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阿闍世・コンプレックスを考える③
- 2007/12/28(Fri) -
阿闍世は、梵語・アジャータシャトルの音写で
「未生怨」と訳されます。

「未生怨」という名前のいわれは、
父王には世継ぎの子がいなかったので占い師に夫人を占わせたところ、
「山中に住む仙人が死後太子となって生まれてくるであろう」
と予言しました。

そこで王は、
早く子どもが欲しい一念から、仙人を殺してしまうのです。

間もなく夫人が身ごもったので再び占わせたところ、
占い師は、
「男子が生まれるが、その子は王の怨となるであろう」
と予言しました。

やがて生まれた男の子は
「未だ生まれないときから怨みをもっている者」
というので「未生怨」と名づけられたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「未生怨」・・・・
なんて恐ろしい、救いのない言葉でしょう。

私が初めてこの言葉に強い恐怖を抱いたのは
かつて所属していた宗教団体と宗門との間で熾烈な争いが起き
その時の法主を「底知れぬ未生怨の世界」として
不幸な私生児として育たざるをえなかった母親自身の
「怨念」から発した様々な動機の塊として、
まさにその法主が「魔性の申し子」として生まれたのだと
断じていたことでした。

このとき感じた恐怖・・・・

それは常に
「何かとてつもない生まれながらの空恐ろしい存在としての自分」という、
無意識的罪悪感や加害者感に苦しんできた私にとって
「未だ生まれないときから怨みをもっている者だったのだ」という
根源的な暗黒の烙印を押されてしまった絶望的な恐怖でした。

「底知れぬ未生怨」だとか「怨念」だとか「魔性の申し子」だとか
今はもうそんなオドロオドロしい妄想の世界は
思い出すのも嫌なことです・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

王もまたその子を恐れて、
夫人とともに高い塔の上から投げ捨てたのですが
一本の指を折っただけで無事だったので、
阿闍世王のことを別名「折指(しゃくし)」とも言います。

このように仏典では、
父王を殺したのはあくまで阿闍世であり、
仙人の死が待ちきれずに仙人を殺したのも父王なのです。

阿闍世の物語は、父親殺しがテーマになっているので、
骨格はギリシア悲劇「オイディプス王」と変わりません。

仏典では阿闍世は、
典型的なエディプス・コンプレックスの対象だったといえます。

ところが古澤氏は、
仏典のいくつかから阿闍世物語を抜き出すにあたって
独自の仏教説話を創案し
「阿闍世・コンプレックス」概念を提唱したのです。
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