼がうらやんでいる人が
自分の人生の責任がもっと大きいことに気づかず
その責任をまっとうしないなら、
それよりもっとたくさんのことを行なうことができるのです。


 
自分の活動を通じて、もっと有意義で、
もっと意味に満ちた人生を
おくることができるのです。


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本当の母の日
- 2006/05/15(Mon) -

http://www.ochanoma.info/index.html


「お茶の間から世界を変える」
というサイトを見つけました ↑


そこに書かれていた「本当の母の日」
という話にとてもショックを受けました。


そして
う・・・・ん、と考えさせられています。


以下、少し長いけれど転載しました。



 


本当の『母の日』って.


今日は『母の日』についてお話したいと思います。

 早速ですが みなさん 母の日の起源(由来)ってご存知ですか?
 まずは一般的に伝えられているものから、ちょいとさわりだけ...
 

:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:

 今から約100年前の1908年5月10日、アメリカのウェストバージニア州に住むアンナという少女は、母の命日に追悼式を開き、そこで母が大好きだった白いカーネーションを参加者一人ひとりに手渡した、というのが始まりです。

 彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を亡くし、残された娘二人(そのうち一人は盲目だった)を一人で育て上げました。

 アンナは母を想い、その後、母に感謝する日を祝日にすることを訴え続け、1910年ウェストバージニア州がはじめて「母の日」を祝日として認定。そして1914年には、とうとう国の祝日として認められたのでした。(日本では1923年から始まりました)

:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:



 これが一般に知られている母の日の始まりです。母の家族への献身と子供の親への感謝…。おぉ なんと美しいお話でしょう!


 ところが!!


 この「一般的に伝えられている」母の日の起源は、物語の半分しか語っていません。そればかりか、アンナが目指した本当の願いを覆い隠してしまっているのです。

 毎年、母親に感謝してカーネーションを贈りましょうという文化がまかりとおっているけれど、本当はそんな安っぽいものじゃないんですよ。

 どういうことなのでしょう??

 先に結論から言ってしまいましょう!


 ★母の日は、平和を願う母親たちの社会運動を記念したことが始まり!★


▼もともとは『平和のための母の日』


 それでは、もう一度過去にさかのぼってみましょう。忘れ去られた本当の母の日の起源を求めて…。

 アンナ(Anna Maria Reeves Jarvis)の母ミセス・ジャービス(Ann Marie Reeves Jarvis)は、1852年、ウェストバージニア州グラフテンの小さな教会の牧師の夫と結婚しました。

 彼女は素晴らしい社会活動家でした。1858年に「母の日仕事クラブ(Mothers' Day Work Club)」を結成し、病気で苦しんでいる人たちを助けるために募金活動をしたり、病気予防のため牛乳や食品の検査など、公衆衛生のための活動をしていました。

 南北戦争(1861~65年)が始まると、「母の日仕事クラブ」は中立を宣言して、南北双方の傷ついた兵士の看病をしました。戦争も終わりに近づいた頃、彼女は戦争で傷ついた人々の心を癒そうと、今度は「母の友情の日(Mother's Friendship Day)」を企画。 政治に関係なく南北双方の兵士や地域の人たちを招き、お互いに敵意を持つことを止めさせようとの狙いがあったこのイベントは、大混乱の恐れがあったにもかかわらず、大成功をお
 さめました。

 「残された娘二人」と冒頭に書きましたが、実は彼女は戦争や病気で8人も子供を失っています。それにもかかわらず、母としての愛情を、自分の子供のみならず、すべての人々に注いだのでした。

 さて、ミセス・ジャービスの影響があったかはわかりませんが、南北戦争後の1872年、南北戦争の戦記を書いたジュリア・ワード・ホーウ女史(Julia Ward Howe)は、平和を祈り、「平和のための母の日(Mother's Day for Peace)」として毎年一度イベントを開こうと提唱しました。

 これは現在の『母の日』の原型ともいえるものです。ホーウ女史は宣言文の中でこう述べています:



  私たちの夫は、虐殺の血の臭いに満ちて帰って来るべきではない。

  私たちの子供は、今まで私たちが教えてきた慈悲、寛容、忍耐を忘れる ために、戦争に連れて行かれるべきではない。

  私たち、この国の母親は、どこまで優しくなっていくのでしょう。

  自分たちの子供が、相手の国の母親の子供を殺すのをだまって見過ごす ほどに優しくなってしまうのでしょうか。



 女性は社会的弱者といわれる一方、19世紀から、(中流階級の)アメリカの女性は社会の改革に大きな貢献をしてきました。奴隷制度の廃止のために主導的な役割を果たしたのは女性でした。その後も、暴力、女性労働者の環境改善、子供の保護、公衆衛生、貧しい人たちへの社会保障などの問題について政治的な圧力をかけてきました。「母親」と「社会正義」は、大きな結びつきがあるです。

 その後30年の間、国民の祝日でこそありませんでしたが、毎年6月2日の「平和のための母の日」には、社会運動としてさまざまなイベントが各地で行われてきました。

 こういった流れがあったからこそ、ミセス・ジャービスの追悼式は社会的な注目を浴びたのでした。アンナは母親だけではなく、すべての母親の社会に対する貢献を讃えて、祝日として『母の日』をつくることを求め続けたのでした。そして願いは叶ったのです。


▼商業主義によって歪曲された美しい理念


 そんな素晴らしい理念を持って1914年から国の祝日として始まった『母の日』でしたが、その理念は消費文化の中で歪曲されてしまいました。

 政治家とビジネスマンにとって『母の日』は絶好の「チャンス」でした。

 (男性中心の)政治家たちは、平和を祈るはずの『母の日』を「家族のために捧げてくれている母親に感謝しましょう」というアイデアにすり替えてしまいました。ビジネスにとっても、平和への祈りより「母へのプレゼント」の方が消費を刺激し、儲かるので好都合でした。

 当時の『Florists' Review』という花業界の雑誌には、大胆にも"This was a holiday that could be exploited.(この祝日は利用できる)」と書かれています。そうして、町では「母の日のプレゼントには、花を贈りましょう」という広告があふれたのでした。

 アンナの思いとは裏腹に『母の日』の行事は年々盛大になっていきました。

 そんな折、ある「事件」が起きました。1923年の母の日フェスティバル。アンナはそこで母のシンボルだった白いカーネーションが一本1ドルという当時では信じられないほど高値で売られているのを目にしました。アンナはそれを見て激怒し、「貪欲のために母の日を侮辱している」──と、とうとう行事差し止めの裁判を起こしたのです。

 しかしアンナは裁判に負けてしまいます。事件以来、彼女は世間から皮肉屋として白い目で見られるようになってしまいました。『Florists' Review』誌は裁判後、"Miss Jarvis was completely squelched"(ミス・ジャービス(アンナのこと)を完全にやりこめた)と勝利宣言をしています。この後、『母の日』の商業化がますます加速していったのは言うまでもありません。


 死ぬ間際に、アンナは記者にこう短く告げました:



  「私は、自分が創ったこの祝日の商業化を自分の手で止めさせることによ
   ってお母さんの恩に報いたかった」



▼『母の日』の理念をもう一度


 ということで、『母の日』がただ単に「おかあさん ありがとう」というものではないことがわかっていただけたでしょうか。

 母親を個人的に慕うだけでなく、社会的に保護・支援していくことを考えるのが大切なのではないでしょうか。

 たとえば、日本でも女性は結婚・出産後、会社を辞めてしまうケースがまだまだ多いようです。今日のニュースで掲載されていたある調査では、未婚女性の多くは結婚・出産後も仕事の継続を望んでいるという結果が出ました。「全国の働いている未婚女性のうち、82・7%が結婚を希望し、結婚を希望しない人も含め、85・5%が結婚後も仕事を続けるべきだと考えている」とありました。

 こうしたことを考慮すれば、日本について言えば、『母の日』には、男女共働き、子育ての支援、就職支援、ヘルスケア、産休の間の給料と復帰後のポジションの保証などについての話題も、もっと語られる必要があるのではないでしょうか。

 もしくは、本来の起源に立ち戻り、平和活動をこの日に行ってもよいのではないでしょうか。実際、アメリカでは1980年代から、母の日に核廃絶を訴えてイベントをするなどの平和活動団体もあります。

 今日私たちが直面している一番の脅威は、核ミサイルではなく、他国への無関心─他国の文化・歴史、貧困、公衆衛生への無関心、そして「母なる大地」の破壊に対する無関心─なのです。

 もう一度『母の日』について考えてみませんか。


 




 




 最後に、もしかしたら、こんなことを書いていると、「ひねくれてる」「侮辱している」なんて思う方もいるかもしれません。でも、ぼくは別に、純粋に母親を想い感謝するという今日の『母の日』の祝い方を否定しようとしているわけではありません。それにもっとプラスして何かを考えてみよう、ということです。19世紀の人々は、この日、母への感謝する気持ちに加え、社会活動をも同時に行っていたのです。昔の人にできて今の人にできないことはないと思うのです。


こんなのを読んだらもうカーネーション買えないよ(泣)、という心あるあなたに朗報です ^0^/

 内戦と貧困に苦しむコロンビアは、カーネーション生産量世界一。日本が輸入するカーネーションの8割以上もコロンビアから来ているそうです。今まで反政府軍の資金源となっている麻薬の原料としてケシを育てていた貧しい農家が、カーネーションを植え始めたというケースもあるそうです。ということで、カーネーションを買う人は、コロンビア産を選んで、コロンビアの平和と貧困に貢献しようっていうのもいいかもしれませんね ^-^。




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マザーテレサの言葉④
- 2006/05/16(Tue) -

 協労者は、行為に愛をあらわすべきです。
 私たちの愛の仕事は、
 平和の仕事にほかなりません。


 より大きな愛を持って、
 てきばきとこの仕事を果たしましょう。
 それぞれの仕事で、毎日の生活で、
 家庭で、周りの人といっしょに。


 ただ、私は物が浪費されるのを見ると
 怒りを感じるのです。
 私なら使えるものを
 人びとが平気で捨てる時に。


 オキ、私はね、どんな人でも、
 もっとも貧しい人びとのために
 何かしたいという愛の心を
 持っている人なら歓迎しますよ。


 プロテスタントでも回教徒でも、
 ユダヤの人でもヒンズー教徒でも、
 オキの国の仏教徒でもね。
 隣人に奉仕するのは
 献身と祈りと愛によってですよ。
 
 

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人間―人と人の間で
- 2006/05/17(Wed) -

5月10日に放送された
NHK「クローズアップ現代」で
「脳科学で防ぐ“キレる子”」
というのをやっていました。


年々増えているといわれている「キレる子ども」
文部科学省が専門家を集めて
「キレる子ども対策」に取り組んでいるようです。
そこではこれまでの
教育学や心理学などだけではなくて
最新の脳科学を取り入れた研究をしているとか。


そこで注目されていたのが脳のふたつの器官。
感情を生み出す「アクセル」となる扁桃体と、
感情を制御する「ブレーキ」の役割を担う前頭前野。


いろんな実験で分かってきた「効果的な訓練法」を
現場で生かしていくための取り組みが
既に始まっているようでした。


では、どうすれば「キレない脳」を育てられるのか。
最新の研究成果と現場の取り組みを伝えていましたので
ちょっと覚束ないけどまとめてみました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


脳においては、通常は扁桃体の本能的な情報を
前頭前野が理性でうまくコントロールすることで
私たちの心は健全に成り立っている。
でも、その2つの連携がうまく機能しなくなったときに
扁桃体から発生した本能的な情動が暴走を始める。
その現われの一つが
今の「キレ」やすい子ども達の問題である、と。


要は、「健やかな心」を形成するためには、
扁桃体と前頭前野を活発に機能するように
育てることが必要になる―


では、どうすれば活発に機能するのか?


番組の中の研究でとても興味を引かれたのは
チンパンジーの実験でした。
チンパンジーの扁桃体が最も刺激されたのは
普段接している飼育担当者が笑顔を見せたときでした。


親しい人の「笑顔」・・ですって。


そして、「ああ、やっぱりなあ」と思ったのは、
同じオセロゲームをするのでも
パソコンに向かってオセロゲームをしている時の
子どもの前頭前野よりも、
友達と実際に対戦している時の
子どもの前頭前野の方が
圧倒的に大きく刺激されていたことでした。


人との有形無形のコミュニケーション?


それが「キレない脳」の発育につながるのではないか、
ということなのですね―


ライフスタイルの変化や核家族
勉強勉強で遊ぶ時間も空間も失っている子ども達
また、逆にネット上では自在に人と「つながれる」


今の社会特有のあらゆる現象の中で、
人と人、いえいえ、たとえ親子の間でも
コミュニケーションの希薄化が進んでいて
それはある意味子どもにとっては
虐待や養育放棄と同じ様な
愛情剥奪状態なのかもしれない。


直接、目を見て、抱きしめて、話を聞いて
互いの気持を解り合う・・
豊かな時間を共有する・・
心と身体全部で人の存在そのものを感じる・・


人はやっぱり
人の中で人に成って行くのかなと
そんなことをつくづく考えさせられました。


 

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E・キューブラー・ロス博士の言葉⑤
- 2006/05/18(Thu) -

人は、誰でも人の心を癒すことができます。
誰だって、
高次の意識のどんな段階にでもたどり着けます。
難しいことをする必要はありません。
ただ自分の持っているものに感謝すること、
そして心からの感謝の気持ちをさまたげるものを
取り除くこと、これだけです。


人生であなたが何をするかはどうでもいいのです。
大切なことはただひとつ、
あなたがすることを、
愛の心をもってするということです。


もしみなさんが世の中を癒したいのなら、
まずこのことを理解してください。
自分自身を癒さないかぎり、
世の中を癒すことはできません。


ほかの誰かを打ちのめすことで
誰かを救うことはできないのです。


あなたが誰かに「いやなやつ」
というレッテルをはるたびに、
事態はいっそう悪くなります。

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V.E..フランクルの言葉⑤
- 2006/05/20(Sat) -

従来のセラピーの根底にある人間像が
もともと根本的に間違っていたのは、この点だったのです。
つまり、従来のセラピーは、人間をモナドと考えています。
従来のセラピーは、心理学ではなく、モナドロジー(単子論)です。
それは、人間を、一つの閉じたシステムとして、
窓も扉もない一つのモナドとして考えているのです。

しかし、ほんとうは、人間存在の本質には、
自分自身を超越するということが含まれているのです。
自分の人生にとって大切なのは、自分自身ではない、
なにかやだれかなのです。なにかの仕事やほかの個人なのです。
そして、このことが忘れられているのです。

 ですから、精神力学で言われるように
消費社会の欲求を鎮め衝動を解放すること、
あるいは行動主義心理学で言われるように刺激に反応すること、
そういったことだけが私にとって問題なのだとされるならば、
それには私は満足しないことでしょう。

私たちは、外で、世界の中で、なにかをしたいのです。
解放したり反応したりするのではなく、行動したいのです。 
私たちは、世界の中で、なにかを変えたいのです。
私たちは、だまされたいとかなだめられたいとは望みません。

この点で、薬物に手をのばす人々は、根本的に間違っています。
言うなれば実存的に、あるいは認識論的に間違っています。
かれらは、無意味感に襲われたために、
意味感情を自分のうちに引き起こそうとするのですが、
その意味感情は主観的感情にすぎないのです。
外では課題が待っています。

これは、カリフォルニアのネズミ、
オールズとミルナーとまったく同じです。
二匹の脳内には電極が埋め込まれています。
そして、ボタンを押すと、オルガスムと摂食衝動の充足が
引き起こされるようになっています。
すると、どうなったでしょうか。
二匹のネズミは、キーに飛び乗って、一日に五万回も
摂食衝動や性衝動を満足させることを学習したのです。
そして、その結果はどうでしょうか。
二匹のネズミは、現実の餌や現実の性の相手が与えられても、
それらに見向きもせず、
ボタンを押して自分で自分を満足させようとするのでした。

このネズミはモナドだと言えます。
しかし、それは人為的に操作された動物であって、
コンラート・ローレンツが明らかにしているように、
正常な動物なら、けっしてそんなふうに反応することはないでしょう。

まして、自然のままの正常な人間なら、
見せかけでは満足しないのです。
正常な人間は、現実の意味を求めます。
そして、個々の意味ならば見つけることができます。

かれは究極の意味をも求めますが、
しかしそれは見つかるとはかぎりません。
すくなくとも宗教心のない人間には見つかりません。
それは「人間の条件」に含まれていることであります。

人間としての人生には、ちょっぴり諦めがつきものなのです。


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「もし世界が百人の村だったら」
- 2006/05/21(Sun) -

5・6年前だったでしょうか。
インターネットで盛んにこんな文章が配信されました。
当時、プリントアウトしたこの文章は
今でも私の心に何かを訴えかけ続けています。

人口統計から、もし世界が百人の村だったら・・

この文章を読んだ私は
自分を
「幸せ」だと感じる以上に
自分がいかに「傲慢」で「無神経」で
「人の不幸」の上に胡座をかいて暮らしているのかと
本当に辛い気持になりました。


そして、それから自分は何をすべきか
何ができるのかと、考えるようになりました。


でも、いまだに殆ど何もできていないんですけどね・・


以下、ご紹介致します。




100人の村   

誰かが私に興味深いお話を伝えてくれました

もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう

  その村には…   

57人のアジア人   
21人のヨーロッパ人   
14人の南北アメリカ人   
8人のアフリカ人がいます   

52人が女性で   
48人が男性です   

70人が有色人種で  
30人が白人   

70人がキリスト教以外の人たちで   
30人がキリスト教   

89人が異性愛者で   
11人が同性愛者   

6人が全世界の富の59%を所有し   
その6人ともがアメリカ国籍   

80人は標準以下の居住環境に住み   
70人は文字が読めません   
50人は栄養失調に苦しみ   
1人が瀕死の状態にあり   
1人は今生まれようとしています   

1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け   
そして1人だけがコンピューターを所有しています   

もしこのように縮小された全体図から   
私達の世界を見るなら   
相手をあるがままに 受け容れること   
自分と違う人を理解すること   
そしてそう言う事実を知るための教育がいかに必要かは   
火を見るより明らかです   

また次のような視点からもじっくり考えて見ましょう   
もしあなたが今朝目が覚めた時
病気でなく健康だなと感じることが出来たなら…   
あなたは今週生き残る事のできないであろう
100万人の人たちより恵まれています

もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩   
あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら…   
あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています   

もしあなたがしっこく苦しめられることや逮捕拷問   
または死の恐怖を感じることなしに
教会のミサに行くことが出来るなら…   
あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています   

もし冷蔵庫に食料があり着る服があり
頭の上に屋根があり寝る場所があるなら…   
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています   

もし銀行に預金がありお財布にお金があり   
家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら…   
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です   

もしあなたの両親がともに健在で
そして二人がまだ一緒なら…
それはとても稀れ なことです   

もしこのメッセ-ジを読む事ができるなら
あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう
何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて   
その上あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々より   
ずっと恵まれているからです   

昔の人がこう言いました
我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来ると   
お金に執着することなく喜んで働きましょう   
かって一度も傷ついたことがないかのごとく
人を愛しましょう   
誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう   
誰も聞いてないかのごとくのびやかに歌いましょう   
あたかもここが地上の天国であるかのように
生きていきましょう   

このメッセ-ジを人に伝えて下さい 

そしてその人の一日を照らしてください   

※作:K.Leipold  ※訳:なかのひろみ


 

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マザーテレサの言葉⑤
- 2006/05/22(Mon) -

人間的なあつかいをうけていない人たち
社会から拒絶され、きらわれ、軽蔑されている人たち
この世でもっともひどい病気に苦しんでいる人たちのもとに
いかなければならないのよ。


でもね、あなたたちは、
もっと身近なことからはじめたらどうかしら。


病院に入院している患者に花を持っていってあげるとか、
年とった人のために窓を拭いたり洗濯をしてあげるとか、ね。
浮浪者のために社会保障の用紙に記入する手助けするのだって、
目の不自由な人のために手紙を書いてあげることだって、
とてもりっぱな愛の表現なのよ。


いまの世の中、人間が人間を見捨てているのよね。
親が子を、子が親を、兄が弟を、友が友を、隣人が隣人を。


子どもはあなたの愛を待っているのよ。
一対一のね。
あなたが働いてその子のパンを稼いできても
その子がほうっておかれるんじゃどうしようもないでしょう。


いま、ほとんどの人が
生活をもっと豊かにしようと忙しく働いていて
子どもたちは両親とすごす時間が
とても少なくなっています。


私たちが接している貧しい人たちは
物質的には豊かじゃないけれども、
ほんとうに子どもを愛していますよ。


その意味では、世界一の幸せ者かもしれませんね。

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E・キューブラー・ロス博士の言葉⑥
- 2006/05/24(Wed) -

無条件の愛とは、
べたべたした感傷的なものではなく
「自分自身と同様に相手をも尊敬する」という愛です。


たいせつなのは謙虚であることです。
人は必要な知識をすでに自分の内に持っているのだ、
と知ることです。


そして私たちが謙虚に心を開き、
自分と同じように隣人を愛し、
尊敬することができるのなら、
私たちはおたがいに助け合うことができるのです。


私たち人間は、この銀河のなかで
自由な選択を許されている唯一の生き物として、
日々みずからを祝福すべきではないでしょうか。


ところが、ほとんどの人は
死んでからはじめてこの世で生きるとは
いったいどういうことだったのかをさとるのです。


そのときになってはじめて、
命とは人生のそのときそのときにおこなう選択の
総計以外の何物でもないということがわかるのです。


心のなかで考えることも、行為と同じく、
自分で責任を負わなくてはならない現実です。


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V.E..フランクルの言葉⑥
- 2006/05/26(Fri) -

『死と愛』より


運命は
大地のように人間に属している。
人間は
重力によって大地にしばりつけられるが
しかしそれなくしては
歩行は不可能なのである。


われわれは、
われわれが立っている大地に対するのと同様に、
運命に対さねばならず、
われわれの自由に対する
跳躍台としなければならないのである。


運命なき自由は不可能である。
自由はただ運命に対する自由でのみありえる。




『夜と霧』より


およそ生きることそのものに
意味があるとすれば、
苦しむことにも意味があるはずだ。


苦しむこともまた
生きることの一部なら、
運命も死ぬことも
生きることの一部なのだろう。


苦悩と、
そして死があってこそ、
人間という存在は
はじめて完全なものになるのだ。

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私は世界とともにある
- 2006/05/27(Sat) -

「セーブ・ザ・チルドレン」から
http://www.savechildren.or.jp/know/index.html



『あなたに知って欲しい 』


3秒に一人、貧困を原因とする病気や飢えで子どもが死んでいます。


貧困により、毎日3万人の子どもの命が奪われています。
貧困により、数百万人以上の子どもが、ヘルスケアや教育、
そしてよりよい未来へと羽ばたくチャンスを失っています。
開発途上国では、7人に一人の子どもが5歳の誕生日を迎えることができません。
 
毎年1,200万人の5歳以下の子どもが簡単に予防できる病気で命を落とし、
数百万人の子どもが衛生的でない水の摂取や不十分な衛生設備のために
病気にかかっています。


毎年400万人の赤ちゃんが、生まれてから一ヶ月足らずで死亡しています。


6億人以上の子どもたちが、一日1ドル以下で暮らさなければならない
家族の中で生きています。
 
およそ1,600万人の子どもたちが、HIV/AIDSによって片親もしくは両親を失っています。


全世界で推定2億5,000万人の子どもたちが労働についており、
そのほとんどが危険で搾取的な状況下にあります。


8歳ほどの幼い子どもたち30万人が、戦争の最前線で兵士として使われています。


戦争によって、2,000万人の子どもたちが傷を負い、殺され、
もしくは家を追われています。
 
世界で1億1,000万人の子どもが学校に通っていません。
読み書きや簡単な計算が出来るようになる前に
ドロップアウトしてしまう子どもたちもたくさんいます。


毎年約600,000人の女性が防ぎうる妊娠・出産の合併症により亡くなっています。


世界には8億6,000万人以上の成人非識字者がいます。そのうちの64%は女性です。

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マザーテレサの言葉⑥
- 2006/05/28(Sun) -

国と国の間に大きな違いはありません。
どこへ行っても出会うのは人びとですから。
異なった外見、異なった教育や異なった地位ではあっても、
みなおなじです。
どの人もみんな愛すべき人です。
みんな愛に飢えています。


あなたがたがもし、
苦しんでいる兄弟姉妹のひとりひとりを思いおこすなら、
仕事はもっとらくに感じ、
貧しい人たちにたいしても
もっと心の底から微笑むことができるでしょう。


もし、貧しい人びとが飢え死にするとしたら、
それは神がその人を愛していないからではなく、
あなたが、そして私が、
その人たちにパンを、服を、そして愛を、
思いやりをあたえなかったからなのです。
 
飢えている人がいます。
でもそれは、パンがないためではありません。
愛、思いやりへの飢え、
だれかの「自分」でありたいという思いが
みたされない飢えなのです。


裸の人もいます。服がないということではありません。
見ず知らずということだけで、
やさしい心づかいをしめしてもらえないという意味で裸なのです。


でも、それらの人びとに話すことはできるだけ少なくしましょう。
説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。
ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい。
そのほうがもっと雄弁なのですから。
 

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回避性パーソナリティ①
- 2006/05/29(Mon) -

昨日の日曜日、長年の友人が遊びに来る。
「前に来てから8ヶ月ぶりだよ」と言われ、自分でも驚く。
忙しすぎて、そんなに経っていたとは全く気づかなかった。


いや、それほど精神的に追い詰められた日々を
送っていたということなのだろう。


昨年の7月、何でもない権威者からの一言で
外傷体験のフラッシュバックを起こし
「それがなんなのか」に気づくまで、
久しぶりにどうすることもできない苦しみを味わい続けた。

日常生活にまで支障が出始めて、
「もうダメだ」というところまでいって
今年の2月、激しい身体症状とともに退行し、
そして、やっと原因に気づいたのだけれど。

それは新たな自分自身の
問題点の再発見でしかなかったけれど。


回避性パーソナリティが原因。
「社会的制止、不全感、および否定的評価に対する過敏性の広範な様式で、
成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。」

対人関係で傷つくことを極度に怖れていて、
自分に対する否定的な思いが強い。

散々否定的なことを言われ続けてきたので
それらの言葉を連想させる一言で
何十年分もの否定の歴史が一気に蘇ってしまうのだ。

回避という行動パターンが成立するプロセスを考えた場合、
直接的な原因となっているのは、やはり慢性的な外傷体験だろう。
長期間にわたる、逃げ場のない、苦しい体験をすれば
人は、意識的、無意識的に、同じ状況を避けるようになる。


回避は、トラウマ体験や持続的なストレスに対する反応として
自分自身を守るための自然な行動なのだ。


何しろ、一時的に休養し、ストレス源から離れ
自然の回復力が働き、元に戻るのを待つしかない。
休むことが第一か。


久しぶりの友人の訪問で
一緒に近くの公園へ、菖蒲の花を見に行ってきた。


自然は美しい。


自然は心を癒してくれる。


で、カウンターもランキングも削除した。
全くもって、馬鹿なことをしたものだと思う(笑)


 


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回避性パーソナリティ②
- 2006/05/31(Wed) -

【DSM-Ⅳ-TR精神疾患の分類と診断の手引き】より
以下のうち4つ(またはそれ以上)によって示される。


(1)批判、否認、または拒絶に対する恐怖のために、
   
重要な対人接触のある職業的活動を避ける。


(2)好かれていると確信できなければ、人と関係を持ちたいと思わない。


(3)恥をかかされること、またはばかにされることを恐れるために、
   親密な関係の中でも遠慮を示す。


(4)社会的な状況では、批判されること、
  または拒絶されることに心がとらわれている。


(5)不全感のために、新しい対人関係状況で制止が起こる。


(6)自分は社会的に不適切である、人間として長所がない、
   または他の人より劣っていると思っている。


(7)恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、
   個人的な危険をおかすこと、
   または何か新しい活動にとりかかることに、
   異常なほど引っ込み思案である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


いつ頃からそうなっていったんだろう・・


自己修正を積み重ねていく過程では、
数え切れないほどの失敗やつまづきや、
必要以上の熱中状態にはまり込んだり、
所謂普通の人たちから
「囲まれてのイジメ」や「孤立」や「排除」も数々受けてきて、
(多分私の対人関係のあり方がヘンだったからだろうと思ってる・・)
そして、「普通」になるための努力と並行するように
どんどん怖さも増していった気がする。


以前は、良い悪いを別にすれば
行動化が激しくて激しくて、怖いも何も感じることさえなかった。


「普通」になりたい!「普通」ってなんなの!
どこをどう修正すれば「普通」になれるの!


そう心で叫びながら
迷い苦しみ葛藤し、
真っ暗な道をたった一人で、
手探りでもがきながら歩き続けてきて
「普通」の人たちの怖さがとことん染み込んじゃったのかなあ・・


最近はまた、恐怖や不適切感が倍増していて
ボランティア活動にも支障が出始めている。
ここにずっぽりはまり込むと
「うつ」と「引きこもり」の状態にまで行ってしまう。
何度も繰返してきているのでもう分かっている。


で、あえてまた新しいことへと飛び込む。
新しいボランティア活動を、
死にそう(死にはしないのに死にそう)になりながら開始している。


怖い、恐い、辛い、苦しい、
話せない、声がでない、輪には入れない、
自分だけが出来ない、自分だけが落ちこぼれていく、自分だけがダメだ


そんな自分に言い聞かす
戦いだ!戦いだ!戦うぞ!自分の中の恐怖という
無意識の仕掛けてくる罠になんか、やられてたまるか!」と。


日々、そう言い聞かせて暮らしている。


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