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「ひき裂かれた自己」・・・呑みこみ 
- 2007/09/01(Sat) -

「ひき裂かれた自己」   R.D.レイン


呑みこみ (engulfment)


ひとがひとりの人間としてほかの人間とかかわりをもつためには、


自己の自律的なアイデンティティについて堅固な感覚をもつことが要求される。


さもなければ、いかなる関係といえども、アイデンティティの喪失の恐れをもたらす。


その一つの形態が「呑み込み」と呼ばれる。


ここでは人間関係は、だれかもしくは何かとのかかわりを、


あるいは自分自身とのかかわりそのものさえをも、恐れるに至る。


というのは、いかなる関係においても、自律性の堅固さについての不全感が、


自律性とアイデンティティとを失いはしまいかという恐れに、


彼を直面させるからである。


・・・・・「呑み込み」にあっては、


理解される(したがって把握される、了解される)こと、愛されること


そして単に見られることにすら、危険が感じられる。


憎まれることはほかの理由から恐れられるかもしれないが、


憎まれること自体は、愛によって呑み込まれ(そう感じられるのであるが)


破壊されるのに比べれば、障害の程度はずっと小さいことが多い。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


存在論的に不安定な人間は


自分に対する他者の理解や愛を


「呑み込み」とみなして、恐れる・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


足が痛くて眠れない・・・・


眠れない夜は途方もなくながい


眠れない胸ははり裂けそうにひと恋しい


なつかしいひと、あいたかったひと、顔さえしらない遠いひと


二度と巡り会えない過去のひとびと


ベットのなかで丸まって胎児のように指吸って


叶わなかった夢を見ながら眠りにつこう・・・・・




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日々のこと・・・・悪夢にうなされて
- 2007/09/02(Sun) -

その男は、
圧倒的な支配と暴力の臭いを充満させながら突然立ちふさがり
鷲掴むように私の目を見た。


私には分かるのだ。
この種の人間がどのようにして私に侵食してくるのかが。


近寄ってきただけで、その気配と臭いだけで、
まるで繁殖期を迎えた動物のように敏感にそれを察知するのだ。


羞恥?恐怖?絶望?


いや、その正体は欲望だ。
私自身の欲望・・・・
逃れようのない深層の欲望・・・・
自ら破壊されようとする無意識の欲望・・・・
その私の欲望が
眠っている欲望を呼び覚ますのだ。


侵食し陵辱しようと欲望する目に堅縛されて
自らを差し出すかのように身動き一つ取ろうともせず
破壊への欲望に徹底的に打ち倒され
悲鳴さえあげることなく
粉々に砕け散り滅び去ってゆく私のからだ・・・・


危機が身近に迫っている。


あの甘美な破壊の危機がすぐ身近に迫っている。


近寄ってはならない。


決して近寄ってはならない。


どんなことがあっても、決して近寄ってはならない。

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日々のこと・・・ギターを買う
- 2007/09/02(Sun) -

              ESP.EDWARDS.jpg


今日、娘に付き合ってギターを買いに行った。


ESPーEDWARDSとかで10万弱の買い物。


馴染みの店員さんといろいろ相談して決めたようだ。


「まるでOLさんやね(笑)」というほど皆勤賞ものに働いていたが


塾の講師のバイトで8月だけで12万円以上も稼いだらしい。


「あ~ドキドキする~大学受験以上に人生最大にドキドキする~」


そんなことを言いながら、


娘にとっては自分のお金での初めての大物の買い物だった。


自分の働いたお金で自分の本当に欲しいものを手に入れる。


いい経験になったかな?


しかし、不思議だなあ・・・・


楽器店に入るとなぜか私も意味不明にわくわくする。


自由な空間がどこまでも広がっているような開放感を感じる。


秋の大学祭の演奏は、私も聴きに行ってみようかな・・・・


すごーく照れくさいけど、我慢して・・・・402
 

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削除
- 2007/09/03(Mon) -

今朝書いた記事を削除しました。


キツ過ぎました。


しんどくなりました。


自分の中でだけ抱えておきます。




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(すべては終わっている)
- 2007/09/04(Tue) -

身体の痛みが心を弱らせるのか


痛みが過去を呼び覚ますのか


念押しするように最も忌み嫌っている夢を立て続けに見る


痛みがどんどん増してゆき、もう堪えて歩くのがやっと


溢れ出てくる言葉は、書いては消し書いては消しして私の中に戻ってくるだけ


痛みは苦しみを思い出させる


痛みは悲しみとともにある


痛みは私を破壊しようとする


押し留めて:


否定せずに押し留めて:


そして静かに目を閉じて確認するのだ


(すべては終わっている)

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日々のこと・・検査結果①
- 2007/09/04(Tue) -

内科と整形外科の検査結果は、思いもよらないほど良好なものだった。


血圧も、詳細な血液検査も、CTも、レントゲンも、すべてどこにも異常なし。
数値は返って私の身体の健全さを際立たせるものだった。


十数年前に患った胆嚢炎も、中途半端に治療を止めて放置したままだったが
胆嚢炎を患った痕跡すら消えているとのこと。
全く異常がないことが不思議なくらいのよい検査数値だと言われた。


ただ、白血球が増加し炎症を起こしている数値を示しているのは
足の関節炎からくるものではないかとのことで、数種類の薬を貰う。


腫れがあまりにも酷いので、内科的な病気の疑いもあるとのことで
再度の血液検査もしたが、それも結局は異常なしで、
「あまり考えられない腫れ方ですね」と医者も驚いていた。


腰を庇うから膝に来て、その膝を庇おうとして足首をやられ
痛みの強い左足全体を支えようとして、
右の足指全体が極端な腫れ方をした・・・・


そういうことかなあ・・・・
ちょっと無理しすぎてしまったんだろうなあ・・・・12


施設長に報告し、とりあえず明日からしばらく休職する。
多分もう辞めることになるだろう。
今は気持ちもさっぱりしている。
やれるだけやった、そんな気分。


たかがパート。今は月に多くてもせいぜい7万の収入。
家族も「もう無理して働かなくてもいいのに」と言う。


それでもまた私はなにかの仕事を探して働くだろう。
ずっと、働くことの出来なかった自分。
そして、働く機会を失ってきた長い年月。
だから今、たかがパートであろうとも、私は働けることが嬉しい。
だから身体がもつかぎり、いつまででもどんな仕事でもいいから探して
私はきっと働きつづけるだろうと思う。


この私が、働ける。
この私が働けるのだから・・・・


後は来週月曜日のエコー検査を残すのみ。
胆管や膵管など細かなところも念のため。


医者嫌いの私としては、
「本当に良く頑張りましたね」と自分を褒めてやりたい心境(笑)


生きていれば、嬉しいこともこうして起こる。
これからも過去を書き換えながら、命ある限り精一杯生きていければ・・・・238


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「ひき裂かれた自己」・・・内破implosion
- 2007/09/05(Wed) -

「ひき裂かれた自己」  R.D.レイン


内破(implosion)


ちょうど気体が噴入してきて真空を抹消するように、
いつ侵入してきて自己のアイデンティティを
破壊し抹消してしまうかもしれぬ世界へのあの恐怖。


人間は自分を真空のように空虚だと感じる。


だがこの空虚さが彼なのである。


一方ではこの空虚さが満たされることを熱望しながら、
彼はこうした事態がおこることを恐れる。


なぜなら自分があり得るすべては、まさにこの真空の
すさまじい無に他ならないことを
彼が感じるようになっているからである。


現実とのいかなる〈接触〉も、それ自体恐ろしい脅威として体験される。


なぜなら現実は、この立場から体験されるとき必然的に内破的となり、
それゆえ、呑みこみでのかかわり合いがそうであったように、
自分が自らもっていると考えうるいかなるアイデンティティに対しても
現実それ自体が脅威となるからである。


呑みこみや内破のおそれのある現実は、それ自体が迫害者である。


事実、わらわれはみなこの種の体験から隔たることわずかに
華氏2ないし3度のところにいるにすぎない。


ほんの微熱が出ただけで
全世界は迫害的な侵害的様相を帯びはじめるのである。

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日々のこと・・・我が家の料理講習会
- 2007/09/06(Thu) -

右足の甲から足指全体の腫れが特に酷くて、
まんまるいハムのような美味しい?状態になっているため
バランスをとって立つことがとても難しく、
常にどこかにつかまっていなければならない。


ふらりふらりと台所で食事の支度をしている私をみかねて
娘が料理をしてくれると言う。


お料理講習会の始まりだ。


十数年前、NHKで「ひとりでできるもん」という
子ども向けのお料理番組が放送されていたことがあった。
(現在は放送されているか不明だが・・・)


娘がまだ4歳か5歳のころだったが、
「どうしても自分もお料理がしたい」と言ってきかず
子ども用のまな板と包丁を買って持たせたことがあった。


確か初めてのお料理は
玉ねぎとピーマンとウインナーの入ったドライカレーだった。


小さな手に包丁を持たせることや、火を使わせることは、
心配性の私にとっては、心臓が止まるほど空恐ろしいことだったが
カレーやシチュー、サラダなど、結構な種類を一緒に作り
間もなく娘のお料理熱は醒めていった。


家計が立ち行かなくなり、私が仕事に出るようになってからは
娘も洗濯や洗い物、ペットの世話など、本当によく手伝ってくれた。


その頃の習慣で、いまだに我が家は
掃除は夫が一手に引き受け、
息子は毎日曜、車での買出しや洗濯をしている。


しかし、娘の作ってくれる料理はいつもカレーのみ・・・
夫はラーメンに玉子焼き、そうめん・・・・
息子は意味不明の野菜炒めかどえらい量の焼きそば・・・・
(泣けてくるほど食べたっけ)
お料理だけはどうしても教える時間が作れないままだった。


高校では実習でいろいろ作ったこともあるようだが
実用性に欠けたメニューばかりだったという。


「この夏休みには週1回は夕食を作って料理を覚えよう!」
そんな目標?も掲げていたが、
あまりにもバイトが忙しく、手付かずのままになっていた。


私の足の故障がよいきっかけになったのかもしれない。


昨日からさっそく実践開始。
私は横で椅子に座り、あれやこれやと指示を出す。


昨日の夕食。
娘にはちょっと高度なマカロニグラタン、ひじきの煮物、
小松菜ととり皮のわさびあえ、
味噌汁の具は玉ねぎと卵と葱。


悪戦苦闘しながらも何とか完成。


実に長い時間がかかった・・・・
自分で作るほうがどれほど気楽か思い知った・・・・


それでも夕食時に
いちいち父親や兄に「おいしい?おいしい?」と味を確かめ、
満足な返事が返ってくると、嬉しそうに顔を輝かせている娘を見ていると
明日もまた、二人で挑戦してみようと思い直した。


ちなみにメニューは、茄子の揚げ浸し
インゲンと焼油揚げの胡麻あえ、
鰹のたたきとオニオンスライスのサラダ風
味噌汁は・・・ジャガイモと若布。


今日はこれで決まり!


デジカメの調子が悪くて写真に残せないのが残念だけど
いい思い出が作れそうだ。

 

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「狂気と社会」
- 2007/09/07(Fri) -

フーコー Michel Foucault ( 1926-1984 )


―権力は抑圧し罰するだけでない。
  それよりずっと奥まで浸透し、欲望を生み、快楽を煽り、知を創り出す。


「狂気と社会」


ー全領域にわたって疎外される人というのがあります。
それが狂人です。


あらゆる社会、またはほとんどすべての社会で、
狂人はすべてにおいて疎外され、場合によっては
宗教的、魔術的、遊戯的、または病理学的な地位を与えられています。


たとえばオーストラリアのある未開民族では、
狂人は超自然的な力を持っている者として、
社会に対しておそるべき存在とみなされています。


また狂人のなかには社会の犠牲者となる者もありますし、
いずれにしても、仕事、家庭、言語、遊びにおいて
一般の人たちとは違った行動をとるものとされています。


次に私が言いたいのは、現代の産業社会においても、
まったく同形(イソモルフ)の疎外体系によって狂人が一般社会から排除され、
周辺的性格を担わされている、という事実です。
 
第一の仕事という点についていえば、現代でも、
ある人を狂気と判断する第一の基準は、
「仕事のできない人」ということにあります。


フロイトがいみじくも言ったところによると、
狂人(フロイトは主として神経症の人のことを言ったのですが)とは
働くことも愛することもできない人である、とのことです。


この「愛する」ことについては後でまた述べるつもりですが、
ともかくこのフロイトの考えには深い歴史的真実があります。


ヨーロッパの中世紀においては、狂人の存在は許容されていました。
彼等はときに興奮したり、情緒不安定だったり、
怠け者だったりしたわけですが、あちこち放浪することが許されていたのです。


ところが、十七世紀頃から産業社会が形成されはじめ、
このような人びとの存在は許されなくなりました。
産業社会の要請に応じて、フランスとイギリスでは
ほとんど同時に彼等を収容するための大きな施設がつくられました。


そこに入れられたのは精神病者だけでなく、
失業者や不具者や老人など、すべて働けない者が収容されたのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「働けない」ことの強迫は、


ただ精神的な苦悩に留まるような生易しいものではなく、


それは「人間失格」の烙印であり、


命の危機であり、


尊厳は剥奪され、


その「私」なるものは、


物であり玩具であり、


売り買いされる、


ただの脂肪の塊へと貶められるということなのだ。

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日々のこと・・・決めたこと
- 2007/09/08(Sat) -

退職を決める。


女性たちの物語を朗読劇にして伝えるワークショップ参加を決める。


友人の誘いを受け文学や哲学を学ぶ寺子屋へ入ることを決める。


なんの恐れもなく決めている自分に驚く。

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ゲシュタルトの祈り
- 2007/09/09(Sun) -

          「ゲシュタルトの祈り」


          yuuyake060924-2.jpg


わたしはわたし。


あなたはあなた。


わたしはわたしのことをやり、


あなたはあなたのことをやる。


わたしはあなたの期待に応えるために


この世に生きているわけではない。


あなたはわたしの期待に応えるために


この世に生きているわけではない。


あなたはあなた。


わたしはわたし。


もし、二人が出会えば、


それはすばらしいこと。


出会わなければ、


それはそれで仕方がないこと。



 


 

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古本は古本・・・・
- 2007/09/13(Thu) -

                  book.jpg


いつも最大限に利用している家の前の
図書館分室が、
改築工事に入ることなど
全く知らなかった私は
本を借りにいって愕然・・・・


読む本に、というより
活字に飢えてしまって
古本屋で衝動買い。
「これもいいだろう、まあこれも、あれも」
と考えもなく11冊購入。
一冊200円から300円だったので
金額は本当に大したことはなかったが
いざ眺めてみると・・・・



ふ、ふ、ふるい・・・・(当たり前やんか、古本やで!)


駄作と思えるような本もちらほら・・・・。
アホやなあ~としみじみ自己嫌悪しつつ、それでもしょぼしょぼ読んでいる。


ちなみに買った本はというと


「精神疾患とパーソナリティー」ミシェルーフーコー1954年(幻の処女作だとか)
「ものぐさ精神分析」岸田秀1982年
「精神分析」土居健郎1988年
「甘えと反抗の心理」福島章1988年
「逸脱するエロス 愛と性の精神病理」森省二1990年
「浮遊する殺意 消費社会の家族と犯罪」岸田秀×山崎哲1990年
「ヒューマン・マインド 愛と哀しみの精神分析」小此木圭吾1992年
「母親幻想」岸田秀1995年


フーコーを除いたとしても、12年から25年も前の内容・・・・


以下の3冊はまあまかな?

「心のマルチ・ネットワーク 脳と心の多重理論」岡野憲二郎2000年
「他人を見下ろす若者たち」速水俊彦2006年
「日本という国」小熊英二2006年


私は学問をするわけではないし、読み物的な内容の本ばかりだし
元来が無節操な「活字が読めればいい派」なので
良いっちゃあ良いんだけど・・・・
パラパラと目を通しても違和感を感じる表現やら
「それはもう過去の話でしょ!」とか、ついつい突っ込みを入れたくなる。


小説や詩、エッセイ、ノンフィクションなどならどんなに古くてもいいんだけれど
この手のものは、今後、古本はなるべく控えるようにしようと、


失望、反省、後悔しきりなり・・・・

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日々のこと
- 2007/09/16(Sun) -

        41LqelgDM0L.jpg 


世界はそれを愛と呼ぶんだぜ [Maxi]
~ サンボマスター (アーティスト, Adapter), 山口隆 (その他)
        31DZGG8XFDL.jpg


音の世界遺産 シタールの新時代
~ 民族音楽 (アーティスト), シャヒード・パルベーズ (演奏), ニシカント・バローデカル (演奏)


 41CC9MFQD1L.jpg


バッハ:マタイ受難曲
~ リヒター(カール) (指揮), ミュンヘン・バッハ(合) (アーティスト), テッパー(ヘルタ) (アーティスト), ヘフリガー(エルンスト) (アーティスト), ミュンヘン・バッハ管弦楽団 (演奏), その他



暇にまかせて、すごい組み合わせで音楽鑑賞な日々。


 

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K子さんの命日に
- 2007/09/17(Mon) -

今日は夫の前妻のK子さんの命日です。
あれからもう12年が経ちました。あっという間でした・・・。
 
今日はK子さんの闘病生活を、
もう一度振り返って見たいと思いました。


そして、東京のお兄ちゃんも、大阪の次男も、私や夫や娘にも
生涯忘れることなく、毎年のこの日、9月17日にK子さんを偲んで、
たとえどんなにお互いが離れて生きていようとも、
K子さんの生涯を語り継いでゆきたい、それが私の願いです。
 
 
「私が聞いていること」
 
K子さんは、H6年1月頃から体調を崩し、
病院へ行ったところ、「乳がん」と診断されたそうです。


3月11日に入院・手術。
この時は、術後の経過も大変良くて、順調に回復し、
もう3月中旬には退院されたといいます。


しかし、H6年の11月に再発。
この時、「世界的に10例もないほど珍しい病気で、
放射線も抗がん剤も効かないため、もってあと3ヶ月の命」
と医者から宣告されたとか・・・。


次男が言うのには、
H6年の7月の検診では何も見つからなかったのに、
3ヶ月ほどの間に再発してしまっていたようです。


それからは、仕事に行ったり休んだりしながら、
足繁く通院し、懸命に病気と戦ってこられました。


夜中、眠れなくて(痛くて?)、一人目をつぶって箪笥にもたれ
一晩中起きていたことも何度かあったとか。


自由にお風呂に入れなくて、お兄ちゃんのマンションへ
次男が車で連れて行って入れていたこと。
車椅子で外出したこともあったそうです。


どんな思いで病気と戦ってこられたのか・・
私には到底計り知れません・・。


私は泣き虫で、辛いときには子供の様にワーワーと泣き喚く、
あかんたれの見本のような人間ですが、
K子さんは、何にも・・・
当時一緒に暮らしていた次男にも
なんにも言わない人でした。
一人で黙って病気と戦い続ける人でした・・・・。


それがK子さんの
苦難に満ちた人生を生き抜く姿勢そのものだったのでしょうね。


当時、K子さんが通院されていた病院の診察券や、
メモのようにして気持ちが書き記されている数冊のノートも
大切にとってありますが、いろんな思いが書かれていました。


「ああ、本当に、私たちは同じ様に恵まれない境遇に生まれ育ち、
同じ女として、同じような思いで、同じように運命と
必死に戦ってこられたんだなぁ。
最後の最後まで、K子さんは
一人の人間として懸命に戦ってこられたんだなぁ。」
と、そのノートを見ては何度も何度も涙しました。
 
H7年7月、いよいよ様態が悪化し再入院。
2ヶ月ほどの入院でした。


その年の3月には、長男であるお兄ちゃんの
一人目の子どもが生まれていて、
病院のベッドの上で
その子を抱いて微笑んでいるK子さんの写真が、
今も私の机の上に飾ってあります。


「初孫を抱く事ができて本当に良かった」と
息子たちもいつも言っていますが
私も本当に、心からそう思います。

 
そして・・9月17日、
次男は嫌な胸騒ぎがして仕事が手につかなくなり、
早めに仕事を終えると大急ぎで病院へ駆けつけました。


14時頃にはまだ意識もはっきりしていたそうです。


けれども、19時34分、死亡診断書の時間とは違うそうで
次男が自分の腕時計で時間を確認したそうですが、
K子さんは3ヶ月と宣告されていた命を
1年近くも生き抜かれ、静かに眠るように旅立っていかれたのです。
 
当時、台風の影響で、葬儀が9月20日まで延びていました。
埼玉の夫の姉から私に、
「K子さんが亡くなった」と電話連絡がありました。


夫には知らせない方がいいと言われました。
夫の実家の兄や親戚一同も、全員が葬儀へ行くことには反対でした。
余りに恥知らずだからと、皆に反対されたのです。


でも、K子さんに会える最後の機会に、
ためらってはいけないと思いました。


お顔を見せて頂いて、既に遅いけれど、
それでも最後に心からの謝罪をしてお送りしなければ、
生涯悔いることになると思いました。


誰に何と言われようと、誰にどんなに罵られようと、
何としても夫に、K子さんのご葬儀に行って欲しかったのです。


夫は、悩みぬいた末に長男に電話をしました。
「子どもたちが来てもいいと言ってくれれば・・・」と。
そして、長男が「ぜひ来て下さい」とその場で決断してくれて・・。


17年と2ヶ月。長い長い年月を経て、
K子さんの葬儀で、K子さんと父と二人の息子が
やっと再会することができたのです・・。
 
K子さん、
あなたは今の私たちの状態をどう思っていらっしゃるかしら?
少しは安心して下さっているかしら?


「やっと、夫も次男も、
真面目に心穏やかに暮らせるようになったみたいだけど、
そうなったところだから、まだまだ、油断したらアカンよ、頑張りや!」
そう言われてる様な気がしています、私は。
 
恵まれない境遇に生れ落ちて、
幼い頃から苦労の連続の人生を生きながらも
いつも三つ編に編んだ頭を揺らしながら、
朗らかに大きな声で笑う、皆の人気者だったというK子さん。


どうか安らかに眠っていて下さい。
いつまでも心からの祈りを捧げています。


                          合掌

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ダンマパダ勉強会・覚書
- 2007/09/18(Tue) -

129 「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
     己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。」


130 「すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。
     己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。」


182 「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること。
     これが諸の仏の教えである。」


227 「アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。
     沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、
     すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。」


228 「だた誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、
    過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。」


260 「頭髪が白くなったからとて〈長老〉なのではない。
    ただ年をとっただけならば〈空しく老いぼれた人〉と言われる。」


261 「誠あり、徳あり、慈しみがあって、そこなわず、つつしみあり、
    みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ〈長老〉と呼ばれる。」


333 「老いた日に至るまで戒めをたもつことは楽しい。
    信仰が確立していることは楽しい。
    明らかな知慧を体得することは楽しい。
    もろもろの悪事をなさないことは楽しい。」

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実家に行く
- 2007/09/19(Wed) -

二日遅れで「敬老の日」のお祝いに母を訪ねる。


遠回りして電車を乗り継ぎ、ショッピングセンターで買い物をして。


ケーキと花束とアイスクリーム。


母の希望を電話で聞くと「アイスクリームが食べたい」そう言っていたから。


暑い一日だった。


家を出てから着くまで2時間以上もうろうろ迷って買い物をし、やっと辿り着く。


母は何を思ったか、名高い「冬のソナタ」の星のペンダントを
自分の携帯から外して私の携帯につけてくれる。


姉がファンなので、てっきり私もファンだと思い込んでいるようだ。


今も私の携帯でキラキラ星が輝いている353


ありがとう、お母さん。


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ワークショップ初日
- 2007/09/22(Sat) -

朗読のワークショップ初日。
今日は顔合わせとテーマの勉強会。


これから年末までの長丁場になる。


行った先が、かつて訪問ヘルパーとして自転車で走り回っていた地域。
炎天下、身体に数々の故障を抱えながら
汗だくになって働いていた日々を嫌でも思い出す。


本当に辛かった・・・・な、って。


テーマはDV。
講義を聞きながら思い当たることばかりでこれまた辛くなる。


「逃げればいいのに!別れればいいのに!馬鹿げてる!」
「あなたにも問題があるんだよ。ホントにいい旦那さんじゃない!」
「あなたがわがままなんだよ。別れられないあなたが悪いんでしょ?」


私も何度も何度も言われてきた言葉・・・・の数々。
身を切られるような思い・・・


自分はどこまで乗り越えたのか?


親から、夫から、宗教団体から、
自分はどこまで自由になったのか?

自分自身を見失って生きてきた長い長い年月・・・・
いや、物心ついてからずっとそんな人生だったのだから
今の自分を確かめるためにきっと参加したのだろうと思う。


逃げずに最後までやり遂げることできっとまた何かに気付くことができる。
そう思っている。


主催者曰く「終わるまで死なない!」


ホントだよな。身体が資本だからね。
ストレッチや筋トレ、生活管理・・・・
舞台に立っていた頃を思い出して、いい年してちょっとわくわくかも?


舞台がホントに好きだった・・・・むかしむかしのは・な・し(笑)



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DV①
- 2007/09/23(Sun) -

DV(ドメスティックバイオレンス)はなぜ起こるのか?
 
ドメスティック・バイオレンスは、親密な二人の間に起こる。
加害者(バタラー)の多くは男性で、暴力をふるう理由は


 「お風呂をわかしていなかった」
 「自分より先に寝た」
 「食事がまずい」
 「家に帰ってくるのが遅い」
 「子どものしつけが悪い」
 「口答えした」
 「反抗的な態度を取った」


などなど・・・・きっかけは実にありふれた些細なこと。


バタラーには、
「妻(or彼女)を自分の思い通りにしたい」
「妻(or彼女)に劣等感があり、相手を落としいれたくなる」
「女性は男性に従うべき」
「男が女を養っている(経済的優位性)」といった、
強烈な甘えと依存、そこからくる支配ー被支配の考え方がある。


その支配の仕方が、暴力なのだ。


さらに、ドメスティック・バイオレンスの加害者は
多くの場合男性で、被害者は女性であることが多いため、
その両者の力の差異ゆえに、被害が大きくなる場合も多い。

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DV②
- 2007/09/24(Mon) -

深刻な暴力の実態。


「私の髪の毛を引っ張ってひきずり回したり、け飛ばしたり、
それで、私はもう動けなくなって警 察を呼ぶこともできなくて。
外にもひきずり出されたりして。
『このまま死ぬようなことをされて、それで死ぬんだ』と思いました」
「首に巻いていたスカーフで締められて、「その時、私も『終わった』と思った」
 
暴力の形態は身体的暴力や精神的暴力、性的暴力がある。
この分類は便宜的で、実際には何種類かの暴力が重 なって起こっている。
身体に加えられる暴力であっても精神的に深く傷つけられたということもある。


身体への影響は長期にわたるものもあり、
「長期にわたる身体的障害」として、直後のケガだけでなく、
その後の女性の健康にも影響を与える。
暴力による骨折やむち打ちが原因で、その後何年も身 体的不調を抱えている。
「首がむち打ち状態になって、何年も苦しめられている」


暴力が被害者の心身に多大な影響を与え、
「無力感」が出てきたり、暴力が繰り返される中で感情がなくなったり
身体的暴力を受けても痛みを感じなくなっていく。


あるいは
「自分がだんだんなくなっていく のがすごく辛い」
「自分の実体はあっても、
『こんなふうに言ったら叩かれるな』と思うとしゃべれ なくなっていく」、
「抑えつけられている中で、だんだん自分が小さくなって、
気持ちや感情がなくなり、ロボットになっていくような 感じです」


無力感、自己評価が低い、
セルフエスティームが低くて自信のない状況に置か れている。
逃げたり、誰かに相談する気力も失われていく。
これは被害の潜在につながり、逃げること自体が考えられなくなる。
「逃げる力も、なくしてしまっている」


相反する感情も被害者の中にはある。
「『その暴力が終わればいい人にな るんだ、
それが本当の彼なんだ』というふうに、とても思いたかったんです。
その前の、すごくいやな彼は見ないようにする」


加害者の暴力を顕在化しないように、暴力を外から隠すような行動をとる。
「見た目に傷が残るようなことをすると、
自分が暴力を振るっているのがわかってしまうので、
できるだけ避けていたよう です。人から見られても、
『絶対に暴力を振るってない』というような、言い逃れができるような暴力でした」


周囲の人や職務関係者は、
「暴力を振るわれる側にも原因があるのではないか」とか、
「女性が反抗したり 口ごたえしたら男性が叩くのは当たり前」という形で、
被害の訴えを聞かずに適切な対応がとられない。


自分の親であってもなかなか理解が得られない。
「親から理解を得られなくて、
 「『あなたの言い方が、怒らせるからいけないのよ』と言われました」
 
潜在する要因のもう一つは、
「経済的不安を感じている」ということがあり
女性1人または女性と子どもが自立することが難しいということがある。
これは構造的問題として把握しなければいけない問題で
固定的な性別役割意識が影響しており、
被害者も加害者も社会的・文化的に
つくられた役割の影響があることがうかがえる。


暴力を振るう夫やパートナーが、
女性を対等な社会の構成員として見ない、
女性は男性に従うべきである、
結婚したら妻は夫の 所有物であるという感覚、
女性は家で家事・育児・介護をやっている方がいいという感覚で、
暴力で自分に従わせることが見え てくる。


また対応する方においても、
被害者の支援に携わる関係者においても、
「夫から 暴力を振るわれても、妻なのだから、ある程度は耐えるべきである」
という考え方を持っている場合は、
支援を求 めてきた者を責めるような言動をしていたということもある。


社会のシステムにおいても問題であり、
背景にある男女不平等が社会において女性が男性に比べて
経済的に弱い立場に置かれていることが反映されている。
賃金格差や女性1人、、もしくは子どもを抱えて
自立 して生活していくことの困難さが影響しており、
構造的問題としての暴力、男女の固定的な役割分担、
経済力の格差、上下関係など、
男女が置かれている状況や、過去からの女性差別の意識の
残存に根ざすものであることが見えてくる。


加害者の状況は、
暴力を振るう加害者は「特定できない加害者 像」があり
家庭以外では外づらがよくて、
家庭においては暴力を振るっているタイプもあれば、
ふだん誰に対しても攻撃的で
見知らぬ人にも暴力を振るっている人もいる。


特定できない加害者像の中には
会社経営者等の社会的地位の高いと思われる者や、
教師や看護士といった職業に就いている者もおれば、無職の人 もおり、
社会的地位や経済力は様々である。
アルコール依存や薬物依存、精神障害が関係しているタイプもあり
さまざまなタイプがある。


暴力を振るうきっかけは非常に些細なものが多く、
ストレスの 発散であったり、
自分の思いどおりにいかないときに暴力を振る。
「リストラされて、それから暴力を振るい始めるようになりました」
「ストレスがたまったようです」
「今から考えると、暴力を振るう理由というのは、
私が、夫の言う通りに動かないから、
夫の思い通りの私じゃ ないからなのかな、と思います」
「自分の思い通りに動かしたかったのだろう、
してほしいと思うことを暴力を使ってやらせて いたのだ」


暴力を振るう要因は、
育った環境において暴力や不安定な人間関係の中に
置かれていたということがあり
また、女性は男性に従うべきだといった男尊女卑の価値観、
暴力を振るうことは男らしさである程度許さ れるという
社会通念の影響を受けていたということもある。
「相手は割と古風な、田舎で育っていたので、
『男が一番えらくて、女は男の言うことを聞いていたら
間違いない』というような感じでし た」
「男は女より強いんだ」
「俺が白と言ったら、黒いものも白なんだ」
こうした要因が育った環境や、
社会通念の影響が関連しているかどうか今後の調査研究が必要である。


諸外国の加害者研究では
暴力を振るう夫・パートナーの類型化の試みがなされているが、
日本におい ては十分な研究はなされていない。


いずれにしても暴力の被害が深刻であり、
女性に大きな影響を与えている。
そして、極限の中で生きていながら
暴力から逃げることが非常に難しいことはっきりと示されている。

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DV③
- 2007/09/26(Wed) -

webちくま・臨床心理士・信田さよ子氏
「ドメスティック・バイオレンス 」より


DV被害者は加害者意識に満ちている。


なぜなら、彼女たちは
「自分にも悪いところがあったのではないか」
「私の態度が夫をあのようにしむけたのではないか」
という問いかけに苦しんでいるからだ。


つまり「自分が夫に暴力をふるわせた加害者である」
「夫は寂しくて甘えたかったのだ、わかってやれなかった私が悪い」
という加害者意識、罪悪感が彼女たちを苦しめている。


よく聞くと、彼女たちの発言は、
暴力をふるったあとで
夫が自分に向かって語る言葉そのものである。


彼らは「お前のせいで暴力をふるわされた」
「お前が家事を完璧にこなせば、こんなに怒ることもなかった」
と主張する。


殴られた衝撃で呆然としている最中にそう言われれば、
妻たちはそういうものだと夫の言葉を内面化するだろう。


それは、体罰を通して生徒を教化する教師となんら変わりない方法に思える。 


暴力行為は選ばれている。
一回きりならまだしも、それは繰り返され、
中には20年30年と聞かされ続ける女性もいる。


それは洗脳と同じ効果をもたらす。
頭の中にこびりついてしまった
「私のせいで夫が・・」という加害者意識から、
彼女たちがすぐに離脱することは難しい。


それと十分に対抗できる新たな知識や考え方を、
グループで何度も何度も繰り返して説明する必要がある。


それは夫の言葉の解体そのものだ。

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お誕生日のプレゼント
- 2007/09/26(Wed) -

      


今日9月26日は私のお誕生日で、


こんな可愛いプレゼントを貰いました。


ホントの時計を飾ってあるミニュチュアのお部屋。


可愛らしすぎて私には似つかわしくないけれど、そっと机に置きました。


で、見るたびに照れくさい・・・です402

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DV④
- 2007/09/27(Thu) -

webちくま・臨床心理士・信田さよ子氏
「ドメスティック・バイオレンス 」より


バタラー(加害者)は、
「自分の暴力には理由があり、その理由は妻のせいだ」
「だから暴力は仕方がない」と主張する。


まるで妻の加害者意識と対であるかのように、
彼らは被害者意識に満ちている。


このようにDV問題では、被害者は加害者意識に苦しみ、
加害者は被害者意識に満ちて
暴力を正当化するという逆転現象が常識である。
 
彼らの主張の問題点は、
暴力行為とそこに至る動機のプロセスを一連のものとしているところだ。


妻が生意気な口答えをしたというきっかけがあったとしても、
だから暴力は不可避であることにはならない。


彼らはしばしば家庭外では、
やさしく穏やかなひととして暮らしている。
妻に対してだけ暴力をふるうという事実は、
そこに選択・判断が働いていることを表している。


「かっとして、頭の中が真っ白になって」と彼らは言うが、
上司に向かって暴力をふるうわけではない。
あまり暴力がひどいので110番通報した妻が驚くのは、
警察官が駆けつけると
「妻が精神的に不安定でして、ご迷惑をおかけしました」と
穏やかな口調で語る夫の姿だ。
 
どれほど妻の態度で腹が立ったとしても、
それを言葉にして穏やかに伝えることはできる。
だから彼らは暴力を選んでいるのだ。
そして暴力を選択した責任は100%夫にある。


こう伝えると、彼女たちは暴力・暴言の理由をつくったという
これまでの責任意識から解放され、
暴力という行為とそこに至るまでのプロセスの切り離しによって
夫の言葉は解体されてゆく。
 
「DVをふるう夫と別れたほうがいいのだろうか?」


これは参加者の女性たち全員が心の中に抱えている疑問だ。


教科書的な答えは
「暴力は止まりません、だから別れたほうがいいでしょう」
 
しかし、別れをためらう女性もいる。


さまざまな情報を提供され、暴力は夫の責任だと理解したとしても、
別れるには勇気が要る。


まして中年女性が夫と別れて
子どもを抱えて生きていけるほど日本の現状は甘くない。
離婚はつまるところお金の問題になる。


散々迷い、あらゆる可能性を探り、その結果夫との生活を選ぶ女性もいる。


最終的に彼女たち自身が
夫との関係を選択できるための援助が必要なのである。


たとえ夫の元にもどることを選択したとしても、
彼女の苦渋の決断を支持し、
できるだけ傷つかないように、できるだけ自尊心が崩れることがないように、
彼女の生活を側面から支える。


こうした綱渡りにも似た現実との微妙なバランスが求められている。


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DV⑤
- 2007/09/28(Fri) -

DVの本質


DVの本質は、パワーとコントロール(力と支配)であり、
ありとあらゆる手段を使って相手をコントロールする。


心理的暴力・・・・無視する、大切にしているものを壊す、
           大声で怒鳴る、脅す、ののしる)
経済的暴力・・・・生活費を渡さない、誰のおかげで食べられるんだと言う、
           お金を取り上げる、勝手に貯金をおろす
性的暴力・・・・・・無理やりポルノなどを見せる、性器の露出、
           性的な行為を強要する、暴力的なセックスをする


その他、子どもを利用した暴力・脅迫・強要・威嚇・男性の特権を振りかざす
過小評価・否認・責任転嫁・社会的隔絶・・・・


これらを支える主な手段であり最も表面に現れやすいものが
身体的暴力・・・・殴る、蹴る、引きずりまわす、突き飛ばす、首を絞める
などである。


また、DVにはサイクルがある。


開放期・・・・・・加害者は暴力を反省し、極端に優しくなり
         被害者は「今度こそ暴力がなくなるのでは」と期待する。
緊張形成期・・加害者が怒りっぽくなり、
         被害者はいつ暴力が起きるかと緊張する。
爆発期・・・・・・加害者は激しい暴力をふるい、被害者は外傷を受け
         強い恐怖、屈辱感を感じる。


こうした3つのステージを繰り返しながら徐々に暴力の程度が過激さを増していく。


1995年ー2005年の配偶者による殺人・傷害ならびに暴行事件の検挙件数
では


1995年では殺人155件のうち夫によるもの112件
        傷害325件のうち夫によるもの309件
       暴行44件のうち夫によるもの43件


       合計524件のうち夫によるもの464件。


さらに2005年では
     殺人218件のうち夫によるもの126件
     傷害1342件のうち夫によるもの1264件
     暴行379件のうち夫によるもの359件


     合計1939件のうち夫によるもの1749件


こうした数字からは、DVの恐るべき実態が示されており
また、女性の66.6%が、身体的、精神的、経済的、
性的、社会的、いずれかの暴力を経験し
20人に1人の女性が、治療が必要となるほどの暴行、
命の危険を感じるぐらいの暴行を受けたことがあるなどの結果も出ており
多くの女性が、危機的な被害を受けていることが明らかになっている。

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DV⑥
- 2007/09/29(Sat) -

DVが子どもに与える深刻な影響
 
ドメスティック・バイオレンスの被害者は、
配偶者である大人だけではない。
大人同様に、子どもが被害者になることも多い。


暴力に巻きこまれ、身体的ダメージを受ける


父親が母親に暴力を振るい、それを子どもが止めようとすることで
暴力に巻きこまれたり、突き飛ばされて怪我をすることもある。
直接的に子どもが被害者になることも少なくない。
暴力を受け続ける子どもは、精神的な成長も止まってしまい
一人で着替えやトイレに行けるほどに発達した子どもでも、
暴力を受けつづけることにより、一人で行動することができなくなり、
幼稚化してしまうこともある。


暴力を目撃し、精神的ダメージを受ける


暴力を目撃することによる心身のストレスは測りしれない。
DV被害を目の当たりにし続けることによって、
「自分は何もできないんだ」と自分を卑下し始めたり
家庭が崩壊していくことへの不安から、引きこもりや不登校になったり、
行動のコントロールが効かなくなるなど、心身に様々な影響が出る。


暴力を受けた母親から暴力を受ける


夫から暴力をうけることによって、
そのはけ口が子どもに向けられる場合もある。
夫から妻へ、妻から子どもへと、暴力の連鎖がおきる。
また、夫に暴力をふるわれることによって母親は精神的にダメージを受け、
子育てに支障がでる場合も多い。


暴力をふるうために利用される


子どもを利用した暴力もある。
自分が言いたいことを子どもを通して言わせたり、
子どもを取り上げると脅したり、子どもの目の前で非難したりする。


暴力をふるう大人になる


家庭内で暴力が当たり前である環境で育った子どもは、
大人になったときに家庭内で暴力をふるってしまう可能性が高くなりやすい。


アダルトチルドレン(AC)になる


子どもは、家庭内で起こっているひどい状況を
家庭の外では隠そうとする。
家庭がどんな状況でも、学校などでは楽しそうに振舞う。
子どもは「自分が良い子でいなければ」という思いから、
つねに周囲に気を遣い、頑張りつづけ、
「周りの人たちの期待に応えよう」
「自分を受け入れてもらえるように振舞おう」という態度を取りつづける。
こうして子どもは大人になっても、
周りの様子をうかがい、他人に受け入れてもらうために嘘をついたり、
心から人と打ち解けられなかったり、自己批判をするようになる。
そして次第に、その葛藤から
アルコール依存症や摂食障害で苦しんだりすることが多くある。


ドメスティック・バイオレンスが子どもに与える影響は非常に大きく重大で、
実際に、ドメスティック・バイオレンスを受けている事実を
被害者が誰かに相談したり打ち明けようと思うきっかけになるのは、
子どもへの影響が目に見え始めたからという人も少なくない。

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ワークショップ2回目
- 2007/09/30(Sun) -

昨日はワークショップ2回目。


仲間とコミュニケーションをとりながら軽く身体を動かす。


全員で脚本の読み合わせ。


全体で90分はかかりそう。


とても重い内容なので、途中で何度か講師が中断して笑いを入れてくれる。


知らず知らず入り込みすぎてしまうと現実との境界が危うくなるからだろう。


こんなに楽しいとは思いもしなかった。


身体で感じることは、頭で考えることの何十倍もの開放感がある。


全身が柔らかくなり、身体が驚くほど軽くなる。


こんな感覚、完璧に忘れていた・・・・


ああ、そうだったな・・・・と


舞台に立っていた頃の身体に刻まれていた古い記憶が


はっきりと呼び覚まされてくるのを感じる。


本当に楽しい。


来週が待ち遠しい。


日常的に筋トレやストレッチも始めているが


心と身体と頭とが1つになることで


失ってしまった自分の声と言葉を取り戻せるような気がする。


深く傷ついた女性たちの回復と甦生の言葉を


一旦自分の身体の中を通して再現し表現することで


私の中に深々と埋め込まれてしまっている痛みや悲しみも


ともに回復し甦生してゆける・・・・


そんな思いを深くしたワークショップだった。

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