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頭、痛い・・・・
- 2008/08/01(Fri) -
yugure2.jpg
婦人科へ行って来ました・・・・行くことは行ったのですが・・・・
「検査しましょう!(血液・尿・乳癌・子宮癌などなど)」と言われて・・・・
慌てて断って、すごすごと帰ってきました・・・・。
めっちゃ怖いです・・・・私には、あり得なく無理です・・・・。

母には「今日は美容院に毛染めに行く予約してるから・・・」
と実家に行くことも断られました・・・・。

勢い込んで、早朝から夕食の準備までして、空振りの1日・・・・。

その日に、夕暮れの橋の上から取った写真です。↑

昨日の西尾さんのアファメーション、なんだか堪えました・・・・
私は人を、ホント、信じにくいのです・・・・

しんどい気味の1日でした・・・・
何かを考えようとすると、頭が痛くなって、考えられない・・・・考えたくない・・・・そんな1日でした。

でも、このアファメーションは自分の為に記録しておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

他人の心を疑わない

他人に下心があるのではないかと疑っていませんか。

何か人が自分のためになるようなことを言ったり、したりすると、
「あの人は、何か私から欲しいものがあるからだ」とか
「どうして、私なんかと一緒に行きたいんだろう」
「きっと内心では、自分をバカにしているにちがいない」などと
すぐに相手を疑ってしまっていませんか。

これは、自分の不安や自尊心のなさから出てくるものです。
他人の行動、言葉の内の意味をつねに探って最悪の意味づけをしていると、
友人もできませんし、親しい人間関係がつくれません。
他人の行動、言葉が良い方と悪い方の両方にとれるときには、良い方にとっていきましょう。

真実は、早かれ遅かれ現れてくるのですから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、今日から真夏の8月ですので、テンプレート、大好きなヒマワリです

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朝顔
- 2008/08/02(Sat) -
朝顔が咲きました。
asagao2.jpg
どこからか知らない間にうちにやって来て、毎年夏の間中一杯咲き続けて、
毎朝楽しませてくれます。全部ブルーの花です。

今朝この写真を撮ったので、昼頃仕事中の夫にメールで送ったら、
「明日の朝は、俺の顔を撮ってくれ」と返事が来ました(笑)

最近の夫は、とても冗談が多くて、大抵楽しそうにしています。
よかった・・・・
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こころの最深部へ③
- 2008/08/03(Sun) -
http://homepage2.nifty.com/another_psychiatry/framepage1.html

養育環境の赤ん坊への適応がうまくいった場合
赤ん坊は自らが常に歓迎されていると感じ、
健康な自己愛(自己肯定感、自己信頼感、自尊心など)を発達させる。

赤ん坊が遠ざけようとした不快な思いや、養育者側に生じた不快な思いは、
ひとまず養育者によって受け止められ抱えられる。

そうして、しばしば赤ん坊に役立つ形で返される。

そのおかげで、赤ん坊は殊更自分を守ろうとする必要も無く、ありのままで居れる。
 
同じ事を「愛情」と「理解」という言葉を用いると、「うまくいった場合」には、
親は赤ん坊~子どもと言えども一個の人格/主体であると捉えている。

もちろんまだ子供の主体は十全には生まれていない。
しかし、親はそれが既にそこにあるかのように慎重に配慮しながら扱う。

それは「理解しようと努力する姿勢を伴った愛情」です。
必ずしも子供の心が十分に理解できなくてもよいのだ。

理解できなくても、嫌になって投げ出すのではなく、
理解しようと努力しつつそこに共に居る、ということが大切なのである。


このような養育者の関わりのことをWinnicottは
「ほどよい母親」good enough motherと表現し、
Kohutはもう少し抽象化して「自己対象」selfobjectと表現した。

そして、そういう事の繰り返しから、
子どもはいつしか苦痛や葛藤を抱える養育者の機能を取り入れて身につけ、
更に合理的客観的に考え判断する機能
(いわゆる自我の自律的機能)を発達させて行くのである。


このような心的装置をフロイトに倣って「自我(+超自我)」と言ってもよいが、
抱える機能を強調する為に“containing-self”と呼んでもよい。
 
このような養育者の姿勢を簡潔に、
「からだのお世話」との違いを強調して、「こころのお世話」と呼ぶ。

自我(内的自己)と超自我(内的対象)は、
その発生の時点から既に常に、それぞれが単独で存在するのではなく、
対(つい)として存在しており、
それらが一つ(或いは複数)の複合体を成している、と考えられる。
それを「自我・超自我複合体」と呼ぶ。

なお、
健康であればあるほど、「自我・超自我複合体」は
複数のものがバラバラに存在するのではなく、
緩(ゆる)やかにではあってもまとめられているであろう。

ここから翻(ひるがえ)って、
心の成長が不幸にしてうまくいかなかった場合には、
単数へのまとまりを当然の事として期待することはできないこともまた、言うまでもない。


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カウンセラー認定証が届いた。
- 2008/08/04(Mon) -
カウンセリングを学んだところから、全課程を終了して丸2年以上たった先日、
すでに私は認定されないことが決まっていたはずだった、
「上級●●●●カウンセラー」の認定証が届きました

学校側のシステムが変わって認定されることになり、
自ら登録手続きをしたのだから、当たり前といえば当たり前なんですが・・・・

どんな事情が学校側にあったのかは、薄々察しはつきますが、
まあ有難く頂戴しておくことにします(笑)
(左側 ↓)
nintei.jpg
                                            (右側 ↑)
それと同時に、「こころの●●●」のカウンセラー登録のお知らせも入っていました。

ギョッとしました。
「この私が人にカウンセリングをするの

確かに実習期間の丸2年間は、10名近くのクライアントに、
研修としてのカウンセリングをさせていただきました。

一番長い方で継続期間は12回。それなりの結果をもって終結することができました。

でも、それはあくまで実習として、研修として、であって、
今の自分が、本当に悩みを抱えて人生の岐路に立っておられるクライアントに、
自信を持ってカウンセリングをすることができるのかというと、甚だ疑問です・・・・

悩んでいます・・・・
登録しようかどうしようかと・・・・

もっともっと、勉強を積まないと責任を負う自信がありません・・・・

スーパーバイザーがしっかり付いていて下さるようなので、
勇気を出して登録しようかな、とも思っていますが・・・・

登録期限はないようですので、よーくよーく考えてから決めようと思います。
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大喧嘩
- 2008/08/07(Thu) -
寂しいときには寂しさを、
切ないときには切なさを、
そのまま抱えて生きていけばいいんだよ・・・・

そう自分に言い聞かせる日々です。

asazora.jpg
午前5時過ぎ、部屋の窓から見た空の写真です。

娘と、大喧嘩して、ずっと落ち込んでます・・・・(笑)

内容は・・・・書けないです・・・・

取り合えず、寂しくて、切なくて、
そのまま抱えて、そのままなんとなく、生きていられるからこれでいいか・・・・
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あなたの署名は、あなたが考えるよりも力強い。
- 2008/08/08(Fri) -
今日は一日中娘が家に居ます。
大学は8月から夏休みに入っていたのですが、毎日朝から夜までバイトで忙しい様子で、
今日が初めての休日です。またまたPCを占領されています(笑)

大喧嘩をしてからすこーしギクシャクしていた二人ですが、
今日は、すこーし仲直り。

「お母さんもサンダル履くんだからペディキュアしたほうがいいよ」と
娘のマニュキュアを足の爪に塗られてしまいました(笑)

恥かしいやらくすぐったいやら・・・・

その綺麗に色を塗られた足の爪の写真も撮りましたが、
さすがにアップするのは止めておくことにします(笑)

今日来ていたアムネスティニュース、是非紹介したくて転載します。
こういう記事を読むとやっぱり嬉しくて、いつもの手紙書きにもとても力が入ります

以下転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたの署名は、あなたが考えるよりも力強い
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、アムネスティのフランス支部制作の映像3本をご紹介します。

これらの映像は、アムネスティの活動の原点でもある手紙書き(署名)で、
人権侵害を受けるたくさんの人を現に救うことができるということを、
象徴的に表しています。

「こんなことをしても無駄」だと感じて、まだアムネスティのウェブアクションに
参加されていない方もいらっしゃるでしょう。
また、会員になったものの、毎月送られてくるハガキを書いていないという方も
少なくないかもしれません。
もちろんすべての人の状況を完全に解決したわけではありませんが、
手紙が世界中から届くことによって、
その国の政府や組織は全く無視するわけにはいかなくなります。
そして、これまでアムネスティが手紙書きで取り上げた多くの人びとが、
拷問や虐待や暴力から逃れています。

今回ご紹介するうちの2本はアニメーションですが、
ここで描かれているのは、すべて今世界のどこかで起きていることです。
この映像の中で起きているように、ドラえもんの「どこでもドア」のような、
あるいは命綱のような力が私たちの署名にはあるのかもしれません。
それには、みなさんが1人でも多く、手紙書きに参加してくれることが重要なのです。

△「署名」(アニメーション)
http://jp.youtube.com/watch?v=0kVlssD8kTc&feature=related
△「インク」(アニメーション)
http://www.youtube.com/watch?v=iiN7CNJO1gI
△「銃殺刑」
http://jp.youtube.com/watch?v=Gw_a4iutD1Q&feature=related

■あなたにも簡単にハガキが送れます!

ニュースレターは、アムネスティ日本唯一の定期刊行物で、
年10回発行しています。
このなかには、サインをして切手を貼って投函すれば、
簡単に良心の囚人などの支援ができるハガキが同封されています。
また、アムネスティが調査した世界中の人権に関するニュースや、
アムネスティ日本の活動なども紹介しています。

<今月の特集>
「取り調べという名の拷問-日本の司法制度を問う 第1回」
この4月日本の刑事司法制度は、
国連の人権理事会から問題があるという勧告を受けています。
そこで、意外と知らない日本の刑事司法制度の問題点について、
日弁連の小池振一郎弁護士にお話しをうかがいました。

◇アムネスティ・ニュースレターを購読するには・・・・
アムネスティの個人会員およびサポーター会員には、毎号お送りしています。
ニュースレターの年間購読のみも可能です。

▽会員になるには、以下からお申し込みください。
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=113

▽年間購読は、東京事務所(03-3518-6777)までご連絡ください。

▽アムネスティについての資料請求は以下からお申込みください。
http://secure.amnesty.or.jp/shiryo0807/shiryo_4.html

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映画「独裁者」の結びの演説① 
- 2008/08/12(Tue) -
我が家は現在、経済的な危機に面しており、
不安に駆られた私は、例の如く体調を崩していました。
今も何も解決はしていませんが、「どうにかなるさ」と腹が決まり、
少しずつ持ち直しています。

そんな気鬱な日々に、名作「チャップリンの独裁者」の映画のクライマックスである、
結びの演説の台詞全文を文章で読む機会に恵まれました。

ユダヤ人の気弱な床屋のおやじさんが、
ウリ二つの独裁者に成りすましたのはいいのですが、
兵士の前で演説させられるハメに陥りました。

チャップリンが、声をからして兵士に、恋人のハナに、
全世界に呼びかける名シーンです。

とても感動的でした。
映画で見ただけでは解らなかったいろんなことに気付かされました。

それで・・・・無謀な試みとは思いましたが、
全文を何回かに分けてこのブログに記録しておきたくなりました・・・・

自分自身のために、だけの意味ですので、
読むのが面倒な方は、どうぞ読み飛ばしてくださいね

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Charlse chaplin C.チャップリン
   ロンドンの無名の寄席芸人の両親のもとに生まれる。
   幼いときに両親が離婚。 
   同居した母親も彼が6歳のとき発狂し、
   彼は兄と二人で孤児院に入れられた。
   21歳のときアメリカに渡り、喜劇映画のスターとして成功したが、
   第二次大戦後のマッカーシズムのあおりを受けて追放され、
   その後はスイスに住んだ。
   彼を追放したハリウッドは、71年になって、20年にわたる追放を陳謝し、
   アカデミー特別賞を贈った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    独裁者の結びの演説①     C.チャップリン  中野好夫訳

残念ながら、わたしは皇帝になどなりたくありません。
そんなことはわたしの任ではありません。
わたしはだれを支配することも、だれを征服することも、したくありません。
できることなら
ーユダヤ人も、キリスト教徒もー黒人もー白人も、
みんなに力をかしてあげたいのです。

わたしたちは、みんなおたがい助け合いたいと望んでいます。
人間とはそういうものなのです。
わたしたちは、他人の不幸によってではなく、
他人の幸福によって、生きたいのです。
憎み合ったり、軽蔑し合ったりしたくはありません。
この地球上には、みんなが生きてゆけるだけの結構余裕はあるのです。
そしてこの大地は豊沃で、すべての人間を養うことだってできるのです。



(以下続く・・・)

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映画「独裁者」の結びの演説②
- 2008/08/13(Wed) -
今日からお盆休みです。
まだ家族は全員夢の中・・・・
わたしは朝の光を浴びながらコレを書いています。

そろそろ蝉が鳴き始めました。
夜には秋の虫が鳴いているのに・・・・

残暑と秋の気配が混在しているこの季節には、
何か新しいことが始まるような期待感と、
厳しさを乗り越えつつある安堵感の入り混じったような、
そんな不思議な思いに包まれます。

どこにも行く予定もなく、各々が思い思いにのんびりと過ごすことでしょう。

そうそう、娘の休みは今日のたった1日だけで、また、バイト三昧の日々を送るそうです。
若いんだから頑張れ、頑張れ(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(昨日の続き・・・・)
          映画「独裁者」の結びの演説②

わたしたちは、自由に、そして美しく生きてゆくことができるのです。
だのに、わたしたちはその途を見失ってしまいました。
貪欲が人間の魂を毒しー世界中に憎しみのバリケードを築きー
あのガチョウの足取りよろしく、わたしたちを不幸と殺戮の中に追い立てて行きました。
新しいスピードが開発されましたが、結果はかえってわたしたちみんな、
自分の穴に閉じこもるようになってしまいました。
生活を豊かにするはずの機械が、逆にわたしたちを貧困の中にほうり出しています。
知識はわたしたちを皮肉にし、知恵は非情、冷酷にしました。
考えるばかりで、思いやりをなくしてしまったのです。
わたしたちにとって必要なのは、機械よりも人間なのです。
頭のよさよりも、親切、そして思いやりなのです。
そうしたのもがなければ、人生はただ暴力、一切はただ破滅あるのみです。

飛行機とラジオはわたしたちの距離をちぢめました。
こうした利器が持つ本来の性質は、人々の善意ー世界的な兄弟愛ー
すべての人類が一つになることを、叫んでいるのです。
いまこの瞬間にもわたしの声は、世界中の何百万という人々
ー絶望の中にいる男や女や子どもたちー罪もない人々を拷問し、投獄する、
ある組織の犠牲者達の耳に達しているはずです。
耳をもったすべての人々に、わたしは呼びかけたいのです。
「絶望してはいけません。」と。
わたしたちを襲っているこの不幸も、それはただ貪欲のなせる業ー
人類の進歩を恐れる非情な人間たちのつくり出しているものにしかすぎません。
憎しみはきっと消え、独裁者たちは死に、彼らが人民から奪い取った力は、
ふたたび人民の手にかえるでしょう。
そして人間に死のあるかぎり、自由は決して滅びません。

(以下、続く・・・・)
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本日二つ目の記事。松本サリン事件河野義行さん「麻原さんの死刑には反対」
- 2008/08/13(Wed) -
「死刑で遺族 変わらぬ」松本サリン事件河野義行さん「麻原さんの死刑には反対」
                           (中日新聞2008/08/12)

妻の死にも なお「反対」
1994年に起きた松本サリン事件で5日死亡した河野澄子さん(60)=長野県松本市=を
献身的に介護し続けた夫の義行さん(58)が本誌のインタビューに応じ、
事件を起こしたオウム真理教(アレフに改名)の麻原彰晃=本名・松本智津夫=死刑囚らに対する
極刑を望んでいないとの考えをあらためて明らかにした。(坪井千隼)

澄子さんの死去で、同事件の死者が8人となり、麻原死刑囚の刑執行が早まるとの見方がある。
これに対し義行さんは「私は死刑制度そのものに反対で、麻原さんの死刑にも反対。
『命は何よりも重い』と言いながら、国家が人の命を奪っていいはずがない」と述べ、
死刑執行に反対の姿勢を明確にした。

義行さんは「最近、大量に死刑執行されているが殺人事件は減っておらず、
抑止力にはなっていない」と指摘。
「死刑執行で遺族の心が軽くなったり晴れ晴れしたりするのだろうか。
恨みの対象がなくなるだけで、私は変わらないと思う」と自らの心境を語った。

松本サリン事件が社会に与えた影響については
「危機管理の面で警鐘を鳴らし、犯罪被害者の処遇改善の大きなきっかけとなった」と説明。
「2004年に成立した犯罪被害者等基本法は、被害回復が国や自治体の責務としてうたわれた」とし、
今後の課題は「誰もが犯罪被害者になる可能性があり、
被害者の経済的救済にあてる保険のような仕組みが必要だ」と述べた。

同事件では当初、義行さん自身が容疑者扱いされ、
警察の捜査やマスコミ報道などに大きな教訓を残した。
来年から始まる裁判員制度について
「裁判員になる市民が、自白が(強制でなく)任意かどうかを判断する必要があり、
取調べの可視化(録音・録画)の論議がいっそう高まるのではないか」との見方を示した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事に接し、わたしは深く癒されたように感じた。
澄子さんを献身的に介護された河野さんは「麻原さん」と呼んだ・・・・
その優しさに、私の心は深く癒された。
被害者遺族の立場でありながら、なおも「麻原さん」と呼び、
「死刑は望まない」と言われるその人間性に、私の心は深く癒されたのだろうと思う・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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映画「独裁者」の結びの演説③
- 2008/08/14(Thu) -
厚い雲に覆われた今現在、午前5時05分の空。
asazora2.jpg
今日はお天気は荒れ模様になるのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(続き・・・・)
           映画「独裁者」の結びの演説③

兵士のみなさん!みなさんはこれらのけだものたちー
あなた方を軽蔑しー奴隷にしーあなた方の生活のすべてー
何をすべきか、ー考えるべきか、感じるべきか、そんなことにまで一々命令し、
規制するこれらのけだものたちに、けっして身をゆだねてはなりません。
ただあなた方を猛訓練するだけー飲み食いまでも制限し、家畜のようにこき使い、
ただ大砲の餌食にするだけなのです。
もはや人でないこうした人間たちに、決して身をゆだねてはなりませんー
彼らは機械の頭と機械の心だけを持った機械人間なのです!
あなた方は機械ではない、人間です!
人間愛を心にもった人間です!
憎んではいけません!
愛を知らぬ人間ー愛されたこともない、自然に背いた人間だけが憎むのです!

兵士のみなさん!
隷属のために戦ってはいけない!
自由のために戦ってください!
ルカ伝第十七章にはなんとありますか?
神の国は人の中にあり、とあるのですー
それは一人の人間の中でもなければ、あるグループの中でもありません。
すべての人間、あなた方の中にあるのです。
力を持っているのはあなた方人民ー
機械を作る力、幸福を創る力をもっているのは、あなた方人民なのです!
あなた方人民は、人生を自由にし、美しくし、
この人生をすばらしいものにする力をもっているのです。
だとすればー民主主義の名においてーそれらの力を動員し、
みんなで一つに手をつなごうではありませんか。
新しい世界ーみんなの人間に働く機会を与え、青年には未来を、
老年には保障を与えてくれる立派な世界をつくり出すために、
みんな立って戦おうではありませんか。

(以下続く・・・・)
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映画「独裁者」の結びの演説・最終回
- 2008/08/15(Fri) -
(昨日の続き・・・・)
              映画「独裁者」の結びの演説・最終回

もっとも、けだものたちも、同じ公約をかかげて権力を握りました。
しかし彼らは嘘をついている!
公約を果たすつもりなどありません。絶対に!
独裁者というのは、自分だけは自由にするが、人民は奴隷にするのです。
いまこそ世界の解放のために戦おうではありませんかー国と国との障壁を毀ちー
貪欲や憎悪や非寛容を追放するために。理性の世界をつくるためにー
科学と進歩がわたしたちすべてを幸福に導いてくれるような世界を創り出すために、
さあ、みんな戦いましょう。
兵士のみなさん、民主主義の旗の下で、みんな一つに手をつなぎましょう!

ハナ、ぼくの声が聞えるかい?いまどこにいようと、さあ、上を向くのだ。
空を見るのだ、ハナ!雲が切れる!太陽があらわれる!
闇が去って、ぼくたちは光の中に出るのだ。
新しい世界ー貪欲と憎悪と残忍を忘れたより良い世界が、いまや来かかっているのだ。
空をごらん、ハナ!
もともと人間の魂は翼をあたえられていたのだ。
だが、ついにいまはじめて空を飛びはじめたのだ。
虹の中へー希望の光の中へと、いま飛んでいるのだ。
空をごらん、ハナ!上を向いて!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後の部分にでて来る「ハナ」は、主人公の恋人のユダヤ人の女性です。
迫害を逃れて中立国へ逃げたものの、侵攻してきた兵士に殴られ倒れました。
その時、ラジオから聞えてくるこの演説を耳にして、
「あの人だ」と呟いて立ち上がるのです。

映画の中でチャップリンは、
ヒトラーの姿や、ヒトラーの神がかり的な熱弁をたくみに模写していますが、
最初の部分と、最後の部分の主語は「わたし」であり「ぼく」でした。

「わたしたちは」「・・・・せねばならない!」と
壇上から聴衆に向かって声高に呼びかけようとする他の部分よりも、
真に「独裁者」の精神を拒否する意思を明確に感じさせてくれたのは、
こうした一人の人間の、
当たり前の疑問や意見や動揺を、語り続けるという抵抗の形だったと感じました。

声高に、雄弁に、「我々は・・・・せねばならない」と叫ぶことよりも、
自分自身の心の奥の真実に冷静に目を向けることの方がずっと難しい。

ありのままの人間性を表現することは、どんな立派な言葉を並べ立てるよりも、
より普遍的であり、人の心を揺り動かすものなのです・・・・


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朗読練習日
- 2008/08/16(Sat) -
今日は、お盆の真っ最中なのに(関係ないけど 笑)、
これから朗読劇の練習に行きます。

今日は事務局との大切な打ち合わせもあるので、
わたしは練習はあまり出来ないでしょうが。

家族がお休みでも、わたしは毎日決まった時間の朝5時前には目が覚めます。
長い間、宗教団体の機関紙の配達をしてきたので、その頃からの習慣が抜けません。
コレでも少しは寝ていられるようになったんです。
以前は4時とか4時半とかにはしっかり目覚めてしまいましたから・・・・

たまには思いっきり朝寝坊してみたいなあ~(笑)

ではでは、洗濯も終わったし、身仕度をして行って参りまーす
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朗読稽古場での癒し
- 2008/08/17(Sun) -
行ってまいりました、朗読劇。
8月は子どものいる人は家を空けにくく、稽古は昨日の1日だけなので、
参加への声かけを熱心にやった成果なのか、
子役で出てくれるメンバーの娘さんまで来てくれて、
フルメンバー計8名が勢ぞろい

最初に事務局との打ち合わせを終わらせたい旨を伝え、
早速、事務局へと全員で押しかけました(笑)

公演日時の最終決定。
音響や照明の大まかな使用状況や、大道具の貸し出し状況の確認、
チラシ印刷やチラシの配布をどうするのか、公演までの稽古場の確保の確認等等・・・・
提出書類もすべて揃い、いよいよ本番体制も確立できました。

残された2時間、全員揃っているため読みあわせにも力が入り、
何度も何度も熱のこもった読み合わせが続きました。

こうして若干の配役変更もありましたが、
わたしはやはり「人のいいおじいさん役」に変わりはなく、
すでに役のおじいさんへの愛着すら湧いてきて、
笑あり、議論あり、しみじみ話ありの、充実した稽古をすることができました。

私は途中で体調が悪くなり、一度稽古を抜けて稽古場で20分ほど横になっていました。
みんなにも現在の自分の体調について、ありのままに話してあるので、
そんな状態も違和感なく受け入れてもらえたことも、大きな収穫でした。

ありのままの自分として、やれることをやりつつ、
無理な時は心おきなく休息をとるという、
本当の自然体の自分として、仲間と共にその場にいられるという経験は、
私の心と身体を深く開放してくれるのです。

これまでのわたしの、常にどこかに力の入った緊張した人間関係のあり方を
大きく変えてくれる緩やかな癒しの体験だと感じています。

この仲間と居たい、この仲間と一つのことをやり遂げてゆきたい。

心の底から楽しめて、心の底から開放されて、心の底からそう思えるのです
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秋の気配
- 2008/08/18(Mon) -
8月18日、午前5時10分の空。

asazora3.jpg

昨夜はすっかり秋の気配で、寒いくらいの夜でした。
お盆休みも終わり、今日からまたお弁当作りの忙しい朝です。

今日は高校野球の決勝戦でも楽しみに見てみようかしら。

もう5時20分、そろそろ行動開始です。
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満開の朝顔
- 2008/08/19(Tue) -
朝顔が満開に咲いていました
asagao6.jpgasagao5.jpg

asagao4.jpgasagao3.jpg
昨日の朝の写真です。
この日の朝の朝顔の姿は、今夏、最高の咲きっぷりかもしれません

圧巻でした・・・・
美しい姿をありがとう・・・・

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命をいとおしむ。
- 2008/08/20(Wed) -
まだ薬は1週間分ほど残っていたが、昨日はちょっと早めにクリニックへ貰いに行った。
家事全般を終わらせて、夕食の準備もしてから、夕の時間に。

4時半からの受付なのだが、時間ちょうどに入ってみると、
すでに待合室は人で一杯で、座る席も空いていなかった。

何気なく、診察室に入っている人も加えて黙視で人数を数えてみると、24人も待っている。

一人一人、目線の横で観察してみた。

私に似たような、几帳面で身なりにも神経が行き届き、どこか気の弱そうな人。
どこが具合が悪いのか、とてもそうは見えない職人風の大きな男の人。
自分の世界に完全に入り込んで、他人が全く目に入っていないように見える若者。
待っている時間が耐え難いのか、ずっとそわそわと歩き回っている人。

いろんな人がいる。そしてみんな病んでいるのだ。
病と共に、生き難い人生を、何とか折り合いをつけながら生きている人たちなのだ。

ふと、自分がこの地球上にうまれてくる確率を思った。
一人の男と一人の女の間に、この<私>が生まれる確率自体、おそらく極めて低いのだ。
祖父母や曽祖父母へと遡っていくと、さらに確率は限りなく0へと近づいてゆく。

ここにいる人たちも皆、その極めて低い確率を超えて、
無の深遠から浮かび上がってきた人たちなのだ。

「奇跡の出現」、それがこれら命の真相。

けれどもどんな両親のもとに、どんな時代に、どんな場所に生まれたかったと、
どんなに強く願ってみても、誰一人、それを叶えることは出来ない。

与えられた生を、ただ一度きりのものとしていとおしみ、
自分自身の生として引き受けていくしかない。

生が、ただ一度きりで有限であるからこそ「命はいとおしい」のだろう。

命を受け継ぎ、自分の生としていとおしむ主体性を持つことで、
「生と死」は連綿とつながっていく・・・・

そんなことを思いながら、28日分、調剤薬局で薬を受け取り、
昨日は本屋にも寄らずに早々に帰途に着いた。

家に帰ってからも、どこか現実とは切り離された遠い世界に居るように、
心ここにあらずのままの一夜となった。
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残夏の楽しみ
- 2008/08/21(Thu) -
昨日は一日中、家から一歩も出ることなく過ごしました。

台所やトイレ、お風呂場に洗面台といった水周りの掃除を丹念にやり、
そのままびっしょりかいた汗を流すためにシャワーを浴びて、
クーラーの効いた部屋で冷たいアイスコーヒーを飲んで休息。

それだけで幸せな気分になれるのは、夏だからこその喜び

早々に夕餉の仕度を終えた後は、
すでに収穫の終わったキュウリ、ナス、トマトにもたっぷりの水遣りをする。
「ご苦労様でした。最後の休息の水ですよ。」そんな思いで。

勿論、今を盛りとまだまだ咲き続ける朝顔にも自分もびっしょり水飛沫に濡れながら水遣り。

思い出してみると、娘が幼い頃は一日中ビニールプールをベランダに置き、
二人で何度も水遊びに興じて、家の中でも真夏の日々を楽しんだものでした。

今は草花への毎日の水遣りが私の夏の楽しみである、
童心にかえった水遊びなのかもしれません。(笑)

昨夜は寒いくらいの涼しい夜でした。
今朝もとても涼しい風が部屋の窓から入って来ています。

今朝の空。
asazo4.jpg


夏の特権である水と戯れることのできる日々も、そろそろ終盤に向かっているのです。
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究極の救済論?
- 2008/08/23(Sat) -
ふと思いついて、久しぶりで仏壇の掃除を丁寧に行った。
扉を開いて灯りをつける。
内側から外側へ、丁寧に丁寧に磨いてゆく。

正面に座布団を置いて座ってみる。

以前のように、自分が混沌とした闇の世界に引きずり込まれてゆくような
あの恐怖は全く湧いてこない。

10分ほど声を出さずに題目をあげてみる。

それでもかつて味わった生理的な嫌悪感に引き裂かれるような苦痛も感じなかった。

私にとって「祈る」とは、
どんな「私」が何を「思」って「祈る」のかと言うことが、まず最重要問題となっていたのだ。

自己の欲望達成や、自己陶酔的ナルチシズム、傲慢な選民意識をつのらせる為の祈りなど、
絶望感と嫌悪をもたらせるものでしかない。

祈りながら考えたこと。
仏教の教えについて、徒然に・・・・

仏教の教えは、人間存在に深く根ざした「自我への執着」、
中でももっとも強いといわれる「我執」への囚われこそが
すべての「苦」の原因であると説く。

自然なありのままの状態では、
人間はこの執着のままの反応を繰り返してしまうのだという。

時に競い合い駆けずり回り、常に満足を知らず、何か不満を持ち、
「これが必要だ、あれが欲しい」と騒ぎまわるかと思えば、
「思いのままにならない、気持ちに叶わない」と言いつのる。

欲望を達成してはしゃぐことがあっても、
すぐにまた「もっと」と要求しはじめ、あるいは退屈してゆく。

一時的な興奮はあっても、大体においては、
一貫して不満をもち、怒りや苛立ち、妬みや悲しみ、
絶望の狭間を激しく揺れ動いている人間存在、それが苦(dukkha)の正体である、と。

こうした「あらゆる事物への執着」を捨て、超越することを「無我」という。

こだわるな、忘れることだ。
許す許さぬなどおおげさなことではない。忘れてしまえ。
嫉妬、羨望、喜怒哀楽は所詮一時の感情。そんなものは存在しない。

けれども人間は悲しくもあつかましく、また愚かだ。
楽しみは味わいたくても苦しみは避けたいのだ。

釈尊の原則を踏まえて後続した人たちは、
「苦の無存在と娑婆の亭楽は両立するのか?」という
このずうずうしい要求をかなえるべく様々な解答を発見したのかもしれない。

例えば親鸞、例えば日蓮。

悪との争いを踏まえてのみ成道するのだという、究極の救済論を。
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稲穂と案山子
- 2008/08/25(Mon) -
昨日の日曜日、恒例のスーパー買出しの道すがら、目にした風景です。

inaho.jpg
稲穂もこんなに青々と育って・・・・

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可愛い案山子が立っています。

わたしの毎・日曜日の買い物は、日曜日の朝にほぼ1週間分のメニューを作成して、
重くて自転車では大変な調味料類・缶・瓶物、
そして安くて良質の肉や魚、大物の日用雑貨などを、
約3件のスーパーを車で回ってもらってまとめ買いをします。

コレで1週間分の予算を超えることなく節約家計を賄うというやり方です。

この毎週末恒例の買出し行は、私にとっても結構な大仕事ですが、
駆りだされる夫か息子も、せっかくの日曜に大概難儀な一仕事だと思うのですが、
文句も言わずに(言えずに?笑)付き合ってくれています。

その時にいつも通るこうした風景の場所は、
季節の移り変わりを教えてくれる、本当に楽しみな美しい場所です。

5年前の夏、失意のどん底でこの地へ引っ越してきた頃は、
家の周りも殆どが畑や田んぼで、小さな池も2箇所ほどあって、
「一体どんな田舎に引っ越してきたのかしら?」と、心細くなるほどでしたが、
昨年から家の周りは宅地開発が急速に進み始め、
すでに畑も田んぼも小さな池も、まったく姿を消してしまいました・・・・。

心細いほど寂しい田舎然とした町だと思っていたのに、
いつの間にかその豊かな自然の風景に癒され、
愛着すらを持つようになっていた私にとって、
こうして宅地化していく様は、とても残念でたまらないものです・・・・。

もうすぐ、どこにも田舎らしい風景なんて見れなくなってしまうんでしょう・・・・。

なんで人って、そんなにマイホームが持ちたいのか、
流れ流れて生きることの好きなわたしには、とても理解できないんですが(笑)

風になびく青々とした稲穂と可愛らしい昔ながらの案山子。

楽しい買い物行でした。

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平静と穏やかさと抑制の心
- 2008/08/26(Tue) -
今朝は空も真っ暗く強い雨が降っています

雨音を名曲のように聴きながら、心和ませている私ですが、
この雨によってまたどこかの地で、大きな災害などが起こっていないことを、
ただただ祈るばかりです・・・・

私はその全文を読んだわけではありませんが、
先般、タモリさんの「白紙の弔辞」なるものが大変評判になっていたようです。

我が家は家族で話し合い、家族の誰が死んでも、
いわゆる「お葬式」なるものは行わないことを決めているので、
おそらく葬儀特有の形式である「弔辞」とも、なんの縁も無く、
ごく身近な人たちにだけ囲まれての旅立ちになることと思うのですが、
昨日、とある文化人の方の葬儀での「弔辞」の一部を読む機会がありました。

「弔辞」そのものに、と言うより、
そこに顕わになった亡くなられた方の「死にゆく姿」に大変心動かされましたので、
ここに記録をしておくことにいたしました。

以下、転記いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「僕は君が死を前にして病に耐えていた時の従容たる態度と平静を失わなかった心、
 それが、まなこを閉じてなお眼元が微笑んでいる君の死顔となったのだと信じている。
 
 今、この儀式の場では具体的なエピソードを話す時間も余裕もないけれども、
 『死に臨んで従容』という久しく忘れていた古い言葉を思い出させてくれたのが、
 この何ヶ月間かの君の振る舞いぶりだった。
 
 かすかな表情と言葉少ない振る舞いとをもって話をした人●●君、
 君の最後の姿は、その君にふさわしくそいうふうだった。立派でした。
 
 全身に癌を抱えて書き下ろしの本を一冊書き上げたのも偉いけれども、
 僕はそのこと自体よりも、
 それをやり遂げることを通して君が獲得した、
 あの平静と穏やかさと抑制の心とに対して満腔の敬意を捧げたいと思う。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が死ぬ時も、
病に耐え従容たる態度と平静を失わない心で、
死と向き合うことを通して、
平静と穏やかさと抑制の心とを獲得したいものだと、
心からそう思ったのでした。




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あえて逆らう
- 2008/08/27(Wed) -
夫を送りに出た時の空。午前6時10分頃。

今日は1日雨の降りそうな曇り空かもしれません。

chousenasagao.jpg
例年の如く、これから咲く朝鮮木立朝顔の蕾がついていました。
小さいのがまだ二つだけ・・・・
楽しみです。

私があと余命1年余りだと宣告されたとしたら、
どうせ長くない時間を、放射線治療や抗癌剤の副作用で台無しにされたくない。

そうなってみなければ分からないが、今の私にとっても、
日常は時間の流れに従順に埋没している。

死ぬまで生きるだけのことなのだろう。

「その時」がきたら、私が私であることをやめるだけのことではないか。

余命幾ばくもないことを自覚するということは、いわば「未来」を奪われることだ。

もはや「過去」とか「現在」とかの区別も意味をなさなくなる。

生きている「今」だけがすべてであり、残された時間を無益な治療に身を任せ
生の尽きるのを待つことよりも、「あえて逆らう」生活を選びたい。

それは「今」の連続である日常生活に集中して、
あえて「死」という考えに囚われないことではないか。

「死」に囚われず、しかもなお「死」から逃れることは出来ない・・・・・

この無慈悲さ、無残さと向き合うために、
変わりなく生き続けるものであるかのごとく「あえて逆らって」
「その時」までを従容として生きることなのではないか。


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「ミオ」さようなら・・・・
- 2008/08/29(Fri) -
2年以上も我が家に食事に来ていた「ミオ」が、もう1ヶ月近く姿を見せません。

かつての「ミオ」 ↓
mio.jpg

今夏の暑さに、相当参っているなとは感じていました。
何とかなだめて獣医へ連れて行こうと、悪戦苦闘もしてみましたが、
決して触れさせようとはしませんでした・・・・
孤高の「ミオ」です。

「ミオ」は・・・・どこかで人知れず亡くなったのかもしれません・・・・

昨夜も「ミオ」の夢を見ました。
ずぶ濡れになった「ミオ」が、わたしの枕元にやって来て「ミャ-ミャ-」と鳴くのです。
私は寝ぼけまなこで「ミオ」に、「まあそんなに濡れて、寒かったろうに・・・・早くお入り。」と
自分の布団に入れてやり、「ミオ」を抱きしめて再び眠りにつくのです。

目が覚めてみると、まるでつい今しがたまでここに居たかのように、
「ミオ」の温もりが残っている、現実感のある夢でした。

最後に私に会いに帰ってきてくれたのでしょうか・・・・

「ミオ・・・・どこかで死んでしまったのかい?何もしてあげられずに本当にゴメンネ・・・・」

もう二度と会えないであろう「ミオ」を思って、涙が溢れて止まりませんでした・・・・
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「他者」との出会い。
- 2008/08/30(Sat) -
朗読劇の仲間と出会って、もうすぐ1年になる。

朗読劇のグループに参加した当時の私は、自分が朗読劇をやることの意味を、
朗読劇そのものというより、もっと大きな「必要」を感じて参加していた。

「心と身体と頭とが1つになることで
 失ってしまった自分の声と言葉を取り戻せるのではないか。

 深く傷ついた女性たちの回復と甦生の言葉を
 一旦自分の身体の中を通して再現し表現することで
 私の中に深々と埋め込まれてしまっている痛みや悲しみも
 ともに回復し甦生してゆけるのではないか。」

そんな風に感じていたように思う。

そして、確かにそれは私を変えるきっかけになってくれた。

しかし、それ以上の思いがけない収穫があったのだ。

自分達で朗読の自主グループを立ち上げたこと。
自分とは全く違うことを考えている仲間たち、
でも、どこか共感を覚えるこうした仲間たちと出会い、付き合ってきたこと。

私の前に対置されている人間、自分の意識に対置されているいろんな考え。
こうした「他者」と言い得る、人間や物や事柄や考え方との出会いが、
私に対して変革を迫ってきたのだ。

「他者」との出会いと、その驚きや違和感も含めて、
その時、私というものを強く意識する。

他人の個性を「変わってる」として排斥してしまうのではなく、
「私」の生き方に変革をもたらしてくれる「他者」として捕らえるということ。

こうしたことを通じて、私は狭い範囲の実利的なことだけではなく、
もっと広く、「生きる」ことの豊かさを、
自分の人生で実現することを目指してゆけるようになったような気がする。

感謝・・・・。
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国連関連ニュースから。
- 2008/08/31(Sun) -
昨日配信されてきた国連関連ニュースから。
世界は酷い貧困と不平等に喘いでいるのです。

以下、転載します。

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2008年08月28日
極端な貧困に置かれる人の数は増加と警告:世界銀行
 
世界銀行がこのほど発表した数値によると、
世界で10億~14億人が貧困状態にあると推定されている。
この数値はこれまで考えられていたよりも多い。

[元記事]
・More people living in extreme poverty than previously thought - World Bank

【背景】
ここで言う「貧困」とは、
いわゆる「貧困ライン(poverty line)」よりも
下の生活状態に置かれていることを指します。
 
貧困ラインは、
これまでは1日あたり1人あたりの生活費が、1米ドルであったのですが、
最近これを1.25米ドルに引き上げたにもかかわらず、人数が増加してしまっています。

1981年には貧困ライン(当時は1ドル)以下での生活を強いられている人数は、
5億人程度と推定されていました。


2008年08月29日
社会的な不平等は健康にまで:WHO
 
WHOがこのほど発表した報告によると、例えば日本人の女性はレソト人女性よりも、
平均で42年も長寿であると言うふうに、世界のどこに生まれ、どこで育つかによって
健康に大きな不平等が生まれていると警告した。

[元記事]
・Global social inequalities lead to widely diverging health patterns - UN report

【背景】
この調査はノーベル賞受賞者のアマルティア・セン博士の指導のもと
3年がかりで実施されたもので、タイトルは
Closing the Gap in a Generation: Health Equity through Action on the Social Determinants of Health。
 
報告によると、
スウェーデンでは出産時に命を落とす妊婦の割合は17,400人に1人であるのに対し、
アフガニスタンでは8人に1人となっていて、
これはもちろん生物学的な違いによるものではなく、社会的な問題であると指摘しています。

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地球上には、コレほどまでの境遇の不平等が、、
たまたま生まれた国が違うというだけで、存在しているのですね・・・・

こうした境遇で生きなければならない人たちの、
悲しみや絶望、困難を極めるであろう日常生活を思うと、
本当に人類は文明化されたといえるのか甚だ疑問です・・・・
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