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自分を慰める方法・・・その5
- 2007/04/01(Sun) -

自分を慰める方法


(ちょっと息抜きに・・・)


この本には
いろいろな方法が書いてあるけれど
自分がしていることはとても数少ない。


それでもまだまだありました!


お料理に凝る
子どものころの食卓はとても緊張を強いられる
苦痛な場所と時間でしかありませんでした。


「好き嫌い」は罰せられます。
何日も何日も、嫌いだと言った食べ物が続きます。
嘔吐しそうになりながらも、全て食べ終わらない限り
他のお料理は一切与えられません。
また、汚い食べ方をしたり、無駄口を利くと
すぐに私を目がけて容赦なく物が飛んできて
額や指に怪我を負う。
小さな傷よりその恐怖の方がとても大きかった。


それよりさらに辛かったのは
私が「好き」と思わず言った食べ物は
いつも糞みそにけなされ、馬鹿にされ、
笑いものにされることでした。


「なんだ、そんなものが好きなのか。やっぱりお前は馬鹿な子だね」
「お姉さんは●●しか食べないといっている。
さすがにあの子は舌も肥えていて味も解る。
大したものだよ。それに比べてお前は・・・安物で充分だ」など・・・


実際は、家が貧しかったため
安い食べ物を好きだといって親に気に入られようとしていたのです。
喜んでもらえるかと思って、ほうれん草の根っこのところとか
お魚なら秋刀魚とか鯖とか、肉の入っていないカレーとか(笑)
私のほうれん草のお浸しは全部根っこの赤いところばかりで
葉のところが私に当たることはまずありませんでした。


でも、少々値段の高いものでも
自分が本当に好きな食べ物をうっかり言うと
そこでまた嫌味を言われる。
「高いものが美味しいのは当たり前だろ。家の事も考えずに」と


要するに、どうすることも出来ない状況に
いつも置かれてしまうのですから・・・
食べることや食卓はとても苦痛でした。


でも今は、お料理が大好き!
自分の食べたいものをいろいろな本屋やネットで探して
様々に工夫を凝らして丁寧に作ると
本当に美味しくてとても幸せな気分になる。
自作のお料理ファイル帳も、もう10冊を超えました。
20年位前に初めて買った「365日のおかず」という本。
今は表紙も取れてボロボロになりましたが
その本でお料理の基本を全部覚えたといっても過言ではありません。


私は17歳で家を出ているので
家事全般、料理全般、子育て全般も
全て本やテキストを何十冊も手に入れて
繰り返し繰り返し読んでは実践して覚えてきたから。


そんな努力が実を結んだのか
今の私はちょっとお料理には自信があります。
テキストを見なくても、材料に合わせて
手間と工夫さえ厭わなければ、
本当に美味しい食事を作れます。


誰かに怒鳴られたり、貶されたりする恐怖も感じることなく
自分が作った自分の好きなお料理に安心して舌鼓を打つ。


そんな平凡な出来事にとても慰められ、
美味しくて楽しい食事が出来る幸せに
日々感謝しています。


そして今も
現在進行形で確実に料理の腕は上がリ続けている、と思います343


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荒れ果てた原っぱにて
- 2007/04/02(Mon) -


                                        


                                 kuroneko.jpg


私は長い間野良猫のようにして町町を彷徨い


それが何時からなのか物心もつかないうちから


あちらこちらの優しい方々のお情けをこうむってご飯を頂き


時にはあまりにも荒々しく抱きしめられて


癒されることのない深い傷を都合五回ほどは受けながら


かろうじて命だけはつないできたものの肉体はどんどん穢れてゆき


淡雪のように白く生まれたはずのこの身体さえふと気づくと漆黒に染まり


老猫と成り果てた今でもその色は決して元には戻らないまま更に深い闇を抱え


明け方まで裏の荒れ果てた原っぱをあてもなく意味もなく


どこまでもどこまでも歩き回ってはまた再びの朝を迎えるのであります。


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一切にわがものなし
- 2007/04/03(Tue) -

[一切にわがものなし]


人々は「わがものである」と執着したもののために悲しむ。


[自己の]所有しているものは常住ではないからである。


この世のものはただ変滅するものである。・・・


人が「これはわがものである」と考えるもの、


―それは[その人の]死によって失われる。


われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、


わがものという観念に屈してはならない。


                   ―「スッタニバータ」

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幸せ
- 2007/04/04(Wed) -

入学式も終わり、ガイダンスとかオリエンテーションとか新入生歓迎会とか
毎日忙しく走り回っている娘。


「お母さん!すごく楽しい!楽しくて楽しくてワックワク!!」


昨夜も帰ってくるなり輝くような笑顔でそう言って、
トントントンと軽い足音を立てながら2階へ駆け上がって行った娘。


合格発表から入学式までの1ヶ月足らずの日々を
娘と2人、まったりのんびり、何をするでもなく過ごした。


散歩をしたり、DVDを借りて映画を見たり、買い物に行ったり・・・


それなのに胸の奥深くから、こんこんと湧いてくるような幸せ。


私を心から「大好き!」と思ってくれる人間がいる喜び・・・


生まれて初めて見るような、幸せの涙が一杯詰まった心の色。


それは透きとおる空の色。


一点の曇りもない蒼い天空。


こんな幸せが私にも訪れるなんて夢にも思わなかった・・・


愛する喜び


愛される喜び


そしてひたすら幸せを祈る母の喜び


私もまた仕事に大学院の勉強にと忙しい日々が始まっている。


もう、二度とは訪れないかもしれないあの親子の蜜月の日々に
今はただ心からの感謝の思いで一杯だ。



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「発達心理学特論」のための覚書①
- 2007/04/05(Thu) -

「発達心理学特論」のための覚書


S.フロイトの精神分析が盛んであった20世紀の初頭では
発達早期の母子関係の研究が進んでおらず
『母性的なケア(共感的なかかわりあい)』
の重要性が意識されることも殆どなかった。


発達早期の母子関係や母性的なケアの大切さが
精神分析や臨床心理学で意識されるようになったのは、
愛着理論(アタッチメント理論)を提起したジョン・ボウルビー
ホスピタリズム(施設症候群)を研究したルネ・スピッツ、
分離‐個体化期の発達段階で生じる分離不安を指摘した
マーガレット・S・マーラーらによってだった。


彼らの研究は、
『人間の健康で安定した精神発達には、
発達早期の母性的な愛情・保護・ケアが必要である』
ということである。


病理的な情緒障害や人格障害との関係では、
『情緒的な見捨てられ感や
孤立した状況での無力感に長時間さらされないこと』
が重視されている。


S.フロイトは
母親と乳児期の子供の相互的な関係性には余り関心を払っておらず、
非言語的コミュニケーションに対する
発達早期の乳児の能動性や主体性を実際よりも低く評価していた。


イギリスの精神科医ジョン・ボウルビーは、
母親と子供の間に形成される
対象にぴったりとくっつくアタッチメント(愛着)が、
その後の精神発達に大きな影響を与えると示した。


ボウルビーは、
母親が不在となりアタッチメントが形成できない状態を
母性剥奪(母親剥奪, mother deprivation)と呼び、
母性剥奪が子供の心身発達に悪影響を与えることを
多数の観察事例から確認した。

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詩を読む
- 2007/04/06(Fri) -

詩を読む



  世界は一冊の本


本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。


書かれた文字だけがほんではない。
日の光り、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。


ブナの林の静けさも、
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。


本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。


ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、
地図のうえの一点でしかない
遥かな国々の遥かな街々も、本だ。


そこに住む人びとの本が、街だ。
自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。


シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネブド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。


人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。


草原、雲、そして風。
黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。
権威をもたない尊厳が、すべてだ。


200億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
 、 、、 、、、 、、、
考えることができるということだ。


本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。


長田 弘 「世界は一冊の本」 より


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私、この人の詩、好きなのかもしれない・・・

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働く
- 2007/04/11(Wed) -

今日は会社の行事のお花見会へ行く。


京都の奥の奥の奥のほーまで観光バスで。


朝早くから夕方まで長い時間。


お天気が良すぎて
1日中お日様の真下で照らされ続けて
脳みそが湯豆腐になったみたい・・・


こんな経験何十年ぶりだろう?


毎日働く。


どんな仕事でも。


嬉々として働く。


無心に働く。


明日も、あさっても。


その次の日もまたその次の日も。


毎日働く。


黙々と働く。


それが今の私の1番の役目と信じて。

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正体
- 2007/04/15(Sun) -

夫が、どんなに愚かなことや酷いことをし続けても
どうしても許してしまう自分がいる・・・


自分の許容限度を遥かに越えた
この許すという行為は
激しく血を噴き上げて身体が真っ二つに裂けていく様な
耐えがたい苦しみなのに
それなのに、まだそれ以上に、
もし私が夫の行為を許さなければ
夫が自殺してしまうのではないか
という
強烈な恐怖と不安に襲われ、パニックのようになって
結局は許す以外に自分が生きる術がない。


夫は人格破壊しているから
その行動は尋常ではない。


十数年も無免許で飲酒運転を続け、
警察につかまっても
泣いている私を不思議そうに眺めてケロリとしている。


数十社のサラ金にニ十年以上も借金を続け、
幼い子どもを抱えた私は例え台風の最中の日でも
嵐の中を子どもをおんぶし自転車に乗せ
決して濡れないように大きなカッパで子どもをスッポリ包み込んで
支払期限に追われて何件ものサラ金へ
嵐の中を突っ切って借金の返済を続けた。


家にはいつもお金が無くて
私はゴミ箱から拾って修理したスカートや
下着まで繕って身に着けていたが
夫は一晩で8万10万とお酒を飲み
たった1日で1ヶ月分の収入のすべてを
博打で失ったことも何度もあった。


そして、そんな時は
夫は1週間も10日も家に帰らず
私を強烈な不安と恐怖に陥れて
泣き疲れて何ら抵抗する気力も失ってしまった頃に
よろよろの姿で戻ってくる。
すると私は「ああ、生きていてくれてよかった・・・・」
ただ思うのはそのことだけ。


仕事から帰った時はいつも酔っていて
玄関を入るや否や
すでに仁王立ちでその場から私への罵倒が始まり
私が怯えて泣くと苛立って
さらにエスカレートして暴力を振るう。


「俺がどんな思いをして働いていると思うんだ!!」


それが夫の常套句。


夜中の2時3時までその罵倒が続くことも日常化していた。
包丁を持ち出して、私の目の前の畳に2本突き刺し
「お前が死ぬか、俺が死ぬかのどっちかだ!」と怒号は続く。


夫が酔い潰れて鼾をかいて眠りにつくまでそれは続く。
延々と続く。延々と・・・


幸い子どもは早くに眠るので
そんな夫婦の修羅場は何も知らない。
それだけが救いだった。
僅か朝の数十分の素面の夫を
本当の父親だと思って甘える娘の姿が私の唯一の救いだったのだ。
そして愚かな私もまた、その朝の数十分の素面の夫を
本当の夫の姿だと信じようとしてきたのだ・・・


この恐怖
夫がまたとんでもないことをしでかして
生活や家庭が危機に瀕してしまっても
そのこと以上に夫が家に帰らなくなった時に味わう凄まじい恐怖。


夫が浮浪者になって野垂れ死にしてしまうんじゃないか・・・
自殺してしまうんじゃないか・・・


死、死、死、死、死・・・
目の前に広がる夫の死に顔。
家を失い食事もとれず栄養失調でガリガリに痩せて
町を彷徨う夫の姿・・・


その恐怖と不安は凄まじく
夫から受けるあらゆる残酷な仕打ちの痛みと悲しみさえ
一瞬にして掻き消されてしまう。


その正体が、
その、日常のどんな苦痛や悲しみさえ掻き消してしまう恐怖の正体が、
やっと、昨日見えたのです。


私の妄想の中に常に顕われ私を恐怖のどん底に陥れる
今まさに見捨てられ死に瀕している夫の姿は
あれは決して夫そのものなどではなく、
あれは、まさしく
かつて何度も住居を失い一人町々を彷徨い食事にさえ事欠いて
死の恐怖に怯えた幼き頃の自分自身の姿であり
その頃強い自殺願望に捉われて何度も未遂を繰返した
自分自身の壮絶な悲しみであり
見知らぬ部屋部屋で
残酷な仕打ちを受けながらもやっと生き延びてきた
自分自身の地獄を這い回る姿であったのだと。


だから私は夫の中にかつての自分自身の姿を見
幼い頃から見捨てられてきた悲しみや実際に味わった
死の恐怖や絶望感が
「今、ここで、この身に」まさしく起きているかの如く
強烈に生々しく再体験してしまい
なんとか自分で自分を救おうとしてなんとか自分だけは自分を見捨てまいとして
ありとあらゆる苦しみさえ黙殺し、
夫(=私)を許し受け入れようと際限のない泥沼のような努力を
し続けて生きるしかなかったのだと。


それが、私の悲惨な結婚生活の正体。


愚か、憐れ、そして無性に悲しい・・・

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紛い物の悲しみ
- 2007/04/17(Tue) -


BADRUN氏ブログより


 


雪ヤナギ


雪じゃあない


白くても純白じゃあない


それでも雪ヤナギは雪ヤナギ


それでいいじゃないか・・・


それが真実なんだ・・・きっと

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「発達心理学特論」のための覚書②赤ちゃんって素晴らしい!
- 2007/04/19(Thu) -

赤ちゃんって素晴らしい!!


人間は直立歩行するようになってから
徐々に大脳が大きくなり
歩くのに適するように骨盤が変化して産道が狭まったため
本当ならまだ1年くらいは母胎内で発育するべきところが
赤ちゃんの頭があまり大きくならないうちに
出産してしまわなければならなくなって
人間は「生理的早産(ポルトマン)」で
生まれるようになってしまった。


だから人間の赤ちゃんは生まれた時は全くの未成熟・・・
身近な大人の世話を受けなければならなくて
人間の母子関係は長期化し
養育の影響を強く受けることになった。


でも、赤ちゃんは
運動面ではとても未熟で無能だけれど
外界からの刺激に反応する感覚機能は
とてもとても有能なのです!


赤ちゃんはホントに早期から
人に対して特殊化された社会的欲求
とみなせるような反応を示すのですって!!


凄いな!凄いな!
なんだかとっても嬉しいな!


(続く・・・)

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「発達心理学特論」のための覚書③エントレイメント
- 2007/04/20(Fri) -

赤ちゃんが極めて早期から示す
人に対する特殊化された社会的欲求とみなせるような反応。


それは例えば「エントレイメント
これは赤ちゃんが相手の働きかけ(音声や表情)に合わせて
身体を動かす現象をいいますが
この現象が親の働きかけを誘発し
社会的やり取りを継続させる効果を持っています。


母子関係では、
一見母親が一方的に赤ちゃんをコントロールしているように見えますが
実は赤ちゃんの側でも
母性を開発し母親からの働きかけを誘発するような特性
・・・人の声、人の顔や表情への敏感性・・・
生得的に備えているのです。


また、赤ちゃんは出生直後から「人と物」の区別をすることが出来ます。
特に人の表情に敏感で
目は人との関係をつくる上での基盤になりますが
赤ちゃんの誕生直後の視力は0.02程度、見える距離は30cmぐらい。
これはちょうど母親に抱かれた時
母親の顔だけがはっきり見える距離です。


また、赤ちゃんは
生後2週間くらいは色彩のない世界に住んでいて
明暗のコントラストによって対象を見ているので
特に顔の中でも
髪の生え際や目のあたり」に焦点を合わせることになります。


このことが、母親に「赤ちゃんは自分を見ている
自分に無言で語りかけてくる」というような気持ちにさせます。
そこで母親も赤ちゃんに話しかけたり、赤ちゃんが何を欲しがっているのか
読み取ろうとする・・・・
こうして交互の眼差しの交し合いが始まるのです。


更に、赤ちゃんは母親の目に焦点を合わせ
母親からの反応を引き出すことに成功します。


母親を見つめることによって表情を見分けられるようになる。
生後わずか1時間程度の赤ちゃんが、
母親の表情に対しても敏感であり
人の表情を見分け、
怒りや喜びの表情に応じた表情をすることが知られています。
こうして母親は赤ちゃんが自分と同じ表情をするのを見ることによって
養育行動が開発されていくのです。


例えば、赤ちゃんはおっぱいを吸う時
吸いつぎ」という行動をとります。
チュ―チュ―吸っていたかと思うと、ふと休む。
あれっと思った母親は、「よしよし、よしよし」と赤ちゃんをあやし、
抱きながら赤ちゃんの身体をそっと揺らしてみる。
そうするとまた赤ちゃんはおっぱいを吸い始め、またしばらくすると休む。
母親は「もうお腹いっぱいになったのかな?」などと言いながら
今度は赤ちゃんのほっぺにそっとタッチしたりしてみる・・・


こうして赤ちゃんの側からの
母親の働きかけを誘発する「エントレイメント」によって
母子相互作用の基盤が形成されて行くのです。


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「発達心理学特論」のための覚書④母親の原初的没頭
- 2007/04/21(Sat) -

では、妊娠中期頃から、赤ちゃん出産後2~3ヶ月の間
母親はどんな状態にあるのか?


母親の原初的没頭(maternal preoccupation)
とウィニコットは言います。


小児科医として6万例にものぼる幼児と母親の観察から
「幼児なんてものは存在しない・・母親と幼児は・・一つの単位状態を形づくっている」
として、幼児にとっての母親は生命の源としての「母親存在」であり
母親対象そのもの」であると論じました。


そして
ほどよい母親(普通に見られる献身的な母親)」が
「正常な病気」とも言えるような状態に陥る「母性的かかわり」が
母親の原初的没頭」なのだと。


それは
「引きこもり」とか「乖離・もうろう」とか、
ある種の「分裂性人格」とか
より深いレベルの障害にもたとえられる
繊細で、豊かな感受性をもって赤ちゃんのニーズを感じ取りつつ、
赤ちゃんに応えられる状態・・・


そうした「とらわれ」の状態は
母親が健康を取り戻していくに従って次第に回復し
徐々に母親自身の人生を獲得」していく、と。


更にウィニコットは
「ほどよい母親(good enough mother)」とは
どこにでも見られる、ごく自然に、当たり前のことをしている母親で
そこには「機械のような完全さや、知的理解」は必要ではなく
「母親の心に自然に湧いてくるやりかたで」
「自分自身の判断を信じられる時が母親の最良の状態である」と述べています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


実際、私も娘の生後数ヶ月間の不思議な経験を忘れることが出来ません。
首も据わらない赤ちゃんの娘とたった二人きり
ぴったりと閉ざされた空間の中で
どちらが母親でどちらが赤ちゃんなのかすら区別がつかないほど
混沌とした、濃密な、とろけるような時間を過ごしました。


あの蜜月・・・
二人が渾然と一体化したような蜜月・・・


あの数ヶ月間の濃厚な生命そのものとのかかわり
全身の皮膚を通して私の身体の核にまで愛の体験を染み透らせ
深い癒しを与えてくれた・・・


そう思っています。


なぜならば
その経験を経るまで
深い孤独や絶望を感じると
必ず、絶え間なく私を襲ってきた
全身の皮膚を針で突き刺されるかのような
あの耐えがたい痛みが
ほとんど起きなくなったからです。

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マンチョクさん
- 2007/04/22(Sun) -

 眠れぬ夜に、詩を読む。          


 


               吹雪の夜の会話       


                               猪狩満直


ずいぶん ふぶくね 父ちゃん


こんなに吹雪いたら小屋がのまってしまわないか
                         (のまれてしまわないか)


のまったって平気だよ


あしたも 父ちゃんが スコップで掘ってやるよ。


だって 小屋が泣いてるだないか


ああ 窓がみえなくなった。


泣いてるだないよ


歯ぎしりかんでるのだよ。


だって つぶれたらどうする。


小屋なんと そんな弱虫でないよ


はしらが づうと土の中にがんばってるんだよ


あら あっこの穴から


つめていな (冷たいな)


つめていなんて 言うもんじゃないよ


つめていて 言うと 余計に吹きこむんだよ


バカ野郎って 笑ってやるもんだよ


だって 冷たくて ねむられねいだねいか


だから 父ちゃんはさっきから言ってるじゃないか


ぼうしか 風呂敷をかむって 寝なさいって


明日は止むかい


止むとも


明日はいいおてん気で


お日さんは


悪者の雪さんを


いじめてくれるとさ


お日さんと


雪さんと相撲とったら


どっちが負けるかね


さあ


みんなでねむろ


いち・に・さん

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言葉
- 2007/04/25(Wed) -

言葉は身体から出てくる呼吸の音


血液の流れる音
骨と骨がこすれる音
肉と肉がせめぎあう音


かすれていてもとどろいても


途切れていても
繰返されても
そしてただ一列に並んでいても


生きている生きている
そのままの音


(どうか耳を塞ぎたければ塞いでください)


今日も音は鳴り止みはしない


ひゅーひゅー


どくどく


ぎしぎし


ぎゅうぎゅう・・・



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発達心理学特論のための覚書⑤人間発達の可塑性
- 2007/04/26(Thu) -

日本で報告されている社会的隔離児の事例


小さな町で発見された2人のきょうだい。
姉は6歳、弟は5歳になっていた。
救出前、1年8ヶ月間、狭い小屋に閉じ込められる。
排泄やお風呂などの世話はない。
うどんや重湯などをときどき与える程度。
救出時、身体発育はせいぜい1歳~1歳半。
歩行も出来ず、発語は姉が2語程度、弟はなし。


2人は正常な環境に移された途端
めざましい身長や体重の回復を見せた。
健常児の描く身長の発達速度曲線はゆるやかだが
2人は圧縮した曲線を描いてフルスピードで回復していった。


栄養すら与えられず、
言語や社会的・文化的な刺激も与えられない状況下で
「冬眠」あるいは「凍結」していたプログラム
正常環境に戻された途端、起動したかのようであったという。


「冬眠」や「凍結」は身体を大きくせず、
身体全体の代謝を低め、たまにもらうなけなしの栄養を
まず脳に送り、ダメージを最小限に食い止めようとする
防衛反応なのかもしれない。


さらに、比較行動学者のローレンツ
幼形(neonate;幼い容貌や姿)は、
大人の攻撃性を抑止する防衛の一種
かもしれないと指摘する。


「冬眠」や「凍結」は、生体としての内部の代謝と
養育者の攻撃性への抑制という
両面での防衛の仕組みなのではないか。


2人の過酷な生育環境への柔軟な適応ぶりは
人間が何重ものガードに護られていることを如実に物語っている。

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失意・・・そして
- 2007/04/27(Fri) -

膝を痛めてしまった・・・


以前、訪問介護の仕事をしていた時期
夫と義理の息子の「ダブル・自己破産」と言う
まるでお仕着せのコントのような事態に巻き込まれ
娘との生活をなんとしても守ろうと
1日中、それこそ15~16時間も働き倒して
自転車で4つにわたる区を行きつ戻りつ
駆けずり回って働き倒して
・・・腰をやられてしまった・・・


今でも、どうしても無意識に腰を庇ってしまうらしく
その負担が膝に来て
昨日、整形外科の医師に
「もう介護の仕事は無理やで、あきらめや」
と宣言された・・・


ここ数日、休みをもらって治療に通っていたのだ。


今はやっと見つけた高齢者施設で
デイサービスの介護員をしているが
「それももう、やめたほうがいい。足と腰と両方やられたら大変やで」
そう言われてしまった・・・


大好きな仕事だったのに・・・
お金もいるのに・・・
求人がなかなかないのに・・・


失意・・・


でも、なんとしても働かなくてはいけない。


夫はお酒こそ飲まなくなったが
自営業を閉鎖して以来、
どこか呆けて、無気力に支配されていて・・・
みんなで力をあわせなければ、
質素な暮らしさえもままならない。

そんな日々の暮らしの中では、
くよくよしたり、嘆いているヒマさえないのが現実。


さっそくネット求人で
整骨院の受付事務のパートを見つける。
「ハァ?私は患者だろ?」
これまた出来合いコントの世界(笑)


取り合えず、連休中に面接へ。
今年の連休は忙しくなりそうだ。


勿論、阿修羅の如く仕事を探す!!


ああ!
どうか上手く行きますように!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


あれから、施設長に報告の電話を入れる。
その返事は思いもかけないものだった。


「貴方にはここにいて欲しいのよ。
今は治療に専念して、2~3ヶ月で良くなるんでしょ?
じゃあ、よくなったらもう一度戻って来てくれる?
負担のかからない働き方を考えていきましょうよ」と・・・


電話を切った後、ドッと涙が溢れた。


不必要だと思われることが怖くて
私はいつも大切な人たちのもとを自分から去って行く。


今の職場でも、充分な仕事が出来なくなって
厄介者扱いされることを何よりも恐れていた。
かつて生まれ育ったあの家で起きていたことが
繰返されるのではないかという恐怖・・・


結局
自分がその「幻想の恐怖心」に支配されているんだと
頭でいくら理解していても
どうしても越えられなかった大きな大きな壁。


大切な人や、大切にしてきた場所や
ありとあらゆるものを私は自ら失ってきた。


そのたびに、声が嗄れるまで泣くくせに・・・


施設長を信じて、回復したら戻ってみようと思う。
今まで出来なかったことを
今度こそやってみようと思う。


泣きながらそう決心した・・・

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うつろいゆく苦しみ・・・
- 2007/04/28(Sat) -

ブッダは人間存在を
「苦なる存在」であり
「欲望・執着・妄執の存在」であり
「無常なる存在」であると見ていた。


そしてブッダが強調する「苦」は
「うつろいゆく苦しみ」だった。


健康だった者が病気になって死んでゆく・・・
財産や子どもがあったのになくしてしまう・・・
こうありたいと思っていたのに、その希望するようにはならない・・・


すべてはうつろうものであり
すべては無常であるのに
「わがものであると執着」して苦しみをうける、と。


生も苦しみである。
老も苦しみである。
病も苦しみである。
死も苦しみである。


愛されない者と会うことも苦しみである。
愛する者と離別することも苦しみである。
すべて欲するものを得ないことも苦しみである。


要約していうならば
5種の執着の素因は苦しみである。


                  「律蔵」


・・・最近すごく、そう感じる・・・

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発達心理学特論のための覚書⑥子どもは変わる
- 2007/04/29(Sun) -

F(姉・6歳)とM(弟・5歳)のその後


二人が乳児院に収容されてから、はすぐに
担当保母との愛着関係を形成し、順調に回復していった。


しかし、
保育者に馴染めず、愛着を形成する事が出来なかった。
特に対人関係の遅滞は顕著で、姉や仲間、大人に対して
自分からかかわりを持とうとはしなかったため
様々な面で遅滞が著しく、回復は足踏み状態に置かれた。
しかし、担当保育者が交代したことにより
弟は担当保育者になつき、姉との差が縮まることはなかったが
回復へと向かっていった。


二人には暦年齢1年の差があり
姉の場合は、
母親から哺乳され多少なりとも世話を受けた可能性がある。
しかし弟は、いっそう悪化した家計の状況に置かれ
母親も完全に育児放棄していたと思われ
収容前の二人の対人関係に差があったことを推測させる。


この事例は、
大人との愛着の成立が外語的コミュニケーションや対人的適応に
極めて重要であることを示唆している。


愛着は、
子どもが非言語的コミュニケーション・ルーチン(手順)を形成した
大人との間の心理的絆を指すが、
このルーチンは、対人関係や言語獲得の先行条件となるものと考えられる。


愛着の発達についてボウルビィ(Bowlby.1969)は
「言語発達と非常によく似た臨界期がありほぼ3歳頃である」
と仮定している。
しかし、隔離から救出されて正常環境に戻された時
姉・弟はそれぞれ6歳・5歳であった。
その後の二人の回復から考えて
愛着形成において単純な暦年齢による臨界期の仮定はふさわしくない
と思われる。


養育放棄された子ども達は
いかに発達遅滞を起こしていても
特定の大人との間に頻繁に社会的なやり取りがなされ
コミュニケーション技能の練習の機会が与えられれば
容易に遅れを取り戻し
年齢にふさわしいコミュニケーション技能を
発揮するようになることが解る。


対人関係の発達には
母親だけが大切で母子関係が全ての基礎になるわけではなく
父親や祖父母、養母、保育士など、
広い社会的つながりの中に置かれていることが重要だと思われる。

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私へ・・・
- 2007/04/30(Mon) -

ラーフラよ、
もしそなたが身による行為をなしたいと思うならば、
そなたはその身の行為についてよく観察すべきです。
〈私がなしたいと思っているこの身による行為は、
自己を害することになりはしないか、
他者をも害することになりはしないか、
両者ともに害するものになりはしないか、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものではないか〉と。


ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしたいと思っているこの身による行為は、
自己を害することになる、
他者をも害することになる、
両者ともに害することになる、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為を、
けっしてなすべきではありません。


しかし、ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしたいと思っているこの身による行為は、
自己を害することにならない、
他者をも害することにならない、
両者ともに害することにならない、
この身の行為は善のもの、
楽を生むもの、
楽の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為をなすべきです。


ラーフラよ、
また、そなたが身による行為をなしている時も、
そなたはその身の行為についてよく観察すべきです。
〈私がなしているこの身による行為は、
自己を害しているのではないか、
他者をも害しているのではないか、
両者ともに害しているのではないか、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものではないか〉と。


ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしているこの身による行為は、
自已を害している、
他者をも害している、
両者ともに害している、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為を捨てるべきです。


しかし、ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしているこの身による行為は、
自己を害していない、
他者をも害していない、
両者ともに害していない、
この身の行為は善のもの、
楽を生むもの、
楽の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為を続けてなすべきです。


ラーフラよ、
また、そなたが身による行為をなした後も、
そなたはその身の行為についてよく観察すべきです。
〈私がなしたこの身による行為は、
自己を害したのではないか、
他者をも害したのではないか、
両者ともに害したのではないか、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものではないか〉と。


ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしたこの身による行為は、
自己を害した、
他者をも害した、
両者ともに害した、
この身の行為は不善のもの、
苦を生むもの、
苦の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはそのような身による行為を、
師に対し、
あるいはもろもろの賢者に対し、
あるいはもろもろの同梵行者に対し、
告げ、
知らせ、
明かすべきです。
告げ、
知らせ、
明かし、
将来にむけて防護しなければなりません。


しかし、ラーフラよ、
もしそなたが観察しながら、
〈私がなしたこの身による行為は、
自己を害さなかった、
他者をも害さなかった、
両者ともに害さなかった、
この身の行為は善のもの、
楽を生むもの、
楽の果のあるものである〉と知るならば、
ラーフラよ、
そなたはその喜びと満足により、
もろもろの善法について
昼夜に学び続け、
住むべきです。

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