FC2ブログ
2020 05 ≪  06月 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2020 07
阿闍世コンプレックスを考える⑧日本人的なるもの
- 2008/01/12(Sat) -
相手に献身的に尽くすことで恩を感じさせ、
反対に、
相手から懸命に尽くされることで自分が恩を感じる。

こういった関係性のあり方は
「自己犠牲的な他者への献身」と
「世話役割」へと身を投じていく女性の
家父長制における共依存的な関係性が
その根底にあるようにも思えます。

日本人の罪悪感は、西洋人の罪悪感のように
超越者との関係から導かれるものではなく、
自分の所属する集団の人たちの
信頼を裏切る時に強く感じられるもので、
その罪悪感は、人間関係の関数であるともいえます。

普遍的な法や倫理を破ったために生じる
客観的な罪悪感というよりも、
自分の知っている他人や世間に
迷惑や心配を掛けてしまって申し訳ないという
後悔や謝罪の念に基づいた罪悪感なのです。

また、日本人は、
他人との協調や連帯を大切にする反面
自分の行動や意見を制限し、
集団的価値観にそぐわない
突出した個性を押しつぶそうとします。

日本人の超自我は、
『他人や世間に迷惑をかけてはいけない』
という主観的な基準に基づく良心としては機能しますが、
超越的な善悪の判断基準を持たないために、
相互的に罪や誤りを許しあう
寛容さ=甘えを常に容易に孕むものになるのです。

土居健郎氏は、
こうした『甘え』を根底にした対人関係のあり方と
その関数である罪悪感は、
さまざまな形をとって日本人の精神病理を
特徴づけているとも考察しています。

(今日では、欧米人にはないとされた「甘え」も
 決してないわけではなく、
 深く抑圧されたものという認識がなされるようになり
 諸外国の精神分析家からをも注目を浴びるようになっていますが)

古澤氏の提起した阿闍世コンプレックスの概念は
小此木啓吾氏によって日本人論の観点から
日本的一体感=甘えとその相互性、
日本的恨みとマゾヒズム、
日本的許しと罪悪感
という三つの構成要素からなる一つの全体的な心理構造が
日本人の母子体験の源流にあると指摘しています。

視点を変えればこの物語は
父権を主張する夫の言いなりに子どもを産まなければ
自分の地位を保つことさえ出来ない女性の不安や
こうした夫の仕打ちに耐えて、
わが子を産んだり殺したりしなければならない
母親のDV物語であり、
また、その妊娠を喜ばれることなく殺されそうになった
虐待された子どもの物語でもあり、
さらに、胎児期に子どもを殺そうとした
虐待する親の物語であるとも読み取れます。
この記事のURL | 阿闍世・コンプレックスを考える | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<心療歯科へ行く | メイン | 軽いウツ対処法・覚書>>
コメント

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://imago.blog64.fc2.com/tb.php/407-f9986705
| メイン |