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4月・どんな風に?と考える
- 2008/04/01(Tue) -
今日から4月です。
テンプレートもまたまた模様替えです(笑)
とても明るくて、春たけなわという感じで、私は好きですね~

で、4月をどんな1ヶ月にしたいかなって、少し考えてみました。

「とらわれから手を放す」

これかなって。

ふだん家族のために殆どの時間を使っている私は、
ふと、自分自身のために時間を使うことに
罪悪感を感じたりすることもありました。
特に今は仕事もしていませんし・・・・

でも、いつも自分のことを二の次にしていれば、
いつのまにかエネルギーを人のために消耗させすぎてしまって、
身も心も痛めて壊れてしまうような気がします・・・・

そしてそれは愛情ではなく「とらわれ」なのだと、もうすでに私は気づいています。

だからこそ思い切って、自分自身を日常から解放して、
心も身体も緩ませることが必要かと感じます。

「手を放す」のはまず自分自身が自分自身へと行う行為からなのだと思うから。

「ええっ!これ以上まだ緩むの?」そう小さな声で呟く几帳面なもう一人の自分に
「そうだよ~、まだもっと、心の底から緩んでみるんだよ」
そう励ましの声をかけながら・・・・

自由に伸び伸びと深い呼吸をして、思いのままに身体を動かして。
仲間と自己表現に没頭したり、長々と語り合い分かち合う時間を持ったり、
そして、ひとりでゆっくりと散策し、
自分自身と深く対話する時間も日常的に持ちたいものです。

当たり前の時間を、当たり前に日常の中に取り戻すことから、
もう一度、4月は始めたいと思います。

朗読劇やら自助グループやら、
そして私の大好きな近所の自然公園の散策やら。
美容院へも行って髪を短くカットして、
夫の仕事の変動でご無沙汰している心療歯科にも通いたい。
何か思い切り身体を解放する習い事も始めてみたい。

自分自身を大切にケアしながら、この1ヶ月、心豊かに過ごしてみようと思います。

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夫について考える⑬アルコール依存症への系譜
- 2008/04/03(Thu) -
私に強く出られると、急におとなしくなるのも夫の特徴の一つです。

私が少しでも夫に頼るような態度を見せたり、
少しでも弱った姿を見せたりすると、
即、再び支配下に置こうとします。

それは日常的に、その瞬間瞬間に、敏感に感じとれます。

しかし、「一定の距離を保ち続ける」という私の態度さえゆるがなければ、
「もう支配できないかもしれない」と感じ、
夫もまたそれなりに安定してくるのです。

かつて、夫も私も、自分ひとりでは自律できないため、
支えとしての相手が必要だったのでしょう。

そして、自律できない私たちは、常に心に怒りを抱えていました。
この怒りをぶつけ合うためにも、相手が必要だったともいえます。

私たちは二人とも、
自分の生育過程で親から愛情を受けられなかったという過去や、
「自分は親に愛されていない」と感じる瞬間に
何度も直面した過去を持っているのです。

そのため自分の存在そのものに不安を感じ、
それを埋めようとして肥大した自我は、
自分の能力を超えた金や仕事、地位や名誉などに執着し続け、挫折し続けました。

私の場合は、報われることの少ない芸術や宗教といった、
目に見えない幻想へのしがみつきだったように思います。

そして、こうした挫折を続ける無力な自分を否認しようとして、
自分を受け止めてくれる相手(=私)に対し、
かつて受け止めてくれなかった母親への怒りを、無意識的にぶつけてしまう。

そして、再び強烈な幻想を手中にするためには、
夫にとって、どうしてもアルコールが必要だったのです。

ぶつける相手のいない私は、怒りを向けられる恐怖と不安から、
慢性的なウツ状態へと落ち込んでいく・・・・

夫は自分が大事に扱われてこなかったことからくる
「深い自己愛の傷つき」を持っているので
少しでも低く扱われたと感じると、すぐに爆発する。

家の外では人には認められたくてたまらないから、
仕事相手や仲間には人当たりがとてもいい。

「年上で、アンナに優しい旦那さんに甘やかされて、幸せやねえ」
妬みを込めてどれほどそう人に言われ続けたことか。

でも、一旦内に入ってしまったら、
私には、自分の全てを認めさせなくては気がすまないために、
暴力や異様な自己卑下などで、私を服従させようとして
そのことに執着し続ける・・・・

夫に何度も殴られましたが、
いずれもそれほどの大怪我を負うほどのものではありませんでした。
夫にとっての暴力は、支配のための手段であって、
傷つけること自体が目的ではなかったからです。

夫が「尋常ではない」と気づき始めたのは
やはり宗教に疑問を持つようになった7年ほど前からでした。

その一方で、
「私しか、夫を見捨てず共に生きることはできないのだ」
という思い込み(宿業論)も捨てられませんでした。

また、私が別れを考え始めているのではないかと、
なんとなく感じ始めた頃から、急に優しくなったり、
今まで決して言わなかった
「ありがとう」や「ごめんなさい」を言うようになったり、
泥酔して暴れる回数もぐっと減ったりもしました。

「これからは良くなっていくのかもしれない」
そう一瞬でも思うことが度重なってゆきました。

夫の中に自分と同じような孤独を見て、
夫を救うことが自分を救うことにつながると感じる。
自己投影しているのです。

こうした私の心の弱さが、
さらに夫をエスカレートさせていたのです。
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開花・瞑想
- 2008/04/04(Fri) -
固い蕾のまま何ヶ月も酷寒に耐え、幾度も雪に埋もれながら冬を越した逞しいガーべラ。

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とうとう昨日、その蕾を綻ばせ、こんなに見事に咲きました。感動しました。

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ついでに娘の大学構内で、天空に向かって満開に咲いている桜の木です。

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ちょっと疲れて情緒不安定な昨日の私でしたが、
呼吸をはっきりとコントロールしながら瞑想し、
「今、現在」に心を集中させながら
荒れ狂う己の感情の「たった一つの本質」をじっと見つめ続けます。

「あるがままを受けいれ」
「苦悩を素直に受け止め」
「執着から離れ」てゆけるように、
静かに「自己との対話」に努めて、なんとか乗り切ることができました。

こうしたことのあった後は、
なんともいえない「温かな満たされた感情」が
身体の奥深くからふつふつと湧き上がってくるあの感覚が
いつもとても不思議でしかたありません
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朗読劇・紛糾
- 2008/04/06(Sun) -
昨日は2ヶ月ぶりに、朗読劇の打ち合わせに行ってきました。
春爛漫の街は、美しい花々に溢れていました。
そこで私も、思わずパチリ。

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るんるん気分で向かったのですが、
前回、アルコール依存症の「家族の集い」を優先させて、
打ち合わせを1回抜けたその後に、
朗読劇の仲間同士で、何がきっかけで、どこでそうなったのか、
収拾の付かない内紛状態に陥っていたようでした

代表を務めてくれていた人と、よく欠席する数名の方々との間で、
「本当にやる気があるのか!」
といった突き詰めた言い合いとなっていて、感情的に揉め続けていたようです。

そして、代表の方は代表者を降りてグループからも抜けるという・・・・
昨日集まって来ていたのも、僅か6名という始末。

紛糾した内容についてよく聴いてみると、
感情的な怒りを互いにぶつけあったようです。

内容自体は、どんなグループにも起きがちな、
やる気の熱さのギャップとでも言いましょうか・・・・
それほど大した内容の問題ではないのですが、
各々の怒りのコントロールが出来ておらず、
自分を客観視することもできていないため、
収拾の落としどころがなかなか見つかりません。

のらりくらりと一人一人の感情的モツレの聞き取りから始めました。

どうやら「親密性」を急激に求めすぎたが為、
一人一人が生きていれば当然遭遇する、
日常生活上の問題への理解がまだまだ及んでいないにもかかわらず、
「擬似親子関係的」な「本音の感情的な思いのぶつけ合い」にまで
どんどん過激に入り込んでいってしまったようでした。

さらに、「スケープゴードの理論」とでもいいましょうか
「スケープゴード」というのは、旧約聖書に出てくる、贖罪用の山羊のことで、
旧約聖書の時代には、人間の罪を山羊に背負わせて荒地に放す、
という宗教的な儀式がありました。いわゆる生贄です。

そこから転じて、人々の不安や憎悪、猜疑心などを、
一つの対象(個人や集団)に転化して、
矛先をそちらにそらせてしまうことを「○○をスケープゴードする」などと言います。
これは第3者(=ここにいない人々)を排除することによって、
「その場のあなたと私の親しさを確認しあう」ということです。

こういうことはよくあります。
けれども、こうしたことをすると、
この二人に新しい不安を引き起こしがちになります。
「今度はいつ自分が排除される側にまわるかわからない」ということです。

こうしてまたまた不安と疑心暗鬼が増殖して、ますます固まるわけです。

さらに、「友達なのに、仲間なのに、なぜ?」ということになる。

本当は幸せな楽しい関係であるはずの「仲間」や「親しさ」のはずが
その存在が逆に自分を息苦しくしたり、相手も息苦しくなっていたりするような関係、
「同調圧力」が高まってきていたのです。

「ねえ、みんな、もう少し緩やかな関係にしてゆこうよ」
私はそう提案し、話し合いを続けました。

そして、もう一度、今度はメール連絡ではなく、
一人一人とせめて電話で、じっくり気持ちを聞いていくやり方で、
「同質性」を性急に求めるのではなく
自分とは違う感じ方や考え方をする人たちなんだという前提で
「みんなで仲良く」という幻想を捨て
あまり濃密な関係を仲間の中に求めすぎずに、あえて距離をおいて、
新しく関係を築きなおしてみるということで一応落ち着きました。

で、帰宅してから、
3人の方々と、まずは一人30分以上の時間をかけて話し合いを・・・・
皆さんそれほど強いわだかまりを持っている様子でもなく、
その場の怒りの感情に支配されていたようで、
4月26日、再度打ち合わせに集いあうということで一応の決着は付きました。

まあ集団にいるいうことは、こういうことは付き物だから、
やたら消耗せずに、これからも息長く、ボチボチと関わっていくことが肝要ですね。
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「あるがままを受け入れる」を考える
- 2008/04/08(Tue) -
アダルト・チルドレンや共依存の治療としては、
まず第一段階としては、
患者を苦しめている異常な「執着心」、
例えば自分自身への執着、お金や権力への執着、
人間関係への執着、アルコール依存やワーカーホリック、
虐待などの、人や物への「嗜癖」を、まずやめさせるところから始まります。

その中でも,やはり「自分への執着」が一番大きな問題で、
これをどうやって軽くしてゆくかが、
治療のひとつの大きな目標になると思います。

自分への囚われは、
実は、自我の不明瞭さから来る
無意識の不安や空虚感の反動として起きてくるのですから、
「自分への執着」を捨てるといっても、
「自分を捨てる」こととは正反対のことであって、
「自己の確立」を目指す第一段階なのです。

自己を確立すると、
自然と「我執」や「人や物への執着」も少なくなってゆくと思われます。

・・・・・・・・・・・途中なので、以降続く・・・・・・・・

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「あるがままを受け入れる」を考える②
- 2008/04/10(Thu) -
私が自分自身の苦しみのありかを考えてみた時、
自分の力の及ばない人とか物を、
何とか自分の思うように動かしたい、変えたい、
自分のものにしたい、と思ったり、
どんなに考えてみても解決の付かない問題を悩み続けたりする、
その「我執」にこそが、
自分の心を苦しめていた根源があったのではないかと感じるのです。

ありのままの自分を愛せないがために、
ありのままの自分に自尊心をもてないがために、
人や物に幻想の愛や自己承認を異常に求めようと執着する・・・・

つまり、「自分の出来ることとできないこととの境界が分からない」
ということではないかと思うのです。

盲目的に何でも自分の思うようにしたいと固執する、
自分自身への強烈な「我執」です。

自分のありのままの力を知らないで、
自分の限界を知らないで、
闇雲に自分をコントロールしようとして、
それが出来ない自分を責め、苛立ち、苦しみ抜く・・・・

それでも「自己の成長」などといった幻想に囚われて、
さらにどこまでも自分自身を追い込んでゆく・・・・

何よりもまず、自分に必要であったことは、
不完全で、欠点もあればいいところもある、
そんな「ありのままの等身大の自分を知る」ことだったと思います。

そして、そんな等身大の自分をそのままに受け入れ、
自分自身がまずそんな自分自身を「労わり、愛する」こと。

すべてはここからしか始まらなかったのです。
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10日、再び死刑執行される・・・・
- 2008/04/11(Fri) -
アムネスティ日本が、4月10日の死刑執行に対して以下の抗議声明を出しました。
鳩山法務大臣になってから、実に10名の方が死刑に処されています・・・・

日本が死刑という野蛮な制度をいまだに存置し、執行を加速させていることに対して、
私も抗議の声を上げたい。

以下転載・・・・

******************************
死刑の執行に抗議します。

本日、死刑確定者の中元勝義さん(大阪拘置所)、中村正春さん(大阪拘置所)、
坂本正人さん(東京拘置所)、秋永香さん(東京拘置所)に対して死刑が執行されました。
従来と同様に今回の執行についても、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、
突然の執行となりました。
今回の執行でも執行後に12月の執行以来3回目となる
死刑囚の氏名および罪状が公開されました。
しかしそれ以外の情報は一切公開されませんでした。
死刑確定のプロセスや、確定後の再審請求、恩赦請求の棄却時期などの
死刑囚の基本的人権の尊重において極めて重要な情報が開示されていません。

中元さんは無罪を主張しており、過去に再審請求もしていました。
中村さんは精神障害の疑いが指摘されていました。
坂本さんは一審判決が無期懲役で二審で逆転死刑判決を受け、
上告せずに確定しました。
秋永さんは一審判決が無期懲役で二審で逆転死刑判決を受けました。
秋永さんの弁護士は恩赦請求の準備中であり、
しかも請求直前であったという情報もあります。

今回の執行は前回の執行から約2月後に行われたものであり、
鳩山法務大臣の手続きの簡素化を示唆する
所謂ベルトコンベヤー発言に見られる法務省の執行ペースを速め、
大量処刑を目指す姿勢を体現するものです。

アムネスティ・インターナショナルは強く非難します。

国際社会では既に135カ国が法律上又は事実上の死刑廃止を達成しています。
昨年12月には国連加盟国に死刑廃止を念頭に置いた
死刑執行停止を求める決議が採択されるに至っています。
現在死刑廃止は世界的な潮流となっているなか、
日本は正にこの流れに逆行し、その勢いを強めています。

2008年は国連人権理事会のもとで「普遍的定期審査(UPR:UniversalPeriodic Review)」
という制度が新しく開始されます。
これは、すべての国連加盟国(192カ国)の人権関係の義務・公約の履行について
国連人権理事会が定期的に審査するという制度です
(4年間を一周期とし、192の国連加盟国すべてが審査対象となります)。
現時点で、日本はUPRの第二セッション(2008年5月5日~16日)で
審査されることが決定しています。
また、市民的・政治的権利に関する国際規約(自由権規約・ICCPR)に関する
第5回政府報告書が2008年10月に自由権規約委員会によって審査される見通しです。
これらの審査で日本が死刑を存置し、執行ペースを加速させていることは
極めて厳しい追及を受けることになると予想されます。

国連総会決議に従い、死刑制度を廃止する一歩を、
日本が近い将来に踏み出すことをアムネスティは期待しています。

2008年4月10日
社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
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心療歯科へ行く
- 2008/04/13(Sun) -
9日の水曜日、約1ヶ月ぶりに心療歯科へ行ってきました。

お薬がなくなったこともあって、朝に電話を入れて昼過ぎから向かいました。
そう殆どストレスを感じずに、すんなり行けた気がします。

予約ではなかったので2時間以上待たされましたが、
本を読んでいたのでどーってことなかったし。

今回は、歯磨きが強すぎて歯茎が減っているところを、
カバーする為のお薬を塗っていただいて、(ちょっと治療っぽい)
もう1ヵ月、お薬も減らさず飲んでみることになりました。

3月からの夫の仕事の変動の影響を受けてから、
体調がイマイチ優れない日々を送っていたこともお話し、
4月は、最低あと1回は治療に通うことをお約束しました。

「前もって、電話で予約を入れてくださったら、待たずにすみますから」とのこと。
再来週あたり、もう一度行ってみます。

随分不安や恐怖心からも解放されつつあります。
未来は明るい(笑)

金曜日は、1月13日以来、約3ヶ月ぶりに美容院へ行きました。
4センチ以上も髪をカットし、ゆるいパーマも当てました。

春ですもの~
頭がとても軽く感じられて、やっぱり春ですもの~(笑)
気持ちまで軽くなり、さっぱりしました。

土曜日は、少し風もあって寒く感じられましたが、
自転車旅行をかねて、遠くのスーパーまで買い物に行きました。

今日の日曜日は、友人に誘われて1月頃からチケットを取っていた、
劇団四季のミュージカル「ウエストサイド物語」を京都劇場まで見に行くので、
丸1日、またまた家事を家族にお願いします。

だからというわけではありませんが、私でなければ分からなさそうな
食料だけでも買出ししておこうかと思って・・・・

自転車の前後両方の籠が一杯になるほど買って、
ちょっとよろよろしながら帰ってきました(笑)

たまに普段は行かないスーパーに行くと、
変わったものが置いてあったりして、なかなか楽しいものです。

さて、今日は楽しみにしていた観劇の日。
終了後には、バックステージでの出演者の方々との交流のイベントつきなので、
どんなことになるのやら~

そしてその後は、友人と食事の約束もしています。
うう~ビールが飲みたいよ~

ではでは、楽しんでまいりますね。
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観劇終了。
- 2008/04/14(Mon) -
劇団四季の「ウエストサイド物語」、それなりに楽しんできました。
一糸乱れぬダンスっぷり、本当にプロの仕事だなあと感動しました。

物語自体は、誰でもが知っているような単純なラブストーリーですから、
やはり、歌と踊りがメインですよね。
そこが、超文系の私としては、あまりに深みに欠けていて
ちょっと退屈、少々不満(笑)
純粋にエンタテイメントとして楽しまなくちゃいけないんですよね。

劇場も大きくて、1階の席でしたがX列だったので後ろの方。
舞台から相当離れて見ているわけでして、
そこからじゃあ、役者の息使いも表情の変化も、所謂、生々しさが何も伝わってこないため、
なんだか、舞台の完成度が高ければ高いほど、映画を見ているよな気分がしてきました。

「ああ~私はライブ感のある、小さな小屋での芝居がやっぱり凄く好きなんだなあ~」
としみじみ再確認。

でもそれなりに楽しみましたよ

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京都劇場は、JR京都の駅ビルの中にあります。駅近でとても便利。

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お馴染みのシーンのポスターが貼ってありました。

舞台裏訪問では、さっきまで舞台に立っていた男女5人の俳優さんが出てこられて、
劇団四季の発声法や腹式呼吸の講習を受け、実際に一緒に練習もしました。
久しぶりに大声を出して、「凄い声がでますね~」と褒められちゃいましたよ

俳優の方々は舞台で見るのとは違って、素に戻るとその幼いこと幼いこと。
娘と変わらない年齢に見えるほど。
こんなに若い彼らが、アレほど完成度の高い舞台を作っているのかと思うと、
「恐るべき若者たちの可能性」そんな感を強くしましたねえ~

終了後の飲み会では、病欠している劇団の仲間も何人か来ていたので
「早く戻って来い、5月には戻って来い」の熱烈なラブコールをヤンヤと受けて、
もう朗読劇だけにして劇団はこのまま辞めちゃおうかと考えていた私も、
相当心を揺さぶられました。

シコタマ飲んで(生ビール2本、焼酎お湯割り4杯
雨の中10時前に帰宅。

実に良く遊んだ一日でした~

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それはそうと、もうすぐ母の日。
今年は郵便局の「母の日ギフト」から選ぼうかなと思って、
パンフレットもらってきました。
まだ決めていませんが、お茶漬けの好きな母には「喜昆布」セット、なんてどうかな?と。

「北海道 道南産昆布を中心に、松茸やちりめん等の山海の珍味の味覚を
 甘辛く炊き上げました。温かいご飯を一緒に、お茶漬けにどうぞ。」とのこと(笑)

でも毎年なにをあげても、結構喜ばない人なんで、気が重いです・・・・

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「あるがままを受け入れる」を考える③
- 2008/04/15(Tue) -
ありのままの自分は、決して素敵なだけの存在ではありません。

ありのままの自分を知り、認め受け入れることは、本当に苦しく辛いものです。

どうしても「なぜ自分は、こんなにも愚かで、馬鹿で、卑しいんだ」と
自分自身を責める命がとめどなく吹き出してくるからです。

でもそれがあって初めて、
自分と人、自分と社会、出来ないことと出来ること、
可能なことと不可能なことなどを、ひとりの人間としてしっかり見極めて、
自律して生きてゆくことができるようになるように思います。

そうすれば、自分の欠点も長所も、
客観的に見つめられるようになってくるのです。

そして、たとえどんなにささやかでも、
こうした自分の欠点を少しでも直すように努力したり、
自分の出来る範囲でしかなくても、
自分を人間として高めようと努めたりするようになって、
ありのままの自分をこそ大切にしながらも、
自分自身を尊重する謙虚な自尊心も徐々に育まれていくように感じます。

そして「瞬間・瞬間」に起ち現れてくるありのままの自分を、
いいとか悪いとかで切り捨てず、ただ温かく柔らかく受け止めてゆく・・・・

勿論、ほんのささやかなものでしかありませんが(笑)

自分を真に大切にできて、初めて、人のことも真に大切にできるようになる・・・・
当然のことでした。

これが私のささやかな人生経験から得た、真実の実感です。

本当の人間らしさは、こうしたところからしか生まれてこないのではないか。
心からそう感じています。

自分も人も、
弱さや悲しみや狡さや卑劣さをも引きずった、
ありのままのいじらしい精一杯の存在なんだという、
心からの認識と思いやりを持った人間になってゆけたら・・・・

今の私の漠然とした願いです。
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「あるがままを受け入れる」を考える④
- 2008/04/17(Thu) -
「あるがままを受け入れる」のは、本当に難しいものです。

「こうあらねばならないと思うのにどうしてもそうできない・・・・」
「こんな自分はダメだ・・・・」
「なんとかしてこんな自分を変えなければ・・・・」
そんなことばかり思ってしまいます。

今の自分を否定して、
「変えなければ」「こんなんじゃだめだ」
そんな思いばかりが強くなってくると、かえって自分らしさを見失ってゆきます。

そうなると、心が常に重く、暗くなり、前向きになれなくなって、
心にも身体にもに無理が出てきて、余計に混乱してゆきます・・・・(超覚えアリ)

「向上するためには、今の自分に満足していてはダメだ」
というのは、一見正しい意見なのかもしれません。
それがささやかな努力に繋がっていって、
新たな自分の可能性を開くことができるかもしれません。

矛盾するようなんですが、
階段を登るときは、しっかりと、今の一歩を踏みしめなければ
次の段には登れないのと同じで、
まずは、今の自分を肯定して認めなければ
次の自分にはなれないのだと感じています。

仏教には「小欲知足」という言葉があります。
「欲少なくして足ることを知る」という意味です。

「ああなりたい、こうでありたい」といった際限のない欲を極力少なくして
むしろ「今の自分にあるものを知る」ことから始める。

「足るを知る」とは、自分の成長を諦めることではなく、
むしろその逆で、
「自分を知り、その自分にできることを着実にこなして、
 小さな幸せを積み上げていくことによって人間は成長できる」という考え方です。

以前マザーテレサが
「大きなことをやろうとする人は多いが、小さなことをやろうとする人は少ない」
そんなことを言っていました。同じような意味かなあと思います。

「ありのままを受け入れる」というのは、
今の自分で諦めて、仕方なくそこに停滞することとは違うと思います。

むしろ、次に進むために「ありのままの自分を受け入れる」ことが必要なのです。

欠点は欠点として認め、長所は長所として認め、
ありのままの自分を受け入れるのです。

その積み重ねのなかで、きっと自然に「自分が変わる」のでしょう。

そして、変わったら変わったで、たとえそれが少々ヘンテコな自分でも(笑)
変わった自分もまた「ありのままに受け入れ」て行ければと思っています。


鈴蘭が芽を出し始めました

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あっという間に成長し続けています。

毎朝、毎朝、見るのがとても楽しみです

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風邪引いたかな?
- 2008/04/19(Sat) -
娘が、先週の土曜日から風邪を引いていたのですが、
大学もバイトも休むこともなく、お医者さんのお薬を飲むことで何とか凌いで
無事一週間が過ぎました。
まだ咳は出るようですが、今日はバンドのライブの日で、
おそらく相当エキサイトして、爆声で歌っていることでしょう

そろそろ来るかな~なんて、予測しちゃあいけないんですが、
その予測どおり、昨夜から私の元へ風邪がやってまいりました(笑)

体調不良、微熱、お腹壊れています

午前中はたいしたことがなかったので、ついお医者さんにも行きそびれ、
この土日は、ひたすら大人しくしているしかなさそうです・・・・

まだ元気だった朝に、家の周りで咲いている花々を携帯でパチリ



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もうすぐスイトピーや、レンゲの花も写せるかもしれません。
楽しみです・・・・・ってお腹壊れてます

大人しく横になっていることにしましょう
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本日は雨
- 2008/04/24(Thu) -
結構、体調も戻ってきました。
今は軽い咳が続いているといったところです。

たいした熱もでませんでしたが、不思議ですね・・・・
なにをする元気も出ないままに、
ブログも随分ほったらかしにしてしまいました

今日は朝から雨ですが、
これ以上は先延ばしできない用事を済ませるために外出します。

あちらこちらと雨の中、歩き回ることになると思うので、
風邪がぶり返さないように気をつけなくちゃ~

風邪の間中、「諦念」という言葉をずっと考えていました。

グループワークを受けたときに、講師の人がいっていた言葉
「生きるということは寂しいものです。
 その寂しさを紛らわせるために、人はいろんなことをやる。
 しかし、最後に辿り着くのは諦め。
 『あきらめる』とは違う。『諦念』です」と。

諦念とは
物事の道理を悟り、迷いを去る(あきらめの境地に達する)こと。

ボーッとした頭の中を、
なぜかそんな言葉がずっとぐるぐる回り続けておりました(笑)

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春の花々と、朗報・朗読劇のこと
- 2008/04/27(Sun) -
24日に、市役所や郵便局や銀行まで、バスに乗って用事を済ませに行ったとき、
我が家の並びの家の玄関先に咲いていた花たち
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黄金に輝く見事なフリージャー。

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アザミの花も金網の向こうにもこちらにもと、所狭しと咲いていました。

昨日は朗読劇の打ち合わせのため朝から外出。
我が家の玄関先の花たちの、成長し続ける姿も素晴らしいものがあります。
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イチゴの花です。大きくこんもりと土を盛り上げて作ったひと畝には、
イチゴがたくさん植えてあって(娘の希望)毎年真っ赤な可愛い実をたわわに実らせてくれます。

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そして、ついこの間まで、芽を伸ばし始めたばかりだった小さな鈴蘭が、
昨日気づいて見ると、葉陰にそっと隠れるようにして
真っ白なそれはそれは小さな可愛い鈴のような花々を見事につけていました。

なんだかさいさきがいいな~と、花たちに後押しされるような、
そんなウキウキ気分で出かけた昨日の朗読劇の打ち合わせは、
とても和やかな雰囲気のなか、順調に話し合いも進み、
次回作の脚本もほぼ決定。

出演者の確約が取れたのは、結局は9名にまで減りましたが、
この人数でも、一人何役かを買って出てくれれば、
十分に素晴らしい舞台に仕上げることが出来ると思います。

内容は「親子の絆」を問うもの。
芝居と朗読とディスカッションのオムニパス3部形式。
笑いあり、涙あり、リアルの深刻な議論ありと・・・・楽しみです。

きっと素晴らしい舞台に仕上げていこうねとイッチ団結。
さっそく1週間後の5月2日には、親睦も兼ねて、
リアルディスカッション部分の本音の語り合いのために
飲み会をすることになりました

よっしゃ~また飲むぞ~(笑)

で、楽しい気分のまま、またテンプレート模様替えをいたしました。
首を切られちゃったチューリップたちの分も、きれいに咲き誇っていてくれれば・・・・
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諦念とアイデンティティの確立を考える
- 2008/04/29(Tue) -
精神分析的自我心理学の基本概念であるアイデンティティは、
生涯にわたる自我の発達を理解するための鍵概念として、
エリクソン-Erikson,E.H.によって理論化されました。

エリクソンによればアイデンティティ形成そのものは、
生涯続く発達過程であるけれども、その確立は、
あくまで子ども時代の最終段階である青年期に成し遂げられるべき
心理的課題であるといいます。

というのも、人は青年期になってはじめて、
身体的成長、精神的成熟、社会的責任感などの点において、
アイデンティティの危機を経験し、
それを克服する準備が出来上がるからです。

いわゆる『自分探しの時期」といえます。

自分はどんな人間なのか、どんな性格で、何をやりたいのか、
どんな職業につきたいのか、そして・・・・自分は一体誰なのか。

自分が誰なのかを知ることを、自我同一性(アイデンティティ)を確立する、といいます。

自分は、他の誰でもない、紛れもなくユニークな自分自身であり、
現在の自分が何者であるのか、将来なんでありたいのかを自覚すること、
つまり、自分を発見することがアイデンティティの確立です。

自分を発見するといっても、
「自分はダメな人間だ」 「自分は役立たずだ」などと感じてしまうとしたら
それはアイデンティティの確立とは言えません。

アイデンティティは、社会との関わりの中で身につける自分の役割、
自分自身の価値についての確信のことだからです。

人間は誰でも長所と短所がありますが、
たとえどんな欠点を持っていたとしても、それでも自分自身に対して、
ほどほどの達成感や価値のある存在だという肯定感をもって、
全体として安定しているということが、
アイデンティティの確立ということができるのでしょう。

・・・・・・・・・・以下続く。
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