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自分が自分でなくなっちゃった日(笑)
- 2008/06/02(Mon) -
行ってきましたプレミアムイベント
35000人の女の人の集団は、凄まじい迫力
着いてすぐに、
会場の前で「私も撮るから撮って」と女の人に声をかけられ思わず記念撮影。


会場では、この↓記念のハンカチとペンライトを千切れんばかりに振り続け、
声を限りに叫びました(笑)
「ヨンジュンsii~
ハンカチの皺くちゃさ加減が、私の熱狂の証。
kinen.jpg


1mほどの超至近距離で会いました
優しく微笑まれ、投げキッスまでされて・・・・
も~ダメ・・・・完全にやられました(笑)

終了後、記念グッズを1時間も並んで購入。

携帯ストラップ
ai.jpg

ポストカード
kinen2.jpg


自分が自分だとはとても信じられない一日

ざっと見渡した時の感想は、
長い人生を自己犠牲的献身に捧げ続けたような、
生真面目な女性達が多いように感じられました。
ド派手でもなく、キャリア風でもなく、列も乱さず、優等生風の・・・・。

挙句の果てに、社会からも、夫や子どもたちからも御用済みかのように、
誰からも省みられなくなった孤独な寂しい魂を持つ女性たちが、
ホンの束の間、自らを抑圧から解き放ってくれる人、
それが、あの天上人の微笑を持つ「ヨンジュンsii」なのかもしれないな、と。
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自分が本当に求めるものを見つける
- 2008/06/04(Wed) -
今週は、どうしてもと頼まれて、バイトが週4日も入ってしまったので、
のんびり屋の私的には、相当しんどい一週間になりそうです

昨日も仕事をしながら、イベントのことをいろいろ考えてしまいまいした。

中高年の女性たちのあの凄まじいまでのエネルギー。
ヨンジュンsiiへの、乙女のような熱い思い。

彼女たちは、日常の世界では、
半ば不必要な廃棄物のように扱われがちな中高年の女性たちです。

勿論、私もその一人なのですが(笑)

普段の生き難さや悔しさや悲しみが、身体中に積もりに積もり、
それらを耐えに耐え、自らに抑圧に抑圧を重ねて押さえ込んで生きてきたものが、
強烈なマグマとなって一気に爆発したかのような熱狂の1日。

ヨンジュンファンは、不動だといわれています。
死ぬまで他の人に気持ちを移すことは殆どないんだと。

それほどまでの思いを持つ、彼女たちの抱える生き難さは、
一体どこから来るのだろう、そう考え込んでしまったのです。

人は一応に、年齢を重ねることに恐怖や悩みを感じるものですが、
女性の場合はさらに深刻で、その根源は深いのだろうなあと感じます。

実際に年齢や外見だけが原因でうまくいかないというのではなく、
おそらく過去にそれが原因でいやな思いをした経験を点だとして、
その点と点を線で結び付けてしまう。
 
それでも彼女たちは変わらなければいけないと思っている。
必要なのは自信をつけることだと思ってしまう。

自信をつけるためには、外見を変えたり痩せることだ、と。
アンチエイジングの落とし穴が、ぽっかり口を開けて待っている。

根本的に自信というものは、どんなことでも実際に自分が行動して、
そこで初めて得られるものではないかと思います。

無理に変わったり頑張ったりする必要はないのではないかと。
そのかわり、やりたいと思うことを、とりあえずやってみること。
抽象的なイメージでではなく、具体的な自己イメージを持つこと。


たとえば簡単な例を引くと
「幸せな日曜日はどんなふう?」
「小鳥が鳴いている声で自然に目が覚める……」など、
具体的で実現可能なイメージのものになっていく。

悩みを抱える多くの女性たちは、
圧倒的に「いい子」や「優等生」が多いように思います。

「私」の部分で考えるのではなく、
周りの期待に応え続けることで社会の中での自分の役割を得てきて、
これまでは、それがそれなりにうまく行ってしまったタイプ、
とでも言うのでしょうか?

それがうまく機能しなくなってきても、自分の内部に何か問題があるのではなく、
社会が求めるものを提供できないこと。
年齢を重ねていることや、太っていることなどに、
その原因があるのではないかと思ってしまう。

「誰かの期待」「社会の期待」ででき上がってしまっているセルフイメージを、
どうすれば「自分で作ったもの」に変えていけるのか。

初期段階のカウンセリングでは、
「手帳を買ってくる」というものがある。

「何を着ても似合わないから、服なんて何でもいい」
「合うサイズがない」という女性に、
自分が本当に気に入って、毎日持っていたいと思える手帳を
1冊買ってくるように進めるのです。

些細なことですが、毎日の生活で本当に必要な自分の手帳とは何なのか、
自分はどんなデザインが好きなのか、値段の面ではどうなのか? 

こうして、自分が本当に求めるものを具体的に考えていく。

本当の自分の希望は何なのかを考えることで、
自分自身が本当に自分の声が聞けているのかと
改めて考えてみることが大切なのではないかと思います。

それが「ヨンジュンsii」であるのなら、誰に遠慮がいるものか!
どんどん追っかけでも何でもやって、自分らしさを取り戻せばいい。

私は見知らぬ多くの私自身でもある彼女たちに、
強い連帯感を感じながら、そんな風に思ったのでした。
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詩を読む
- 2008/06/06(Fri) -
バイト4日目。
今日で一段落つきます。

忙しくて、しんどい週でした。
たった1日4時間なのにね
でも、ちょっとホッ・・・・

こんな時は詩を読みます。
静かに詩を読んで、自分を慰めます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


          2099009211.jpg

               「乳母車」    
                            三好達治「測量船」から

母よー
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ

赤い総のある天鵞絨(びろおど)の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まだ一人歩きもできない赤ちゃんが、はるか遠い未来へ向かって
人生を歩きはじめる・・・・

「遠く遠くはてしない道」を、お母さんが押してくれる乳母車に乗って・・・・

味わい深い季節の情景も、鮮やかに胸に蘇る詩です・・・・

いいなあ~

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今日1日のアファメーションー6月7日
- 2008/06/07(Sat) -
西尾和美氏の
「心の傷を癒す カウンセリング366日ー今日1日のアファメーション」

私は本で持っていますが、HPでも毎日一つずつ紹介されていて、
ほぼ毎日、見に行っているかしら

http://www.iff.co.jp/cgi/affirmation/index.shtml

ーーー機能不全な家族の中で育ったアダルト・チルドレンや、
    自分のことより相手の問題に囚われてしまう共依存の人たち、
    また過去の傷に囚われて心を解き放つことができずに悩んでいる人たち、
    自分を愛することができずに苦しんでいる人たち、
    心の病は誰にでも起こります。
    
    「自分はダメだ」と悲観的にならず、
    前向きに生きるために。
    毎日毎日、新しい健全なメッセージを自分に送り続けることで、
    ポジティブな自分に変われる。
    自分を肯定し、自分を愛し、大切にしよう。ーーー(本の紹介文より)

今日6月7日のアファメーション、面白くてお気に入り
ブログに記録しておこうかな、と思いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

6月7日 男よ泣け、女よ怒れ

男は、もっと泣く必要があります。女は、もっと怒る必要があります。

社会の中で金を稼ぎ、家族を維持し、仕事だけに没頭し、牛や馬のように働かされ、
感情の表現を制限されてきた男たち。やさしさ、温かさ、深い人間関係、
意義のある感情のコミュニケーションを知らないで生きてきた男たち。
失われたチャンスをおおいに嘆くべきです。
あなたたちの涙は、水害を起こし、家や田畑を流すほどたまっているはずです。

虐げられ、自分の意見も言えず、ただ耐えてきた女たち。
自分の持つ能力を発揮できる場をもたず、まわりの者の世話ばかりをして、
責任をもってリーダーとして行動するチャンスをもてなかった女たち。
あなたたちは、おおいに怒るべきです。
あなたたちの怒りは、火山のように爆発し、町を滅ぼすほどのパワーがあるはずです。

水害のあとには、新しい草木の芽が生え、火山から出た溶岩は新しい土地をつくりあげます。

 男よ、泣け!

 女よ、怒れ!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私も怒り狂っている時は、ウツっぽくならないということに、
最近気がつきました。
「よーし!!泣いてばかりいないで、怒り狂う女になろう!」
だって(笑)
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朗読劇打ち合わせへ行く
- 2008/06/08(Sun) -
結局のところ、残ったのはたったの7名。
でもこの7名は選りすぐりの最強メンバー(笑)
万難を排して、大成功させたいという強い意志を持つ、兵どもの集まり

昨日、パートで疲れてガタガタの身体を引きずって
あの飲み会から約1ヶ月ぶりに、朗読劇の仲間との打ち合わせに行ったのです。

「類は友を呼ぶ」と申しますが、残っているメンバーは、
皆、散々人生の苦労を味わってきた悲しきおば様連中なので、
仲間としての絆もそれなりに深まってきました。

わあわあと、朗読劇そっちのけの何でもありの話し合いは、
とてもその内容を公にすることはできないほどに凄まじく(笑)
いつも長時間に及びます。

気のおけない愉快な仲間です。

出し物は、メンバーの一人の強い希望があった作品に本決まり。
「親と子」の絆を問い直す内容ですが、
自虐的・露悪趣味的な「トラウマ語り」でないので承諾しました。

私的には、もっと社会的なテーマのものをと望んでいましたが、
資料を収集する力も不足していて、良い作品にめぐり合えないまま、
今回はメンバーの希望を叶えて、その脚本で行くことに賛同したのです。

気の早い話ですが、
次回作に向けては、今度こそ自分の気に入る作品を1年かけてでも探すつもり。

最後まで残ったつわもの7名で、
出演者から照明、効果音、衣装、舞台装置、大道具・小道具までのすべてを
力をあわせてやり遂げることを確認しあう。

これまでは作品探しが主流でしたので、打ち合わせも月1のペースでしたが、
そろそろ読み合わせをして、役を決定しなければなりませんので
今月から月2に増やしました。

無料で稽古場を借りれるのは12回しかありませんので、
声を出さなければならない次回からは、多分公園が稽古場になるんでしょうね
挙動不審のおば様集団です(笑)

昨日は作品を人数分コピーして手渡し、各自が家で読み込んでくることに。

さあ~てコメディタッチの芝居部分の役は、どの役をしたいか、
まずは自己申告から始まりますので、しっかり読んで腹を決めなくちゃ。

なんの腹を決めるのかというと、どんな役でも引き受ける度胸かな(笑)
コメディ部分は、吉本バリの滑稽な演技を要求されていますので、
うう~私は恥を捨てるのだ

このように、やたら騒々しい無駄話ばかりの私達、
少しずつではありますが、着実に前に進んでいる・・・はず

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耐え難い寂しさを考える
- 2008/06/09(Mon) -
私は今でも「耐え難い寂しさ」によく襲われます。
それは、泣いたり怒り狂ったりすることに比べれば、遥かに楽かもしれません。
でも、そこにはポッカリと口を開いた空虚感という危険な感覚も含まれています。

かつての私は、空虚を充たすことを自分自身にではなく外に求めて、
冒険的な行動や自己破壊的な行動を常にとっていたと思います。

実際、山奥のダムに連れ込まれ、あわや殺されそうになったり、
殴られて気を失うまで首を絞められたり、その筋の人に売り飛ばされそうになったり、
寝袋一つ持って、フラフラと何ヶ月も死に場所を求めて一人で彷徨ったり、
数え上げればキリがありません。
よくもまあなんとか生き延びてきたものだと、
今でもしばしば思い出してはそう感じます。

それでも、当時はほとんど恐怖を感じないぐらい感覚が麻痺・鈍麻していました。

生きていることを実感させる閾値が上げられていて、
滅多なことでは恐怖すら感じなかったのでしょう。

今では、そんな危険な行動をとることは決してありませんが、
この長い年月、私を支配していた「耐え難い寂しさ」の根源を、
いつも探し求めて生きてきたような気がします。

「耐え難い寂しさ」は、もともとは赤ちゃんの持つ感情で、
乳児が母親の乳房を求めて得られないときの、
憤怒、空虚、絶望などが入り混じった、極めて原始的な感情なのだそうです。

この赤ちゃんの持つ憤怒や絶望感といった、原初的なパニックが、
大人になって現れるととてもストレスに弱くなってすぐにパニックを起こしたり、
錯乱して大声を上げたり、なんでも物を投げつけて壊したり、
過呼吸や失神といった状態も引き起こします。

確かに、わずか2年前にも、トラウマの最体験といえる出来事に遭遇した時、
私は、錯乱して大声で泣き喚き、全身硬直を起こして倒れました。
そして、半年以上も満足に歩くことさえできなくなったのですが(笑)

ここのところの私は、自分を襲ってくる「耐え難い寂しさ」が、
少しその色合いを変えてきているように感じています。

一人でいる時、大切な人間関係が断たれた時、
どことなく充実感がなくて虚しく感じられる時、
私は危険な行動をとったり、パニックを起こしたりする代わりに、
幸せな自分をイメージして、心の中に呼び起こします。

他にも、親しい仲間にメールをしたり、かつての友人と心の中で対話をします。
はがきを書く時もあるし、本を読んだりこのブログに向かうこともあります。

孤独な時も、「本当に一人ぽっちなんだ」とは感じず、
常に「他者と共に」生きているように感じているのだと思います。

そして、最も親密な相棒である自分自身とは、
こうしてブログを書くことなどを通して、
「自己との対話」を常に繰り返しているようです。

それも決して自分を責めない、常に世界一甘い相棒としての受容を心がけて。

時には、とんでもない空想や夢を思い描いたり(ヨンジュンsiiとの再会?笑)
詩を書いてみたり、音楽を聴いたり、
最近では小説を書いてみたいなあなどと思うこともあるくらいです。
それこそ、才能なんて~そんなの関係ない~って(笑)

安全感のまったくなかった家に生まれ育って、
痛切な空虚の感情に晒されて、つねに命の危機と直面し続けた日々。
その果てに、夫婦間の緊張と暴力、経済苦に追い詰められ、
救いを求めた宗教に、完全にマインドコントロールされた自己破壊的修業の毎日。

ふう~、日常はあまりにも危険に満ちていました・・・・

「今日も無事に生きていてよかった」そう心から感謝して、
この「耐え難い寂しさ」を、そっと大切に抱きしめて、
これからの日々も生きていくのだろうと思います。


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耐え難い寂しさと嗜癖する社会
- 2008/06/10(Tue) -
赤ちゃんが乳房を求めても得られない時に感じる絶望感・・・・

いろんな理由で、大人になっても、
こうした原初的なパニックが起こりやすくなっている人も、
どうにか大人として生き続けるために、
パニックを「防衛」するいろんな手段を手に入れます。

こうした防衛は、「自己治療」のひとつであり、
様々な嗜癖と結びついてゆくのです。

嗜癖の最も原初的な形態は、赤ちゃんの「指しゃぶり」で、
これがどんな時に起きるのかを観察すると、
嗜癖と「耐え難い寂しさ」のつながりがよく分かります。

それは一言で言えば、
子どもが頻繁に「耐え難い寂しさ」に襲われる様な状況に、
置かれているということなのです。

アメリカのセラピスト、A.W.シェフは、
現代人が陥っている、病的な堂々巡りのシステムを、
「嗜癖する社会」と呼びました。

私たちはこの社会の中で、
「誰かのために生きる」「社会の要請に沿って生きる」ことを強いられています。

現在の社会システムの中で生きていこうと思えば、
「こうするべき」 「こうあるべき」という厳しい「べき」に従って、
落ちこぼれないように生きていかなければなりません。

暗黙のうちに強制されている規範が張り巡らされているのです。

そこから外れることは差別される恐怖であり、
社会で評価を受けられない負け犬になることです。

追いやられないように、遅れないように、みな必死になっている。
「やるべき」ことをこなすために精一杯で、疲れ果ててしまう。
社会に適応し、周囲から差別されず、
「人並み」に受け入れられることに全エネルギーを注いでいる。

こうした社会の有様を、シェフは「嗜癖システム」と呼んだのでした。
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「耐え難い寂しさ」から嗜癖への過程
- 2008/06/11(Wed) -
「耐え難い寂しさ」を防衛する方法の一つには、
「感情の麻痺・鈍麻」があります。

強烈な憤怒や不安が鈍くなれば当然痛みも和らぎますし、
こうした感情から生じる危険な行為によって、
傷つくことからも免れることができます。

しかし、喜びの感情は喪われ、現実感も喪われ、
ついには「離人症」になってゆきます。

また、危機的恐怖を意識から駆逐する「抑圧」や「健忘」、
抑圧されたものが回帰する「解離」や、
それが極端な形で出る「多重人格・人格の交替」などもあります。

「耐え難い寂しさ」を外部からの攻撃と捉える防衛法を、
大人になっても多用し、
あからさまに表現されると「境界性人格障害」になってゆきます。

こうした感情の麻痺や鈍麻という防衛によって
否応なく起きてくる空虚感を満たすことを求める人々は
生きていることを実感させる興奮を求め、
そこに様々な自己破壊的な嗜癖が生まれるのです。

感情生活が鈍麻すると、人生は退屈の連続となります。

だから自己破壊的な強いスリルがどうしても必要となるのです。

次から次へと興奮に身を任せるための、たくさんの危険と興奮を、
様々に与えてくれるのが「嗜癖」なのです。

「それなくしてはいられない」「それに依存し、抜けられない」
こうした状態が嗜癖です。

社会に評価されるので病的状態に気づきにくい「仕事依存」も、
典型的な嗜癖です。

病的に歪んでいる社会に必死に適応しようとして汲々と生きる人々は、
当然、個人的にも歪みを生じ、生きることに退屈し、生き難さを感じるのです。

けれども、人は社会から外れることを極度に恐れ、
互いに監視し合い、依存しあって、
自分の意思や欲望すら見失ってゆくのです。

退屈な心の隙間に入り込んでくる何かにすがりつき、
充足されることのない欲望が無限に繰り返されていく。

退屈していても、自分がなぜ退屈しているのか分からないので、
どこへ向かっていけばよいのかさえ分からなくなる。

自分と向き合った時、あまりの空虚さに耐えられなくなる。

自分は何者なのか、何をすればいいのか、
自分の中身のなさに呆然とし、退屈から抜け出そうとして嗜癖にはまっていく。

これが嗜癖の育っていく過程なのです。

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たらたらと・・・・
- 2008/06/12(Thu) -
今日も朝から雨が降っています

ポトンポトンと屋根に当たる雨音がリズミカルに聞えてきます

ホントに落ち着くなあ~この雨音

こんな日は、一日中小説を読んでいたい気分になります

最近、娘に薦められて、一日一冊のペースで「山本文緒」ばかり読んでいます。

ネットの古本屋さんで、一冊100円程度で買い漁りました(笑)

読みやすくて面白い、退屈しのぎにはピッタリかも。

感動巨編とか重厚な文学作品とかは、今は重くてしんどくて、敬遠しています


可愛いトマトが実りました




お味のほうは、それはそれは甘いのです
でもまだ、これで二つ目(笑)
一つは娘が、二つ目は私が、食させていただきました


ああ~、今日はこの文章のようにたらたらと、1日を過ごしたいと思います(笑)

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たらたら~2日目
- 2008/06/13(Fri) -
今朝、三年目にして初めて花をつけた南天に、
こんなに綺麗な毛虫がくっついているのを見つけました。




長い時間飽きずに観察してしまいました。
この毛虫君は、一体何に変身するんだろう・・・・

でもって、本日も読書三昧。山本文緒「恋愛中毒」に中毒中(笑)

hon2.jpg

どうなるんだろう、どうなるんだろう、って思って、途中で止められないんですよね~

cup.jpg


陶芸の体験教室で自作したコップに、たっぷりのコーヒーを入れて飲みながら、
読み終えるまでは、どうにも動けそうにありません。

今日もたらたら~の一日です。
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糖尿病内科へ行く。
- 2008/06/14(Sat) -
今日は朝早くから次男と糖尿病内科へと向かいました。
ネットで調べた糖尿病専門内科のある病院は、
幸い家から自転車で5~6分のところにありました。

糖尿病と診断されて、
なんの詳しい説明もないまま薬を飲むようになって約1ヵ月半。

次男は、第二土曜しか平日は休みがとれないため、
糖尿病専門内科にかかるのは今日が初診です。

糖尿病は食事療法がとても大切だから、
我が家の食事担当者の私も、当然行かなければなりません。

8時半前には病院に着いて、いろいろな検査を受けて、いざ診察。

やはり、ネットで調べたとおり、数値的に初期とはいえない状態のようですが、
食事と薬で、数値を下げるように努力するしかありません。




めんどくせ~けど・・・・仕方ありません

今日のところは少し食事の注意点など聞いただけで、
来週火曜日の午前中に、食事療法の教室に参加して、
具体的な食事の作り方、考え方などを教えてもらうことになりました。

あんまり深刻に考えるとやってられない気分になるので、
まあまあ、の取り組みでやっていこうと思っています。

本人は、糖尿病と診断されてからは、
まるで別人のように、とても素直に食事などの変化にも従ってくれています。

やはり、口には出さなくても相当ショックだったのかもしれません。
そう思うと、少し可哀想かな・・・・

「ほらみろ~、自業自得だわさ~」と、思っていましたが
私も腰をすえて、食事療法のお勉強をしたいと思います。

家に帰り着いたのは、もう12時半を回っていました・・・・
朝の8時過ぎから長時間ですよね・・・・これだから病院は・・・・ふう~

スーパーで1本100円で買った固~い蕾だった芍薬の花。
今日、買ってから5日目にして、とうとうほころび始めました
shakuyaku2.jpg

なんだかとても嬉しかったので、パチリ
はてさて、見事な花を咲かせてくれるでしょうか



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不眠
- 2008/06/16(Mon) -
やっと昨夜眠れました。
1週間ぶりです。

きっと先々週、4日間バイトへ行って、土曜も朗読劇の打ち合わせに行って、
日曜日は買出しにスーパーを何軒も回って、
心身とものスイッチが興奮状態に入ってしまったのでしょう。

日曜の夜から殆ど眠れなくなり、お昼寝を、と思っても全く眠くならず、
そのうち食欲もなくなり、眠れない食べれない日々が続いていました。

木曜あたりから身体の疲労もピークに達し、
さすがにちょっとヤバイかも、と感じる精神状態に・・・・

常備しているいろんなお薬を(ハルシオン・レンドルミン・メラトニンなどなど・・・・)、
つい危機感に煽られて飲み漁ってしまいましたが(笑)いっこうに効果は現れず、
土曜日に次男と行った病院に心療内科があることを知って、
「ああ~、今度こそお世話になるしかないのかなあ~」と諦めモードで考えていました。

眠れない食べれない状態が続くと、
ある日突然ガクっとぶちぎれて、一路どん底状態へと堕ちていくのです・・・・

1週間近くこうした状態が続くと、思考能力や判断力も停滞し、
ひたすら意味もなく、悲しく空虚で厭世的になり、自力では戻れなくなってしまう・・・・

長年の経験知でしかないけれど、ヤバかったと正直そう思いました。

昨日、またまた突然プツッと何かの線が切れたようになって、
やっと6時間ほど、途切れ途切れながら眠ることができて、
頭も少し活動し始めた気がします。

こういうことがあると、意味不明に自信喪失していきます・・・・
しばらくこんなこともなかったのに、
仕事って言ったて、たった4時間のバイトで、そこまで堪えるのかよって気分・・・・

今日は大人しく何も考えずひたすら時の流れに身を任せて、
廃人生活を送ることにします・・・・

それでも自然は動いている。
すっかり田植えの終わった水田。
suiden.jpg


よしずに絡まって成長を続ける名も知らないつる草。
turukusa.jpg


私は停止していても、私の周りは動いている。
そして自分も生きているのだと実感することができる。



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本日、3人の死刑が執行された・・・・
- 2008/06/17(Tue) -
朝10時から糖尿病の食事療法のお勉強に病院へ。

shokuji.jpg


ネット検索でした勉強は、そこそこいい線いっていたみたいで、
今の食事をもう少し工夫すれば、何とか凌げそうで一安心。

でも勿論、憂鬱であることに変わりなく、気分もげんなり下降気味ですが。

帰宅して12時過ぎに昼食。
それからついさっきまで寝てしまいました。

ゲゲ~今度は過眠かよ~

またまたげんなりしながらメールチェックしたら、
今日再び、死刑執行されたという知らせが・・・・・

最悪の気分からどん底の気分へまっ逆さまです・・・・

以下転載

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アムネスティ日本支部声明:死刑の執行に抗議する
-----------------------------------------------

本日、3人の死刑確定者に対して死刑が執行された。
執行されたのは、東京拘置所の宮崎勤さんと陸田真志さん、
大阪拘置所の山崎義雄さんである。
従来と同様に今回の執行についても、本人や家族を含め誰にも事前の予告はなく、
突然の執行となった。
今回の執行でも、執行後に昨年12月の執行以来4回目となる
死刑囚の氏名および罪状の公開が行われた。
しかしそれ以外の情報は一切公開されていない。
死刑確定のプロセスや、確定後の再審請求、恩赦請求の棄却時期などの
死刑囚の基本的人権の尊重において極めて重要な情報が開示されていない。

今回の執行は前回の執行から約2カ月後に行われたものであり、
日本が大量処刑への道を進めていることの証である。
日本で死刑執行が増加していることに対し、
アムネスティ・インターナショナルは深い失望と、極めて重大な懸念を表明する。

宮崎さんも陸田さんも、判決確定から執行までの期間は2年半あまりで、
従来になく、早い執行ペースである。
山崎さんに関しては、第一審では無期懲役の判決が出ていたものが、
高裁で逆転死刑判決となっている。
全体的に、厳罰化に向かう日本の風潮が現れた今回の死刑執行である。

人間の最も基本的な権利である生きる権利を奪う死刑という制度は、
人権を保障すべき現代の刑事司法にあっては、存在してはならない。
日本政府には、最大限の努力を払って、
死刑に頼らない刑事司法制度を構築すべき国際的な義務がある。

国際社会では既に137カ国が法律上又は事実上、死刑廃止を達成している。
昨年12月には全国連加盟国の死刑廃止を念頭に置いた
死刑執行停止を求める決議が採択されるに至っている。
死刑廃止が明らかな世界的な潮流となっているなか、
日本政府はこの流れに逆行し、
他の57カ国と共同して総会決議に対抗するための口上書を提出した。
市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下、自由権規約)の締約国である
日本政府のこうした行動は、同規約6条6項が禁じている
「死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために」同規約を援用しているといわざるを得ない。

先般、国連人権理事会で日本の人権状況が審査されたが、
各国代表から死刑執行の停止の検討や死刑に直面している者の権利の保護を確保する
保障規定を尊重するよう厳しく申し入れられたにもかかわらず、
日本政府は、審査の段階で死刑の廃止ないし執行の停止の余地はないと述べ、
6月の報告書採択に際しては、将来の批准を検討する条約のうちから
死刑廃止を目指す自由権規約第二選択議定書を明示的に除外した。
その直後に、国際社会に見せつけるかのように死刑を執行したことは、
世界に逆行する日本政府の頑なな態度を際立たせている。

本年10月には、自由権規約に関する第5回政府報告書が
自由権規約委員会によって審査される見通しである。
死刑をめぐる日本政府のこうした態度は、極めて厳しい追及を受けることになるであろう。

日本政府が、一刻も早く人権の原則に立ち戻り、
死刑の執行を停止し、近い将来に全面的に廃止することを、
アムネスティは強く期待するものである。

2008年6月17日
社団法人アムネスティ・インターナショナル日本

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喪失感
- 2008/06/19(Thu) -
私が正社員として働いていたのはいったいどれくらい前のことになるのだろう。

信仰して5年目にウツを発病する前は、
会計事務所の正の所員として決算業務に携わっていたが、
ウツになってそこを辞めた時が最後だったと思う。

通信制の大学に通い、その上、仕事を持っていることを、
クソ生意気と思われたのか、常に何人もの幹部に囲まれて批判され、
吊るし上げられ続け、全人格を否定されるような目にあって
とうとう私の心は壊れてしまった。

こうして始まった長い信仰活動一筋の生活の中で、
私は自分自身の欲求そのものまで、喪失してしまっていたのかもしれない。

早朝からの機関紙の新聞配達から始まって、
午前・午後・夜と365日絶えることなく続く会合、家庭訪問、新聞推進、布教活動。
その上、会合の会場となっていた我が家の準備や片付け。膨大な書類の管理・・・・
そして、疲れもピークに達してからの深夜にまで及ぶ祈りの時間・・・・

思考能力すら曖昧になってゆくほどの時間に追われるだけの日々。

こうした生活で喪ってしまったものは、あまりにも大きい。
現在のように自由な時間を自由に使える生活になっても、
本当のところの自分自身の欲求は、いまだどこにも見出せないままのような気がする。

時間が有り余れば有り余るほど、はっきり見えてくるのは
自分自身の空虚さでしかないような気がする。

結局は、自分が何をしたいのか、何に好奇心を持っているのか、
それさえも分からず、あれやこれやと手を出しているだけのようにも思える。

空虚さ、に耐えていくことは本当にしんどい。
空虚な自分、と対話を続けることにも心底疲れを覚える。

先日、糖尿病の食事療法の指導を受けに病院へ行った時、
かつて働いていた高齢者介護施設の同僚にばったり再会した。

「○○ちゃん~、私もあそこを辞めて、今この病院の系列のケアハウスで働いているの」
「○○ちゃんも、一緒に働こうよ~。ケアハウスは楽やよ~」
そう誘われて携帯の番号を交換した。

そこの正職員になって、忙しく時間に追われるようになれば
この空虚さからは免れることができるのかもしれない。

けれども私の中には、もうその気力もバイタリティもどこにもないように感じた。

パートでちょろちょろっと働くだけで感じる深い疲労感。
心はいつもどこか虚ろで無力感に苛まれている。

それでも、朝は決まった時間に起き、朝食を作り、お弁当を作り、
洗濯機を2回ほどまわして洗濯物を干す。
ざっと家の掃除をすませて、パートのある日は仕事へと出て、
ない日は漫然と本を読んだり音楽を聴いて過ごす。
夕方になると買い物へ行き夕飯を作る。
そうして一日が終わる。

たったそれだけの日々にさえ、深い疲労を覚えている。

このままこういう生活を続けていくかぎり、
私はこの狭い世界から外へ出ることは出来ないのではないか、
この家に閉じ込められて、どこへも行くことができないのではないか、
そんな不安にかられたりもする。

失った年月の重みを、今頃になって、
その取り返しのつかなさを、今頃になって、心から無念に感じるのである。

ひとりの人間がその人生で経験できる出来事は、とても限られていると思う。
人は誰でも、自分の手の届く範囲の中でしか生きられない。
短いこの一生の中で、自分のまわりにいるほんの僅かな人たちや、
ホンの僅かな仕事らしいことや、読むことのできる少しばかりの本などなど・・・・
それらを大切にしないで何を大切にして生きるというのか。
自分に正直になり、自分が今もっているものを大切にすること。

そう感じることで、やっと少しは安心してお昼寝もできるのではあるが(笑)
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あなたの隣にも難民が・・・・「世界難民の日」
- 2008/06/20(Fri) -
今日、6月20日は、
国連高等難民弁務官事務所が定めた「世界難民の日」だということを知りました。

世界の300人にひとり(約3000万人)は保護が必要な人なのだそうです。
凄い数です。

私の隣にも難民がいらっしゃるのかもしれません。
ただ私が知らないだけで・…

政治的な理由や民族的理由などによる国家・その他の勢力からの迫害を逃れて、
外国に保護を求める人々ーそれが「難民」と呼ばれる人々ー

でも日本では、彼らは虚偽を申し立てているとして、
長期にわたり収容されているそうです

収容・送還の恐怖,家族との長期にわたる離散,医療や就労制限、
日本の難民申請者を取り巻く環境はとてもとても過酷なもののようです

日本での2007年の難民認定者はわずか41人、難民申請者は816人です。

難民認定されていない775人の方は
「不法滞在者」として不安な生活を送っています。

日本は閉鎖的だとの批判を受けて、
新しい日本の難民認定制度がスタートして3年がたつそうですが
いまだに公正で透明な難民認定制度は実現していないのですね・・・・

どうか一日も早く、そして、一人でも多く、
彼らが人間としての尊厳を取り戻すことができますように
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風に吹かれて、雲に乗って
- 2008/06/22(Sun) -
昨日は朗読劇の打ち合わせ。
いろいろ用事のある人が多く、集まったのは実質3人。
台本の詰めの仕上げをする。

私がどうしても気に入ることのできない部分について
随分たくさんの意見を言う。

その流れで、自分自身についても初めて少し話した。
「少し」と言っても、台本に関連しながら3時間という長い時間・・・・

こんなに長々と自分について赤裸々に話したことは
カウンセリング以外では初めてかもしれない。

「人って、こんなにも理解してくれるものなのだ」そう思った・・・・

家に帰ってからも、じわじわっと胸の奥から暖まってくる感じで、
「そっか~、こんなにあっさり入ってきて分かってくれる人もこの世には居たんだ」
と、何度も何度もそう思った。

胸の奥のぬくもりは今もずっと続いてる。

「人って、こんなに安心できる存在だったんだ~」とも思った。

言いたかったことが、相手に殆どズレることなくすんなり入っていって、
分かってもらえて、共感してもらえて、素敵なアドバイスまで貰えて・・・・

「風に吹かれて、雲に乗って、
 ここで思い切りあーそぼって、そう思っておいでよ~」って。

「それが芝居の世界のいいところなんだよ」って。

「そこでいろんなどろどろが、ぜーんぶ浄化されて、
 とてつもなく自由に楽に心も身体も軽くなれるんだよ」って。

ホントだなあとしみじみ思った。

私には「遊び」が決定的に欠けていた。
「遊ぶ」という感覚自体が欠如していた。

だから自分が、ああしたい、こうしたい、という欲求すらまるでわからなくて、
義務感や責任感やしがみつきや見捨てられる恐怖心や自己卑下や、
そんなものばかりで生きてきてしまっていた。

まだまだ抵抗感は残っているけれど、思い切って飛び込もうと思う。

目をつぶって、エイ、ヤアーと、飛び込んで行こうと思う。

「風に吹かれて、雲に乗って、ここで思い切りあーそぼ」って。

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本のこと、猫のこと。
- 2008/06/23(Mon) -
ネットの古本屋で十数冊買った山本文緒さんも、読み終わってしまいました。↓
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初期の頃の作品は、文体も構成もとてもおぼこい感じで、
実は相当退屈しながら読んでいましたが、
次々と読み進めていくうちに、だんだん作家として成長してゆかれる様が、
彼女の人間としての年輪に触れているような感じと重なって、とても興味深かったです。

まだもう少し、文緒さんをネット古本屋で探して読んでみようかな~。
なんだかすでに勝手に文緒さんが、昔からの女友達って感じになってます(笑)

こちらは昨日、ネットで注文していて届きました。↓
tounyo.jpg

糖尿病の食事療法に欠かせない本です。
医師の難しい指導を、日常生活の中で継続していくためには、
食品ごとのカロリーの交換のための知識が必須になります。
献立を考える時も、この本があればれレパートリーも安心して広げられますから。

そうそう、昨日、いつもの野良ちゃんが偶然二匹揃って餌を食べにきました。
「チビ」です。↓
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「ミオ」です。↓
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そして何故か不安そうにじっと家の中から二匹を見守っていた我が家の「ミイヤ」です。↓
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大丈夫だよ、ミイヤ
二匹は喧嘩もせずに、ちょっと離れたところに並んで仲良く食べていたでしょ

絶妙の距離感でした
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ナス、ケアハウス、ヨンジュンsii
- 2008/06/24(Tue) -
今朝、今年初めてのナスを収穫する。
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小ぶりのナス二個。今夜のお味噌汁にしていただきましょう

昨夜「見学だけでも・・・・」と友人に電話で熱心に誘われて、
ケアハウスへ行ってみることに。

朝9時半に待ち合わせをして友人の車で目的地へと向かう。
着いてみると、そこはなんと家から歩いても5分とかからない場所。
私の日常的な散歩道でもある自然公園に面した小さなケアハウスだった。
緑に包まれた静かで穏やかな佇まいだ。
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30分ほど施設長といろいろ話をする。
「もう今はとても、週5日や4日も働く気はない」と告げると、
「週3日でもかまわないので考えてもらえたらありがたい」と言われる。

館内の施設を一つ一つ説明を受けながら案内してもらう。
屋外を望める温泉のような浴場に、本格的なお茶室もあった。
「お金持ちの人たちのケアハウスだな・・・・」心の中でそう呟く。

施設長はまだ34歳の青年。
「現在このケアハウスは、これからいろんな課題を
 乗り越えていかなければならない時期に来ている」と熱心に話してくれる。

「来週中にはお返事いただけますか?」
神妙な面持ちでそう告げられ、複雑な思いで施設を後にした。

心は少し揺れている。
考えてみてもいいかな・・・・

帰り道、これまで入ったことのない小さな本屋に寄ってみる。
入ってすぐの一番目に付く場所に、
ヨンジュンsiiの写真本がずらりと並んでいるのが目に入り、
うう~誘惑に負けて一冊購入。
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1500円もしたことは、誰にも内緒
初めて買ったヨンジュンsiiの写真集。
うれぴ~と抱きしめてみる(笑)

さて、洗濯物を入れて、晩ご飯つ~くろっと。

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統計の数字の中の一人
- 2008/06/25(Wed) -
先日の(19日かな?)朝日新聞に、
自殺した人がこの10年間連続で3万人を超えたと伝えていました。
 
昨年1年間では、全国で自殺した人が
前年に比べて2.9%増えて3万3093人。

統計が残る78年以降では2003年に次いで過去2番目に多くて、
60歳以上の高齢者や、働き盛りの30歳代が過去最多だったそうです。

年間3万人を超える人たちが、しかも10年も続いて自殺しているこの国。

戦争でもないのに、
たった10年間で30万人以上もの人たちが自ら命を絶っているこの日本という国。

これを異常と言わずに、何をもって異常というのでしょう。

高齢者や働き盛りの年代が増えていると言うことは
我が家も決して他人事ではありません。

低所得の悪条件で長時間労働に耐え、ギリギリの線で社会にへばりついて、
弱者どうしが身を寄せ合って、なんとかその日その日を凌いで生きている。

それが我が家の実態ですから。

自殺の原因の最大のものは「うつ病」だそうです。
我が家のうつ病持ちの私は思わず笑ってしまいました。

次に多いのが経済問題。
失業やサラ金、多重債務などが自殺への引き金となっているのです。

ホントに、かつて我が家が歩んだ道は、
まさに、この統計の数字の中の一人であったと言っても過言ではありません。
 
うつ病を発症する原因には、経済的な問題もとても大きいのですから、
実際は経済的に追い詰められての自殺は、
統計の数字よりも多いのではないかと思いました。

私も最後の最後まで追い詰められて、
死んだ気になって開き直るまでが、延々と続く地獄の日々でしたから。

2006年の統計では、
非正規雇用者が全雇用労働者の33%にものぼる1677万人。
年収200万円以下のワーキングプアと呼ばれる層が1000万人超。
日雇い派遣とか、偽装請負とか、労働環境は劣化するばかり。

自殺者は決して減らない。

うちだって、誰か一人がそっぽを向いたら、それでお終いですからね(笑)

もの凄く腹が立つ。
もの凄く怒ってる。
そして、死んでたまるか、と心の中で叫んでる。
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ストーカー的読者
- 2008/06/26(Thu) -
読み終えた本。

シュガーレスラブ
みんないってしまう
きらきら星をあげよう
かなえられない恋のために
パイナップルの彼方
あなたには帰る家がある
眠れるラプンツェル
ファーストプライオリティー
絶対泣かない
きっと君は泣く
紙婚式
群青の夜の羽毛布
ブルーもしくはブルー
そして私は一人になった
恋愛中毒
ブラックティー

以上16冊。

うっかりダブらせないように慎重にチェックしながら、
再びネット古本屋に山本文緒さんの本を注文する。

注文した本。

再婚生活
日々是作文
プラナリア
まぶしくて見えない
落花流水
ぼくのパジャマでおやすみ
結婚願望
ココナッツ
野菜スープに愛をこめて
おひさまのブランケット

以上10冊。

覚書。

私の本の読み方は、こうしてしつこく一人の作家の後を追いかける。
中学生の頃からこうした傾向は変わらないなあ(笑)
好きな画家でも、音楽家でも、なんでもそう。
根っからのストーカーなのかもしれない(笑)

届くまで退屈・・・・
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一人でいられるということ
- 2008/06/28(Sat) -
イギリスの小児科医・精神分析家であったドナルド・ウィニコットは
人間が生きていく上で欠かせない能力の一つとして
「一人でいられる能力」と言う言葉を使いました。

子どもは母親に十分に愛され、見守られているという安心感を持つと、
母親の腕の中から膝の上へ、部屋の探検から家の中へ、
そして外の世界へと、徐々に母親から離れていきます。

母親から離れて「一人でいられる」範囲を広げていくのです。

ちゃんと母親に愛されいて、
「母親と共にいること」を離れていても確信できるからです。

どんなに冒険をしても、戻っていける母親がいて、
いつでも抱きとめてくれるという絶対的な安心感があるからこそ、
子どもは一人で遠くへと出かけて行けるのです。

こうした子どもは親離れもスムースで、さっさと自立していくことができます。

反対に、この確信を持てない子どもは、一人でいることが不安で不安で仕方なく、
いつもどうしようもない寂しさを抱えることになるのです。

一人でいることは寂しさと絶望であり、
一人になると、自分を愛してくれる存在を信じることができません。

一人でいることに耐えられず、
常に何かを捜し求めて動き回り、そして何かに依存してゆくのです。

「一人でいられる」ということは、
決して「一人で家に閉じこもっていること」ではありません。
「他人を拒絶すること」でもありません。

他人を前にしても「自分が一人でいること」を楽しめるのです。

「アルコールなしには生きられない」「男なしには生きられない」
こうした状態の対極にあるのが「一人でいられる」ということなのです。

決して何かに依存しきっているわけではなく、それなしにも生きていけるのです。

だから、誰かのために、何かのために、自分を犠牲にする必要がないのです。

「一人でいられない人」は、
一人になってしまうことの恐怖と寂しさで、
常に、誰かに、何かに、しがみつかなければ生きていけません。

「一人でいられない人」は、相手を束縛し、相手に自分への愛を強要し、
支配していないと不安でたまりません。

「一人でいられる能力」なしには、その人の本当の個性は発達しません。

他人への献身もできません。

他人との親密な関係も作れないのです。



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必要とされる必要
- 2008/06/30(Mon) -
「憎みながらも離れられない」
「軽蔑しながら、いないと寂しい」

彼女たちは何十年もそんな男たちに耐え、家事・育児までこなして生活している。

こうした男たちは、プライドが高く威張っているが、
時々自分ひとりでは何も出来ない赤ん坊になる。

妻に見捨てられては生きていけないようになってしまっている。

妻たちの根底には、こんなにも夫に必要とされているという快感があるのです。

「俺にはお前が必要だ」と思われ、「この人は私なしではだめなんだ」と思う。

相手に尽くし、情緒的支えになり、
いつの間にか相手を「自分なくしては生きていけない」ようにしてしまう。

男が「妻なしには生きられない」ように
その妻は「『妻なしには生きられない男』なしでは生きられない」のだ。

普通の家庭の中で、妻は夫の身の回りの世話をする。

夫は妻がいなければハンカチの在り処も分からない。

脱いだものは脱ぎっぱなし。

妻はそれを「仕方ない」と世話をする。

男は母親の代りをしてくれる妻がいるので、いつまでも子どものままだ。

妻は「困った」と言いながらも、どこかで優越感を感じている。

他人に頼られることで、自分の力を確認しているのだ。

実際、日本の女性のほとんどがこんな風だ。

夫や子どもの世話ばかりする女性の生き方は、これまで至極当たり前であり、
奨励されこそすれ、病的なものだという発想自体がほとんどなかったのである。
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