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祈り
- 2007/05/01(Tue) -

マザーテレサの祈り


大切なことは、
たくさんのことをし遂げることでも、
何もかもをすることでもありません。


大切なことは、
いつでも何に対しても
喜んでする気持ちがあるかどうかなのです。


私が思うのに、
この世で一番大きな苦しみは
一人ぼっちで、
誰からも必要とされず、
愛されていない人々の苦しみです。


また、
温かい真の人間同士のつながりとは
どういうものかもわすれてしまい、
家族や友人を持たないが故に
愛されることの意味さえ忘れてしまった
人の苦しみであって、
これはこの世で最大の苦しみと言えるでしょう。


 イエスよ、
 私をお救いください


 愛されたいという欲望から
 ほめられたいという欲望から
 名誉を得たいという欲望から
 称賛されたいという欲望から
 人よりも好かれたいという欲望から
 相談されたいという欲望から
 よく思われたいという欲望から
 人気を得たいという欲望から
 屈辱を受けるという恐れから
 軽蔑されるという恐れから
 非難されるという恐れから
 中傷されるという恐れから
 忘れ去られるという恐れから
 ひどい扱いを受けるという恐れから
 嘲笑されるという恐れから
 疑われるという恐れから・・・

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発達心理学特論のための覚書⑦人間発達・無限の可能性
- 2007/05/02(Wed) -

姉(F)と弟(M)
就学猶予2年を経て小学校へ入学、順調に中学・高校へと進学。


Fは
自分自身の記憶能力の低さを認識し
それを克服するため、勤勉に努力するようになる。


Mは
部活に打ち込むようになり、運動部の部長にも選出された。
Fに比べると自己の能力に楽観的だが
自分が興味を持ったことには
積極的に取り組む態度が見られ、努力家である。


思春期以後の言語・認知発達を促進したのは
自分自身を自覚的に内省
自分自身を高めたいという動機づけの側面だった。


2人の回復の姿からは
人間の持つ多くの潜在的な可能性
それらの開花のために
人は何重ものガードに守られていることを教えられる。


幼児期を通じて隔離され
栄養面・知的・社会的に閉ざされ、制限された環境に置かれても
それを克服する自主的な成長の力は大きい。


親だけではなく
同胞や仲間、さらに、近隣の人々
保育士や教師、様々なメディアを通しての人々。
そうした人々との出会い社会的なやりとりを通して
人は人間化に向かって歩んでいく。


人間発達を規定する要因は
遺伝も環境も輻輳的に加重し合う」という従来の知見が追認され
さらに
遺伝要因には臨界期を持つ領域と
防衛機制によって維持される領域があり
タイミングが重要であることや
特定の人との愛着の成立
人間化への鍵を握っていることが窺われる。

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詩を読む 「虫けら」
- 2007/05/03(Thu) -

世間一般連休などとて
何処へと特に行くあてない私は
いつもどおりの時間に起きて
家族まだまだ眠りは深く
シーンと静まる家の中
そろりそろりと息をもひそめて
洗い物やら洗濯・片付け
家事を済ませてホッと一息
たっぷりお湯を満たした朝風呂
ぼんやり・ぼんやり・ぼんやり入る・・・


もうそれだけで心からの満足感・・・


部屋に戻って、ふと、詩を読みたくなる。


     


                虫けら       


                               大関松三郎


一くわ
どっしんとおろして ひっくりかえした土の中から
もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる
土の中にかくれていて
あんきにくらしていた虫けらが
おれの一くわで たちまち大さわぎだ
おまえは くそ虫といわれ
おまえは みみずといわれ
おまえは へっこき虫といわれ
おまえは げじげじといわれ
おまえは ありごといわれ
おまえらは 虫けらといわれ
おれは 人間といわれ
おれは 百姓といわれ
おれは くわをもって 土をたがやさねばならん
おれは おまえたちのうちをこわさねばならん
おれは おまえたちの 大将でもないし 敵でもないが
おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする
おれは こまった
おれは くわをたてて考える
だが虫けらよ
やっぱりおれは土をたがやさんばならんでや
おまえらを けちらかしていかんばならんでや
なあ
虫けらや 虫けらや

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R..タゴールの祈り
- 2007/05/04(Fri) -


    R.タゴールの祈り



わが主よ、
これがおんみに献げるわたしの祈り---


願わくは、
わたしの心の貧しさの根源を 打って打って 打ちすえたまえ。


願わくは、
喜びにも悲しみにも かるがると 耐え忍ぶ力を与えたまえ。


願わくは、
わたしの愛を 奉仕において 実らせる力を与えたまえ。


願わくは、
貧しい人びとを拒むことなく、
傲慢な権力の前にも 膝を屈することのない力を与えたまえ。


願わくは、
わたしの心を 日常の無益なことどもから 
超然と孤高に保つ力を与えたまえ。


そして願わくは、
わたしの力を 愛をこめて 
おんみの御意志のままに従う力を与えたまえ。

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発達心理学特論のための覚書⑧想像力・生きる力
- 2007/05/05(Sat) -

人間が強制収容所において、外的にのみならず
その内面生活においても陥って行くあらゆる原始性にも拘らず
たとえまれではあれ著しい内面化への傾向があったということが
述べられねばならない。


元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は
ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘らず
収容所生活のかくも困難な外的状況を、苦痛ではあるにせよ
彼らの精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。


なぜならば彼らにとっては恐ろしい周囲の世界から
精神の自由と内面的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。


かくして、そしてかくしてのみ
繊細な人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも
収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。 


                    (フランクル、1965)


オーストラリアの精神医学者フランクルは、
第二次世界大戦中、アウシュビッツの強制収容所に捉われ
奇跡的にも生き延びることができた。


人間は、極限状況の中では、
残酷で、忌まわしい人間性、原始性を示す。
未来を意識した時、直接感覚に訴えてくる現在から離れるような
精神活動が活発になる。


極限状況にあってもなお、
人は未来を意識し、想像力を働かせることができる。


また、そうできた者だけが精神の浄福を保ち続け
生きる力を与えられる。


フランクルの言葉には
それが端的に表現されているのだろう・・・

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危機
- 2007/05/06(Sun) -

なんか変だろ?


また大きな策略の罠に嵌められようとしている気がするだろ?


だって


あの時と同じじゃない


あの頃もそうだったじゃない


いつも同じ手口じゃない


(私が叫ぶと顔を顰める)


知りたくないんだ


知っていても知らんぷりなんだ


知ること自体を止めたんだ


でも


それで済むわけないじゃない


それで自分たちだけやり過ごそうなんてずるいじゃない


なんでもないふりはもう通用しやしないんだよ


防ぎようもない勢いで


争いへ、戦いへ、人殺しへと


私たちは歩んでいるというのに・・・

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詩を読む 「提灯さげてゆく花嫁」
- 2007/05/07(Mon) -

いつだったか、ずいぶん前に、どこだったか、場所さえ忘れて
たった一度だけ読んだ詩。


今朝、偶然に巡り会うことができた。


            


          提灯さげてゆく花嫁


                         及川 均


着飾らしてやりたかった


せめて木綿なと着飾らしてやりたかった


ほんにせめて木綿なと着飾らしてやりたかった


あいつは暗がりに起きてめしをたいた


あいつはめし前に一駄の草を刈った


あいつはしゃんしゃんと畠に肥料(こえ)をかついだ


あいつはしゃれも唄もこかずに田の草をとった


あいつは祭にも行かねば櫛買ってけろともいわなかった


肴もふんだんに買いたかったさ


酒もあびるように飲みたかったさ


客もどんどん呼びたかったさ


おれの娘の嫁いりだみんなみろみろとはやして歩きたかったさ


らんぷの下で


莚じきの板間で


吹きさらしの小舎(こや)のような家で


おふるの着物の厚い衿で


ひびだらけの赤い手で


白粉気などひとつない顔で


あいつは行ってくるともさよならともいわなかった


だまってぽろぽろ泣いて何遍もお辞儀するだけでいわなかった


花嫁をみろ


白粉気ない花嫁をみろ


笑わないひびだらけのおれの娘の花嫁をみろ


暗い夜だが山がみえる


あいつのさげてゆく提灯がみえる


あいつの行くとおり赤く提灯がいつまでもみえる


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発達心理学特論のための覚書⑨想像する心
- 2007/05/08(Tue) -

想像力(イマジネーション)
目には見えないものを思い浮かべる能力である。
人は目で見、耳で聞き、手で触れる現実の他に
想像力で作り出した世界を自分の現実にすることができる。


今、目の前で起こっていることは
見たり聞いたりすることによって
また過去の出来事も記憶を呼び起こすことによって
知ることができる。
しかし、まだ見ぬ明日は
単に五感を働かせ体験を再現するだけでは
思い描くことは出来ない。


未来についての表象を作り出すことが
想像力の働きの最も重要な側面
である。


未来を思い描く素材として私たちは経験を利用している。
経験が豊かであるほど想像世界も豊かになる。
特に年齢が幼いときには
五感を使った直接体験が不可欠である。
成長すればテレビや本での疑似体験も想像の素材になる。
この直接体験と疑似体験を併せて経験と呼ぶ。
想像力は経験に基づいてはいても、経験そのものではない。


経験が加工される時に、何か新しいものが付け加わる。
経験は再現される文脈に合うように再構成され、姿を変える。


ここに新しいものが生み出される可能性がある。


経験を「不正確に」再現し、再構成する過程で
新たな創造の可能性が拓かれるのである。

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もしなんじら・・・
- 2007/05/09(Wed) -


もしなんじら、よき友をもつことを得ず、


賢にして慧ある同行者を得ずんば、


林中をゆくかの大象のごとく、


ただ一人にして、独り往くがよい。



私は独り往こうと思う・・・

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なし
- 2007/05/10(Thu) -

心身ともに不調。


再び、底なしの空虚感に捉われている。


仕事を休んでいることが大きな原因だろう。
仕事であれなんであれ、忙しく何かに追われている時は
感じないふりができる「虚しさ」だから。


膝痛は一進一退。


先日、1時間ほど自転車に乗って走ってみたが
翌日には熱をもって腫れてしまった。
やはり、焦りは禁物と思い知る。


家族全員が仕事や大学へと出かけてゆき
シーンとした家の中に独り取り残されると
例えようもない空虚感に支配されはじめ
それは次第に恐怖へと膨れ上がり
昨日、ガタガタ震えながら泣いた。


こんなどん底な精神状態はホントに久しぶりだな。


考えてみたらここからが本当の闘いかもしれない・・・


盲目的に活動していた宗教団体から完全に身を引いて2年・・・
長年続けたカウンセリングの勉強も1年前に終了・・・
一見穏やかに営まれている家庭生活は
あの「底付き体験」を経て5年目に入り・・・
そして
僅かに残されていた幾つかのグループとのつながりも
全て自ら絶った・・・


何もかもを失ったというか、自ら捨てたというか。
依存できうる何ものもなくなり
自己とのみ直面せざるをえなくなったというか。


まだ奥深くに埋もれていた自己の病理との闘いが
初まったのかもしれない。


カウンセリングを予約する。
準公的機関の無料面接。
週1回を長く続ける覚悟なら
1回50分5000円~10000円の面接料は
現在の家計ではとても賄いきれないと判断し
また、新しい出発をしていきたいという思いもあって
これまで長年お世話になったカウンセラーの元へは
もう行くのはよそうと決めた。


そこは週40コマも面接しているのに予約が一杯で
私は一つだけ空いていた来月6日夜の最終コマにやっと予約を入れた。
無料のところは満員状態。
この現状は哀しいものがあるなあ・・・


宗教からの離脱とその後の虚無感
夫との関係性を維持していく苦しみ
対人関係や社会的適応の困難さ
そして、自己喪失してしまいそうなこの「底なしの空虚感」


イヤーな言葉が脳裏をよぎる。
「基底欠損」とか・・・


ふう・・・・・私にとって生きるってことは
やっぱりまだまだしんどいことなんだな・・・
死ぬまでしんどいままなのかもしれないけれど
それでもこうやって努力を続けながら
苦しむ自分と付き合い続けるしかないから・・・
そんな自分でも、人生でも、それでもいいって
かろうじて感謝の気持ちで思えるようにはなっているから・・・


まあ、今は、
それで「良し」としておこう。

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発達心理学特論のための覚書⑩「心の理論」はなぜ重要か
- 2007/05/11(Fri) -

1970年代末頃から「心の理論(セオリー・オブ・マインド)
といわれる研究分野が急速に発展している。


「心の理論」とは
他者がその人自身の「心」というものを持っており
他者の行動はその「心」の働きによって理解し予測できる

という考え方をいう。


幼児期の子どもは、自分が知っていることは人も知っていると
思っているかのような行動がごく普通に見られる。


例えば
子どもが母親から買い物を頼まれ、店に行って店のおじさんから
「何にしましょうか?」と尋ねられた時
「お母さんが買ってきてっていってたものだよ」と答えたりする。
こうしたことは幼児期にはいろんな形で見られるものである。


自己中心的思考」や「自ー他の区別の未分化
などと呼ばれてきたこの問題は
「心の理論」というテーマで研究が進展してきた。


心を理解するということは、物を理解するということとは違った
別の難しさをはらんでいる。


最近では、「心の理論」は
幼児期に飛躍的に発達することが示されるようになってきており
幼児期の4歳~6歳の間に
心を読み取る能力獲得の最初のステップに立ち
そのことが子どもの思考や行動を豊かにしていく。


心を読み取る能力は
集団生活を送る人間が進化の過程で身につけてきた能力であり
動物研究やロボット研究においても
ますます重視されるようになっている。

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プレゼント
- 2007/05/12(Sat) -

                                     


                                         


母の日のプレゼントに、娘から貰いました238


「お母さんは本が好きだから、役に立つかなと思って」って。


友人と京都へ遊びに行った時に買っておいたんだそうです。


嬉しかった・・・


私の心もほんのり桜色・・・252


今日は、「基底欠損」について調べていたんだけど
止めにしました。


こんな幸せな日には
なーんにも考えず、ホンワカすることにします
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基底欠損についてのまとめ①
- 2007/05/13(Sun) -

基底欠損(basic fault)は、
1950年代後半、バリント(Balint,M.)によって
提唱された概念である。


当時主流であったフロイトの古典的精神分析技法では
対応しきれない難しい患者の治療に次々と失敗し
フロイトの古典的技法が通用する患者と
全く通用しない患者との間には
精神発達上、全く異なる二つの水準があり
後者は、より原初的なレベルにあると考えるようになった。


この考えは彼の師であるフェレンツィ(Ferenczi,S.)
が気付いたものであったが、
彼の死後、バリントがより考察を進め
前者をエディプス水準、後者を基底欠損水準とした。


古典的精神分析技法では
治療者の解釈を取り入れて徹底操作の過程を遂行できる
相当良質で強い自我を持っていることが大前提だが
基底欠損水準の患者はそれを持ち合わせておらず
原始的二人関係を持とうとするので
成人言語による伝達が通用しにくく
精神分析的解釈がその意図と異なる水準で受け止められ
解釈を体験したり、取り入れることも
全く不可能であることが特徴である。


バリントは、これらの患者の治療を通して、対象関係
すなわちエディプス期以前の母子関係の重要性を強調した。


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基底欠損についてのまとめ②
- 2007/05/14(Mon) -

バリントの言うところでは
基底欠損水準の患者は、従来の精神分析的技法では
改善するどころか自我が脆弱で
問題に向かい合い葛藤するのではなく
依存的な二者関係に陥ってゆき、病的な退行を引き起こしていく。


バリントによる基底欠損水準の患者の臨床特徴


1.二人関係しか存在しない
  エディプス水準では、対人関係の体験は全て三角関係の形で生じるが
  基底欠損水準では、全て例外なく二人関係の形をとり
  第三の人格は存在しない。


2.それは一種独特な二人関係であり
  エディプス水準における人間関係とはまるで異なっている。
  原始的ともいうべきこの二人関係では
  いかなる第三者も、この関係に介入してくることは
  耐えがたい緊張を引き起こすマイナス因子として体験される。
  この関係においての満足は、対象と「ぴったり膚接(fitting in)」することであり
  それが叶えられない時の欲求不満と、満足の落差が非常に大きい。


3.エディプス水準は葛藤に由来しており
  治療者からの適切な働きかけにより、解消が可能であるが
  基底欠損水準においては、そこから発する力は
  本能の形も葛藤の形ももっていない。
  欠損という形態が存在しているのみである。
  この欠損しているというところからくる、大きな不安自体
  患者を突き動かす原動力となっている。
  端的に、欠けているものなので、解消や完全な治癒はあり得ない。


4.成人言語による伝達が通用しない。
  エディプス水準では、成人言語が伝達の手段となりうるので
  解釈が解釈として体験されうるが
  基底欠損水準では、成人言語は役に立たないか
  逆に誤解の原因ともなりやすく
  治療者の意図が患者に伝達できないか、非常な困難を伴う。  


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ストーリーを転換すること
- 2007/05/15(Tue) -

斎藤学氏・講演集から・抜粋まとめ


「ストーリーを転換する」
           ーその人を支配している物語を変えるー


かつて12年間
地方の名家の優等生として
栄光に包まれていた22歳のある女性は
後半10年が地獄の日々だったと話す。


万引き、過食嘔吐、家出、クラブ勤め、
バニーガール、複数の外国人とのセックス・・・
「わたしはどうなってしまったの?」
「指を1本もがれ、2本もがれ・・・」
「わたしはこれからどうなるんだろう・・・・」
彼女は「人格障害」「摂食障害」といわれクリニックに来ました。


ここですべき仕事は
「そんなこと(障害)はどうでもいいから
 あなたのストーリーを変えようじゃないか」と提案すること。


そうして話を聞いていくうちに
親からの脱皮に自分がどれほど苦しんだか
が浮かび上がってくる。
転落の物語ではなく
お椀の舟に箸の櫂で冒険に出た」ストーリーに変えていく。


「でも、よくぞ一人で頑張って生きてきたな」というふうに。


レイプされそうになって暗い街を逃げまどいながら
ようやくたどり着いたハンバーガーショップで飲んだコーヒーの味を
彼女は思い出します。


彼女のストーリーを聞きながら、私は何度も感心しました。


「それからどうしたの、逃げおおせたの?」
「捕まりかけたけれどもとうとう逃げた」
そこで私は拍手しました。
「よくやったじゃない。やるもんだね」


これはすでに
一人で生き抜く夜の街の女の子の英雄物語です。
「転落」に見える彼女の行為の数々は
岩のように大きく固く重苦しい家族から逃げ出すために
どうしても必要なことだったのでしょう。


それにしてもよく生き残ったな
と彼女は思い、自分の軌跡が
栄光の12年と暗黒の10年ではなく
暗黒の12年と冒険の10年だったことを実感します。


そう考えるようになってから、
彼女は、自分が活躍していた街に行きます。
それは昔、ナイトクラブに遅刻しないように駆けつけた道です。


ウサギの格好をしてサービスしていた店の階段に佇みながら
「私はここにいたんだな」と思いますが
それはちっとも悲惨な話ではなくなっています。


それから、あの時必死に逃げて飛び込んだ
ハンバーガーショップでコーヒーを飲んで
ああ、私は生き残ったんだ」と
すごく充実した感じをもって帰ってきたと話していました。


これが、ストーリーの転換です。


語って、物語をつくって、物語を転換して
そして未来の自分を見ることができて
そこでエンパワーされる。力を確認する。


「自分のやってきたことは一つの意味しかなくて
 その一つの連続は変えられないんだ」と思えば選択肢はない。


「自分は世の中の人から見たら
 ずいぶんひどいこともやってきたけれど
 それでも生きている。
 こうやって『どっこい生きている』自分を振り返ってみると
 なんだか“けなげ”に感じる」


よく一人で生きてきたと思う。
 確かにあんなふうにしか生きられなかったけど
 17歳の私に、ほかに何ができたを言うの」とか


「いいじゃない。確かにあんなことしちゃったけど
 あの時の私に、あれは必要だったんだわ」と考える。


こうした考えは
「あの汚点をどう隠そうか」などと思っているよりずっといい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


なんだかこれを読んで少し元気が出ました。


私も、私を支配している物語を
少しずつでも転換してゆきたいな、と思いました。





 

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基底欠損についてのまとめ③
- 2007/05/16(Wed) -

バリントは「基底欠損の起源」は
人生最早期における乳幼児の生理的・心理的欲求と
それを供給する養育者からの
物質的・心理的保護・配慮・好意といったケアと愛情の
相当程度の落差」にあるとし
その原因としては
重度の疾病をもって誕生するなどの先天的な場合と
欠陥育児などの環境的な場合とを仮定している。


バリントは
基底欠損水準の患者は
葛藤やコンプレックスなどとは異なり
患者自身が自分の中にどこかおかしいところがあると感じる」ものであり
患者はそれを
是正されなくてはならないような誤り」として認めるという。


またバリントは
この欠損には、誰かが患者に過ちをおかしたり
 なすべきことを怠ったりしたことによりその欠損が引き起こされた
 という感じが伴う

ともいっている。


この「基底欠損」についてのバリントの説明には
他者から人為的に加えられた侵襲や外傷
といったニュアンスが非常に濃厚である。


さらにバリントは
基底欠損の含む領域を説明して
「これについての一つの論理的な説明は“外傷”という考えを用いることである。
 それによれば、
 個人は外傷に見舞われるまではある程度は正常に発達することになる。
 その時点以降の発達は、
 その特定の外傷ーbasic fault-に対処する手段に
 基本的に大きく影響を受ける
とし
基底欠損」が、まさしく「外傷」として解釈できることを示している。




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熱です・・・
- 2007/05/17(Thu) -

熱を出して寝込んでいる。


喜多郎の「シルクロード」を聴きながら横たわってる。


原因は不明。


智慧熱みたいなものかもしれない。


おやすみなさい。

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気分最悪・・・
- 2007/05/18(Fri) -

愛知立てこもり発砲事件
 <愛知立てこもり>大林容疑者を緊急逮捕 29時間ぶり決着
 愛知県長久手町の元暴力団組員、大林久人容疑者(50)が人質を取って自宅に立てこもり、拳銃を発砲して県警機動隊特殊急襲部隊(SAT)隊員の林一歩(かずほ)警部(23)=18日付で2階級特進=ら4人を死傷させた事件で、県警は18日午後8時48分、自宅から出てきた大林容疑者の身柄を確保、殺人未遂容疑で緊急逮捕した。事件は発生から約29時間ぶりに決着した。人質とされていた大林容疑者の元妻、森三智子さん(50)はこれより前の同2時51分、自力で脱出、保護された。森さんは左目付近に軽い打撲を負っているが、健康状態はいいという。(毎日新聞)]


http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/nagakute_case/?1179487943



この男の気持悪さは、夫のそれと同じ種類のものだ。


とてつもない底なしの甘え。


自分の汚れたオシメを始末しろと、平然と人の顔面に押し付けてくる甘え。


それを受容することを、力ずくでも認めさせようと徹底的に「ダダをこねる」ガキっぶり。


この事件を見ていて、何度も吐き気を催す。


・・・・うちだって、扱いを1歩間違えたら、いつこうなっていてもおかしくない家庭だった。


いや、今だって、実はそうなんだろう。


アディクションからの目覚めは、決して幸せなものではないよなあ?


そこに待ち受けていたものは
スーパーマンでも天才でも何でもない、ただの無力で無能な自分自身と
退屈で虚しくて感動も感激も何も無い、普通の日常の吹きっさらしの風景だけだろ?


でも、そこから始まるんだよ。


そこからが等身大の自分自身のかけがえのない人生が始まるんだよ、あなた・・・・


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基底欠損についてのまとめ④
- 2007/05/19(Sat) -

バリントの治療的態度は
まず患者の話すところに耳を傾けよ」といったものだった。


彼は「医者は患者の隠された欲求を理解しようと努める義務がある」と強調し
在来の病気中心の医学に対して、患者中心の医学を提案したのだ。


バリントは、患者との実践的交流を重視し
交流の水準を「基底欠損水準」にあるとして
調和渾然harmonious mix-up」の体験を
共体験していくことが肝要であると説いた。


調和渾然の交流体験の積み重ねを通して
〈象徴水準〉の言語が
逆に治療関係の中に
〈結晶化〉してくると考えたのである。


彼によると
人が最初に体験するのは「調和的相互浸透的渾然体」であり
言語によらない治療において力をもつのは、解釈より関係である。


治療関係においても、原初的な母子関係が現れ
治療者は患者の中の子どもと付き合うこととなり
自らを一次対象として差し出す
そして患者がどのような充足を、
どれほど求めているのかを認識するのである。


要するに、解釈よりも関係
ーそれも「水が魚を生かし、支えるようなーであって
特に治療者が患者の一次愛を受け止める一次対象と化して
自らを差し出すことの重要性を主張している。


ここに良性の退行が生じ
新規まき直しが起こり、治癒に至ると彼は考えたのである。


この考え方は
芸術療法的アプローチの理論的裏づけを呈示するものとして注目される。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


時々、臨床家の中には
普段の単調な臨床業務に飽き飽きし
または、自分の心の空洞に気付くことなく
自らが「餓鬼」の様なあさましい心に落ちて
境界例水準のクライエンの一次対象として
我が身を差し出して激流に巻き込まれ
臨床家としての自己満足感を得たくて得たくて堪らずに
その餌食となるようなクライエントを
キョロキョロと探し回っている
勘違いの大アマ野郎がうろついていたのは確かだった。
危うく私も餌食になるところだったが
あっという間に化けの皮を剥がしてやったけれども。


それって
自分が「原初的な母子関係」を求めてるだけじゃない?
何度もそう言ってやりたかったことがある。


勘違いは、あまりに患者に対して罪が重い・・・

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情熱
- 2007/05/20(Sun) -

娘と一緒に、楽器屋さんへ行く。


娘はもうすでに塾の講師のアルバイトも始めていて
重宝がられて事務の仕事もさせてもらっているらしい。


大学から帰ってくるなり
入学式のために買った黒のパンツスーツに着替えて
慌しくまた自転車に乗ってアルバイトへと出かけていく。


「いそがしそうやな~。しんどないのん?」
「ぜーんぜん!」
「そんなにお金を稼いでどないすんのん?」
「軽音入ってバンド組んだやんかぁ。練習するのにスタジオも借りやなあかんし
 夏休みは合宿もするし、私は念願叶ってヴォーカルになったけど
 ギターもやりたいからお金貯めて買うつもりやねん!」
「あらまあ~、それはそれはたいそうなこっちゃね。お疲れさんですなあー」


最低でも5万はするらしいギターはそうすぐには手に入らない。
どうするのかと思っていたら
友人のほこりを被ったままになっているギターを借りてきた。
勿論、弦はひどく錆びついている。


「おかあさ~ん、もうすぐバイト代入るし弦買うお金だけ立て替えてくれへんかなあ~」
滅多に出さない甘えた声で、擦り寄ってくる。


そんな訳で楽器屋さんへ。
・・・私もつられて行ってみる。


娘を待っている間に、店内に設置されていたドラムをちょっと叩いてみる。
そーっと叩いたつもりなのに、店中に大きな音が鳴り響く。
慌てて手で止めたけれど、ドキドキ・ワクワク、楽しくて止められない。
とうとうドラムセットに陣取って、あちらこちらと叩き続ける。


身体の奥底から、熱い固まりが飛沫になって弾けてくる。


「ああ、私の中の情熱が、まだ出口を見つけられなくて
 こんなところに眠っていたのか・・・」


・・・少女時代から、そっと胸に秘めていた夢を
       これから少しずつでもいいから、実現させてみようかな・・・
そんな思いが湧いてくる。


何が本当の自分の感情なのかさえも見失って生きてきた長い年月。
それでも、決して失われることなく
私が私らしい喜びを見出す情熱は、確かにここに存在しているのだと
身体中で実感した出来事だった。

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発達心理学特論のための覚書⑪動物に他者の心は理解できるか?
- 2007/05/21(Mon) -

「心の理論」の研究は
チンパンジーにも「言語」が使えるかどうかを研究していた
アメリカの霊長類学者プレマック(Premack,D.)らが1978年に書いた
チンパンジーは心の理論を持つか?」という論文にはじまる。


これは「動物は心を持つか?」といった
ある意味、心の定義の仕方次第で答えが決まるようなものではなく
動物に他者の心は理解できるか?」という
新たな問いを投げかけたものである。


プレマックによれば「心の理論」とは
他者(他の動物)の行動に心的表象を帰属させることをいう。


物理学や化学のような「物の理論」が
電気・磁力・分子のような見えないものについての推測と
次に起こる現象の予測力を持つように
「心の理論」は、心という見えないものについての推測と
次に起こる行動の予測力を持つ
、とプレマックは説明した。


「チンパンジーは心の理論を持つか?」という問いの答えは
「チンパンジーにはかなり困難」というものだったが
プレマックが提案した「心の理論」の考え方は
その後の発達心理学の中で広く深く受け入れられていった。

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発達心理学特論のための覚書⑫心をいかに読み取るか
- 2007/05/22(Tue) -

動物が心を持つかどうかということ以前に重要なことは
飼い主である人間の側にペットの一挙手一投足に
心的表象を帰属させる強い傾向があるということである。


たとえば、イヌが尻尾を振っていれば「機嫌がよい」
吼え声が止まらなければ「警戒している」というように
飼い主は自然にイヌの「心」を読み取ってしまうのである。


イヌやネコのように長く人類とともに生きてきた動物種だけでなく
ヘビ(爬虫類)、イモリ(両生類)、ミノカサゴ(魚類)などのように
単に表情がないだけでなく、他の人には気持ちが悪いと感じられたり
場合によっては毒を持つ動物にさえ、その挙動に「心」を読み取ってしまい
「かわいい」と感じてしまう人がいるのは、まさに「心の理論」の問題である。


また一方、今やロボット
工場労働に従事する産業用ロボットとして活躍している。
こうした高度のロボット生産技術は
やがて家庭用ロボットへと進む道を歩んでいる。


とりわけ、少子高齢化に伴い
生活分野、教育分野、医療福祉分野などでの
ロボット技術の応用が期待されている。


家庭では
掃除、警備、保育、医療補助、介護などの作業に従事する
ロボットの実用化が見込まれている。


その時
ロボットが人間と共生するために
その時々に変化する人間の意図や感情など
「心をいかに読み取るか」についてのシステム設計が最も重要
となる。


ロボット学者が「心の理論」研究に関心を持つのは、このような観点からである。


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発達心理学特論のための覚書⑬自閉症と「心の理論」
- 2007/05/23(Wed) -

1980年代に「心の理論」研究を推進した研究分野は
自閉症(自閉性障害)の発達的研究である。


自閉症は、1943年に
オーストリア出身のアメリカの精神科医カナー(Kanner,L.)
それまで知的障害と誤解されていた子どもで
生後間もなくから著しい自閉傾向を示す11例の児童を
感情的接触における自閉的障害として報告し
早期幼児自閉症」の病名を与えた。(Kanner,1943)


自閉性障害は、
DSM-Ⅵ(『精神疾患の分類と診断の手引き』第4版)と呼ばれる
精神医学の診断基準によって、
広汎性発達障害(pervasive developmental disorder;PDD)
下位の障害と位置づけられ、
きめ細かな診断基準が設定されている。


したがって、自閉症を一言で定義することは難しいが
大まかに次のようにまとめることができる。


対人障害:
 たとえば、目と目が合わない、仲間関係をつくれない、
 楽しみや興味を他人と共有できない、など。
意志伝達の障害:
 たとえば、話し言葉が遅れる、反復的な言葉を使う、
 身振りが出ない、ごっこ遊びがない、など。
行動・興味・活動の限定、反復常同的行為:
 たとえば、1日中ビー玉で遊ぶ、光源に向けて手かざしを反復する、など。




 

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基底欠損についてのまとめ⑤取り返しのつかない悲しみ・・・
- 2007/05/24(Thu) -

精神分析家・小児科医の渡辺久子氏


《虐待による心的外傷は、一つの危害によって被る一つの傷ではない。


むしろ反復し連続する負の情動の嵐であり、恐怖体験である。


その状況自体が終生消えぬ恐怖を植えつけると同時に、
生き延びる為の防衛機制自体がその恐怖を二次的に加工して複雑化する


信頼し身を委ね頼る親や教師が最も危険な怖い存在となる、という混乱と不信は
その子の世界観、自己と対象像の混乱を惹き起こす。


基本的信頼は形成され難く壊れ易い。


この裏切られる体験は、
幻滅や失望といった限局されたレヴェルの負の体験ではなく、
根源的な存在的な抹殺体験に近い。》


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それでも、生き抜くしかない・・・・


 

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- 2007/05/25(Fri) -

自分自身が葛藤を抱えつつ
自分で考え
自分で決め
自分で実行し
その結果に自分で責任を持つことができるのなら
それ以上に
何を苦しむことがあろうか。


朝から雨


まだ降り続いている


私の心の堂々巡りも


いつ果てるともなく延々と続く・・・・
延々と続く・・・・
延々と・・・・


この雨が止んだなら
私にも終わりはやってくるのだろうか?

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相依性
- 2007/05/26(Sat) -

これがあるとき、かれがある。


これが生ずるとき、かれが生ずる。


これがないとき、かれがない。


これが滅するとき、かれが滅する。

                    


                     三枝充悳著「バウッダ」

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「もう一つの精神医学」に学ぶ①最初の外傷
- 2007/05/27(Sun) -

「もう一つの精神医学」に学ぶー「治療精神医学」への私的入門よりー
                        【精神科医・飯田信也氏】


http://homepage2.nifty.com/another_psychiatry/index.html


1.最初の「外傷」:幻覚妄想構造と自己存在否定の起源
1) 臨床像からの外挿法(補外法)的予測
 統合失調症の幻覚(中でも幻聴が多い)や妄想は、
 少なくとも病初には自分の存在をおびやかす内容が多いが、
 それらをPTSDに於けるフラッシュバックの亜種だと考えてみると、
 その体験形式は自他の区別の無い、
 自他の区別がつく以前のものだと考えられるので、
 起源と見做すべき「外傷」の端緒は当然の事ながら、
 子宮内の胎児期~新生児期の辺り、
 即ち人がまさに存在を始める時点の辺りに想定される。
 この人生の最初期の危機に対応した情動を、
 小児科医で精神分析家ウィニコット Winnicott,D.W.は
 「破滅(絶滅)不安」annihilation anxietyと名づけている。


 統合失調症患者に於いては
 「自分が存在するということ自体が悪い事である
 と深く信じられていると見做すことには一定の正当性が有る。
 統合失調症の集中的精神分析治療に取り組んだ
 サールズ Searles,H.という臨床家もこの事を強調したが、
 臨床の場に於いて彼達/彼女達の言動を注意深く観察すれば、
 多くは同意するのではないか。
 
 無論、ここで言う「心的外傷」は
 何回などと数えられる出来事ではない可能性が高い。
 また、自他の区別成立以前の次元に於ける「外傷」
 当然の事ながら従来言われている心的外傷よりも
 遥かに主観的幻想的なものの筈で、
 この事を、計見一雄精神科医は、
 《傷というより「脳の発達にとって都合の良い条件が揃わなかったような状況」》
 と表現し、しかも
 それを決定論的に捉えないよう忠告している(参考図書『脳と人間』215頁)


 赤ん坊の脳の大きな可塑性(=柔軟な適応能力)を考えると、
 余程の事でもない限り、1回ないし数回の出来事で
 後の人生に大きな影を落とすような決定的なダメージが生ずるとは考え難いし、
 実際そのような報告は余り見られない。
 従って、事はもっと微妙だが、しかし持続的なものなのではないか、
 人生の最初期に始まったそれが、
 そうとは気づかれずに年余にわたって反復され、
 ダメージ(自己破壊的思い込み)が強化定着されて行く
のではないか、
 と考える方が自然だと思われる。


 このような事情に対して、当事者自身からの「証言」は殆ど期待できない。
 
何故なら、
 ①その最深部は物心がつく以前、
  言葉による認識の成立以前の事であろうから、当然「証言」は不可能
 ②その後の悪循環的反復も、当事者はその中で育ち、
  思春期青年期まではそれが「普通の事」だと思っている。
  それに疑問を持ち、客体化して見て言語化することは可能だとしても、
  相当な精神療法的援助が必要。

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「もう一つの精神医学」に学ぶ②お前が悪い!
- 2007/05/28(Mon) -

もう一つの精神医学ー「治療精神医学」への私的入門に学ぶ
                  精神科医・飯田信也氏


http://homepage2.nifty.com/another_psychiatry/index.html


1.最初の「外傷」:幻覚妄想構造と自己存在否定の起源


2)「二重拘束」double bind と「高EE」の性質
                  ―「お前が悪い!」―
ベイトソンBateson,G.
らは、
統合失調症の入院患者と面会に来たその母親との様子を観察し、
ある人物が別の人物から、ある明示的な禁止命令と、
それと矛盾するより暗示的な第二の禁止命令、
及びその関係から逃れることを禁ずる第三の命令を受ける経験が
繰り返されることをダブルバインド状況として抽出し、
それが重篤な精神障害(例えば統合失調症)の原因たり得ることを示唆した。


いずれの禁止命令もメッセージの受信者へのを伴い、
メッセージの発信者の矛盾が問われることはない。
ゆえに、その意味でこれはaway構造の一つに他ならない。


EE(expressed emotion表出された感情)研究
(“Expressed Emotion in Family”by Leff,J.&Vaughn,C.1985邦訳
『分裂病と家族の感情表出』金剛出版)からは、
患者を再燃させ易い家庭環境として(またしばしば患者の生育環境として)
批判的で情緒的に巻き込まれ過ぎの高EEを指摘しているが、
そこで言われている「感情」の大半は
「怒り」や「嘆き」を伴う非難・問責であり他者支配である。
これもまた、
問題が常に関わる対象の方に位置づけられているという意味で
away構造の一つに他ならない。


これらの研究が示唆しているのは、
統合失調症患者の養育者がしばしばaway構造を色濃く有しており、
その為に赤ん坊~子どもは
常に「自分が悪い」と思い込まされて来たのではないか
という可能性である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


※ away構造


幼児の
《周囲の目に見えるものに魅せられてそれらに夢中になる反面
それを見ている自分の在り様に未だ気づいていない》
という段階に相当する「目に見えるものが全て」
従って
「問題も全て目に見える周囲の側(awayー自分の外へ)に在る!」という状態。
その為に結果的に、自分の事を全く棚に上げて
他人の事や状況の事ばかりを詳細に言い立て、
全てをそれらのせいにしてしまう、ということになりがち。

幼児や精神病患者において
しばしば見られるtransitivismと呼ばれる現象がある。
これは「主客の逆転」
つまり「自分がAさんにある事をした」という出来事が
「Aさんが自分にある事をした」という話になり
Aさんが非難攻撃の対象となったりする現象である。
これも「ある事をした」という述語部分が中心で
主語や目的語は簡単に入れ替わってしまうという
原体験心性に基いたaway構造といえる。



(『養育環境の赤ん坊への適応がうまくいかなかった場合』へ続く)

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「もう一つの精神医学」に学ぶ③心の鎧
- 2007/05/29(Tue) -

もう一つの精神医学ー「治療精神医学」への私的入門に学ぶ
                  精神科医・飯田信也氏


http://homepage2.nifty.com/another_psychiatry/index.html


1.最初の「外傷」:幻覚妄想構造と自己存在否定の起源


(3)養育環境の赤ん坊への適応がうまくいかなかった場合


心の成長がうまくいかない場合、これは様々な事情から赤ん坊が心の栄養を
(「親が子に注ぐ愛情」「赤ん坊のちょっとした達成を喜び褒め上げる」等)
十分にもらうことができず、遠ざけようとした不快な思いが
誰にも抱えられること無く放置されたり
養育者側に生じた不快な思いが赤ん坊側に
「お前のせいだ!」と投げ返されたりすることが
繰り返されることによって生ずると思われる。


この時、赤ん坊は健康な自己愛
(「自分は世界に受け容れられている」「自分は信用できる」
「自分は価値のある存在である」などの自己肯定的思い)を育むことができず
専ら自分を守るという機能を発達させ「心の鎧」を作る。
この「心の鎧」は、原心性に支配されており、
自分が困るということ、葛藤するということをできるだけ回避し、
問題はことごとく自分以外の処に位置づけようとする(away化)


「心の鎧」の性能、即ち「問題をaway化するの能力」には様々な程度があり、
最も性能が貧弱な場合には
問題に圧倒されて立ち往生するだけ(⇒カタトニィ:「昏迷」と呼ばれる固まって
文字通り「立ち往生」してしまう状態=緊張病(カタトニィ)状態))かも知れないし
少し性能が良くなれば適当に外在化して
「幻覚妄想」を形成するかも知れない(⇒精神病)
もっと高性能であれば、周囲の現実の中からうまい受け皿を見つけて
そこにうまくくっつけることであろう(⇒パーソナリティ障害)


「心の鎧」のaway化機能の内で最も効果的なのは言葉を操る機能である。
フランスの精神分析家ジャック・ラカンLacan,J.はいみじくも
「語りは騙(かた)りである」という有名な指摘を行っているが
特に語りが騙りになってしまうのは、言葉がaway化の為に駆使される場合である。

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「もう一つの精神医学」に学ぶ④偽りの自己
- 2007/05/30(Wed) -

もう一つの精神医学ー「治療精神医学」への私的入門に学ぶ
                  精神科医・飯田信也氏


http://homepage2.nifty.com/another_psychiatry/index.html


2.偽りの自己false self防衛と修復機会の喪失


養育環境の赤ん坊への適応がうまくいった場合には
赤ん坊が遠ざけようとした不快な思いや
養育者側に生じた不快な思いは
ひとまず養育者によって受け止められ抱えられる


そして、しばしば赤ん坊が利用できる形で返され
そのおかげで
赤ん坊は殊更自分を守ろうとする必要も無くありのままで居られる。


そういう事の繰り返しから
子供はいつしか苦痛や葛藤を抱える養育者の機能を取り入れて身につけ
更に合理的客観的に考え判断する機能
(自我の自律的機能)を発達させて行く。


しかし
「私は存在を許されないような悪い存在である」
と思い込んだまだ萌芽的な主体は
そのような自分が排除されないように
懸命に周囲の要望に合わせて行かねばならない。


その為に、本来なら健康な自我の基盤となるべき様々な能力を
専らナイーヴな自己を守るために使うようになる。


それが防衛的な「偽りの自己」(心の鎧)となり
その為に却って「思い込み」の修復の機会は乏しくなり
ナイーヴな「真の自己」は内にひきこもって
あたかも鎖国中のように、殆ど成長しないままに温存されてしまう。


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