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Assumption
- 2007/12/05(Wed) -

「Assumption」 仮定」もしくは「想定」。

心の中の、自分では全く気付かない「仮定」や「想定」のことを
「人生のシナリオ」「沈黙の思考」などと言うそうです。

「自分の人生は、幸せに恵まれてはいない」
「最後には、私は常に誰かを苦しめてしまう」
「人間は、苦しむために生まれて来る」
「怒りは、相手を傷つけるだけ」・・・・・

人は、どういうわけか、人生とはこういうものだと、
あらかじめ「仮定」したり、信じたりしているようなのです。

そして、信じているがゆえに、それが現実化し、
その現実化が、その信念をさらに強化してしまう・・・・

こうした信念は、幼児期の親子関係の中で生じた
受け容れるに耐え難い外傷体験を否認するために
無意識的に作られた認知の歪みなのですが・・・・

先日、とても恐ろしい夢を見ました。

娘の夢です。

実は娘が、学校で(高校?)大変な苛めにあっていて
自ら、考えられないようなトリックスターを演じ
人々の前で、自分の身体を鋭利な刃物で滅茶苦茶に傷つけ笑わせることで
その環境に過剰適応しようとしているのです。

私は「もう止めて!お願いだから自分を傷つけるのはもう止めて!」と
大声で泣き叫んでいました。

その時、誰の声ともしれない天の声が聞こえてきて
私にこう言うのです。

「お母さん、彼女は子どもの頃から本当にいい子だったのではありませんか?」
「お姉さんのお下がりの服でも決して嫌がらず、
 いつもそればかりを着せていたのではありませんか?」
「まだ分からないのですか?お母さん。
 彼女をこんな風にしてしまったのは、一体誰のせいなのか?」

私は、その瞬間 に
「ああ、やっぱり私が悪かったのだ」
「私のせいで、この子はこんなにも苦しんでいたのだ」と愕然として、
奈落の底へと凄まじい勢いで転落してゆきながら
そう思うのです。

自分のせいで・・・・
自分の気付かない、何かとんでもない自分の欠損や
自分の中にある、何か空恐ろしいような悪い性格が
自分の周りの人々を、常に不幸にしてしまう。
自分のせいで・・・自分のせいで・・・・

この何の根拠もない、例えようのようのない深い加害感情、罪の意識。

目が覚めてからも、身体中の震えが止まらず、本当に恐ろしかった。

しばらくは「やっぱり私自身が全ての不幸の原因だったのだ」というような
かつては24時間縛り付けられていた恐怖から
抜け出すことができませんでした。

私の中のAssumption。

自分の気付かない、何かとんでもない自分の欠損。
自分の中にある、何か空恐ろしいような悪い性格。
それらが自分の周りの人々を、常に傷つけ不幸にしてしまう。
そんな絶望的な恐怖。

自分が悪い・・・自分が悪い・・・・
自分のせいで・・・自分のせいで・・・・

そう思っていつまでも泣きじゃくっていた幼い私。

長い時間をかけて、
「大丈夫なんだよ。愛されなかったのはお前が悪かったわけじゃない」
そう自分を抱きしめ、言い聞かせ、
やっと落ち着きを取り戻すことができたのですが・・・・

心のどこかにはまだそんな、Assumptionが根深く存在しているのかもしれません。

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ああ、無情・・・
- 2007/12/06(Thu) -

今日は2回も記事が消えました・・・・

だから疲れてもう書けませんです・・・・

ああ、無情・・・・

寝ます・・・・

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今日で稽古最終日
- 2007/12/08(Sat) -

今日は朗読劇最後の稽古でした。
来週はもう本番です!
先週から通し稽古に入っていて、今日が2回目の通しです。

表現はもちろん朗読が主体ですが、効果音や生ピアノ、
他の人の台詞や動きをきっかけにした振り付けや移動も結構たくさんあって、
今日やっと、自分のパートだけはなんとかミスなくやることができました・・・・ホッ・・・・。

今日は効果音も生ピアノも入って下さっていて本番さながらの通しでしたので
ちょっと感情が高ぶって、泣きそうになるシーンもありました。

私はここで、
DVによってどん底に突き落とされた3人の女性たちが、その苦難を乗り越え、
再び歩き出せるようになるまでの体験を演じさせてもらうことを通じて、
まだ今も、私の内部のどこかに燻っているかもしれない夫への複雑な感情も、
苦渋に満ちた自分の人生への悔いや悲しみも、
すべてを天空高く、昇華させていくのだと決めているのです。

風邪やインフルエンザに罹らないこと。
事故に遭わないこと。
なにしろ
当日みんなが元気に集まって、これまで積み重ねてきた練習の成果を
力一杯発揮することができますように!!

今はただ、そのことを祈るばかりです。

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「育児の百科 」松田道雄先生のこと
- 2007/12/11(Tue) -

小児科医・松田道雄先生の「定本 育児の百科」が復刊するようです。
文庫版で一冊1050円。年齢に応じて分冊されるらしいから、安いですね!

2007年12月14日発売です。
復刊を待ちわびていました。
娘が、もし結婚して出産することがあるのなら、
その時には持たせてやりたいとずっと思っていました。

初版は1967年ですから、もう40年にもなるんですね~。

私が初めてこの本に出会ったのは、古本屋さんでした。
娘の出産を目前に控えて、不安で不安でどうしようもなく不安で・・・。
ふと立ち寄った古本屋さんで思わず手に取ったのがこの本でした。

パラパラと立ち読みするうちに、ぐいぐい引きずり込まれていって
「ああ、この先生は私の不安を理解してくれる」
直感的にそう感じてすぐさま買い求めました。

多分私がその時購入したのは、初版ものだったと思います。
金額はもう覚えていませんが、相当安かったと思います。
800pぐらいの分厚い事典のような本なのですが。

だって、オシメとか産着とかおんぶ紐とか
見たこともないくらい古めかしい写真ばかりがいっぱい掲載されていて、
思わず吹き出してしまいましたから(笑)

予定日2週間前になってもお金がなくて、産着の1枚も揃えられなかった私に
「何だっていいんじゃない?暖かければ・・・」
とまで思わせてくれたヘンテコな写真ばかりでしたから(笑)

以来ずっと、この本を頼りに子育てしました。
妊娠の頃から誕生、そして小学校に入る頃まで、
子育てでぶつかる疑問をほとんど網羅していると思います。

1人1人の子どもの個性を育てようとする、本当に温かでこまやかな情愛と
型にはめ込もうとしない豊かな人間性の知恵にあふれた
私にとってはバイブルのような本でした。

そんな大切な本だったのに、
誰かに貸して、そのまま返って来ませんでした・・・・

夜泣きがひどい時、子どもを抱いて途方にくれている私に
松田先生は語りかけてくれます。
「かわいそうに・・怖い夢を見て泣いているのかもしれませんよ」
私は泣いている我が子がたまらなくいとしくなって
「よしよし、お母さんがついているから大丈夫だよ」と
泣き止むまでいつまでもあやし続けます。

もうずっと、おっぱいを飲まなくて悩んでいると
「きっとお腹が空いていないのでしょうね」と
ハッと当たり前のことに気づかせてくれます。

具合が悪そうなときには
「誰よりもお母さんが赤ちゃんのことは一番分かっているのですよ」
と自信を持たせてくれます。

子どもの「あれはなに?」「どうして?」と
しつこいほどの尋ねたがりの頃
「百科事典のようにではなく、母親は詩人のように答えるのですよ」
と深い心に目覚めさせてくれます。

神経質で心配性の私が、いろんな病気や離乳食やトイレ・トレーニングでも
なんら悩むこともなく、自然に任せてやってこれたのも、
松田先生の、徹底して母親の側に立って、母親を励まし自信を持たせてくれる
育児指南があったからだと思っています。

松田先生は、戦後、京都に小さな診療所をかまえられて
あえて看護師もおかずに、じっと母親と子どもの関係をみながら
育児と病気の相談を受けてこられたそうです。

松田先生の診療所では、極力注射をしなかったそうです。
子どもの負担になることは避けて、子どもが本来持っている力が発揮できるよう
医療行為は最小限しかされなかったのです。

「自然に育ってゆくのだよ」
いつもそう静かに、諭すように話してくださる本でした。


「お誕生日ばんざい」の巻

誕生日おめでとう。
一年間の育児で母親としておおくのことをまなばれたと思う。
赤ちゃんも成長したけれども、両親も人間として成長されたことを信じる。
一年をふりかえって、母親の心にもっともふかくきざみこまれたことは、
この子にはこの子の個性があるということにちがいない。
その個性を世界中でいちばんよく知っているのは、
自分をおいて他にないという自信も生まれたと思う。
その自信をいちばん大切にしてほしい。
人間は自分の生命を生きるのだ。いきいきと、たのしく生きるのだ。
生命をくみたてる個々の特徴、
たとえば小食、
たとえばたんがたまりやすい、
がどうであろうと、生命をいきいきと楽しく生かすことに支障がなければ、
意に介することはない。
小食をなおすために生きるな、たんをとるために生きるな


母親をまず安心させてくれる心の安定剤でした。
核家族の母親の本当の味方でした。

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今日の花
- 2007/12/13(Thu) -

                                             

今日の花

シクラメン

 

花言葉

はにかみ。過ぎ去った喜び。

このまま順調に行くのかと思っていたら、案の定、体調不良に見舞われています

湿布にマスクに抗生物質、痛み止めで眠りについて
それでも回復しなかったら・・・・もちろんそのまま行くだけですが(笑)

しゃーないやん。

歩けて、話せたら、なんとかなるし。

今日とあしたとどっぷり二日、寝てるしかどないしょーもでけへんもん。

12月のテンプレートにも選んだのですが、シクラメン、やっぱりホントに綺麗ですね。
そういえば昔々、好きなヒトがいて、恥ずかしくて口をきくこともできなかった・・・・
誰にでも覚えのあることですね。
「過ぎ去った喜び」か・・・。

ううう・・・・横になります・・・・おやすみなさい。

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公演、無事終了
- 2007/12/15(Sat) -

朗読劇の公演、無事終了しました。

9月から始まって、結構長い道のりでした。

終わってからの観客とのフリートークでも
なかなか良い反応だったように思うのは・・・・自己満足かな?

昨日までは、どうなることかと思うほど熱も下がらず、
寝たり起きたりしながら唸っていましたが、
今朝起きてみると、急激に微熱程度にまで下がっていて、
ちょっとふらふらはしましたが、朝のリハーサルから本番までの丸1日、
何とかやりきることが出来ました。

でも、台詞一箇所と、動きで一箇所、ミスをしました・・・・

そこは慌てず騒がず、何事もなかったかのごとく、誤魔化しましたが(笑)

今は頭がボーっとしていて、ただただ終わった安心感で一杯です。

とりあえず、一山超えることが出来たのかな?

最後までやり遂げることが出来たから、
それだけで100点満点ということにしておきます。

来週がワークショップ最終回。

出演者一同、振り返りや感想や意見交換をします。楽しみです。

・・・・身体、治さな・・・・

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ヒメツルソバ
- 2007/12/16(Sun) -



ヒメツルソバ タデ科 イヌタデ属 
ヒマラヤ原産 多年草 

ご近所さんから小さな苗をひとつだけ頂いて、
あっという間にこんなに育って、
冬の庭先を明るくしてくれます。

かんざしのような小さなまん丸い薄桃色の花を
いっぱい咲かせています。

寒風に向かって生き生きと咲く草花のたくましさに、
毎朝、とても勇気づけられるのです。

「ひと仕事終えた」私の静かな日曜日・・・・

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阿闍世・コンプレックを考える①
- 2007/12/20(Thu) -
「罪悪感、無意識的罪悪感とは
 自己の存在、行為、思考、感情などについて
 自己自身、あるいは他者や社会から容認されないときに生じる
 意識的、無意識的な複合的感情であり、
 不安と一体になって精神病理症状を形成する感情の一つ」

フロイトは、
すべてを自己の責任として認識するという文脈性を持つ
キリスト教的精神の土壌のもとに
人類の普遍的な罪というテーマをギリシャ悲劇に求めました。

これに対して、
あらゆる事象を関係性という文脈において捉える精神文化を持つ日本では
東洋思想の古典である仏典に登場するある王家の物語を素材に
1932年、古澤平作氏が、
フロイトのエディプス・コンプレックス概念に対する
日本人に特有の『阿闍世・コンプレックス』を提唱しました。

エディプス・コンプレックスが
キリスト教倫理に根拠づけられるような父性原理に基づいた4~6歳頃の
「母親・父親・子どもの三者関係の情緒的葛藤と超自我の形成」
を重視したのに対して
阿闍世コンプレックスは
日本人に固有の文化的心性との関連から罪悪感について考察し
日本人の罪の意識の基盤に、仏教的な「懺悔心と許し」があるとして
母性原理に基づいた感情的葛藤=甘えや依存を許しあう二者関係”
について提起された概念だといえます。

その物語とは、古代インドのマガタ国の阿闍世王の悲劇です。
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阿闍世・コンプレックスを考える②
- 2007/12/22(Sat) -
この物語は、
観無量寿経や涅槃経をはじめとする
種々の仏典に断片的な記述があり
古澤氏はこれら仏典のいくつかから
阿闍世物語を断片的に収集し、
独自の仏教説話を創案・構成して
一つの物語として編集しました。

1970年代初めには、
古澤氏の流れを汲む精神分析医小此木氏によって
さらに改編が加えられ
現在語られる「阿闍世物語」は
その原典とはかなり異なった様相を呈しています。

仏典における阿闍世の物語は、
古代インドのマガタ国に生まれた阿闍世が
釈尊に対抗して仏教教団を分裂させ
自ら新仏になろうとして新仏教団を組織していた
提婆達多にそそのかされて、
最初は父を幽閉するのですが、
それを見かねて父のもとにひそかに食事を運ぶ
母の韋提希をも幽閉します。
こうして父は食事を断たれて餓死し、
阿闍世は自ら王位につきました。

しかし、その後、阿闍世は
後悔の念と罪の意識に苛まれ、
その罪の重みに耐えかねて、
全身に大悪瘡(悪いできもの)ができ
死を予言されます。
こうして大臣耆婆の勧めで赦しを乞うてブッダに帰依し
その後は仏教の偉大な庇護者になったというものです。

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幸せと喜びに彩られたケーキ
- 2007/12/23(Sun) -
                oiwai.jpg


美味しそうなケーキでしょ?
もちろん!!実際とても美味しいケーキでしたよ(笑)
一足早いクリスマス?

いえいえ、昨日、朗読劇の最後の日。
集まったメンバーでの「お疲れ様会」で、大変美味しく食しました、
直径30cmはゆうに超える別注特大ケーキです。

担当者の話では、当初応募者は30人余りあり、スタート時点では23人。
最終的には17人で本番を迎えることが出来ました。

こうした無料の講座では、通常スタート時点から最終回までに
半分以下にまでメンバーが減少するらしいのですが
今回は本当に多くのメンバーが途中で辞めることなく
最後までやりとおすことが出来た稀なケースだったそうです。

3ヶ月という長丁場。
健康上の問題、家庭の諸事情、自らの辞退等々・・・・
いろんなことがあって当たり前だと思います。

現に私も、本番2週間前から体調を崩しはじめ、
当日が最悪の状態という情けない有様でした。
終了後、早々に引き上げて、家に帰って熱を測ると38度もありました。
「よくこれでやれたよな~」と我ながら感心感心、ホッと胸をなでおろしましたから。

昨日の「お疲れ様会」には、諸事情で来れなかった2人を除いて
15人のメンバーと、担当者の方、演出家、の計17人が集い、
女性ばかりの賑やかな会となりました。

その場で初めて、本番の、固定カメラでの撮影ではありましたが
ビデオ録画の映像を皆で見せていただきました。

本番を終えて、「ひと仕事終えた感」こそ充分にあったのですが
今ひとつ、自分たちのやったことの実感が殆ど感じられずにいました。

大きなケーキを切り分けて、
ジュースやコーヒーで乾杯し(やっぱりビールはなかった・・・残念!)
わいわい騒いでいた面々も、いつしかシーンと静まり返り、
食入るように映像に見入っていました。

素晴らしかった・・・
決して自己満足ではなかった・・・・

多くの観客の方々がアンケートに書いてくださった通り
「朗読劇」の範疇を超えた、とても完成度の高い劇的作品に仕上がっていました。

「ほら、あそこで間違えてウロウロしてる~」
「あ~あ~、台詞かんでるかんでる、かんでるで~」
「待ってました!○○さん!!」
などと、笑ったり突っ込んだりしょげかえったり、
そして最後には、私は涙がこぼれてきて、両手で顔を覆って泣いてしまいました・・・・

嬉しかったのです・・・・
この私が、私たちが、ここまでの作品を完成させることができた・・・・

感動の深さは皆も同じだったようで、
とてもこのまま解散してしまうにはあまりにも名残惜しく
私も心密かに願っていた自主グループを、即刻立ち上げることに決まりました。


「DVの問題だけにとどまらず、あらゆるテーマに沿った
メッセージ性のある朗読劇を、これからも発信してゆこう」と。

早速、来年1月に発足の会合を持ちます。
再びスタートです!

私が自分で選択し、行動し、最後までやり遂げて、
そして、さらに次のステップへと繋げていくことができた・・・・

たった一人で大海原に漕ぎ出して、やっとつかんだ私の活動の場。

幸せでした・・・・嬉しかった・・・・

私の心もこのケーキのように、
色とりどりの喜びの果実に彩られ、
たっぷりの幸せのホワイトクリームに包まれて、
今も私の心のショーウインドウに誇らしげに飾られています・・・・

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年末作業開始
- 2007/12/24(Mon) -
昨日は年賀状書きもそこそこに大掃除に取り掛かりました。
まずは手始めに、2階の夫の部屋と娘の部屋から。

年末だというのに、相変わらずご多忙?な娘はあちらこちらと飛び回っていて
昨日と今日の連休以外、もう休みは取れないのです。

エプロンに姉さんかぶり、マスクも掛けて、いざ戦闘準備OK!!

原則、自分の部屋は自己責任が我が家のモットーなのですが
こういう時はやっぱり総指揮官の私の長年培った知恵と技術なくして
「綺麗さっぱり」とまではいかないのです。

まずは、天井からタンス、本棚の上、照明器具や壁一面の煤払いに始まって
家具の隙間の塵一つも見逃すまいと、床に這いつくばって奮闘します。

そう!今年の大掃除のメインテーマは「徹底した埃の追放!」なのです(笑)

そして、寝具の洗濯、新しく買った掃除機での布団の埃吸い、
衣類や本などの不用品を整理処分し、あらためて用途に合わせて収納し
拭き掃除用の洗剤でさっぱりと拭き掃除。
ふた部屋終えるのに、6時間近くかかりました。
夫も娘も、さすがに少しグッタリしていたかな?

今日は、昨日新しく出したタオル類や、仕舞い込んでいた毛布や
各部屋のカーテンやシーツ類などの大物の大洗濯から始まって
いよいよ私の部屋へ突入です。

普段から整理整頓が好きな私は、
日常的にこまめに片付けている筈なのですが
ところがどっこい!
もしかしたら、一番難関なのは実は私の部屋なのかもしれないのです。

「つい迷っちゃった書類」や
「明日こそ書こう手紙」や
「今度は読もう本」などがごっちゃに机の上に山積みにされていて、
その上、
「もうちょっと置いておくか手紙・葉書」に
「現在調べもの中辞書・事典」
「いつか使うかもプリントアウト紙束」
「やっぱりいるかも各種関係団体通信綴り」などなど・・・・

行き場の決まらない本や紙類が、しおりを多数挟まれて
もしくは簡単ファイルにされて、所狭しと置かれている・・・・

まずは頭の整理から開始しなければとても先には進めません。
今日は、「あきらめ」と
「しゃーないな」と
「まっ、いいか」の連続になりそうです。

そうそう、昨日、未使用のタオル類を箱のまま収納して
押入れの天袋に仕舞い込んでいた段ボールの底から、
なんとなんと、
私の小学校・中学校時代の日記帳を入れた箱が見つかったのです。

開けてみて本当にびっくりしました!
お年玉で初めて買った、
白い小さな鍵付きの乙女チックな日記帳まであるのですから。
17歳から引越し続きの人生を歩んできたのに・・・・
こ・こ・こんなものが・・・・見つかるなんて・・・・

10代20代の日記は、信仰の道に入るときにすべて焼却処分し
つい数年前にも、30冊近い日記代わりの大学ノートを処分していますので
まさかこんなものが我が家に眠っていたとは夢にも思いませんでした。

おそらく実家に置いたままになっていたものが
なんらかの荷物とともにここへやってきたのでしょう。

今、私の机の上にその箱が、沈黙を守ってそっと置かれています。
何だか読むのが怖いような・・・・悲しいような懐かしいような・・・・

面白い内容でも見つかったら、ここにアップでもしてみましょうか??

でも、少なくとも今日は絶対に読み耽らないように、
自分にきつーーーく戒めてはおりますが。

昨夜は、大掃除のご褒美に娘の部屋で埃を被って眠っていた
星座のプラネタリウムが付いた地球儀を頂戴し、
ピカピカに磨いて部屋の中央に置いて、
真っ暗な部屋にその明かりだけをつけて
ゆっくり回転する星座の煌きに包まれながら
神秘的な夜の眠りに付くことができました。

夢は、
ムシャムシャご馳走を食べているという、やけに動物的な夢でしたが(笑)
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皆様へプレゼント☆☆ そして・・・・
- 2007/12/24(Mon) -


そして、忘れてはならないこと

An eye for an eye will make us all blind.ーMahatma Ghandiー

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更地となった机上
- 2007/12/25(Tue) -
souji.jpg


如何ですか?見事、きれいに片付きましたでしょ?
現在、机の上には紙片一枚置かれておりません!

でも・・・・実は・・・・
ただ山積みになっていた本や書類や手紙の類を
えい!とばかりに、なるべく何も考えないようにして処分し、
それでもまだ残ってしまった捨てがたい面々については、
あちらこちらの本箱や(この狭い部屋にすでに本箱が3個もある・・・・)引き出しに
大体の見当で超適当に種類分けして、
なんとかかんとか押し込んだだけなんですが。

大型ゴミから頂戴したこの机は、幅155cm×奥行70cmという大きさで
だからついつい、積読山別整理法になってしまいます。

何か一つのことを考え始めてしまったら、
それが何らかのまとまった塊となって私を納得させてくれるその日まで、
積読山別頭ン中整理状態が延々と続き、
どんどん本やら資料やらがその山々に積み上げられていくのです。

自費で購入したのなら、
こんなデカ机を買うことは到底あり得なかったのですが、
以前住んでいた家の近くの、超高級マンションのゴミ捨て場から
「どうぞ、私を連れて帰って下さい・・・」と
そんな囁くような声が聞こえてきて(幻聴か?)ひょいと覗いたのが運のつきでした。
目にした瞬間に幻惑されてしまい、実に大変な思いをして「お持ち帰り」したのです。

果たして、この机のせいなのか・・・・
それともやっぱり、私の脳内思考構造が人並み外れてトロイせいなのか・・・・

来年早々に、いえ多分、
すでに年内にも、再び幾つもの山々に囲まれた日々を送ることになりそうです。
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阿闍世・コンプレックスを考える③
- 2007/12/28(Fri) -
阿闍世は、梵語・アジャータシャトルの音写で
「未生怨」と訳されます。

「未生怨」という名前のいわれは、
父王には世継ぎの子がいなかったので占い師に夫人を占わせたところ、
「山中に住む仙人が死後太子となって生まれてくるであろう」
と予言しました。

そこで王は、
早く子どもが欲しい一念から、仙人を殺してしまうのです。

間もなく夫人が身ごもったので再び占わせたところ、
占い師は、
「男子が生まれるが、その子は王の怨となるであろう」
と予言しました。

やがて生まれた男の子は
「未だ生まれないときから怨みをもっている者」
というので「未生怨」と名づけられたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「未生怨」・・・・
なんて恐ろしい、救いのない言葉でしょう。

私が初めてこの言葉に強い恐怖を抱いたのは
かつて所属していた宗教団体と宗門との間で熾烈な争いが起き
その時の法主を「底知れぬ未生怨の世界」として
不幸な私生児として育たざるをえなかった母親自身の
「怨念」から発した様々な動機の塊として、
まさにその法主が「魔性の申し子」として生まれたのだと
断じていたことでした。

このとき感じた恐怖・・・・

それは常に
「何かとてつもない生まれながらの空恐ろしい存在としての自分」という、
無意識的罪悪感や加害者感に苦しんできた私にとって
「未だ生まれないときから怨みをもっている者だったのだ」という
根源的な暗黒の烙印を押されてしまった絶望的な恐怖でした。

「底知れぬ未生怨」だとか「怨念」だとか「魔性の申し子」だとか
今はもうそんなオドロオドロしい妄想の世界は
思い出すのも嫌なことです・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

王もまたその子を恐れて、
夫人とともに高い塔の上から投げ捨てたのですが
一本の指を折っただけで無事だったので、
阿闍世王のことを別名「折指(しゃくし)」とも言います。

このように仏典では、
父王を殺したのはあくまで阿闍世であり、
仙人の死が待ちきれずに仙人を殺したのも父王なのです。

阿闍世の物語は、父親殺しがテーマになっているので、
骨格はギリシア悲劇「オイディプス王」と変わりません。

仏典では阿闍世は、
典型的なエディプス・コンプレックスの対象だったといえます。

ところが古澤氏は、
仏典のいくつかから阿闍世物語を抜き出すにあたって
独自の仏教説話を創案し
「阿闍世・コンプレックス」概念を提唱したのです。
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阿闍世・コンプレックスを考える④現代版「阿闍世物語」
- 2007/12/29(Sat) -
ここでは、改編された現代版「阿闍世物語」を概観します。

マガタ国の王である阿闍世は、ダイバダッタという僧から
その出生にまつわる秘密を聞かされます。

その話とは、
阿闍世の母であり王妃であるイダイケが
容色の衰えのために夫であるビンバサラの寵愛を失うのではないかと恐れ、
気持ちを繋ぎ止めるために、王との間の子どもを欲します。

しかし、子どもがなかなか宿らないと焦る王妃に、旅の僧が
「ある仙人が数年後に死して後、王妃の胎内に宿るであろう」
と告げます。

その数年が待てないと考えた王妃は
「それならば・・・」とその仙人を殺してしまいます。

殺された仙人は
「わが恨みはお前の夫を殺すであろう」と
断末魔の叫びをあげ、霊魂として王妃の胎内に入ります。

王妃は叫び声を聞いて恐ろしくなり、
ようやく宿った子どもを流そうとありとあらゆる試みを行いました。

けれども、その意に反し、胎児は順調に育ち、
ついに出産の時を迎えます。

王妃は最後の手段として塔に登り、
高みより我が子を産み落として殺そうとしました。

にもかかわらず、産み落とした赤ちゃんは
小指を骨折しただけで無事だったといいます。

こうした出生の秘密を知った阿闍世は怒り狂い
母であるイダイケ王妃を幽閉し、
父であるビンバサラ王を殺害するのです。

その直後、
阿闍世は留注という病に倒れ
(留注:体表全体に腫脹が生じ悪臭を放ちながら腐敗していくとされている)
家臣からも見放されて瀕死の状態となってしまいました。

そのことを伝え聞いたイダイケ王妃は家臣に命じて幽閉を解かせ
誰もが近寄ることさえできないほどの悪臭を放つ阿闍世を抱きかかえ
一心不乱に介抱しました。

こうしたイダイケ王妃の献身的な看病が功を奏し
阿闍世の容態は快方へと向かいます。

やがて回復を遂げた阿闍世は
自分が犯した罪を自覚し、また、罪深き自分を許し
死の淵から救い出してくれた偉大な母の愛の前に
大いなる懺悔の念を抱いたのでした。

以上が現代版「阿闍世物語」の内容です。
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孤絶の花
- 2007/12/30(Sun) -
ヒマラヤの妖精、幻のブルーポピー。
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世界で一番美しい花といわれるブルーポピー。
標高3,000m~5,000mのヒマラヤの高山にしか自生しない。
1913年に英国の探検家ベイリーとウォードによりチベットで発見された。
標高4,300mの巴朗山(パーローシャン)峠を越えて
登山基地の日隆(リーロン)までの道中、初めてブルーポピーを見つけたという。

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「孤絶の花・ブルーポピー」
日本画家・堀文子さん。89歳。
「花の画家」と呼ばれる。

NHKの日曜美術館で知る。

透明感あふれる色彩・・・・
花を植え、育て、咲いてから散るまでを見守る。

一瞬もとどまることなく移ろいゆく命の姿をとらえようと、
科学者のように静謐に細部まで観察するそのまなざし・・・・

堀さんは、住まいを変え、旅を重ね、新しい作風を切り開いてきた。

夫を亡くした後の海外放浪。
70歳を超えてからのイタリア移住。
82歳のときには、
幻の花ブルーポピーを訪ねて、ヒマラヤの5000メートルの高地を踏破した。

青い花たちを眼前にしたとき、
その可憐さにしばし立ちつくしてしまった。

こんなに青い花びらをつけた花を今まで見たことがなかった。
この花びらの青さを何にたとえればいいのだろう。

今まで見たこともない青い色の花びら・・・・

幻想、あるいは空想の花、と言ったほうがいいのだろうか。
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大晦日の朝に
- 2007/12/31(Mon) -
昨日で新年の準備はすべて終え、大晦日の朝を迎えました。
ずいぶん今朝は冷え込んでいます。
「やっぱりお正月が来るんだな」子どものようにそんな風に思ったり(笑)

「思い出になれば」との添え書きとともに朗読劇を収めたDVDと写真が届きました。
「年明けには送りますね」と担当の方は仰っていたのに
何とか年内に送ってあげたいと思われて、無理して頑張ってくださったのでしょう。
感謝の気持ちで受け取りました。

 1月 娘のセンター試験直前に、何年も風邪を引いたことのない夫が風邪を引いた(笑)
 
 2月 大学受験終了。
 
 3月 志望校に無事合格。高校の卒業式のため大の苦手の学校へ・・・行った・・・。
 
 4月 足を痛めて休職する。
 
 5月 母の日のプレゼントを娘から貰いました。
 
 6月 仕事復帰。
 
 7月 体調不良に苦しむ。
 
 8月 PC、プリンター、スピーカーを新しく購入する。
 
 9月 腰、膝に続き、右足指全体にも故障を抱え、仕事断念。朗読劇に参加する。
 
 10月 劇団に衝動的に入団する(笑)
 
 11月 短時間・週2のパート、劇団のレッスン、朗読劇の練習、楽しい日々~。
 
 12月 朗読劇大成功にて終了。感無量。自主グループを立ち上げる。

私の今年1年間は、ざっとこんなところでしょうか?
平凡な日々にもいろんな思いがありました。これからもそうなのでしょうね。

来年も新しい試みに挑戦しながらも、落ち着いた静かな今の生活を大切にして
丁寧に暮らしてゆこうと思っています。

こんなショボいブログに来てくださる皆さま、この一年、ありがとうございました。
2008年が皆さまにとって実り多き1年でありますように。

そして、どうか、平和な世界でありますように・・・合掌。
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