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「もう一つの精神医学」に学ぶ⑤弔い・・・・
- 2007/06/01(Fri) -

もう一つの精神医学ー「治療精神医学」への私的入門に学ぶ
                  精神科医・飯田信也氏


http://homepage2.nifty.com/another_psychiatry/index.html


3.思春期青年期課題の乗り越え困難と
            精神病的破綻 psychotic breakdown


このような在り方でも
小学校くらいまでは「手のかからない、大人しい子
あるいは、たまたま知的能力が高ければ
優等生」として何とかやり過ごすことができる。


しかし、これでは通常「思春期青年期課題」を無事に乗り切ることができない。
自分というものが問われてくると
防衛的な「偽りの自己」は機能不全に陥り、立ち往生してしまう。


防衛的な「偽りの自己」
あたかも大海に浮かぶ浮き輪のように彼/彼女を支えていたが
それが急激に機能不全に陥る(即ち、失われてしまう)と
主体は大海に呑み込まれ溺れてバラバラになり消えてしまう恐怖
破滅(絶滅/解体)不安)に晒(さら)される。
しばしばそれは「世界没落体験」と呼ばれる
「世界(それはこの原体験的世界では同時に自分でもあるのだが)
が崩壊してしまう」
という際限無く恐ろしい実感をもたらす。
そうなるともはや、新生児に等しいナイーヴな自己が
パニックとなった状態(いわゆる「パニック障害」のパニックよりも激しい反応
即ち「精神運動興奮」と呼ばれる激しい不穏状態や「昏迷」と呼ばれる
固まって文字通り「立ち往生」してしまう状態=緊張病(カタトニィ)状態)しか残らない。


或いは「偽りの自己」がほんの少し回復すると
わずかなaway化の結果、恐怖は具体的な外部にその起源があると感じられ
「迫害される!」という内容を持った被迫害不安persecutory anxietyとなる。


しかもこの時、第一の外傷によるフラッシュバックが生ずるとすれば
そこには生々しい感覚を伴った
幻覚
(特に存在否定的なメッセージ性を持った「幻聴」という形)も生じ得る。
あるいは更に
それらの恐ろしい事態を何とかわけの分かるものにしようとする働きが
「妄想」的構想を産み出すかも知れない。
その内的構想が、また内外の区別の無い新生児モード
外的現実そのものと確信されれば真の「妄想」の完成である。


これらは、精神病的破綻 psychotic breakdown ないし
急性精神病反応 acute psychotic reaction と総称することができる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これほどまでに
あの頃の私の恐怖と苦しみを
詳細に記述した文章に出会ったのは初めてのことだった。


この文章を記事にしながら
破滅へとまっ逆さまに落下していったあの頃の
数々の残酷な体験が生々しく甦り
私は今、止めどなく涙を流し
身体中から力が抜け落ち
ただひたすら目を閉じて自らを弔っている。


可哀想な私よ・・・・
幼かった私よ・・・・


この世界の全てから分断され投げ出され
たった一人きりだった私よ・・・・


どれほど恐ろしく悲しく不安だったことだろう


今の私なら
お前のすべてを受け止めてあげられたのに


抱きしめて、抱きしめて、抱きしめて
一緒に声の限りに泣いてあげられたのに


たったそれだけで
どれほど慰められたことだろう


今からでも間に合うかい?
遅すぎたけど許しておくれ


私は今
お前のためだけに
こんなにも、こんなにも
涙を流しているんだよ・・・・

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まったり~
- 2007/06/02(Sat) -

今日は大学もバイトも休みの娘とまったり~まったり~290


娘の部屋からギターを練習する音が聞こえてくる。
随分上手くなったみたい。
6月末に学内でのコンサートがあるとか。
地方から出てきている友人のマンションに4人で泊まる予定やら
高校時代の親友と『パイレーツ・オブ・カリビアン」を見に行く予定やら
あれやこれやと忙しそうにしている。


それがなんだか可笑しくて。
それがなんだか嬉しくて。
私までが楽しくて。


私は、といえば
相変わらず膝の痛みを抱えながら
毎日1時間の足慣らしのチャリ旅行を日課にしながらも
家事以外は本ばかり読んでいる。


最近はもっぱら辻悟先生の「治療精神医学への道程」を読み返している。
思うところ多々。考えること多々。気づかされること多々。
また、自分なりの学びをまとめてここの記事にできたらと考えている。


ちょっと、お楽しみ企画(笑)↓


今日の誕生花


6月2日(土)
トケイソウ
花言葉:信仰・信心


tokeisou2.jpg


ちなみに昨日6月1日(金)の誕生花は
白百合


teppouyuri.jpg


花言葉は純潔・飾らぬ美・荘厳





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弔いの先
- 2007/06/03(Sun) -

             yuzora.jpg


夕暮れ


家の近くの自然公園へと足を向ける


雲・霧・森の静けさ・・・・


弔いはもう
とっくの昔に終わっていたのだ


ふと、そう気付く


決心と行動


私に問われていたのはただそれだけだったのだと



                 

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「もう一つの精神医学」に学ぶ⑥第二の外傷
- 2007/06/04(Mon) -

もう一つの精神医学ー「治療精神医学」への私的入門に学ぶ
                  精神科医・飯田信也氏


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4.第二の外傷(精神病的破綻という破局体験と脱落意識と医学的圧殺)


精神病的破綻は、
ナチ強制収容所症候群やベトナム戦争PTSDが明らかにした破局体験に通ずる、
もう一つの破局体験だと考えられる。
これらは、いずれも
およそ人間の身の上に起こるとは考えられない破滅的な体験
という点で共通している。
その為に、これら自体また破滅不安を励起する。
そして前二者がそうであったように、
原体験心性の「抱えられる体験と抱える自分との区別の無さ」から、
単なる「異常な体験」という限定されたものとしてではなく、
「その体験をしている自分自身が異常になってしまった」という
普通の人間からの脱落の意識」をもたらす。


ここでしばしば更に悪い事が生じる。
即ち、このような事態に陥っても、
新生児的主体はその破滅的体験と何とか折り合いをつけようと
自分なりの解決を図り、
「自分は病気ではない」と主張する。
つまり、「精神病=脱落」の恐怖の中で、
必死にそれを否定しようとする
のだ。
しかしながら、驚いた家族等に連れて来られた精神科外来では、
何とか本人なりに事情を説明しようとする努力は殆ど省みられない。
そして「病識がない」と片付けられ、
単なる「脳の故障」と見做されて、
一方的に服薬や入院を強制されることが少なくない。
ここでもまた、彼/彼女は
精神医療という名の社会的権力の前に屈服し
疎外感・被迫害感や無力感・絶望感を味わわされる。


破局体験+脱落意識+医学的「圧殺」
ないまぜとなったこのような事態は
第二の外傷体験」と呼ぶに値すると考えている。 


補足:疾患国際分類第10版(ICD‐10)には
「精神科的疾病後の持続的人格変化
enduring personality change after psychiatric illness
という項目が用意されていて、
重症の精神科的疾病に罹(かか)るという外傷的体験に起因する人格変化
と定義されている。
この人格変化は、感情的に極端なストレスとなり、
患者の自己像を破壊するものとして体験せざるを得ないような精神障害からの、
臨床的な回復に続いて生ずる

この人格変化は、持続的であり、
明らかに柔軟性を欠き適応障害を示す経験と機能のパターンとして現れ、
対人的、社会的、或いは職業的機能の
長期的問題及び主観的な苦痛に至るものでなければならない
とされ、
その具体的特徴は以下のとおり。


(a)他人への過度の依存と要求的態度。


(b)以前の疾病によって変わった、或いは烙印を押されたと確信し、
  親密で信頼感のある人間関係を作り上げ、維持して行くことができなくなり、
  社会的な孤立にまで至る。


(c)受動性、興味の減退及び娯楽活動への参加の減少。


(d)絶えず病気であると訴え、心気的な主張や病気を表す行動を伴うことがある。


(e)現在の精神障害或いは残遺的な感情症状を伴う
  先行する精神障害の存在に由来しない、不機嫌或いは気分の不安定。


(f)病前の状況に比べて社会的及び職業的機能の著しい障害がある。


これらの特徴は、
幻覚妄想などの急性精神病状態を体験した人達には決して珍しいことではない。
それどころか、ごく一般的に見られると言っても過言ではない。
実際これらは、これまで統合失調症そのものによる症状
(いわゆる「陰性症状」)と呼ばれてきたものと異ならない。


そこには更に
疾病後の患者に対する他人の態度や反応は重要な意味を持ち、
患者が感じるストレスの水準を決定したり、強化したりする

とも記されている。


これは、ここで「第二の外傷」として取り上げた事情と
殆ど同じだと言っても過言ではない。

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さだめ
- 2007/06/05(Tue) -

生まれたものどもは、死をのがれる道がない。


老いに達し、そして死ぬ。


じつに生あるものどものさだめは、まさにこのとおりである。


・・・だから、師が教えられたように、


人が死んでなくなったのを見るとき、


かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ、とさとって、


嘆き悲しみを捨て去れ。


(スッタニパータ、575~590)」

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「もう一つの精神医学」に学ぶ⑦PTSDの脳科学
- 2007/06/06(Wed) -

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PTSDの脳科学


PTSDは、元々はベトナム戦争を最悪のものとして含む、
戦場に行った兵士に生じた様々な精神症状(戦争神経症)を
研究する中から生まれてきた概念である。
それが、災害や犯罪被害の場合の反応にまで
広げて考えられるようになっていった。


それと共に、
一般に大事件・大災害後のPTSDの発症率が概ね数~数十%であり、
同じ外傷体験に暴露されてもPTSDになる人とならない人とがいる、
という事実を受けた一連の神経画像研究から、
PTSDには、それに先行するストレス脆弱性が存在し、
遺伝的素因と幼少期の養育環境の相互作用によって規定された、
前部帯状回を含む内側前頭皮質と辺縁系(扁桃体・海馬)の神経発達異常
であると想定されている。


即ち、PTSD患者に於いては海馬の体積の減少
及び前部帯状回を含む内側前頭皮質の異常が見出され、
(統合失調症患者ほどひどくはないが、鬱病患者よりはひどい)
その事から、PTSDに於いては、
内側前頭皮質の機能不全の為に扁桃体の活性を抑制できず、
過形成・消去不全が起こる、
(海馬は直接に或いは内側前頭皮質を介して扁桃体外側核に抑制性の入力を与える)
「小さい海馬体積」は、
PTSDの慢性化・重症化のリスクファクターのようだと言うのである。


事態を逆の方向から眺めると、
PTSDをもたらす
(内側前頭皮質や海馬の抑制を受けない)恐怖体験の記憶こそは、
最も直接的なものであるという意味で
記憶の最も原初的な性質のものである」とも考えられる。


この種の記憶を辻は「原体験記憶」と呼んでいる。


それは状況と結びついた感覚的記憶であって、
内容が想起できるような概念的記憶ではなく、
同じような状況に置かれると自動的に生々しい感覚が再生される
(=フラッシュ・バック)ような記憶
である。


極めて強いストレスによる海馬の萎縮を示唆する最近の報告もあり、
PTSDに先行するとされる「小さい海馬体積」も
それ自体(例えば周産期~乳幼児期の:筆者注)
外傷体験への暴露による獲得性のものである可能性
残されているようである。
(文献5)笠井清登,山末英典「PTSDの生物学」:こころの科学129

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カウンセリング当日
- 2007/06/07(Thu) -

今日の夜、5月に予約したカウンセリングを受けに行く。


あの、不思議な感覚が甦ってくる。


面接それ自体は、週一度、たったの50分間でしかないのに、
それ以外の6日と23時間、全ての時間の持つ意味が
大きく変貌してゆくのだ。


自分の意識が、自分の感覚が、自分の肉体が
現実の時間を遥かに超越して
ただただ自分の内へ内へと向かっていく・・・・


仕事中に、激しい雷雨に見舞われたその瞬間
私は3歳の女の子に逆戻りし、見知らぬ家の軒下で
「怖いよ、怖いよ、助けて、助けて」と泣き叫んでいた。


あの瞬間から、固く封印していた真実が
私の目の前に厳然と現れ始めたのだ・・・・


知りたくなかったことが、解りたくなかったことが
決して思い出したくなかったことが
次々と真実の姿を現し
私はパニックのような状態に陥り、身体も壊れていった・・・


カウンセラーの前で
「私は何も悪くない!!何にも悪くなんかない!!」
そう大声で叫んで叫んで、泣き続けたっけ・・・・


しんどかった・・・・ほんまにしんどかった・・・・


でも、本当によかったと思っている。


今も、かつてのあの大変な時間を共に過ごしてくれたカウンセラーに
心から感謝している・・・・
心から、彼女を愛している・・・・


今日が、たとえどんな出会いであろうとも
私はどこまでもありのままにこの身を曝け出し
確かな言葉を求めて、語っていこうと思っている。

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「もう一つの精神医学」に学ぶ⑧身体化障害 Somatization Disorder
- 2007/06/08(Fri) -

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               精神科医・飯田信也氏


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身体化障害 Somatization Disorder


絶えず体のあちこちに不調を感じ
いろんな病院で調べてもらっても
「原因が分からない」とか「どこも悪くない」と言われ
それでも納得できず
更に医者通いを繰り返したり(ドクター・ショッピング)
家に引きこもってしまったりして
生活に支障をきたしている状態。


精神分析学者フェニケルFenichel,O.が
器官神経症 organ neurosisと呼んだものと概ね重なっている。


症状
消化器(胃や腸)
運動器(筋肉や骨格)、
呼吸循環器(肺や心臓)など
あらゆる器官に現れる。


過敏性腸症候群 irritable bowel syndrome
(過敏性大腸 irritable colon)や
ある種の膝関節の故障
DSMでは別の項目になっているパニック障害 panic disorder
(過換気症候群 hyperventilation syndromeや
 心臓神経症 cardiac neurosis)
などの多くもここに含まれる。
近年注目の慢性疲労症候群 chronic fatigue syndromeも
その多くは実はここに含まれると考えられる。


心の中の悩みや葛藤
「体の異常」という形で表現されたもので
かつて「ヒステリィ」hysteria Hysterieと
呼ばれていたものの一部だが
ヒステリィという言葉は本来の意味内容
(多彩な身体化症状や解離症状)から離れて
単に感情を制御できない女性に対して侮蔑的に
誤って使われることが多くなったこともあって放棄され
新たに分類し直された。


これらはいずれも、仮病(詐(さ)病(びょう))ではない。
仮病というのは本人が意識的にいつわることだが
これらの障害はあくまでも
無意識的メカニズムによるもので
本人は偽(いつわ)るつもりなどないのだ。


これらの障害は、次の二つの要因が重なって生じる。


一つは
心と体の区別の難しさである。
心というものは直接に具体的にとらえることができないので
実感というものを最初は具体的な体の感覚としてとらえる。


困った時に「頭が痛い」と言い
堅苦しい場面では「息が詰まる」
哀れに思う時やうしろめたい時に「胸が痛む」
人に対して「甘い」と言い
昔の思い出を「ほろ苦い」とか「甘酸っぱい」などと言ったりもする。
期待に「胸を高鳴らせ」たり
嫌悪感で「吐き気がし」たりもする。


心と体とは実際に自律神経などを介してつながっているので
文字通り「頭が痛く」なったり「胸が痛く」なったり
あるいは「吐き気がし」たりしたのかも知れない。


しかしこれらの言葉は
目に見えない心というものが把握できるようになるにつれて
やがてもっぱら心の状態を表すようになってゆく。


とは言え
目に見えない心の動きというものを
把握することはとても難しいので
しばしば見失われ
体で感じたものだけが認識されることがあるのだ。
 
もう一つは
心の中の葛藤が本人自身の目からも隠されている場合
である。


こういう現象を「抑圧」とか「乖離」と言うが
そのようにして意識から切り離された思いは
器官言語 organ languageというコードを通して「転換」され
体の症状として表現される
ことがあるのだ。


例えば、自立をめぐる葛藤から
足が麻痺して立てなくなったりする。


「ゲシュタルトクライス」で有名な
医学的人間学の祖ヴァイツゼッカーvon Weizsäcker,V.は


     感覚器官と運動の障害 ⇒ 個人と環境に関する葛藤、
     皮膚粘膜移行部 ⇒ 個人内部の欲動と理性の葛藤、
     自律神経領域 ⇒ 存在の根源を脅かす葛藤


をそれぞれ表現すると述べている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


じゃあ、私は「個人と環境に関する葛藤」が一番強いんだろう。
そりゃあそうさね。
この数年の自分自身と環境の激変は
凄まじいものがあったから。
まだまだ、今の私は
真っ白になってしまった頭と身体で
呆然と真空を浮遊しているようなものだから。


思いつきでいろいろ行動してみても
ほぼ空振りしてしまうのも
自分がそんな状態だからだろうと思っている。


で、
昨日はその空振り。
仕方ない・・・・
そんなもんさ・・・・
多くは語りたくないのさ・・・・

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重なる不調
- 2007/06/09(Sat) -

歯痛になる。


これがまた厄介なのだ。


私は歯科恐怖症なのである。


街場の「無痛治療」やら「笑気ガス」程度の歯科医院ではどうにもならない。


診察台に上がっただけでパニクって逃げ帰ったことが何度もある。


治療にならないのだ。


そこまで辿り着けないのだ。


恐怖でガタガタ震え、子どものように泣き喚くからお手上げ・・・・


本当に恥ずかしい・・・が、どうにもならない・・・・


そこで電車を何度も乗り継いで、
ウン時間かけて○○大学付属の歯科専門の病院迄行かねばならない。


ソコは私のような歯科恐怖症の患者にも対応している。


いざとなったら全身麻酔までできる設備を整えている。


精神療法や漢方云々、その他モロモロ、モロモロ・・・・


自分が情けなくなる。


世間の人はそんな病院があることすら知らない人がほとんどなのではないか?


いちいち、厄介なのだ。


生きることが厄介で大変なのだ。


「それでいいよ。何が悪い。」


そう言ってくれる人に初めて出会ってまた子どものように泣いた。


弱っちくて弱っちくて
赤ん坊並みでしかない自分を初めて認めてもらえて泣いた。


「ありがとう・・・ありがとう・・・・」それしか言葉にならなかった。


一旦破綻した私の「偽りの自己」は
夫と共にやって来た宗教団体によってさらに強化され尽くし
どんなことでもやり遂げる超人並みの強さをもっていたのだが。


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GITANJALI
- 2007/06/10(Sun) -

                         GITANJALI 10                    
                                                              Rabindranath Tagore



ここに、あなたの足台がある。


もっとも貧しい人、もっとも賤しい人、挫折した人たちの住むところ、
そこで あなたは足を休めたもう。


あなたの御前にぬかずこうとしても、わたしの礼拝はとどきませんーー
もっとも貧しい人、もっとも賤しい人、挫折した人たちにまじって、
あなたが足を休めていられる奥処(おくが)までは。


驕る心では、けっして 近づくことはできませんーー
もっとも貧しい人、もっとも賤しい人、挫折した人たちにまじって、
下層の民の衣をまとい、あなたが歩いていられるところへは。


わたしのこころは どうしても 見いだすことはできませんーー
もっとも貧しい人、もっとも賤しい人、挫折した人たちにまじって、
友なきものを友とする あなたのもとに通じる道は。

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病まなければ
- 2007/06/11(Mon) -

                       祈りの塔    


                                                         河野 進


                   病まなければ


病まなければ ささげ得ない祈りがある


病まなければ 信じ得ない奇蹟がある


病まなければ 聴き得ない御言葉がある


病まなければ 近づき得ない聖所がある


病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある


おお 病まなければ 


           私は人間でさえもあり得なかった

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梅雨入り・条件反射?
- 2007/06/12(Tue) -

もしかしたら、明日午後から梅雨入りするかもしれないと
朝のニュースで聞いてから、急に心がざわめきはじめて
一日がかりで家族4人分の布団を干して、家族4人分の掛・敷・枕カバーを洗って
毛布を洗って、タオルケットを洗って、洗っては干し、洗っては干し、洗っては干し・・・・


幸い今日は風があったので、2時間足らずでさっぱり乾く。
本当によく働いた一日だった。


今はもうクタクタで、おやすみなさい・・・・

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承認欲求と対人恐怖⑧価値的存在
- 2007/06/13(Wed) -

斎藤学氏は
現代の生の一場面をこんな風に描写する。


少女たちが彼女の身体を客体化し
異性にとっての
“よい製品”である自己を作り出すことに汲々としている間
彼女たちの父親や母親は
職場にとっての良い働き手
家族にとっての良い母親を演じ続けて倦まない。


職場に過剰適応している多くの父親たちは
それによる苦痛を感じることも無いという点で
彼らの娘たちよりも危険なところにいる。


彼ら仕事依存者たちは
そうした夫にひたすら奉仕する共依存的な妻たちの期待に応えて
ひたすら働き、豊かな人間関係と、成熟した自己洞察を失って行く。


今の社会の“健全な”家族のなかで営まれているのは
この種の“非健全”である。


子どもたちは
職場での成績にしか生きがいを見出せない仕事依存的な父親と
彼に奉仕しながら支配する母親を見ながら
家族という“居心地の良い牢獄”の中で成長し
他者から評価されることでしか自己を実感できない人に育つ。


学校制度はこの種の空虚な人格の養成を主な機能とし
その規範に同調する生徒は
次の世代の役割ロボットとして合格品と判定される。


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生き延びられたこと
- 2007/06/14(Thu) -

今回、歯科病院に予約を入れる電話をした時に
「いつ頃から歯医者に行けなくなりましたか?」と聞かれ
意外な問いかけに虚を突かれ
「えっ」と暫らく沈黙し考えていて
「ハッ」と気付いた。


昔、何の恐怖も感じずに、どんな医者にでも
平然と行けていた時期が確かにあったのだ。


はっきり覚えているのは、
そうした時期は、なんらかの外的価値観に対して
異常な熱意で適応しようとしていて
今思えば、自分としてはもの凄く頑張っていた頃


「優等生で模範生」などともてはやされていた子どもの頃や
自分が激しい勢いで破滅していく恐怖に突き動かされて
我を忘れて演劇へとのめり込んで行った頃や


そして・・・
食欲すら全く感じることがなく
そんな心の余裕すらなく
痛みも恐怖も身体的なしんどいさや辛さや眠気すら
何ひとつ感じることすらなく
命がけでその組織(某宗教団体)に過剰適応しようと
異様な過覚醒状態で何年も何年も頑張り続けていた頃や


「自分が破滅していく・・・破滅していく・・・」という
身に迫ってくる危機感や
絶え間なく襲ってくる強烈な恐怖や不安や絶望感から
必死に逃れようとして演劇活動に没頭しながらも
薬物やアルコールやセックスに溺れ
24時間意識朦朧として過ごしていた頃に
夫と知り合った・・・・


その夫が
某宗教団体の熱心な信者だったのだ。


「溺れる者は藁をも掴む」
まさしくその言葉通りに
夫が気まぐれに差し出したその手に
むしゃぶりつく様にしがみついて
私は地獄の生活から這い出して来た。


そして、
もうその頃にはすでに
ボロボロに破壊されていた「偽りに自己」を
今度は夫とその宗教団体に過剰適応させるため
二度と再び破滅することのない
強靭な「偽りの自己」を再構築しようとして
それこそ、つねに生命の危機と隣り合わせであるほどの
凄まじい情熱と忍耐と努力で(それらを仏道修行と捉えて)
適応への過酷で過剰な日々を送るようになっていった。


そう・・・私の「偽りの自己」は
超人的な、神ががり的な「強さ」をもっていたのだ。
その強さで、
過剰適応の新たな地獄を歩み続けていたのだ。


そして、
こうして強靭に鍛えあげられていった「偽りの自己」にとっては
歯科医など、物の数にも入らぬ他愛ない存在でしかなかったのだった。


強烈なアンビバレンツ
その狭間を
ずっと子どもの頃から生き抜いてきて
真っ二つに引き裂かれることなく
かろうじて、かろうじて私自身として
たとえそれが
たった一本のほそーいほそーい糸でしかなかったとしても
繋がって生きてこられたことに、その奇跡に
頭を垂れて感じ入る時
私は私の周りのもの全てに
深い感謝の思いでいっぱいになる。


たとえそれが、アル中でDVで凄まじい借金癖を持った
破壊的人格の夫に対してでさえも。



 

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GITANJALI 62
- 2007/06/15(Fri) -

                            GITANJALI  62


                              Rabindranath Tagore


坊や、
おまえに きれいな色のおもちゃをもってくるとき、
母さんにはわかりますー
どうして雲や水に あんなに美しい色彩の戯れがあるのかが、
どうして花々が 色とりどりに染められているのかが。
坊や、
おまえに きれいな色のおもちゃをあげるとき。


おまえを踊らせようと 歌うとき、
母さんには ほんとうにわかりますー
どうして木の葉のなかに 音楽があるのかが、
どうして浪たちが 耳をすませて聴いている大地の心臓に
さまざまな声の合唱を送るのかが。
おまえを踊らせようと 歌うとき。


おまえの欲ばりな手に 甘いお菓子をもたせるとき、
母さんにはわかりますー
どうして花のうてなに蜜があるのかが、
どうして果物が こっそり 甘い汁をいっぱいかくしているのかが。
おまえの欲ばりな手に 甘いお菓子をもたせるとき。


いとしい子よ、
おまえの頬に口づけして おまえをにっこりさせるとき、
母さんには はっきりわかりますー
朝の光となって 空から流れてくるのは どんな喜びなのか、
夏の微風が 母さんの体に運んでくるのは どんな歓びなのかが。
おまえの頬に口づけして おまえをにっこりさせるとき。

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基底欠損についてのまとめ⑥
- 2007/06/16(Sat) -

『治療論からみた退行―基底欠損の精神分析』より
                         
マイクル・バリント/著 中井久夫/訳


基底欠損水準の主要特徴を列挙すれば、
1.そこで生起する事象は例外なくすべて
  二人関係(two-person relationship)である。
  第三の人格(person)は存在しない。
2.この二人関係の性質は一種特別で、
  周知のエディプス水準の人間関係と全然違う。
3.この水準において働いている力動的な力は本質的に葛藤に由来しない。
4.しばしば成人の言語はこの水準で起こる事象の叙述に役立たないか、
  
誤解の原因となる。ことばが一般的合意に基づく通常の意味を持つとは
  
限らないからである。


…一時近似に過ぎないとはいえ、この二人関係は私が何度か述べた
一次愛(praimary love)、一次対象関係(primary object relationship)の
一例と見なしうるものである。
この関係に介入するいかなる第三者も耐え難い緊張負荷と体験される。
しかしこれが有する重要な性質はそれだけでなく、
満足と欲求不満の強度の落差が大きいことである。
この水準の満足とは、主体が対象と「ぴったり膚接する」(fitting in)ことで、
それは静穏な幸福感を生み出す。
実に自然で柔らかな十全感で、
よほど意識して行わないと外部からは観察不能である。
ところが欲求不満の方は対象の「膚接」がないことなので
非常にかまびすしい症状が激発する。
(p33)


…私が以上の事態を"basic"という理由の一つはこのためである。
しかし、では、どうして欠損"fault"(できそこない)なのか。
それは第一にほかならぬ患者がこの言葉を使って指すからである。
患者はこのように言う。
自分の内部に欠損が一つある気がする。
この欠損を修繕する必要がある、と。
患者はコンプレックスとも葛藤とも対人状況とも感じていない。
一つの欠損と感じているのだ。
第二に、この欠損の原因は、誰かしらないが自分を作り損なったため、
あるいは誰かがするべき事を自分にしてくれなかったため、
という感じがあるからである。
さらに第三にこの領域は必ず一種の大きな不安に包まれている。
患者はこの不安を通常こう表現して、
分析者(せんせい)、こんどこそ、自分をダメにしないで下さいね、
と必死に頼み込む。
実際やり損ないは許されない。
欠損(fault)ということばは、
これまですでに一部精密化学で
我々がいまいうのと似た場合を指すのに用いられている。
たとえば地質学や結晶学で欠損と呼ぶものは、
全体的構造の中に突発する不規則性であって、
通常状態では分からないが、圧力や歪力が加わったときに
そこから破談現象を起こして全体構造を大きく破壊するものである。
(p39)


私がこの新語で”基底的”("basic")なる形容詞を使ったのは、
ただエディプス複合の諸特性よりも単純な条件の状態だからではない。
基底欠損の影響の及ぶところが広いからで、それはおそらく、
比がそれぞれ異なるとはいえすべて、心身両者を併せ持つ、
人間の全心理学的=生物学的構造に及ぶだろう。
基底欠損概念をこのように作れば、
各種神経症(とおそらくは精神病)、性格異常、
心身症をはじめ(われわれが行った一般実地医学研究経験が示すとおり)
通常の”臨床”身体疾患も
実は病因論的に同一の実体(もの)が示す諸症状にほかならないことが判明する。
私は、”臨床”疾患が内科的治療も含め
各種情緒体験の影響下に消失して代わりに個別的精神障害が出現すること、
またその逆がありうると言いたい。
(p40)

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わたし(たち)にとって大切なもの
- 2007/06/17(Sun) -

わたし(たち)にとって大切なもの



                                                            長田弘 「死者の贈り物」 



何でもないもの。
朝、窓を開けるときの、一瞬の感情。
熱いコーヒーを啜るとき、
不意に胸の中にひろがってくるもの。
大好きな古い木の椅子。


なにげないもの。
水光る川。
欅の並木の長い坂。
少女達のおしゃべり。
路地の真ん中に座っている猫。


ささやかなもの。
ペチュニア。ベゴニア。クレマチス。
土をつくる。水をやる。季節がめぐる。
それだけのことだけれども、
そこにあるのは、うつくしい時間だ。


なくしたくないもの。
草の匂い。木の影。遠くの友人。
八百屋の店先の、柑橘類のつややかさ。
冬は、いみじく寒き。
夏は、世に知らず暑き。


ひと知れぬもの。
自然とは異なったしかたで
人間は、存在するのではないのだ。
どんなだろうと、人生を受け入れる。
そのひと知れぬ掟が、人生のすべてだ。


いまはないもの。
逝ったジャズメンが遺したジャズ。
みんな若くて、あまりに純粋だった。
みんな次々に逝った。あまりに多くのことを
ぜんぶ、一度に語ろうとして。


さりげないもの。
さりげない孤独。さりげない持続。
くつろぐこと。くつろぎをたもつこと。
そして自分自身と言葉を交わすこと。
一人の人間のなかには、すべての人間がいる。


ありふれたもの。
波の引いてゆく磯。
遠く近く、鳥たちの声。
何一つ、隠されていない。
海からの光が、祝福のようだ。


なくてはならないもの。
何でもないもの。なにげないもの。
ささやかなもの。なくしたくないもの。
ひと知れぬもの。いまはないもの。
さりげないもの。ありふれたもの。


もっとも平凡なもの。
平凡であることを恐れてはいけない。
わたし(たち)の名誉は、平凡な時代の名誉だ。
明日の朝、ラッパは鳴らない。
深呼吸をしろ。一日がまた、静かにはじまる。

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承認欲求と対人恐怖⑨固着した関係
- 2007/06/18(Mon) -

ギデンズ(Giddens)
固着した関係a fixated relationship


他者を自らの身の安全を確保するための手段とみなし
自分に評価を与えてくれる道具として利用しているに過ぎない関係。

つねに他者を自分の思う方向へ動かそうという
「コントロールをめぐる権力闘争」が展開され
生きていく手段としてお互いを消耗しあう。


他者からの評価を得ることによって
自らの存在意義を得ようと躍起になり
徹底的な「評価」・「管理」・「品質ごとの階層分化」
行われているこの社会の中で
「自分がどのように評価されているか」を
生きる目標にさえしようとする。


「自分の存在意義を手に入れるための
             他者からの承認獲得欲求」


こうした自己現象は、現代社会のあらゆる場面で見られる。

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日々のこと
- 2007/06/19(Tue) -

最近、日々の暮らしが静かに過ぎていく。


なにかが吹っ切れたのかもしれない。


たぶん少しだけ
自分を冷静に見つめることができるようになったからかもしれない。


感情が、あまり波立たない。
静かなさざ波はあるけれど。


この暮らしを大切にしよう。
この幸せを大切にしよう。
心細くなるほどに
シンと静まりかえった暮らしだけれども
何も恐れることはないのだと知ったから。


人が生きるとはこうしたものなのだとやっと知ることができたから。


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日々のこと
- 2007/06/20(Wed) -

            


ご近所さんから、こんなものを貰った(笑)


自転車が故障して日課のチャリ旅行が出来なくなった話をしてたら
「これなら膝に負担をかけずに運動できるよ」とか言われて
ついうっかり貰ってしまった。


大型ゴミが片付いて、大層喜ばれたみたいだったけど。


確か数年前にTV通販で大人気だったはず。
(で、セピアで撮ってみたが)


空中ウォーキングって感じで膝に負担がかからないし
TVでも見ながらスイスイ漕ぐのは退屈しなくてなかなかいいが


でかい!なにしろでかい!


簡単に折り畳めるなんて大嘘!
邪魔で邪魔で、家族からも散々文句言われてへこんでる・・・・


どーしよ・・・
速攻、大型ゴミか・・・


しかし、貰ったばかりでゴミに出すのも気が引ける・・・
畳んで、どこかにこっそり置いておくしか手はない・・・

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我執
- 2007/06/21(Thu) -

人間の苦しみの原因は、執着である
とブッダは言う。


執着とは
何かを自分のものにしておこうとすること。


最大の執着の対象は自分自身。
自分自身を永遠の存在と考えてそれを守り、拡大しようとする。


それが我執
例えば、名誉・地位・財産・学歴・人望・権力など・・・・


「我」を損なうものには、マイナスの執着が働く。
その反応は、嫌悪、敵視、憎悪、軽蔑、恐怖・・・・


自分が永遠の存在でないことは、頭では理解している。
しかし、執着ははるかに根深く、
年老いてなお
権力や富にしがみつき永遠の自己拡大を目指そうとする。


執着は
自分に有利なものは自分の権力のもとに置きたいと欲し、
不利だと知るや躍起になって排除しようとする。


怒り、悲しみ、絶望、苛立ち、不満、妬み、へつらい・・・・


反応は繰返され執着は成長し苦を拡大し続ける。


自分のなかに起きてくるあらゆる情動を
執着や我執の観点から眺めるようになってから
「ああ、なるほど・・・これか・・・」と
自分の愚かさの在りかを
はっきり自覚できてきたような感じがする。


そして、心が穏やかになってくる。
「そんなことに拘っても何の意味もないんだ」と
力が抜けて、笑えてくる。


死さえ
決して避けることなど出来ないのだから
覚悟して受け入れるしかないのだから
自分の中の執着を一つ一つ手放して
全てを失って死んでいきたいと思う。

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本・届く
- 2007/06/22(Fri) -

ネットの古本屋に注文していた本が4冊届く。


「詩のおくりもの 7 生命の詩」 三木卓編
「詩のおくりもの 6 遊びの詩」 谷川俊太郎編
「心理学化する社会ーなぜ、トラウマと癒しが求められるのか」 斎藤環
「心を商品化する社会ー心のケアの危うさを問う」 小沢牧子・中島浩籌
計1789円


休職中の私にとっては、古本は安くていい。
発行されてから読むまでの期間は相当ずれ込むが
それはそれで致し方なし・・・・急ぐ必要はない。


「詩のおくりもの」は、中学生・高校生向けに編まれた
「詩との出会い」をテーマにした全7巻のシリーズもので
1981年に筑摩書房から発行された古い本だ。


随分前に図書館で借りて読んでから、すっかり気に入ってしまって
(多分心の成長が中・高のままなんだろうが・・・・)
何度も借りて読んでいたのに
ある日突然書棚からスッポリ消えてしまった。


以来、ネットで探していたが
古本屋のサイトでも滅多に見つからない。
石垣りん編の「家庭の詩」しか持っていなかった。
今回は2冊入手。1冊500円。ラッキーだった♪


「心理学化する社会」と「心を商品化する社会」は
以前から一度は目を通しておきたいと思いながらも
なんとなく、放置、していた。
カウンセリングを勉強しながら
自分もカウンセリングを受け続けていたので
シビアなものからは、目を背けていたかったのだろう。
あの当時は 「そこまで考え始めたら自分が持たなくなる」 
そう感じていた気がする。
まあ、今が大丈夫かどうかなんて、わかったもんじゃないけどネ。


暫らくは読書三昧。


雨も降り続くとの予報。


家でおとなしくしーてよっと。

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快晴なり
- 2007/06/23(Sat) -

娘の定期演奏会の日。


私は聞きに行かないけれど(照れくさくて)
生まれて初めての感激を味わえればいいね。



私は・・・・


このまま、静かに、フェイドアウトして


消えて往ければ・・・・本望。


言葉が、思いが


空気に溶け込んで流れてゆくから


目を閉じて味わいながら


一日一日を丁寧になぞって生きてゆくだけ。

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「銀河鉄道の夜」
- 2007/06/24(Sun) -

      『銀河鉄道の夜』 


                    宮沢 賢治


ジョバンニは、ああ、と深く息しました。


「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、
どこまでもどこまでもいっしょに行こう。
僕はもう、あのさそりのように
ほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか
百ぺん灼いてもかまわない。」


「うん。僕だってそうだ。」
カムパネルラの目にはきれいな涙がうかんでいました。


「けれどもほんとうのさいわいはいったい何だろう。」
ジョパンニが言いました。


「僕わからない」カムパネルラがぼんやり言いました。


「僕たちしっかりやろうねえ。」
ジョパンニが胸いっぱい新しい力がわくように、
ふうと息をしながら言いました。


「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの穴だよ。」
カムパネルラが、少しそっちを避けるようにしながら、
天の川のひととこを指さしました。


ジョバンニはそっちを見て、
まるでぎくっとしてしまいました。
天の川の一とこに大きなまっくらな穴が、
どほんとあいているのです。
その底がどれほど深いか、
その奥に何があるか、
いくら目をこすってのぞいてもなんにも見えず、
ただ目がしんしんと痛むのでした。


ジョバンニが言いました。
「僕、もうあんな大きな闇の中だってこわくない。
きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。
どこまでもどこまでも僕たちいっしょに進んで行こう。」


「ああきっと行くよ。
ああ、あすこの野原はなんできれいだろう。
みんな集まってるねえ。
あすこがほんとうの天上なんだ。
あっ、あすこにいるのはぼくのおっかさんだよ。」
カムパネルラはにわかに窓の遠くに見える
きれいな野原を指さして叫びました。


ジョバンニもそっちを見ましたけれども、
そこはぼんやり白くけむっているばかり、
どうしても
カムパネルラが言ったように思われませんでした。
なんとも言えずさびしい気がして、
ぼんやりそっちを見ていましたら、
向こうの川岸に二本の電信ばしらが
ちょうど両方から腕を組んだように
赤い腕木をつらねて立っていました。


「カムパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ。」
ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、
そのいままでカムパネルラのすわっていた席に、
もうカムパネルラの形は見えず
ただ黒いびろうどばかりひかっていました。


ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ちあがりました。
そしてだれにも聞こえないように、
窓の外へからだを乗り出して、
力いっぱいはげしく胸をうって叫び、
それからもう咽喉いっぱい泣きだしました。


もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。


そのとき、
「おまえはいったい何を泣いているの。
ちょっとこっちをごらん」
いままでたびたび聞こえた、
あのやさしいセロのような声が、
ジョバンニのうしろから聞こえました。


ジョバンニは、はっと思って涙をはらって
そっちをふり向きました。


さっきまでカムパネルラのすわっていた席に、
黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせたおとなが、
やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。


「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。
あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。
おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」


「ああ、どうしてなんですか。
ぼくはカムパネルラといっしょに
まっすぐに行こうと言ったんです。」


「ああ、そうだ。みんながそう考える。
けれどもいっしょに行けない。
そしてみんながカムパネルラだ。


おまえがあうどんなひとでも、
みんななんべんもおまえといっしょにりんごをたべたり
汽車に乗ったりしたのだ。


だからやっぱりおまえはさっき考えたように、
あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、
みんなといっしょに早くそこに行くがいい。


そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラと
いつまでもいっしょに行けるのだ。」
 

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無能者と指差されて
- 2007/06/25(Mon) -

インドの仏教においては、
出家者はあらゆる職業につくことを禁じられていたそうだ。


その理由は、
人間の価値は世の中の役に立つ・立たないといった物差しで
測ることなどできないことを教えるためであると。


世間は、
まじめに働いている人間や何かが出来る人間を高く評価する。
しかし、そのような物差しだけで人間を評価してしまうと、
世の中の役に立たない人間に対する蔑視が生まれる・・・・


その結果、
高齢者や障害者、働かない・働けない人
今の効率社会に適応できない・しない人たち等々・・はすべて
役に立っていない人間と評価され、切り捨てられてしまう。


そんな社会や家庭の中では、人は自分が自然であることよりも
その「場」の「意図」や「効率」を、常に強迫的に気にするようになる。


「意図」や「効率」にそぐわないものは
排除されるべき雑音でしかないのだから。


自分はその「場」で自然な自分であってはならない。
常にその「場」の「意図」や「効率」や「目的」を肌で感じながら
なんとかそれに沿うように自分自身を仕向けてゆかなくてはならない。
それは無数に繰返されて、いつのまにか身体化し、
ほとんど無意識的レベルで行われていくようになる・・・・


この空虚さ・・・・
自分が自然な自分であると、排除され切り捨てられてしまうのではないか
そんな根源的な恐怖に怯えながら
ひたすら他者の目という評価基準を
自分の唯一の内的価値観として生きてゆかねばならない苦しみ。
互いが互いを監視し、束縛し、階層化し、支配していく無数の網の目。


親の「意図」にそわなければ愛されないという
「条件付け」が深く無意識に刻印されて
親から見ての「いい子」「優秀な子」を演じ続け
周りの「意図」に過剰に反応するがために
自分自身が一体何者であるのかさえ
分からなくなってしまった機能不全家族と
根っこは同じに思える。


仕事なんかやめちまえ!


とはいかないけれど
人間の価値は世の中の役に立つ・立たないといった物差しで
測ることなどできないんだということを
決して忘れたくないと思う。


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課題
- 2007/06/26(Tue) -

あの人の母親になれるかなれないか。


それだけだな、最後に残された課題は。

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仕事復帰
- 2007/06/27(Wed) -

明日から仕事に復帰する。


暫らくは食事介助を中心にどこまでやれるか
やれなかったら仕方ないし・・・・


今日息子の仕事着の綻びを繕おうと思ってミシンを出して
正座して暫らく作業していたら
突然、膝に激痛が走ったから・・・・


ていうか
今は、何にも書きたいことないんだよね・・・・


仕事、頑張ってみますだ!!

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日々のこと
- 2007/06/28(Thu) -

久しぶりの仕事。
懐かしい顔、顔、顔。

みんなに会えて涙ぐみそうになった。
照れくさくて、そんな素振りは見せないけれど。


実働5時間だが、やっぱりきつい・・・・
膝がガクガクしていて、2階の自分の部屋に上がってくる時
階段に引っかかって転びそうになった。


やばいなあ・・・・


行けるところまで行くだけか・・・・


で、
このブログを始めて
いつのまにか1年以上経ってしまって
最近、気持ちを切り替えて新しいブログに変えようかと考えている。


本格的に「精神分析的じゃない日々」になってゆきそうだし
「思いきり書きたいことを書きなぐる日々」みたいなタイトルで(笑)


アクセス数が10000になったらそれを機に、と
そんなことをつらつら思う日々・・・・


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愛を求めて
- 2007/06/29(Fri) -

体にも堪えるし、神経も凄く使うし、
それでも私が介護の仕事が好きなのは
言ってしまえば
そこには「濃密な二者関係」があるからだろうと思う。


母子も男女も
基本、人間関係は
排他的二者関係に行き着くんじゃないかと思う。
(そう思うのは私だから?)


亡くなった人も当然いる。


「○○ちゃん、○○ちゃん(私の名前)死ぬまで絶対そばにいてね」
そう言っていつも私の髪を梳かしては三つ編みに編んでくれて。


蜜月・・・かな?
だーれも入り込めないものが
二人の間に育まれて行く。


結局、私は今も
ものすごーーーく愛情に餓えていて
濃密な、蜜月の、
排他的としか言いようのない二者関係を
無意識的に求めているのかもしれない。


膝、腫れて、熱をもって疼いている。

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やがて、女は知る・・・・
- 2007/06/30(Sat) -

子どもを亡くした母親の話 。


これは仏教の逸話である。


おかしなもので
かつて、幻想の万能感を強烈に煽る宗教団体に加わり
強迫的な「祈り」と「修行」という非日常の世界を
狂女の如く生きていたにも拘らず
私が、強く胸衝かれ
静かな月の光を見上げている時のように
ふと、我に帰ることのできた唯一の話がこの話だった。


宮本 輝氏の編集したアンソロジーの抜粋。


ひとりの貧しい女が、自分のたったひとりの子供を亡くした。
まだ生まれて間もない赤ん坊だった。
この子を育てるために、
女はおよそ考えられるありとあらゆる苦労を重ねたし、
これからもそれに耐えられる覚悟が崩れはしないほどに
大切な愛しい子だった。


女は死んだ赤ん坊を抱きしめて、
村から町へ、町から村へとさまよい歩き
誰か私の子を生き返らせてくれはしないか、
そのような力を持った者を教えてはくれないかと尋ねて廻る。


誰も女に首を振るばかりか、
死んだ赤ん坊を離そうとはしない
身分の卑しい女の相手すらしてくれない。


やがて女は、
一縷の望みを抱いて釈迦のもとに辿り着き、
この子を生き返らせてくれるなら自分はどんなことでもする、
どうかこの子を生き返らせて下さらないかと懇願する。


女も死んだ者が生き返らないことは充分にわかっていても、
哀しみがそのような理性すら失わせていたのだ。


釈迦は、
よしわかった、その子を生き返らせてあげようと、
深い慈しみをたたえて言う。
ただし、条件がある。
この町の家々を訪ねて、香辛料をもらってくることだ。
しかし、香辛料をもらうのは、
一人も身近な者が死んだことのない家だけに限られる。


夫や妻や恋人や、
親や子や兄弟などが、
たったひとりでも死んだことのある家の香辛料は役に立たない、と。


女は釈迦の言葉を耳にするなり、
赤ん坊の死体を抱いたまま、町へと急ぐ。
釈迦が指定した香辛料は、
どんな家にもある、ごくありふれたものだったからだ。


女は朝から晩まで、家という家を訪ねて歩くが、
一粒の香辛料も手にすることが出来ない。
愛する者と、
あるいは身近な者との死別を経験しなかった人間など、
ただのひとりもいなかったからだった。


やがて、日が暮れてきた頃、女は知る。


愛する者との別離に悶え苦しむのは、自分ひとりではない。
生きとしいける者すべては、
さまざまな別れから解き放たれることはないのだ、と。


女は自分の赤ん坊を埋葬し、釈迦のもとに帰り、釈迦に帰依した。


                      ~わかれの船  宮本 輝


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