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諦念とアイデンティティの確立を考える②
- 2008/05/02(Fri) -
アイデンティティの確立を先延ばしすることを、
エリクソンは青年期の特質を示すために、心理社会的モラトリアムと呼びました。

産業化や情報化の進んだ社会では、身体的な成長を遂げても、
それだけでは豊かな社会生活を営むことはできません。

心理的にも社会的にも成長し、いろいろな能力を発達させることによって、
はじめて一人前の社会人としての役割を果たし、
社会生活を送ることができるようになると考えたのです。

そのために、こうした能力がまだ十分に発達していない青年に対しては、
社会的な責任や義務が、ある程度猶予される(モラトリアム)としました。

モラトリアムの間に、青年は現実の社会に対して一定の距離を保ち、
生計のために働いたり、世間的な雑事に煩わされたりすることなく、
自由な精神で修業や役割実験に取り組むことができ、
職業生活のために必要な知識や技術を獲得するだけではなく、
社会人として必要な種々の能力や意識、自覚を身に付けて、
そして、モラトリアムを終了すると考えたのです。

こうしたエリクソンの理論の中核である
「アイデンティティ」や「モラトリアム」と言った概念は、
エリクソン自身の生い立ちと密接に結びついて生まれました。

彼は幼い頃、デンマーク系の母の再婚に伴い、
ドイツ人小児科医の養子となりました。

そのため、ユダヤ人学校では北欧系の容貌から異教徒として扱われ、
地域ではユダヤ人をして扱われ、
家庭では養子として家族に所属しきれない、など
周辺人としての境遇を生きたのです。

これが後に「アイデンティティ」という概念を生み出す基盤となりました。

また、学校教育は18歳までしか受けておらず、
28歳までを、放浪の旅をして過ごしたのです。

この体験が「モラトリアム」という概念の背景にあるとされています。

すなわち、エリクソン自身の人生が、
自らのアイデンティティを模索し続けた人生そのものだったのです。
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自分らしく生きること
- 2008/05/03(Sat) -
自己評価が高く、たっぷりとした自尊心を持っている人というのは、
比較の少ない人。

比較が少ないと「あの人はあの人、私は私」と安定して心からそう思える。

どの人が何をやっていようが、自分のやっていることはみないいわけだから。

反対に、自分のやっていることに自信満々のようでいても、
いつも人と比較している人は、生きることが苦しくなる。

この数値社会、ブランド社会の中で、
他人の評価をどこ吹く風と生きられるようになったら、本当に楽しいだろう。

「私の時給は低いけれども、そのことと、私の真の価値は関係ない」と
淡々としている。

子どもが欲しいと思って産んだのだから、
子どもなしで楽しく生きている人を見ても羨ましがらない。

「私はこうして子どもと楽しい時間を過ごせてよかった」と
のんびり生きればいい。

誰のためでもない、誰のせいにもしない、
自分自身をハッピーな状態にすることが、第一にするべき仕事。

他人のために生きてきた人生を振り返り、必要であれば怒りを吐き出し、
一瞬一瞬、自分を大切にして生きる時、
自分の中に湧きあがる感情や欲求は大切にされ、
固定した「○○らしさ」から自由になれる。

自分の外側に「親」はもういない。
自分自身で、心の中の子どもの声に耳を傾け、
それを見守る心の中の親の声を聴く。

自分を認め、許し、愛していくのは自分自身なのだから。

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諦念とアイデンティティの確立を考える③
- 2008/05/04(Sun) -
社会が成熟し、豊かになったからこそ、学生生活や青年期が長くなり、
人生の重大な決定をする前に、
いろいろ考えたり、試したりすることができるようになりました。

その結果、より良いアイデンティティの確立ができれば、
それはとても良いことだと言えるでしょう。

こうしたモラトリアムの状態にある青年の心理を、
小此木啓吾氏は「古典的モラトリアム心理と名づけました。

その特徴は、
①半人前意識と自律への渇望
②真剣かつ深刻な自己探求
③局外者意識と歴史的・時間的展望
④禁欲主義とフラストレーション
とされています。

けれども、現代社会では、
世代が新しくなるにつれて、若者文化の出現や、
身体的発達が促進されていく発達加速現象により
青年期の始まりが早期化、低年齢化の傾向を示すようになり、
また一方では、高学歴化や女性の社会進出の増加などによる晩婚化も進み、
青年期の終わりが遅延化し、青年期が長期化するという
青年期延期の動向が起きるようになりました。

そして、「古典的モラトリアム心理」に対して、
①半人前意識から全能感へ
②禁欲から解放へ
③修業感から遊び感覚へ
④同一化(継承者)から隔たり(局外者)へ
⑤自己直視から自我分裂へ
⑥自立への渇望から無意欲・しらけへ
といった変化をもたらすようになり、
その結果、こうした新しいモラトリアム心理をもつ
モラトリアム人間を生み出した、と指摘されています。
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この頃
- 2008/05/05(Mon) -
5月2日
朗読劇の仲間と市内にて飲み会。

17時から21時までという長時間の飲み会に、楽しかったけれども、
アルコールが入るとすぐに眠くなる私は、相当四苦八苦。

店内には映像と共にハードロックが強烈に流れていたのが救い。
70年代80年代のハードロックに、久しぶりに酔いしれました。

みんな、まるで自助グループのように、赤裸々に自己開示することに驚異を感じる。
私の番が回ってくる前にお開きになって、ちょっとホッ。
だって・・・・とても私には、まだ無理だから・・・・。

5月3日
今年の夏の収穫を楽しみに、胡瓜、トマト、ナスの苗を植える。

トマト


ナス
nasu.jpg

胡瓜
kyuri.jpg

これからどんどん暑くなっていくので、欠かせない朝晩の水遣りという日課が増えるけれども、
収穫の喜びにはかえられません。
毎日「大きくなあれ~大きくなあれ~」と、成長を見守りながら、水遣りに励むことにします。

5月4日
1階のベランダに立てかけてある竹のよしずを交換する。
yosizu.jpg

風の強い高台にある我が家のよしずは、毎年1回は交換しなければ
ボロボロに壊れていく。
今の季節から、名前も知らない植物だが青々としたつる草が、
よしず全体に絡まって成長する。それも毎年の楽しみの一つ。

娘は4日から塾の講師だけでなく、土日祝も頑張るのだそうで、
この連休から、スーパーの裏方のバイトも初める。
朝6時には飛び起きて出て行く。
まあ、若いのだから身体も持つことでしょう。
頑張れるだけ頑張ってみれば・・・・そう思って見ています。

今日はアムネスティの世界各国政府へ送る人権侵害に抗議するハガキを書く予定。
毎月数分の大切な習慣。
そのための70円切手も我が家にはたくさん買い置きしてある。

静かな連休の日々です。
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諦念とアイデンティティの確立を考える④
- 2008/05/06(Tue) -
エリクソンは、モラトリアム自体を決して悪い意味では使っていません。

しかし、現代のモラトリアムは、質が変わってきているといえます。

かつてモラトリアムの状況に置かれていた人間は、
強い半人前意識を持っていて、早く一人前になりたい、
社会に出たい、と一生懸命努力しました。

また、修業の期間を認めてくれた社会や、
学校に入学することを認めてくれた親に対して、
申し訳ないという思いや、感謝の気持ちを持っていました。

しかし、現代のモラトリアム人間は違います。

自分の現在の生活を当然だと思うのです。

親から仕送りをもらって学校へ行っていても、
それは親の当然の義務だと思いがちなのです。

仕事に関しては、半人前意識が少なく、
自分の身近で、平凡に働いているサラリーマンや主婦の生活を見て、
意味の無いくだらない生き方のように感じ、
自分の現在の生き方のほうが、ずっと素晴らしいように感じたりします。

それゆえ、早く一人前になって社会に出ようとは思わず、
出来る限り長く親の世話になたい、
そしてなおかつ、出来るものならずっと学生でいたい、とさえ考える若者もいます。

貴重なモラトリアムという時期を、生かすことができていないといえます。

アイデンティティを確立するということは、
ある意味、いろいろな可能性を切り捨てることです。

時には、他のすべての可能性を切り捨てなければならないため、
それは大変に辛く、厳しい作業になります。

そのために、アイデンティティを先延ばしするモラトリアムがあるのです。
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諦念とアイデンティティの確立を考える⑤
- 2008/05/07(Wed) -
子どもは、なんにでもなれると思っています。

娘も保育園に行っている頃は、
大きくなったらケーキ屋さんになりたい、
正義の味方の5レンジャーになりたい、
サンタクロースになりたい、
シンデレラになりたい、
などと、いろんなことを言っていました。

子どもなら誰でもそんなことを言う時期があり、
ごく普通のことですし、良いこととも言えます。

中学や高校生になっても、
アイドルになりたい、歌手になりたい、
漫画家になりたい、プロ野球の選手になりたい、
大学教授になりたい、弁護士になりたい、医師になりたい、
など、いろいろな夢を持ち自分の大きな可能性を信じることは
これも良いことといえるでしょう。

でも、保育園に行っていた頃のように、
自分は何にでもなれると、単純に信じることは出来ません。

なりたい職業全部に付くことは出来ないし、
どれかを諦め、どれかを切り捨て、自分の能力を見極め、
自分の道を選ばなければならなくなります。

すべての人が松井選手やイチローや宇多田やあゆのようにはなれないし、
自分の学力の限界もいつかやってくるでしょう。

自己の能力を見極めて、可能性を切り捨てて、自分らしく生きるために
大きな決断をしなければならないのです。

これはとても辛く厳しい作業です。

それゆえ、昔ならとっくに社会の一員としての
責任を負わなければならない年齢になっても、
もう少し準備期間を長くしようというのが、
本来のモラトリアムという考えだったのです。
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なんでもない日
- 2008/05/08(Thu) -
連休明け、一人の時間が増えて、静かな生活。
どことなく、頭がボーッとしているような・・・・

朗読劇の脚本作りのために、自分史を短く原稿に書くことになる。
って、すごく難しくない?
なんだか話すことを強要されているような圧迫感を感じて、嫌だ・・・・
多分、サラッと流しておくことになるだろう。
人は話すべき義務もなければ、誰からもそれを強要される必要もないと私は思っている。

イチゴが実を付けはじめました
なんて可愛くて初々しくて美しいんでしょう・・・・
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どこからともなくやって来て、ある日そっと咲いていた、名前も知らない花。
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我が家の野良猫仲間が一匹増えました
名前はチビです。
昔飼っていたミミという猫にそっくりです。
最近赤ちゃんを産みました。
嵐の翌朝、お腹がぺッタンコになってやってきました。
chibi.jpg


いまだ赤ちゃん猫の姿は一度も見られませんが、子育てに大忙しなのでしょう。
すごーい食欲です。
chibi2.jpg


なんだか気分が優れないので、
今から(昼間の2時半)お風呂に入ることにします。

なんて贅沢で我儘な毎日だこと
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諦念とアイデンティティの確立を考える⑥
- 2008/05/09(Fri) -
アイデンティティは青年期の危機を示す用語であり、
歴史的・民族的・社会的な一個人の存在全体を示す概念でもあります。

また、青年期だけではなく、
その人の人生全般に関わる課題と捉えられています。

エリクソンの理論では、次の8段階からなっています。

①乳児期  :「信頼」対「不信」
②幼児前期 :「自律性」対「恥・疑惑」
③幼児後期 :「自発性」対「罪悪感」
④学童期  :「勤勉性」対「劣等感」
⑤青年期  :「アイデンティティ」対「アイデンティティ拡散」
⑥成人前期 :「親密性」対「孤立」
⑦成人後期 :「世代性」対「停滞」
⑧老年期  :「統合性」対「絶望」

こうした8段階の危機を上手く乗り越えること、すなわち、
「対」で結ばれた前者が後者を相対的に上回る形で獲得されることが
健全な人格形成につながるとされています。

青年期の心理社会的危機である「アイデンティティ拡散」は、
自己探求を続ける青年が、多くは一過性的に経験する、
自己喪失の状態をさします。

その症状としてあげられているのは、
①時間拡散: 時間的展望、希望の喪失
②同一性意識: 自意識過剰
③否定的アイデンティティの選択: 社会的に望ましくない役割に同一化する
④労働マヒ: 課題への集中困難や自己破壊的没入
⑤両性的拡散: 性アイデンティティの混乱
⑥権威の拡散: 適切な指導的役割や従属的役割がとれない
⑦理想の拡散: 人生の拠りどころとなる理想像、価値観の混乱

こうした症状は、重篤になると境界例にも該当する臨床症状として指摘されています。

しかし、青年期のモラトリアム(自己探求)のなかで、
程度の差はあっても、多くの青年が経験する心理状態と考えられています。
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雨の朝に。
- 2008/05/10(Sat) -
寂しい雨が降っています。
ポタポタと、涙がこぼれる音に聞えます。
こんな日は、朝から耐え難い寂しさに襲われる。

人は、当然、死ぬんだな・・・・って。
どうすることも出来ない災害や事故や病気や事件で・・・・
私も、家族も、友人たちも、
どんなにそんなことは嫌だ、耐えられない、なぜ私だけが、
と嘆いても、否定しても、拒否しようとしても、それは出来えないこと。

明日かもしれないし今日かもしれない、次の瞬間に訪れるのかもしれない。

だから人が生きている時間というのは、
本当はこの一瞬一瞬しか、与えられてはいない。

朝、家族を見送って、それが最後の別れになるのかもしれない。
余命3ヶ月です、と言われたら、
もう楽しい人生設計も何もかも一瞬にして消える。

今ココを生きている瞬間の自分と人、それだけが生きるということ、そう感じる。

身体の奥深くから、シンシンと凍りつく痛みを覚えながら、そう思う。
張り裂けそうな胸の奥から、あらゆる命への尽きない愛おしさを感じながら、そう思う。

今朝、雨の中、傘を差しながら見つけた、今年第一号の真っ赤なイチゴの実。
とても食せないほどに小さく歪な形が、かえって堪らず愛おしい。
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「今を生きる賢者の詩」
- 2008/05/11(Sun) -
現在の私の心境にぴったりの詩です。

こうありたいと心底そう思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          今を生きる賢者の詩

                   マッジマ・ニカーヤ典  ブッダ


過去を追うな
未来をいたずらに思うな
過去はすでに捨てられ
未来もまだ来ない
故に、今現在を、今現在においてよく見極め
揺るがず、動じず
今現在を明確に知り、実践せよ
ただ、今日なすべきことを、
心を尽くしてなせ

誰が、明日の死を知ることができよう
かの死の軍隊と出会うのは必定
そのように見極めた者は
心をこめて、昼も夜も
怠りなく実践する
そのような人を「今を生きる賢者」と呼ぼう
そして「心静まる者」とも言おう

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諦念とアイデンティティの確立を考える⑦
- 2008/05/12(Mon) -
エリクソンの自己同一性の定義では、
この自分はまぎれもなく独自で固有な自分であって、
いかなる状況においても同じその人であると他者からも認められ、
自分でも認めること。

以前の自分も今の自分も一貫して同じ自分であると自覚すること。

自分はなんらかの社会集団にに所属し、そこに一体感を持つとともに、
他の成員からも是認されていること。

こうした3つの規準によって定義されている主体的実存的感覚、
自己意識の総体をさしています。

アイデンティティの感覚を日常的な言葉に置き換えてみると、
「自分は自分である」「これこそがほかならぬ自分である」と自覚できていること。

「この自分でよい」と言う自己肯定感と、
「これからもこの自分でやっていける」という自信ができあがること。

「この自分はまわりから受け入れられている」
「この自分は社会にとって意味ある人間である」という
自己の存在感や有能感をもてること。

「この自分が好きである」と受容でき、
「自分らしさがある」という実感があり、
健康な自己愛の感覚があること。

こうしたことが、アイデンティティの感覚なのです。

「本当の自分がわからない」という不確実感で代表されるのが、
同一性拡散identity diffusion といわれる状態です。

しかし、アイデンティティは、
ゆるぎなくしっかりと完璧に出来上がったという意識を持っていることが
健全さの指標ではなく、むしろ相対的水準で、
自分なりに「ほどよい」という感覚
こうしたことを体験できていることが重要になります。
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母の日、草花、樹の話
- 2008/05/12(Mon) -
昨日は母の日で、これまでなかったくらいに家族がみんなで祝ってくれました。
なんだか照れてしまって、とても気恥ずかしかったんですが・・・・


昨日家族からいただいたプレゼント。
カーネーションの花束、アメリカのコップ、メリーゴーランドのオルゴール。
夜ご飯はお寿司を取ってくれました。
ホントに、こんなこと今までなかったので・・・・
恥かしかったけれども、やっぱり・・・・嬉しかったです

トマトが小さな小さな青い実をつけました。
よーく見ないと葉の陰に紛れて分からない位、小さな小さな青い実でした。
tomato2.jpg


イチゴたちもどんどん実をつけています。
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なんの木か分からないのですが、引っ越してきてすぐの5年前、
外壁を這うようにして伸びてきた小さな木を、根が深くてとても苦労しましたが、
なんとか掘り起こし、玄関先に植えなおしたところ、みるみる成長しました。
あまり背丈ばかり伸びすぎないように毎年こまめに剪定しながらも、
今年もすでに2階の窓に届くまでに大きくなりました。
4月5月の2ヶ月間であっというまです。青々とした若葉が玄関をすっぽり覆っています。
家の中から見ると、外界が全く見えないので、まるで森の中に住んでいる気分です(笑)
私の大のお気に入りの木です。今度こそ名前を調べてみようかな
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諦念とアイデンティティの確立を考える⑧
- 2008/05/13(Tue) -
アイデンティティの危機の最大の契機となるのは、
思春期における第二次性徴による身体的な変化と性衝動への気づきが、
自分の身体イメージを不安定にし、内的な連続性や普遍性おも脅かし、
自己意識の混乱や動揺を引き起こすことにあります。

それが、「今の自分は以前の自分と違う」「自分で自分が分からない」
といった危機の体験をもたらすのです。

この危機の中で、青年は自分自身を見つめ、
「自分とは何か」「本当の自分らしさとは何か」
「自分はどう生きていけばよいのか」と問いかけながら、
自分なりの答えを見つけようと模索し、悪戦苦闘します。

つまり、真の自分を見出し、自分の生き方を見つけるという、
心理社会的な課題にまつわる様々な葛藤を経験しながら、
アイデンティティの確立を目指すのです。

アイデンティティの形成からいえば、成人期から老人期は、
青年期に出来上がったアイデンティティの問い直しと再体制化の時期であり、
その都度経験する危機に対処しながら、
アイデンティティを確認していかなければならないのです。

さらに、3歳頃までの乳幼児期に形成される
アイデンティティの核ともいうべきものに
「コア・アイデンティティ(核心的同一性)core identity」という概念があります。

これは、生物的に誕生した時まったく未分化であった精神内界が、
自律的自我の発達とともに分化し、複雑化する中で、
情緒的な素質(基本的には「良い」と(悪い」)と結びついた
自己および対象のバラバラなイメージが統合され、
まとまりのある安定した自己と対象の概念として内在化されて、
精神内界が構造化する過程を経て形成されたものであり、
青年期に確立されるアイデンティティは、
これを核にして結晶化したものといえます。

ゆえに、コア・アイデンティティが脆弱であれば、
同一性拡散に陥らざるを得ず、
特に境界例的な病理を引き起こしやすくなります。

エリクソンは、乳幼児期の発達課題である、
「基本的信頼」と「自律性」を獲得することによって、
自分が「一個の人間である」としっかり確信できた子どもにとって、
「どのような人間になろう」としているのかを知ることが課題になるとしています。
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懲りずにパートを始めた。
- 2008/05/16(Fri) -
家から自転車で7分ぐらいのお店に、14日からパートに出ています。
先週、ふっと思いついて面接に行って、さっそく始まりました。
週2日、4~5時間のお気軽パートです。
今週は研修のようなものもあって、3日目の今日も行きます。

ホンのちょっとのパートでも、久しぶりだからか、
家事との段取りを上手くつけられず、毎日あたふたしていて、
ブログもついお留守になってしまいました。

こんな時、不器用な人間だなあ~とつくづく思い知らされます

パートから帰ってきて、ちょっと休憩したら、
干してある洗濯物を取り込んで、野良ちゃんたちに晩ご飯を上げて、
夕食の準備に追われ、入浴も慌しく、食事が終わると、もうバタンキュウ~。

週5日、8時間労働しながら家事もこなしている人って、
私には超・超人としか思えません・・・・

明日からしばらくお休みなので、記事をアップできるかなあ~

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諦念とアイデンティティの確立を考える⑨
- 2008/05/19(Mon) -
マーシア Marcia,J.E. はエリクソンのアイデンティティの概念を、
具体的・操作的な基準で的確に捉えようとして、
アイデンティティ・ステイタス(同一性地位)という考え方を提唱しました。

これは、
アイデンティティの危機を体験しているかどうか(危機体験の有無)
社会的事象に対してどの程度積極的に関与しているか(傾倒の程度)
という二つの規準に基づいて決定される心理社会的な地位のことを指します。

マーシアは、自己の諸属性の統合度と危機に対する対処様式から

①アイデンティティ達成地位 
 危機を体験し、その葛藤の中で自分の可能性を模索した結果、
 自分なりの解答を見出して、
 一つの生き方に対して主体的な選択と傾倒を行い、
 それに基づいて行動している状態

②モラトリアム地位
 現在、危機を体験している最中であり、迷いながらも、
 自分が傾倒すべき対象を見つけ出そうと努力している段階

③早期完了地位
 自分の生き方についてとまどうことなく、
 両親や権威の期待と目標をそのまま受け入れ、専心している状態

④アイデンティティ拡散地位
 危機を体験したかどうかに関わりなく、傾倒すべき対象を全く持たず、
 自分の生き方がわからない状態

この4つに類型化しました。
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美しい季節
- 2008/05/19(Mon) -
今年はイチゴが豊作で、毎朝小さなボールいっぱいの実りをいただきます
そのお味は、天下の「あまおう」に勝るとも劣らない(笑)とってもあま~い最高の出来
大粒のイチゴも結構たくさん取れます。年々大きくなっています
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ナスも花を咲かせました。ホントに紫色が美しいです
夕方の撮影で閉じていますけれど。
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昨日の日曜日は、家族4人揃って自然公園をのんびり散策。
3時間近く、ぶらぶら歩いて、小旅行気分を十二分に味わいました。

キラキラ、キラキラ、新緑が光に輝いて。
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桜の花のさくらんぼうがいっぱいなっていました。
一粒食べてみると、甘酸っぱくて、でも美味しい~
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何処も彼処も、花花花・・・・
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こんな可愛い鳥との思いがけない出会いもありました。
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勿論、我が家の花々も今を盛りと咲き誇っています。
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さてさて、トマトにナスにキュウリの実りが、今からとっても待ち遠しい~

明日のバイトも頑張ろうっと
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諦念とアイデンティティの確立を考える⑩
- 2008/05/23(Fri) -
ウイットボーン Whitbourne,S.K.は、
アイデンティティ・ステイタスの形成過程を次のようにまとめました。

心理社会的な危機の事態は、いつも潜在的に存在しているけれども、
それを個人が危機と認知するかどうかで、
異なった道筋を進むことになります。

危機とみなす場合、モラトリアム段階におかれることになります。
そして、解決策を模索して、積極的な取り組みが始まります。
そこで、社会に受け入れられるような、
自分なりに傾倒できるものを見出せれば、達成地位に到達できます。

けれども、危機的状況に身を置くことを避け、
心理的安定を求めて安易な解決を望む場合は早期完了型となり、
まだ危機の中で悪戦苦闘していれば、
モラトリアム地位のままといえます。

対処の努力を放棄し、
関わりあわないという成り行き任せの状況を作り出せば、
危機後型拡散地位を選択したことになります。

対照的に、潜在的な危機を危機とみなさない場合もあります。

そこに否認の機制が働いていると、それは早期完了地位となります。
これは、動揺を引き起こす事態は受け入れられないので無視し、
これまで疑うことのなかった周りから与えられてきた価値観や生き方に、
しがみつこうとするものなのです。
けれども、すでに危機を解決して安定した達成地位にいますので、
危機を問題にしなくてもいいということも考えられます。

危機に対して無関心を装い対処することを回避していれば、
危機前型拡散地位ということになります。

いろんな領域における個々の事態について、
このような形成過程を繰り返しながら、
アイデンティティ・ステイタスは形成されていくのです。

こうした考え方は、青年期以降の成人期や老人期における、
アイデンティティ形成を理解する枠組みとしても有効です。

勿論、いろんな領域で、
最終的には達成地位へ到達するのが望ましいのですが、
そのほかの地位が、
必ずしもアイデンティティ達成過程の通過段階というのではなく、
その時期の一つの結論として、個人が身につけた構えでもあるのです。

すべての領域において達成地位に至らなくても、
ほどほどの達成感と肯定感をもって、
全体として安定していることが大切なのであり、
達成地位の獲得を絶対視しすぎないことが必要です。




(この項、此処で一旦休止します)
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退屈で寂しい日に
- 2008/05/24(Sat) -
先日は、萎んでいたナスの花の写真をアップしましたが、
今日はパッと開いた花の姿も撮ってみましたので、アップします。
やはり、何度見ても、綺麗・・・・



今日は1日中雨が降るそうなので、映画にでも行こうかと思っています。
自転車で10分ぐらいのところにあります。
特に見たい映画があるというわけではないのですが、
まっ、なんでもイイかって感じで(笑)、着いてから考えようかと。

何もすることのない空白の時間がふっと訪れた時、
長い間、いえ、生まれてこの方、こうした時間を持ったことがなかったんだなあと、
しみじみと、これまでの人生の強迫的価値観に追われ続けていた苦しさを思い出します。

宗教の強い縛り、一時として気の休まらない自虐的なまでの修業の日々・・・・
自分自身の空虚さを恐れ、より価値的なものへと憧れ、執着して、
生きることの意味を、あまりにも強烈に求め続けたばかりに、
現実の日常の凡庸さと繰り返しに、耐え切れない苛立ちを覚えていたあの頃・・・・

だから今は、何もすることのない退屈さとどことない寂しさ・・・・
それさえも貴重な体験に思えるのです。

生きて、死んでゆくだけの一生でもいい。
もう、あんな非人間的な苦しく辛い日々は二度と御免だ、心からそう思います。


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家族って・・・・
- 2008/05/27(Tue) -
ふう~・・・・また悩みが一つ増えました・・・・

同居している義理の次男が、糖尿病と診断されたのです。

やっぱりなあ~そらそうなるわな~、アレだけ暴飲暴食していたら・・・・
それが実感です。

ブログでも、この次男のことは殆ど触れたことがありませんでした。

書こうとすれば、
一見、散々な悪口じみた記述になることが目に見えていましたし、
それでも、
ホントはそんなにヒドイ子じゃない、
気の小さい、まるで女の子のような心を持つ、
僅か5歳ぐらいの子どものまま、成長が止まってしまった人なんだ、と
そうも感じる複雑な私の思いは、なかなか文字にすることが出来なかったのです。

・・・・誰の言うことにも決して聞く耳をもたない。
   家では殆ど、話すどころか返事すらまともにしない。
   常に押し黙ったまま、強い攻撃性を全身から発散させながら、
   家にいる時は、常時点けたままのテレビの前にドーンと大きな岩のように
   ビクとも動かず横たわっている。
   そして、凄まじい食欲で自分の好きなものばかり、動物のように貪り食う・・・・

ふう~、かつての彼の姿を思い出すと、今でも体調が悪くなります
受動攻撃性そのものの性格だと思って接するように努力してきました。
現在は、少しは素直になってきて、少ーしは(笑)人間らしい会話もできるようになりましたが。

ここ何日か、図書館で借りてきた糖尿病理解や食事療法の本を読んだり、
ネットで検査数値の現在の状態を調べたり、
糖尿病専門外来のある病院を探したり、
食事やお弁当を作るのにも、初めての経験なので戸惑うばかりで、
だんだん気持ちが沈んでいったり・・・・

家事や家族の世話から、少しづつでも解放されて、
自分のために生きてゆきたいと、心から願っていたのだけれど、
しばらくはやむなく翻弄されることになるのでしょうね

夫のアルコール依存の問題も、中途半端なまま。
5月に、仕事がしんどいと言って再び転職をした夫。
雨が降ると仕事が休みになるため、月に休日以外の休みが3日も4日も続くこと。
そんなこんなで、前もって予約を入れて、仕事を休んで昼間に病院へ行くという
一番初歩の段階で躓いたままになっているのです。

家族の会は、一度行って、あまりにも気持ちが落ち込み、
私としては二度と行きたくはないのです。
どうしたものやら・・・・

あれやこれやの悩みや障碍も、生きていりゃこそ起きること。
死んで花実が咲くものか・・・・(笑)です。

じっくり落ち着いて、慌てず焦らず丁寧に、取り組んで行こうと思うこの頃です。

そうそう、FC2ランキングがリニューアルされるとかで、再登録が必要とか。
この際ですのでランキング外すことに致します。
アクセス解析もランキングも、殆ど見たこともないのに、全くもって無意味ですものねえ~



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偽りの愛
- 2008/05/29(Thu) -
すごい雨が降っている朝です
私の部屋は2階なので、屋根に当たる雨音も、ひと際響いて聞えてきます。
でもこの音が、なぜかとても好きなんですよね・・・・・
大地が十二分に潤って、
ひと雨ごとの植物たちの成長には、本当に目を見張るものがあります。

キュウリの花です。小さな黄色の花。
kyuruhana.jpg

ただ・・・・
災害が起きないことだけは、心から祈りたいです

こんな日は、多分また夫は仕事が休みでしょうね。
「土方殺すに刃物はいらぬ、雨の3日も降ればよい」と昔から言いますが、
実際、実に経済的に不安定な我が家ですが、
お馬鹿な私は特別休暇はそれなりに楽しみです。

今日はDVDを何本か借りに「ツタヤ」にでも連れて行ってもらいましょう。
見たい映画は小さなノートにたくさんリストアップされていて、
いくら借りても追いつきそうにありませんから(笑)

今朝、ふと愛情について考えました。
義理の息子のことや、実の娘のことや、
そのほかの、地球上のいろんな顔も知らない多くの人たちのことや。

愛情というものは、相手の立場に立って相手のためになることをする、
というものなのでしょうけれども、そういう点から考えたら、
子どもをネタにして見栄を張っているような親や、
相手を自己満足の手段にしている人は、
そんなものは愛なんてとても言えた代物ではないのでしょう。

けれども、自分の愛情の在り方を、つぶさに観察してみると、
実は自己愛の延長でしかないことにイヤでも気づかされます。

でも、自己愛の延長だからといって、すべてが偽りとは限りません。

本来他者に対する愛情というものは、
その他者をなんらかの点で自己と同一視し、
自己愛の一部をその他者に向けることではないかと思っています。

そうなるとすべての愛情は偽りだということになってしまいます。

では愛情の真偽を分ける分岐点とは一体なにか?

私はその愛情が現実にその他者のためになっていること。
もしその愛情がその他者を苦しめるようなことになったら、
自らを自制する準備が出来ていること、などではないかと思いました。

これは子育てでこそ、最も重要なポイントではないかと考えています。

勿論、いろいろな段階があるのでしょうね。黒か白かしかないというものではなくて。
どれくらい、自分の感情のコントロールが利くかということなんでしょう。
人との距離のとり方とも言えるかもしれません。

このことは、相手の自我(特に子どもの場合)を、どの程度認めるかということと
深く繋がっていると思います。

相手の自我が目に入らない盲目的な愛こそが、偽りの愛、
そう感じる今日この頃です。
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自我の芽生・花の成長
- 2008/05/30(Fri) -
昨日は、仕事にアブレた夫とともに、朝から雨の中、ちょっと奈良までドライブし、
青々と繁る若葉の中を2時間ほど走り抜け、気分爽快、初夏の緑を満喫してきました。

家に着いた10時ごろからは雨も上がり始め、たっぷりの雫に潤っている、
キュウリの花よりまだもっと小さなトマトの黄色い花々。

tomato3.jpg


そして、鈴なりに実をつけていますよ

tomato4.jpg


お隣さんの額紫陽花は、蕾をほころばせはじめました。

gauajisai.jpg


娘がまだ生まれたばかりで、
自己と対象、現実と空想の区別を知らないナルチシズムの世界に住んでいる間は、
すなわち、自我がまだ芽生えていない間は、
盲目的な愛情でも、それほどの実害はなかったのでしょう。

やみ雲に盲目的に、ただただ愛することに夢中になっていた時期が私にもありました。

けれども、ちょうどあの額紫陽花の蕾がほころび始めたように、
子どもに自我が芽生えはじめた時、私は方向転換を余儀なくされました。

古い記憶では、3歳ごろが最初だったでしょうか?

娘に対して、ある程度の距離をとって扱うこと。
娘に対して適切に振舞うべき時期が、これまでも何度かやって来たのでした。

愛情を理性的な方向に転換する、とでも言うのでしょうか。
これは相当意識的に自覚的に自分を見つめなければ困難なことでした。

子どもの自我が芽生えた時に、それを認めなければ、
親は子どもの成長の邪魔者になってしまう・・・・そう感じました。

子どもの自我の発生には2段階あります。
3歳くらいの第一反抗期と、思春期の第二反抗期。

娘は第二反抗期が遅かった気がします。
それは当時あまりにも家庭内が混乱し、不安定で、
安心して反抗もしていられなかったからではないかと思っています。

で、現在第二反抗期を満喫されています(笑)

子どもに自我が成立し、無理解な親がそれを抑えにかかって親子が対立し、
大きな問題が起きることもあれば、
自我が芽生えないか、芽生えてもあまりにも弱くて、
いつまでも母親にべったりの子どもも増えています。

これらの過程は、そうそう上手くゆくとは限らないようです。
とてつもない寂しさとの格闘だった気がします

けれども娘の成長と、そこで要求され続けてきた理性的な方向転換や、
関係性の距離のとり方の学習は、そのほかの、
夫、義理の息子、実母、また友人たちなど、私を取り囲むあらゆる人間関係のあり方に、
多大な影響と学びを与えてくれたことは確かでした。

自分らしく、自分で自分を捉え直して組み替えていこうとする娘の自我の成長。
そんな娘をそっと眺めていると、そこかしこの自然の草花の、
咲こう咲こう、生きよう生きよう、とする生命そのものの力と、
いつもダブって感じられ、自分もまたそこから新たな勇気をいただくのでした。



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プレミアイベントへ行く予定
- 2008/05/31(Sat) -
実は明日、
ぺ・ヨンジュン氏のドラマ「太王四神記」プレミアイベント2008 in JAPANへ、
行くことになったのです

韓流大ファンの姉に誘われて、ファンクラブの公式サイトに登録し、
チケットの先行前売り抽選に応募し、
姉は外れたのに私だけ当選してしまったのです

昨日テレビで言っていましたが、
35000席に20万以上も殺到していたようです

アリーナ席の8列目、
娘が「めっちゃ前の方と違う」興奮してそう言います。
そんな~、そんな前の席~、私は怖いです

こんなことをするのは生まれて初めてです。
これまで誰かのファンになったこともない私なのです。
とても緊張していて、胸がドキドキして、昨日から血の気が引いたままです(笑)

一人で行くことになって、
姉と待ち合わせをしたり、お茶を飲んだり、食事をしながらワイワイ話したり、
そんなことの方を楽しみにしていたので、一体一人でどうしたらいいのか、
さっぱり分かりません・・・・

まっしぐらに駆けつけて、まっしぐらに帰ってくるのでしょうね・・・・

姉に借りて「冬のソナタ」と「ホテリアー」の2作品しか見たことがありません。
でも、もしかしたら、「恋するおばさん」になったのかもしれません

えらいこっちゃ~
「恋するおばさん」は夢中なのです。
「恋するおばさん」は切ないのです。
「恋するおばさん」は少女なのです。

まッ、せっかくだから、全身全霊で楽しんでくることにいたしましょう

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