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阿闍世コンプレックスを考える⑦母性神話
- 2008/01/08(Tue) -
フロイトのいうところの
エディプス・コンプレックスのエディプスは、
ギリシャ悲劇の主人公です。

そのストーリーは
「生まれた子どもは、父を殺し、母親を妻にする」
という予言のためエディプスは森に捨てられ、
やがて運命の意図にあやつられて、
そうとは知らずに父親を殺し、母親を妻にしてしまい、
その真実を見極めた時、
自らの目を刺すことで罰を受けようとするのです。

エディプス・コンプレックスの超自我は、
父親から懲罰されるという
去勢不安から生まれる罪悪感が根底にあり、
キリスト教的な伝統的父権主義に基づく
『父親=厳格な法の執行者』です。

阿闍世コンプレックスには、
罰や恐怖による罪悪感は存在しません。

阿闍世コンプレックスは、
母親と子どもの二者関係における
『甘え・憎悪・許し・謝罪』
などの複合的な感情なのですから、
父親のような社会的存在としての他者は
はじめから存在していないのです。

『自分が悪い事をしたのに、
相手から許されてしまったことによる申し訳のなさや
後悔・謝罪としての罪悪感』であり、
「悪い行為をした加害者(子ども)」を
「罰する」のではなく、「許すこと」によって
自己懲罰的な罪悪感を自発的に抱かせようとするものであって
阿闍世の母・イダイケのエゴイズムと
愛情・保護という母性原理に基づく
『母親=寛容な情・許しの体現者』なのです。

罪に対する処罰を恐れることによる
エディプスの「処罰方罪悪感」に対する
阿闍世の「許され型罪悪感」。

すなわち、エディプスが父からの復讐を恐れて
罪悪感を持ったのに対して
阿闍世は自分の行為によって被害を受けた母に
「許される」という体験に由来する罪悪感なのです。

仏典の阿闍世物語では阿闍世の苦悩と病は
自分自身の父殺しと母の幽閉からくるものであって、
ブッダに帰依することによって回復してゆきます。
また、父王のビンバシャラも母のイダイケも
ブッダに帰依しています。
そこでは「寛容な情・許しの体現者」としての
母親の介在は強調されてはいません。

母親が真の「母性」を取り戻したことによる
子どもの病からの回復というストーリー・・・・

母性の回復が子どもの回復につながるというこうした発想自体
日本の「母子関係の重視」という文脈と
全く軌を一にしていると私には感じられるのです。 
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